michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

想いをお花に託して    〔ふれあい〕

2012-05-31 06:33:25 | Weblog

きのう、来客あり。ウチにお客って久しぶり。

ちょうどバラの時期で、何本か入手(朝露に濡れているのを採らせてもらった)、

プレゼント出来ました。

持ち帰ってもらうには、牛乳パックが手ごろなんですよね。

そのままではナンなので、きれいな包装紙を巻いて貼って、

そこにバラを挿して水を入れ、

イージーバックにすっぽり入れて。

 

さらに、ポトスが気に入ってくれたようなので、

   

先端を一つ切ってあげた。

一番勢いがあり、形も良い部分を選んで。

お渡ししながら、

私の想い、「これからもよろしくね 」という気持ちを籠めて託しました。

 

私も、これまで何人もの方から、いろんな球根やら鉢植えやら戴き、

それを育て、眺めては、

「これは、いついつ、あの方に戴いたのよねぇ」と想い出して、

ずうっと心で繋がっている。

 

  お花(植物)って、幸福の使者ですね。

 

 

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『安全設計、自動で便利』 …ほんとに そうぉ?    〔本〕

2012-05-29 06:14:36 | Weblog

こないだ図書館で借りたのは、この2冊です。

  『おふくろの夜回り』 三浦哲郎 著

  『我が老後 これでおしまい』 佐藤愛子 著

どちらもなかなか面白かったです。

 

愛子さんの本は、もう少し若い頃、いっとき もう読み漁り、

すご~く怒る人だなぁ、とビックリしつつ、爽快になったりしていた。

最近、あるサイトで愛子さんの紹介文として

憤怒の作家、と呼ばれている。」というのがあって、

うんうん、と納得しちゃいました。

それが、この本によると最近は「怒る気もしなくなってきた」とのこと。

それでも、

ガスコンロに怒った話は とても共感おぼえました。

 

お台所のコンロが壊れて、新しく買ったら、

最新のタイプで、「安全設計・自動で便利 」という。

期待を籠めて使い始めてみたら、

 火が点かない。

娘さんを呼ぶと、説明書を読み、

鍋を置かないと点かないようになっていると云う。

海苔をあぶる時はどうするの」と憤慨。

 

ご飯は、これまでガスコンロで火を調節しながら(愛子流のこだわりがあるそうな)、

ふっくら美味しく炊いていたのが、

「ごはん」というボタンを押して自動になると云う。

やってみたら

勝手に炊き上げて、勝手に火を消しているのだ。こんもりどころかべったり水平にご飯が詰まっている

もう、火山の噴火のように激怒なさった。

 

こういう話が山ほど続く。

も、書かずにはおれない、といったご様子。

そして、こう結んである。

「(こんなものに取り囲まれていると)人間は劣化します。デリケートな感性を失い、努力を捨て、緊張を摩滅させ、ささやかな創意工夫の喜びも、労働の汗の爽快さも知らず(知ろうとせず)怠け者になります。」

           

そう、そういうこと、私も常々感じていて、とても共感します。

私の最近の体験では――、

ある文章をワープロソフトで入力。さぁと添付ファイルで送るのに、

その時は共用のパソコンでやっていた。

その段階で部分的に手直ししたら、「自動的に」日本語の文法としておかしいところは

赤いアンダーラインが付いてしまう。

でも、実際には、その部分は それで良いんですよ。アンダーラインなんか消したい。

どこかでその設定をナシに出来る筈と思ったんですが、すぐには分からず。。

 (別のパソコンでやってみたら良かった、と気づいたのは、

  なんとかカントカ やり終えたあとのことでした。 )

 

日本語としておかしいかどうかなんて、自分で勉強したら良い。

ずっと前に使っていたパソコンでは、そんな「お知らせ」があっても、

一旦消してまた打ち直したら、「お知らせ」は もう出なかった。

そんな程度にしてほしい。

 

何でも「自動」で「便利」、

――ちょっと考えものだと思うんです。

 

 

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『まさかこんなことが起こるとは』という観方    〔TV〕

2012-05-28 06:16:18 | Weblog

ゆうべのNスペは、『オウム真理教 17年目の真実』後編。

「~オウムvs警察」でした。

地下鉄サリン事件の前までに、かなり捜査が進んでいて、

あと一歩のところまで来ていたのですね。

それなのに、なぜ・・・。

 

