michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

どちらに心を向けるか、ですよね☆

2022-08-06 22:34:03 | メルマガ

相変わらず何となく、心のどんよりが続いている。

それでも、〇〇は頑張ったからやれたじゃない~。暮らしがチョッピリ快適になりそうよね。

と、自分にご褒美(?)をあげることに。市民図書室へ行って、心の糧を得たいと。

だいぶ前に、図書カードを失くしてしまった。そう伝えると、何か言われた。

「あの、聴こえないんです。書いてもらえますか?」そう言ってメモ帳を差し出しても、まだ声で何か言われる。

「ひと言も聴こえないんです。済みません、書いてください…」

そんなやりとりを2~3度 重ねなければならなかった。

  (よくあるんです、こういうこと。しょっちゅう。。)

そのうち、本当に聴こえないことがやっと分かってもらえて、全て書いてくださった。 やれやれ・・・。

 

 

かめおかゆみこさんのメルマガ『今日のフォーカスチェンジ』、特に今朝のは 心に響いた。

  “どんな苦しみのなかにあっても、小さな幸せはある。

   それを感じるちからを育てる。”

 

私の場合、もっともっとささやかなこと。‘不幸’ ‘幸福’ というほどではないけれど、どちらに意識を向けるか。

「だから行動を起こして人と接するのはタイヘンなのよね…」という方か、

それとも、「結局は分かってもらえて、ちゃんと書いてくださったよね。そして面白そうな本を借りることが出来て、良かったね☆」という方か。

ここは〔意識して〕、後者の方に目を向けていきたいと思いました。

 

 

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『楽しみの方向を選択したら』うん、そうそう☆

2022-04-24 05:30:04 | メルマガ

毎日拝読しているメルマガ、

かめおかゆみこさんの『今日のフォーカスチェンジ』

特にきのうはオッとなりました。

【6748】楽しみの方向を選択したら

  〜★☆★ 今日のピックアップ ★☆★〜

  晴れた日には下界を。曇りや雨の日には雲
  上を。ナイトフライトでは、月を楽しむ。

  〜★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★〜

楽しみの方向を選択したら | かめおかゆみこの≪表現するからだとことば≫塾 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)

 

 

思い出したのが、土砂降りの快感。

今では「食材が乏しくなってきたから、お買い物に…今日は雨か…どうしようかな…」

という感じなんですが。。

 

昔、牛の飼育に携わっていた頃のこと。

夏は夜も暑いので天窓を開けておくんです。ところが、夜中に雨が降り出した。

布団で寝ていても敏感になってて音で気が付くんですよ。(当時はまだ聴こえてました)

パジャマの上に雨合羽を着て飛び出し、原付バイクに飛び乗って天窓を閉めに走りましたよ。そういうことが何度か。

カッパの上から土砂降りの雨がたたきつけてくる。それが、なんだか快感だった。

バイクだから、顔から手首から雨が入ってくる。それでも「牛たちが雨に濡れないように」と走ることができる自分。充足感のようなものがありました。

 

心って面白いですね。その方向、気持ちの向け方によって、快感にもなるんですもの。

 

 

 

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『「脳内劇場」です。』…ズバリです

2016-01-20 08:00:53 | メルマガ

初雪~

寒いけど、雪らしい雪はこの冬初めてなので、

袖に雪がかかるのも気にならずパチリ

 

   

 

           

メルマガ『今日のフォーカスチェンジ』  

きのうのテーマは、 『「脳内劇場」です。』 だって。 

一部引用させてもらいますね。

   (リンクしたので、ぜひ全文読んで頂きたいです)

 

あなたは、
すばらしい脚本家であり、
俳優さんであり、
演出家さんですね。

しかも、劇場のオーナーさんでさえありますね。


…というと、ほとんどのひとは、「えええ、何言ってるんですか?」
と言うと思います。

が、実は、そうなんです。

ただし、劇場は、あなたの脳のなかにあります。

はい。「脳内劇場」です。

 

  こんなメッセージから始まる。

  そして――、

 

でも、もしも、
ロングランでやっているその作品が、(笑)

自分を、あまり幸福にしてくれなさそうだと思ったら、

あなたには、変える権利があるんです。

というか、あなたにしか変える権利はないんです。

 

  となってくるんですよ。

 

これは深い――。

自分に思い当たるふしが、バーンとあるナ…。

 

