michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

も一つ、別の「目」をもつことだよね

2012-10-22 07:43:11 | ふれあい

口頭でも、メモやメールなどでも、

「これだけ言っておけば、わかるでしょう」と思っていたら、

チャンと伝わってなかった。

 そんな経験、何度もしてきた。

 

「ちゃんと読んでよね~ 」という思いが出てきたりもするけど、

その人には伝わらなかった、というのは、事実なのよね。

実際には、そうだった、とキチンと受けとめようと思う。

 

で、逆の立場で自分にもそんな体験が時々。

問い合わせて、そのあと読み返してみたら、

「あら、ちゃんと書いてあったんだわ…」ってことも。

繰り返し読んだつもりでも、目に入っただけで、

理解・認識して脳に届くまではいかなかった、

ってこと、あるんですねぇ~。

(最近もあったんです。)

 

例えば大工さんて、木をカンナで削ると、いろんな角度から観て確かめ、

手で撫でて感触で確かめて、ってやりますよね。

自分の暮らしの中でも、いろんなモノ、じっくり観るだけじゃなくって、

角度を変えたり、

窓のそばなど明るい所へ行くと

観えるようになることってよくある。

 

何度確認したとしても、

「チャンと通じてないかもしれない」

「ホントに観れてないかも」みたいな、

 『もう一つの目』を

持っていたい、って思うんです。

 

 

感じ方や考え方も、そう。

たとえ「ああ、情けない・・・」なんて思ったとしても、

ふと、

「でもさぁ、こういうの なんも感じない人も いるよねぇ」

「却って『よぉ~し』とか、力が湧いてくる人もいるかも」

なんて思えてきたら、

 心が軽くなってくる。

自分自身は、そんな風に思えなかったとしても、

少なくとも さっきまでの重苦しい気分は、

 確実に薄れてくるんです。

 

 

 

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