番組によると、いくつものポイントがあるけれど、

私が耳(字幕なので、目)をうたがったのは

警察関係者 何人かの証言で、

「当時まだ日本にはサリンは存在しておらず(無い、とされていて)、

取り締まる法律が無かったのです」

それと、

「まさか宗教団体で製造するなどと…」

というもの。

 

後者は、『想定外でした』という言葉と同じようなものを感じました。

でも、どちらも(原発事故も、サリン事件も)現実・実際に起きたのですよね。

 

前者は、よく『前例が無い』と云うのに共通するものを感じます。

             

それで思い出したのが、職場での、ある体験。

とても困るトラブルがあって、

だいぶ考えました。

  誰の身に起きても困ること。

  これまで、皆んな おとなしく やり過ごしていたのかしら?

  もうこれからは、繰り返さないよう考えてもらいたい――。

と思って、担当者に伝えたのです。

そうしたら、彼は言いました

「今までそんなことは無かったんだよ、(だから、対処する必要など無い)」

と自信たっぷり。

そんな筈は無い、と思い、私はめげずに言った。

「それは、あなたは知らなかった、というだけのことでは?」と。

すると、彼は一瞬ひるんでいましたが。

             

わたしは、誰を責めたり批判したりなんか出来ないし、そういうことをしたいわけじゃない。

人は誰しも、どうしても

  『自分の側からの観方』 だけになりがちなのですよね。

そんなことを心しておきたいと

改めて思えてきました。

 

 

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信じきってしまうことの怖さ    〔社会〕

2012-05-27 06:01:14 | Weblog

まったく恐ろしい番組でした。

ゆうべのNスペ『オウム真理教 17年目の真実』。

それによると、「社会の人々の救済」という名目だったが、

実際には次々と・・・。

そのように暴走し始めた最初の事件は、、

 

修行をしていて興奮状態に陥ってしまった ある信者Aのことを

麻原に報告すると、

「水をかけて冷やしてやりなさい」。

その指示で信者Bは、Aを お風呂で湯船の水に顔を押し付け、

ぐったりと仰向けに倒れたその顔の上から、シャワーをかけ続けた。

Aは反応しなくなり、

Bは「あれ?大丈夫かな?」と一瞬思ったけれど、

「尊師さまが おっしゃったのだから」と、かけ続け、

Aは死んでしまう。

 

そして麻原含め幹部で相談して隠蔽。ドラム缶に入れ燃やしてしまう……。

 

  ああ、

  絶対視し、盲信してしまうことの恐ろしさ。

 

調査していくと、

麻原は、自分のつくりたい帝国を創ろうとしていただけだった。

 

           

  これは、なにも特別な状況での話だけじゃない。

  再現ドラマの中で、記者も言っていましたね、

  「企業など集団の中で、おかしいと感じたとき、

   それにあらがうことが出来るかどうか」。

  ――そう、自分の身がどうなるか不安などあったとしても

  「これって、ちょっとおかしくない?」と声を出すことが出来るかどうか。

 

 

 

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あぁ、♪『蔵王讃歌』、映像があってはじめて    〔歌〕

2012-05-25 07:36:17 | Weblog

5月の声を聞いた頃から、

混声合唱『蔵王讃歌』が想い出されてたんです。

それは組曲『蔵王』の第一曲目。

 

  万緑満てる 蔵王~ 蔵王

 

命の息吹がほとばしり出るように、力強く始まるんですよね。

(上にリンクしたところで、各曲名を見るだけで

 わたしの中に蘇り、次々と歌が流れていきます)

 

私は、まだ聴こえていた頃、コーラスをしていました。

ヘタながら色んな歌を歌って、楽しかったけれど、

それは純粋なものとはいえず、、

暮らしの中でイロイロある中で、歌で癒してもらっている、という状況でしたが。

 

組曲『蔵王』は9曲から成り、『蔵王讃歌』はじめ何曲か歌いました。

そのお手本として、ある有名大学の合唱団が全曲歌い上げるカセットテープがあった。

 それはそれは素晴らしく、震えてくるほど感動的な歌声でした。

テープを、それこそ擦り切れそうになるまで繰り返し聴いては

 涙を流し――。

 