 

 

 

 

 

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『自分のなかにないものは、出てこないもの』

2016-01-05 08:16:51 | メルマガ

メルマガ『今日のフォーカスチェンジ』、

1/3は「自分への許可」というタイトルでした。

このメッセージを書いてくださった、かめおかゆみこさんと、

小心者で引っ込みがちの私とでは、

ずいぶん違うように思っていたけど、

共通する面もたくさんあるんだナ、って

ちょっと嬉しくなったり

 

一部、引用させていただくと、

  自分のなかにないものは、
  出てこないものだなあと、
  しみじみ思ったのです。

 

 ――その瞬間、
 あなたの未来に向けて、
 道がひらかれます。

これを読んでくださっているだけでは、

  なんのことやら、、

という感じでしょうね。

できれば、リンクした全文を読んでみて頂きたいです。

少なくとも、私自身の心には、

しっかりと響いてきました。

 

 

 

 

 

 

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「ない、ない」って思って探すと、見つからない

2015-05-19 08:48:36 | メルマガ

あれまぁ ここ数日「蓮、蓮」とうかれていたのは、

「睡蓮」だったそうな。

思い込みとは怖いもの。

  ゴメンナサイ…。

 

   

            

 

かめおかゆみこさんのメルマガ『今日のフォーカスチェンジ』、きのうは、

タイトル「24時間365日、ネガティブ」。

 (↑ リンクしたので、ぜひ全文読んでください)

これ、グッときました。

一部抜粋させていただきます。

 

 

さがしものをするとき、私たちは、つい、
「ない、ないよー」と言ってさがしてしまいがちだ。

すると、意識は「ない」にフォーカスしてしまうから、

あるものも見えなくなる。

 

 

「〇〇はできない」と想っているひとにとっては、

〇〇はできないのだ。

でも、何らかのきっかけで、ひょっとしたら、
できるかもしれないと、想うことができたら、

「できるかもしれない」可能性の扉がひらく。

実際、それまでも、「できる」部分はあったのに、

それを見落としていただけなのだ。

 

たとえば、24時間365日幸せでなくても、

幸せを感じられる瞬間に、その幸せをしっかり受け止めれば、

幸せな感覚を、自分のなかで、維持することができる。

 

その感覚を、一度でも味わったことがあるならば、

それをしっかり感じ直すことで、自分のなかに、
定着させていくことは可能なのだ。

 

「それがすべてではない」

もし、苦しい気持ちになったときには、

このことばを、ぜひ、口にしてみてほしい。

そう。そうではない瞬間は、必ずあるのだ。

何度でも何度でも、そこにフォーカスし直し、

それを、あたらしい習慣にしていけば、いいだけなのだ。

 

 

おさらいすれば、

まず、自分が何にフォーカスしているかに、気づくこと。

そして、それが好ましいものでないと想うなら、

それがすべてではないと、言ってみること。

本当は、何を選択したいかを、決めること。

選択したい感覚を、しっかり味わうこと。

もしくは、選択している瞬間を、意識すること。

たとえ一瞬であっても、それを選択している自分に、

OKをあげること。

あとは、量稽古で、その感覚を強化していくこと。




24時間365日完全に
…をめざす必要はない。

そのひとのなかの、分岐点を超えた瞬間に、

フォーカスの向きは、自然に変わる。

そしたら、無理に想おうとしなくても、

気がついたら、「あっ、いま、勝手に想ってた」という状態に
なっているはずである。

これは、私自身が体得してきたことなので、確信をもってお伝えできる。

 

 

――一部といいながら、大事なところをピックアップすると

かなりの部分になってしまいました。

 これ、私の為に書いて戴いたみたいに思えてきます。

 かめさん、ありがとう

 


 

 

 

 

 

 

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『脳』って、ほんっと おばかさん♪

2015-01-02 16:11:16 | メルマガ

『今日のフォーカスチェンジ』――かめおかゆみこさんのメルマガです。

今日のは参りました。

まるで私の為にメッセージを書いてくださったよう。

ぜひ読んでみてください。↓

(私の胸にグッときたところ、背景色をつけてみました。)

 

          

★4080号★おばかさん談義

こころのしくみに関心をもつようになってから、...
必然的に、脳について、いろいろ学ぶようになった。

そして、学べば学ぶほど、脳って、おもしろいやつだなあ~と
想うようになった。(笑)