さっき検索してみたら、あったあった、You Tube に、いくつも。

ところが、最初に聴いたのは、蚊の鳴くほどの音量。

   画面は、たぶん楽譜の表紙。。

もう一つは、合唱の声と、蔵王の写真。 ↓

http://www.youtube.com/watch?v=EPBO2OLz07A&feature=endscreen&NR=1

   映像は、とってもきれいだけど・・・。

 

めげずに、次のを聴いてみると、歌っている場面が出てきて、

皆さんの口の動きや、指揮者の動きで、

記憶をたよりに、

微かに聴こえる歌声と重ねて辿っていける。 ↓

http://www.youtube.com/watch?v=LEOjA-glQe8

  感動が 蘇ってきた。

  蔵王讃歌の音楽の世界に入り込めた。

 

 

いま、なんだか指が震えてます。

感動と同時に、

  私の耳では、

  歌っている映像が無いと、

  口の動きや指揮など見えないと、ダメなんだね。

 

泣いたりしたってしょうがない。

微かにでも聴こえて有り難いと、

   そんな風に思っていきたい。

 

 

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シランが咲いて、またギモンが    〔自然〕

2012-05-24 06:55:05 | Weblog

 

紫蘭(シラン)、

今年も咲いてくれました。

ちょっとした木立の両脇に、一叢(ひとむら)ずつ、同じくらいの大きさの群れ。

それが、いつも咲く時期がちょっとズレるんです。

毎年、まず樹の東側が咲き始めて

満開になってきた頃、

やっと西側が咲き始める。

日当たりや風通しが、そんなに違うようには思えないし、

土も同じ筈――。

花は、その与えられた条件の下で精一杯咲いてるだけなのでしょうけどね。

  なんでかしらねぇ。

首をかしげる私を、神サマ(?)は

  アンタ、毎年考えてて、まだ分からへんのぉ? ふふっ。

なんて見ておられるような気が・・・。

 

 

(下の写真、左が満開の東側、

 右の方にちょっと見えてるのは、やっと咲き始めた西側です)

 

 

 

 

 

 

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金環日食☆

2012-05-21 07:55:14 | Weblog

「曇り」という予報で、期待はしてなかったんですが、

晴れてくれました。

 

みんな外に出てきて、大騒ぎ。

専用のメガネをちょっと貸してもらって観たら、

ホントにリングでした。

(ただ、乱視の私には、リングがいくつもダブッてる状態で…)

 

 

木漏れ日は、どうかな。

  (7:30)

分かりにくいですが、

現場で目でみると、

明らかにフツウと違うんです。 ヘン☆

 

 

食事係りの人が大きな「穴あき お玉」を持ってきた。

 

それで透かすと、

鯉のぼりの模様みたい☆

 

 

 

木漏れ日はどうなったかな。

7:36

 

 

そして、すぐに元通りに。

(左のは、私の影) 7:37

 

 

おじさん、おばさんたちのコーフンは消え、

それぞれの日常に戻ったのでした。

 

 

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『言葉』って深い☆おもしろいですね   〔お仕事〕

2012-05-20 07:03:21 | Weblog

ずっと前に、難聴関係の掲示板に参加していた頃、

ある聾の方の文章が なんか…「?」って感じでした。

まるで日本語を勉強中の外国人みたい。

語順や、『て・に・を・は』などがヘンなんです。

その方は通常、手話で話をされていて、文章を「書く」ということは

あまりされてないらしい。

『すみません――』と自信無げな その方には、

『大丈夫、ちゃんと解かりますよ♪』と、応援したい気持ちを

コメントで送らせてもらいましたが。

           

仕事で、手書きのものを入力する機会が多い。

いろ~んなことがあって結構おもしろいんですよ。

例えば、こないだは『おしょうゆう』と書いてあって、

しばらく考えてやっと解かった。

  『お醤油』のことね

そういえば、口で言うときは、『ここで、おしょうゆうを 少しね』

なんて言いますもんね。

 

目や手は、『めぇ』『てぇ』って言ったり。

  (ここは関西だからでしょうか?)

 

そういう類のことって、時々あるのでメモしておこうかしらん、

  楽しいから。

          

さて、誰かが書いた文章をワープロ入力する時には、もちろん、原稿通り。

  これ、入力者としての大原則。

誰が見ても明らかな誤りのみ訂正する。

(パソコンって賢くて、打ってると すぐ分かるようになってますもんね。

 ハッキリしなければ、私はすぐに辞書で調べる習慣がついてるし。)

 

ただ、著者が敢えて漢字の使い方など 普通と違う書き方をすることも

よくあること。

この乏しいアタマでは…、

その辺り、しばし考えてしまう。

で、付箋やメモをつけて確認するんですが、

こういうことに案外エネルギーが要ることも。

  も、こういうの 通り過ぎちゃおよー、

という思いが チラッと浮かんだりもするけれど、

パソコンを使って入力しているからこそ 誤りに気づくことがよくある、そのチャンスを

自分の段階で逃してしまっては・・・という気持ちも涌いてくる。

(こういう場合も、「湧」か「沸」か、入力中ならすぐ画面に出て来て

『どれを選びますか』とパソコンは訊いてくれますよね)

 

文章を書いてくれる人も 色んな人がいて、

  明らかに、国語の勉強、小学校からやってなかったネ 

って感じの方(私も作文は苦手でした)じゃなくって、

知識教養を持っておられる方の場合、

敢えて そうしてあるのか、それとも…とチョット考えてしまうことがよくある。

そういう方面でも 私は 鍛えてもらってるんです。

 

  言葉ってホンット おもしろいねぇ、すごく深いわねぇ――

     そんなこと感じるこのごろです。

 

 

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小手毬をデッカクした花?   〔自然〕

2012-05-19 07:03:29 | Weblog

5/14に小手毬(コデマリ)の花をアップしたあと

しばらくして近くに、似た花を発見。

 

といっても、ジャンボなのです、木も花も。

ひょんなことから名前が分かった。

大手鞠(オオデマリ)。

正に、手毬の小っちゃいのと デカイの。

 

 

 

 

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村の図書館に行ってみました♪    〔地域〕

2012-05-17 07:10:09 | Weblog

歴史を感じさせる木の扉をギイと押し開けると、、

まぁまぁ、右も左も 本がビッシリ。

係りの方も、利用者も、誰もおられない。

公民館の一室に(去年かな?)出来た図書館に行ってみたんです。

 

決して広くない空間を、最大限有効活用した、って感じ☆

着々と新書を購入し、No(正規の分類)シールを貼り、一冊一冊きちんとカバー。

裏表紙にはカードを入れるポケット。

こんな小さな図書館の割りに、管理が行き届いてます。

 

カウンターには『このベルを押してください』とあって、

公民館事務室とつながっていて、押すとすぐに係りの方が来てくださった。

 

  なるほどねー。

  こんな風に図書室に常駐する必要が無いのなら

  運営もラクでしょうね。

  (ちなみに、私が居た10数分の間、訪れた人はいませんでした。

   ふだんパラパラ程度かも。)

 

書類に住所・氏名など記入するだけで、

登録カードを作ってくださる。

身分を証明するものは必要ナシ。おおらかなもんです。 

ただ、閲覧室は無くて、どんな本か、少し読んで選びたくなったら、

立ったままか、またはカーペットにペタリと座って、という格好に。

椅子が2つくらいでもあれば…と思ったけれど

そんなスペースも無かったような。

 

ああ、本に囲まれてひととき過ごせたら幸せな気分でしょうけど

そんなの、ぜいたく。

近くに、図書館ができただけでも嬉しいうれしい。

並んでる本、全部読みたくなっちゃう~。

 

   とっても静かだったからか、

  「ちょっと大きめに、ゆっくり言っていただけますか」

  とお願いしただけで、

  係りの方の説明が、ほとんど聴き取れたのも嬉しいことでした。

 

 

 

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田植え体験。大事ですねぇ    〔農の営み〕

2012-05-15 07:09:26 | Weblog

今月5日に田植えしたの、どうなったかな――。

まだ、こんな可愛らしい苗でした。

これは、子ども達が田植えした。

そして例年、稲刈りもするんです。

 