脳は、これだけの文明を築き上げ、
宇宙に探査機を飛ばすことができるほど、頭がいいのだけれど、
みょーに、おばかさんなところがある。

たとえば、脳は、他人と自分の区別がつかない。

だから、テレビドラマを見ていて、主人公が危機に遭うと、
どきどきしたり、はらはらしたりする。

自分とは、全然カンケーないのにね。(笑)

まあ、そのおかげで、オリンピックとかで、自国の選手が活躍すると、
自分ごとのように高揚して、元気が出ちゃったりするのだから、
悪いことではないのだけれど♪

それから、脳は、過去と現在と未来の区別がつかない。
これも、どう考えてもおばかさんな話だ。

だって、過去はもう終わったこと、すでに存在しないものなのだ。

なのに、私たちは、まるでそれが、
いま起きていることであるかのように、感情を揺さぶられる。

また、きてもいない未来に、何が起きるかを想像しては、不安に想う。
どちらにしても、おかしなことだ。

さらには、脳は、現実とイメージの区別もつかない。

だから、ありもしないことでおびえたり、
言われてもいないことで傷ついたり、
勝手に思いこんだことで怒ったりする。

ほんとに、脳は、おばかさん。

最近の脳科学の発達で、そーゆーことが、どんどんわかってきた。
だから、私たちは、それをもっと、活用していいと想うのだ。

たとえば、脳は、他人と自分の区別がつかない。

だから、さびしいときやかなしいときには、
自分で自分を、ぎゅーっと抱きしめてあげたらいい。

胸もとやみぞおちのあたりをさすりながら、
言ってもらいたかったことばを、惜しみなく、そそいであげよう。

「よしよし」「いいこいいこ」「大丈夫、大丈夫」と、声をかけてあげるんだ。

この声かけ、他人であっても、自分であっても、
同じ効果があるんだなあ。

脳がおばかさんなおかげで、ほんとに助かる♪
しかも、一円もかからずに、できるしね♪(笑)

脳は、過去と現在と未来の区別がつかないので、
過去に関しては、いろいろ着色・脚色してあげることができる。

あれって、かんちがいだったんだよ。
自分では気づかなかったけど、見えていないところで、
こんなことが起きていたんだよ、とかね。

実はこれ、ほんとなのだ。

私たちは、どんなときも、世界のすべてを把握することはできない。
たまたまそのときにキャッした情報が、すべてだと想ってしまうだけ。

でもそれが、本当にほんとかどうかなんて、
実際のところ、誰にもわからないのだ。
誰ひとり、世界を把握してはいないのだから。

だったら、自分の都合いいように、捏造しちゃってかまわないのだ。

だって、勝手に思いこんだ事実で、苦しむのと、
勝手に捏造した事実でやすらぐのと、

あなたなら、どっちがいい?

ここまできたら、もうわかるよね。
未来についても同じ。

未来がどうなるかなんて、誰にもわからないんだよ。
そもそも、明日生きてるかどうかさえ、わからないんだから。

だったら、捏造しちゃえばいい。

仮に、未来に不幸が待っているとしても、
それまでずっと不安をかかえて生きるのと、
その瞬間までは、幸せに生きるのと、どっちがオトクだい?

そうそう。
脳の最大のおばかなところは、フォーカスしたものしか、
認識できないってこと。

たとえば、自分は誰からも愛されていないと想った瞬間に、
脳は、愛されていないに該当する情報を、せっせと集めてくるんだ。

そうではない情報は、その瞬間に、ばっさり切り捨てちゃうのだ。

私は、20代のときに「内観」をやって、そのしくみに気づいた。

過去の体験にまつわる、まるごとの記憶が、
脳のなかにかくされていた。

自分が思いこんできたことは、
その記憶の一部を、勝手にチョイスしていたにすぎなかった。

そう。
私たちは、自分の意識的無意識的な指令によって、
脳が集めた情報を、すべてだと思いこんでいたにすぎないんだ。

私の場合は、そのことを客観的に理解・納得するまでに、
さらに相当な時間を要した。

私の脳も、相当、おばかにできてるらしい。(笑)

おっと。
脳は、けっこうヘタレなので、あんまりばかばか言うと、すねちゃうから、
おばかさん談義も、このへんにしておこう。

今日は、脳のしくみを、出血大サービスで公開しちゃったので(笑)、
ぜひ、おおいに活用してほしい。

え? 理屈ではわかったけど、わりきれない?