こんな頼りなげな苗から、

重たくなって頭(こうべ)を垂れるほど たわわに実ってくる。

美味しいお米になる。

子ども達にとっては、いえ、大人にとっても驚き・感動です。

 

  『ウォーリー』では、未来の私たちは、

  「海って何だっけ?」「陸ってどんなんだ?」となってしまって…、

  宇宙船の艦長さんは

  「地球に帰って、農業をやるんだ。 野菜が出来たり、ピザが育つゾ。

  みたいなこと言ってて、

  も、おっかしくって笑い転げながら、でもチョット複雑な気持ちに――。

 

だって、今の子ども達って、野菜っていったら

土もなにも付いてなくって

スラリと美しい状態でポリ袋に入ってたり、

そんなのしか知らない子が結構いるんじゃないでしょうかね。。

 

  私など、スーパーにお行儀よく並んでいる野菜たちを見ると、

  なんか、ビックリしちゃうんです。

 

田植えとか稲刈りとか 実際に手に触れて、泥にまみれて体験するって

大事ですねぇ。

 

 

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「聴きとめましたよ」を表す ひと言   〔コミュニケーション〕

2012-05-14 06:46:20 | Weblog

ちょっと前に、ある放送局に投稿。

聴こえる人たちには、聴こえないってどんな感じなのか分からないらしいので

提案というか、あるお願いをしたのです。

そうしたら、お返事が。

言葉はキチンと丁寧だったけど、

 「出された方針に沿って、懸命にやっているんですよ。

みたいな感じで、

こちらの言っていることが伝わったようには感じられなかった。

でも、2~3のうちの1件については、叶えてくれた。

  はぁ、、そしたらね、こんな事務的な一方的な言い方じゃなくって、

  こちらが言ったことを一旦受け止めたことを表す ひと言 があると良いんだけどねぇ――。

 

  (小手毬。この花を見ると、いつも手を丸めて一つ一つの花にそっと触れたくなるんです。

  「コデマリ」って表記するより漢字の方がゼッタイ良いと思うナ。

 

             

いろんな番組で対話やインタビューなどを見ると

問い に対して、応え があって、

すぐ次の問い、という風にポンポン次の話に進んでいくことが多いような印象を受けるんです。

応え を聞いたら、「なるほど」とか「ほう、そうでしたか」など入らずに。

 

現実の生活でも、そんなこと感じることがあります。

「あなたの言ったこと、確かに受け止めましたよ」ということを表す 一言 が

有るのと無いのとでは、ずいぶん違ってくるんじゃないでしょうか。

 

はて、自分はどうかと振り返ってみると、そんな感じかもしれない、とハッとした。

  これは、大事な反省材料になりそうです。

(※その場の雰囲気とかもあるし、固く考える必要はゼンゼン無いけどね。

 時と場合によって――。

 

 

以前いた職場でのミーティングで。

私が日ごろ考えてることを、たどたどしく喋ると、

みんな沈黙してしまうことが多かった。

  はぁ…、私ったら またつまんないこと言っちゃったみたいね…。

なんて思ってたら、

Yさんは、腕組みしたまま、

 「ふ~む(う~ん) 、、」

と小さく声を出してくれたことが よくあって、

そのひと言で、

  あ、シッカリ聴いてくれてるんだー

と心強く思えてくるんですよ。

 

  たったひと言ですけど、そういうの大事ですね。

 

 

 

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『良いも悪いも無い』っていう世界    〔つぶやき〕

2012-05-12 06:22:39 | Weblog

特に最近、この拙い つぶやきブログ を書くことで

私の心の整理につながっていくような――。

 

  (きのうの続きです)

あの「小っちゃな片方の靴」。

ああいうのって「置き忘れたもの」であって、

あの親子はその後「困った」かもしれない。

ふつうに考えると、「良くないこと」よね。

 

でも私にとっては、職場などを美化したり、整えたりしていく姿勢の

原点になったんじゃないかと思う。

  (現実には決して、いつもきれいにしている訳じゃないけど

 

「良い」「悪い」というのとは別に、

とにかくそこに「在る」ってこと。

そして、そのことが次に出会った人に影響を及ぼした。

そんな風に知らないうちに、周りに何かを齎したり、響き合ったりして

そんなお互いで成り立っているように見えてきた。

 