ちっ、ちっ。
それは、あなたの脳が、「理屈ではわかったけど、わりきれない」
という思いこみを選択しているだけ。(笑)

それもまた、これまでの、脳の習慣による結果にすぎない。
脳は、知らないことは苦手で、慣れてることのほうが好きだからね。

だから、たまには、だまされたと想って、
「理屈でわりきれなくても、楽しそうなほうを選ぶ」
という選択をしてみてほしい。

あとは、量稽古。
自転車に乗れるようになったときのことを想いだして、練習してみて。

結果は、お楽しみさまですよ♪(*^_^*)

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『おや、まあ!』って言ってみる

2013-06-22 06:57:05 | メルマガ

心がどんよりしていても、人のこと想ってなにか用意したりし始めると、

ふんわりと陽の光が射してくるようになるんですねぇ。

自分でも、これ不思議な感覚――。

 

そんな中で、かめおかゆみこさんのメルマガが入ってきた。

おや、まあ!』っていうタイトル。

↑上のリンクで全文読んでいただきたいです。

一部引用させてもらうと、

 

  思わずこのことば
  が、出ていたんです。

  「おや、まあ!」(笑)

 

  言った瞬間に、ふっと、
  楽になったんです。

  そう。無意識のうちに、
  想いにとらわれていた
  んですね。

  何しろ、脳はちょっと
  おばかさんなところが
  ありますから、

  ひとつの思考にとらわれ
  ると、ほかの考えが
  入ってこなくなるんです。

 

わかる、わかる、こういうの。

身につまされます。

 

           

 

ふと、ターシャ・テューダのことを思い出した。

   一時、彼女の生き方に惚れこんで、そのTV番組は全部観たり、

   本を読み漁ったりしたものです。

ある番組の中で、ターシャが家族と庭仕事をしているとき、

息子から、自分とは違う意見をポンと言われたターシャは、こう言った。

    「おや、まぁ 

ふつうなら「アンタ、そう言うけどねぇ、、」とか なりそうな場面だったのに。

否定しないんです。対立しない。

 

意識的に、こんな言葉を言ってみようかしらん。

観方が変わってきそうね。

 

  ターシャ、やっぱりあなたは素敵です。

  もちろん、かめおかさんも素敵です。

 

 

 

 

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賛成~☆「可能性、使いまくり」♪

2013-06-14 21:43:28 | メルマガ

きのうのメルマガ『フォーカスチェンジ』、タイトルは「可能性、使いまくり」。

(↑リンクしたので、ぜひ全文読んでくださいね )

一部引用させてもらうと、

 

  いえ、脳の名誉のために
  いえば(笑)、脳は本来、
  ものすごーく能力
  (脳力!)があるのですが、

  通常は、そのたった
  数パーセントしか
  使われていないのです。

 

こういうこと、私もこれまでいろんなところで聞いたことはあるんだけど、

チャンと改めて考えてみたいです。

         

例えば、自然番組で見た、どこかのジャングルでの話。

サルなんかはもちろん、

ヘビも、樹から樹へと飛び移るんですって。

  ま、まさか

って思ってたけど、ちゃんと飛んでる映像が何度も。

ヘビの身体って、だいたい円筒形ですよね。

ヘビが「飛ぼう」と思ったら、それが平たくなって空気抵抗が大きくなるようにして、

シッポの先を樹に巻きつけ、

そのシッポで押し出すようにしてジャンプ。

  (サルが飛ぶ時、後ろ足で蹴り出すみたいに)

そして、かなり離れた樹に、斜め下に飛び移って、ちゃんと着地する。

  わぁ…、その気になれば、ヘビだって飛べるんだー。

これには驚嘆するばかり。

好きにはなれないヘビ君ですが、尊敬しちゃいました。

         

もう一つ。

私は、大人になってから難聴になり、次第に聴力が落ちてきた。

それにつれて、なんとなく「口の動きを読む」ようになってきたらしいんです。

らしい、というのは、まったく無意識のうちに覚えてきた。

 

NHK総合ではかなり文字放送を付けてくださっているけど、

ローカル放送では、まだまだ。

でも、内容的にどうしても観たい番組は観てみる。

すると、その話している人がアップで映っている時だけは、大体分かることが多いんです。

 自然と口の動きを読んでるんですねぇ。

 

日常の暮らしの中でももちろん。

正面から見させてもらって初めて話が分かることが多い。

こういうのって、知らず知らずのうちに、必要に迫られて身につけたようなんです。

  (それは、とってもエネルギー使って疲れるし、

   訓練を積んでも、やっぱり全部は分からないそうですが。)

           

 

とにかく、眠っている脳力、使いまくっていきたいナ。

 

 

 

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やさしい合唱ですね、『花の冠』

2013-03-11 07:46:45 | メルマガ

メルマガ『心の糧』、今朝のテーマ、

「 夢はまわりの人のおかげで叶う  」

これ、まったく同感です。

こんな生き方をしている人、素晴らしいな、って思う。

 

メルマガではさらに、合唱の動画(やさしいイラスト)の紹介が。

 合唱曲 花の冠 (大越桂・詩 松浦真沙・曲)
  http://www.youtube.com/watch?v=KEO6_-I54Ag
 

 

これ、前にもどこかで聴いたんです。

歌詞が、歌声と同時に出ているんですが、

と~っても優しい雰囲気で、

私の耳には、いまどこを歌っているのか分からないところが何ヶ所も。

 (ほかの歌でも、そうなんです。そんな ぼんやりした耳です。)

見ると、仙台の 小学校の合唱部というんですねぇ。

つまり、ふつうの小学生が歌ってるんです。

きれいな声で、素敵な雰囲気。

心を籠めて歌っているのが、じんわりと伝わってきます。

 

歌詞の中の、

  あったらいいなの種をまこう 

  小さな小さな種だって

  君と一緒に育てれば

  大きな大きな花になる

 

  だったらいいなの種をまこう

  ――  ――

  優しい香りの花になる

 

「前向きに生きていこう」とか、「可能性を信じて」みたいな感じよりも、

私の場合は、

   あったらいいな

   だったらいいな の 種をまこう

こんな発想とか、

    君と一緒に育てれば

こういうのって、ステキだな、って思うんです。

 

 

 

 

 

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『一万年でも待つよ』

2013-02-15 08:15:33 | メルマガ

メルマガ『今日のフォーカスチェンジ』、

今朝のメッセージは特にグッときました。

テーマは「一万年だって、待つよ。」 ↓

http://plaza.rakuten.co.jp/kamewasa/diary/201302150000/

 

かめおかゆみこさんは、

いつだって、「すべてマル 」「そのまんまでOK 」って

ありのまんまを、一旦認めて、丸ごと受けとめてくださるんですよ。

そうして、自分の足で一歩でも半歩でも良いから踏み出す、そこを

背中ポンと押して応援してくださるようで

とってもあったかい。

 

自分は、引きこもりでもないし、心の病までは いってない(たぶん)と思うけど、

自分で 自分が どうにもならない部分がある。

福祉番組で、よく「大人の発達障がい」の話を見聞きするんだけど、

私は、そのボーダーラインみたいな部分があるのかも、って思ったことも。

 

「なんで~? こうするのが当り前、当然じゃない~。」

「ふつう、これくらい出来るでしょ。」

そんなのが周りにも、自分の中にも あって、

そのように出来ない自分が不甲斐ない。

 

聴覚障がいは、聾までは いかない、少しは聴こえるんだけど、

そこから来る なんというか… あれやこれや…。

自分で 自分が どうにもならない。。。

という風に考えだすと、顔が下向いてきちゃう。

 

でも、今日のかめさん(かめおかゆみこさんの略です )のメッセージを

読み進めるうちに、

なんだか自分の心の中って、まるで顕微鏡の中の せめぎあい 

みたいに思えてきちゃった。

 

だからって すぐに自分をガラッと変えたりは できないと思うけど、少なくとも

「一万年でも待ってるよ」っていう言葉が自然に出てくる、その

かめさんのあったかい大きな心が感じられて、

私のこころは、ふわっとゆるんできて

  なんだか、ほっこりしてるんです。

 

 

 

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決して上から目線にならない

2013-02-01 07:47:31 | メルマガ

『心の糧』というメルマガ。

今回のテーマは、阿川佐和子著 『聞く力』。 ↓

http://archive.mag2.com/0000141254/index.html

一部引用させてもらいますと、 

 