こんな風に思うのも、様々なところから

「良いも悪いもなく」とか

「思いも寄らないところで互いに影響し合って」というような話が

色んな形で聴こえてくるんですよ。

 

   

 

自分は、前向きに一歩踏み出していくようなのが苦手。

こういう状態は「良くない」、っていう価値観がどうしてもつきまとう。

  (周りからも複数からそう言われたし )

でも、そういうのとは別に、

私がこんな風にして居る、ある、っていうことは事実。

そしてそういうような存在は、

私の隣りにいるAさんも、B君も、C子ちゃんも・・・、それぞれに

みぃ~んな同じことかもね。

何も話したり触れたりしなかったとしても

それぞれの空気を醸し出したり

無意識のうちにそれを感じ取ったり――。

 

(自分は、このまんまの状態で あぐらかいてて良いとは決して思ってないけどね。

 次の段階として――。

 

 

  タンポポの綿毛から始まって、

  汚れた小っちゃな片っぽの靴、

  そして、なんでも「良いも悪いも無く」「とにかく そこに あって」…と、

  なんだか話が広がってきちゃいました。

 

 

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タンポポの種は、時をこえて    〔つぶやき〕

2012-05-11 07:01:40 | Weblog

きのう、ある職場の部屋を、久しぶりに掃除機かけました。

  もう「物置」になっちゃって…。

なんてブツブツ言いながら。

でも、きれいになると やっぱ気持ち良いよね。

 

私は、いわゆる「お掃除」とか「磨く」みたいなのが

割と好きな方かも。

(自分の部屋以外は、です。  )

 

子どもの頃は、そうでもなかった。

でも、独り立ちしてアパートに引っ越したとき、なにかが変わった。

          

交通便利で、格安のアパートを見つけた。

でも、あんまりきれいじゃなかった。

  仕方ないかー。

  前住んでた人は、お掃除の習慣がなかったのかしら。

  …ったく。

なんて思いながら、お掃除を始めた。

イスに乗って棚の上を拭こうとしたら、

小さな靴が忘れてあった。

それは2歳くらいの子の可愛らしい靴の片方。

  アッ、そっか、こんな小さい子がいて、親御さんはきっと

  生活でイッパイイッパイだったんだ。

その瞬間、私の気持ちは180度ガラリと変わった。

やれる範囲できれいにして、少しでも快適に暮らせるように工夫。

とても楽しかった。

          

そんな体験が心の底にあるようです。

 もう、ほとんど意識してませんけどね。

 

それからも、いろんな家に移り、いろんな職場に行き、、

  私の出来る範囲で、自分も人も なるべく快適に過ごせるようにしていきたい。

そんな気持ちが、自分の手を、身体を動かしているようなんです。

あの小さな片方の靴が、(きのうの)タンポポの種のようになっているのかな。

 

  こうして書いていると、

  今の自分は、チョットものぐさになってるのが見えてきちゃいました。

 

 

 

 

 

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綿毛のようにどこまでも広がって――    〔つぶやき〕

2012-05-10 07:45:40 | Weblog

今はタンポポたちの門出の時季なんでしょうか。

どちらを向いても、綿毛の花盛り、

…じゃなくって、なんて言ったら良いのかしらん? 

 

 

ここに写ってるだけでも何百本のタンポポ。

  (写真がヘタなので そんなに見えないかもしれませんが)

いったい何個の種が飛んでいくの?

 

 

こないだ、『関わりあいの中で』って書いてから、しばらくそのことが頭にチラチラ浮かんできます。

たとえば、TVの歴史番組で、

「西郷隆盛は、あの時期の鹿児島の気風の中だったからこそ、

あの西郷が生まれたのです。」と説明してました。

 

どんな偉人や成功を収めた人なども、その人の努力や才能だけではなくって

そこの気風や、

周りの人たちの影響が、直接・間接に、

網の目のように関わり合って、響き合って、、

そうなっていったのかもね。

 

 

  タンポポの種なんて、小っちゃくって、ふわふわと はかない感じもするけれど、

   どこまでも飛んでって広がって――

  健気に根付いて、また花開かせていくんですね。

 

 

 

 

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