▼私は、阿川さんの「苦手意識は拭えないまま」がいいのだと思います。

 もしも話を聞く人が
 
 「私はインタビューのプロだからね。
  私のテクニックであなたの本音を引き出してあげるわよ」
 
 という「上から目線」の態度だったら、
 話す方は決して心を開かないでしょう。

 

▼女性でも男性でも、話すほうは、
 親身になって聞いてくれる人になら、
 心を開いて話したくなります。

 ひたすら受け入れてくれる人になら、
 本音を語りたくなります。

 そして、たいてい場合、
 
 話すことで心が落ち着いて、スッキリして、
 聞いてくれた人に感謝の気持ちがわいてくるのです。

 

――これですよね。

インタビューや、相談を受けた場合などでなくって、

日常生活の中でも。

 

  自分の方が、客観的に観れる

  より正しい判断が出来る

とか、傲慢になってること、ないかしら?

 

 

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♪『フォーカスチェンジ パートナー』♪

2012-12-24 07:19:42 | メルマガ

お菓子の家。

ありあわせのお菓子だけで作って、全部食べられるとか。

彼女のセンスには脱帽です。

 

          

 

きのうは、疲れちゃった――。

 身体? 頭? こころや神経が?

う~ん、なんとなく全体に・・・。

 

夜、Netしたり、録画しといてくれた良い番組を見たりしてるうちに

一応リセットできた。

 

落ち着いて考えてみた。

身体が疲れるのは仕事量の多いこの時季、当然のこと。

聴こえにくいのは 今に始まったことじゃない。

 きのうは、、

   さらに、心がもやもや。

 

二度手間になったのが、いくつもあったんです。

それは、あの人がこうしてくれたら無かったんだよね、って思った。

  ある工程をやってくれてるものと思ってたら、

  やってないケースがいくつもあった。

あれをキッチリ全部やってくれてたら・・・。

でも、あの忙しさの中、求められないことだよね。

 

話し合って分かったこと、それは、

私は、自分なりに工夫してやっていたけど、

それは、やっていた「つもりだった」というだけのこと。

私は、もっと実情実態に即して何か出来なかったのか。

 

  そんな辺りを考えていくことが、自分のやりどころなのに、

  それをうやむやにしている自分がイヤなんだ、

  そこに気付いてしまった。

 

と考えているうち、見えてきた。

そうか、手間ひま惜しまず、自分が ある作業工程を一つ入れたら良かったんだ、

結局は、二度手間になったことを考えると――。

 ミス・トラブルが起きれば、対外的に迷惑をかけるわけで、

 それは絶対に避けたいことだし。

 

   そんな風にして、謙虚に素直になれて、やっと心がスッキリ。

    (もう1件、似たようなことも有ったんです。)

 

            

 

かめおかゆみこさんが、またまた

新たな企画を発表してくださいましたよ。 ↓

メルマガ3333号記念企画★フォーカスチェンジ・パートナー募集!

(↑ ぜひ全文読んで戴きたいです。)

 

 『自分にOKをあげてね。

  すべては自分の選択次第だよ。

  見つめたものが拡大する。

  なんとかなる!

  ひとりじゃないよ!

  あなたには
  無限の可能性がある!

  …。』

 

『視点ひとつ変えるだけで
もっと楽になれるよ。

あなたの苦しみは、
ひとりだけのものではないよ。

支えあえる仲間が
本当はたくさんいるよ!』

 

 『ひとりでも多くのひとが、
  自分を好きになって、
  生きることが楽しくなって、

  そのひとらしく生き生きと
  輝いて生きることができるように、』

 

こんな想いにビンビン共感し、

強く惹かれるんです。

 

 

 

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『記憶の塗り替え』とか、「増幅」していない?

2012-12-04 16:36:41 | メルマガ

このごろ 散りゆく紅葉に目をうばわれます。

 

 

かめおかゆみこさんのメルマガ『今日のフォーカスチェンジ』、

今朝のタイトルは「記憶の塗り替え」でした。

全文読んで戴きたいのですが、特にここ。

『つまり、無意識の
うちに、記憶の塗り替え
をしているのですね。』

 

『その事実さえも、
自分というフィルター
をとおして認識した
ことに過ぎません。

大切なことは、
自分が、そこから
何を受け取ったかと
いうことだと思うのです。』

 

これ、これ。

 

で、例によって私の中で、話が飛躍してしまったかも、なんですが・・・、

 

たとえば、Aさんについて、

何人かから同じような傾向の話を聞かされた場合、

自分の体験したAさんの印象と合わさり、

それらが重なって、

「Aさんて、こういう人」と、断定的な結論のようなものになってしまうことがある。

でも、それって、本当にそうなのかどうか。

話すときの雰囲気などから、

「うん、うん、ホント Aさんて困った人だよねぇ~」などと

同調、増幅してしまうこともあるんですよね。

客観的な事実としては、別の要素があっても、それにはライトを当てずじまいで、

雰囲気でいってしまうことがある。

 

人のことだけじゃなく、ある役割の人とか、集団とかも。。

 

私は、それに近いことを最近実感してハッとしたんです。

「事実は、どうなのか」ということを、

素直な目で見、心を寄せて反応したりしていきたい。

 

  今回、そんな風にハッとしたこと、

  大きな学びになりました。

 

 

 

 

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『私心なかりしか』――これですよね

2012-11-16 11:41:48 | メルマガ

net、色々利用させてもらって、反応したいことがあると、

コメントを入れさせてもらうことがあります。

あるとき、掲示板のようなところで発言してから、

その後、何度か開いてみたけど、何も反応ナシ。

  私ったら、またトンチンカンなこと言っちゃったかしら・・・。

  批判めいてるように聞こえたのかなぁ?水を差してしまった?

いろんな思いが何度も涌いてくる。

でもいくら考えても、推測・想像したって分かんないこと。

分からんことは、おいときまっしょ。

 

あのコメントを書く時、まず自分の立ち所を確認したよね。

  「自分の意見が正しい」としていないか。

  「自分の方が分かっている」としてないか。

  横並びの関係で、「育ち合ってゆきたい」という気持ちかどうか。

言葉も、自分なりに考え 推敲したつもり。

 

 

 

 

今朝のメルマガ『今日のフォーカスチェンジ』、

タイトルは、「ただそのままに」でした。( ↑ リンクしたので、ぜひ読んでください。)

この中で、 「稲盛和夫さんのことば」として紹介されたのは、

   『動機 善なりや、
    私心なかりしか 』

――おお。

うん、私は純粋に知りたかったから、あのコメントを書いた。

  共に心ゆたかに育ち合っていきたい。

  幸せに成りあっていきたいから。

そう確認できるのだから、

今は、それで良しとしようよ。

 

 

 

 

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『山中教授「人間万事塞翁が馬」』

2012-10-12 18:15:58 | メルマガ

ここ数日、山中さんの話題が飛び交ってて、

こういうのは、嬉しいことですね。

研究のすごさも さることながら、

リーダーのお手本のようにも思えたり

そのお人柄には とても惹かれます。

 

10日の『クロ現』でも、

最後のあたりで、とても温かく軽快なやりとりがあったようで

字幕を読むのが追いつかず、テキスト(上にリンクしました)が

アップされるのを待って読み、にんまりしちゃいました。

   ↓

先生にとって癒やしとは

これは今まで、やはり子どもが小さくて、その子どもたちの成長、笑顔、それにずいぶん癒やされました。
今はもう23歳と21歳になってしまったんですが、これからもできたら、お父さんに優しくしてほしいなと思っています。

 

  好きですねぇ、こういう方。

 

           

で、今朝のメルマガ『心の糧』でも山中さんの話題。

テーマは『山中伸弥教授「人間万事塞翁が馬」』。

 

 一部引用させてもらうと、

 

いま世界的に脚光を浴びている山中教授ですが、

 研修医の頃は「じゃまなか」と呼ばれていたり、

 ノイローゼ、うつになって、
 志を捨てようと悩んだ時期もあったのです。

 

  え~、ビックリ~

  まさに「塞翁が馬」なんですねぇ。

 

           

 

さて、自分の方に目を移してみると、

なんか「ええっ、、」となるような言い方をされたりすると、

心はザワザワ。。

だけど、

こんな山中さんの話題など聴くと、

「こんな些細なことに 左右されへんよ~ 」なんて気分になってきちゃいました。

そして さらに、

「もしかしたら、あれでも あの人にしたら、精一杯

気を入れたりしてくれたの かも しれへんしね

なぁんて思えてきたので、

  これには自分で ちょっと ビックリ。

 

 

 

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