michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

富士、白い雪が神々しく輝いて

2014-03-22 08:58:14 | お出かけ

こないだ帰省。 行きの新幹線から撮りました。

真っ青な空にのびやかに広がる富士山。

雪はまっ白に耀いて、神々しいほどでした。 

富士川でしょうか、のどかで美しく よく調和しています。

 

富士山が見えるのは何時頃なのか、前に調べたら、

ある方のブログで、詳しく書いてもらってあったんです。

その車窓から見れる場所を、時刻表と照らし合わせて、何時頃になるかを割り出した。

 

 これ撮ったのは、「のぞみ」で名古屋を発ってから52分後。

 その2分後にも撮れたけど、それは手前に色々建物がある。

 さらに数分後にも見れたけど、その時にはもう撮らずに目でじっくり見て味わいました。

 

こうして記録しておけば、次回の参考になるし、

もしかして、どこかの誰かさんの目にとまって、ご参考になれば嬉しいですね。

 

 

 

 

 

 

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私の場合、聴こえ具合はね、

2014-03-13 08:44:22 | 聴こえ

『私の聴こえ方』シリーズ、さらに 続き です。

    これって、シリーズだったの?

 

〇高めの声の方が、よく聴こえます、私の場合は。

  そういう方が、大きめに ハッキリ、ゆっくりと話して下されば、

  8~9割くらい聴き取れる。

        (そういう人は、ごくまれ。)

 

〇逆に、低い声の そうしてボソボソいう話し方では、

 0に近い。つまりほとんど聴き取れず、書いてもらうしかない。

 

  (どちらも、静かな場所で、両耳補聴器を装着。

   私が難聴と知ってくれてて、それなりに話してくれた場合です。)

 

そして、アッチ向いて話されると、ほとんどダメ。声がアッチに行ってしまう。

口の動きも見えにくい。

また、多少の雑音(書類、特にファックス紙などがカシャカシャとか)がしている場所も、

聴き取りは困難。

マスクされてると、ほぼアウト。

 

            

こういったことが、なかなか理解されにくいようです。

 

ハッキリ言ってくれる高い声の人と、私とが 会話しているのを見た人は、

「michiさん、難聴っていってたけど、ほとんど聴こえるんだな」

って思ってしまうらしく、その人なりの話し方で言ってくる。

こちらは分からなくて「あなたの場合はボソボソいう話し方だから聴き取れないのよ

とは言い難いし、

もし仮に、うんと親しい人で、「ハッキリ喋ってほしい」とお願いできたとしても、

そんなに急に話し方って変えられない。ムリというものですよね。

           

 

また、

 ・早口の人は、推測も追いつかない

 ・舌足らずの幼い子ども

 ・病人さんや、うんと高齢の、か弱い声しか出せない方

 ・外国の方

   (他の人からは「日本語、お上手ですねぇ」なんて言われる人でも、

   やっぱり発音や イントネーションが 日本語らしくなかったりして 聴き取りづらいんですよ。)

こういったケースも、苦戦します。

  おしゃべりとか、お話は したいんですけどね。

 

なので、こちらとしては、

その人の場合は、どうしたら話を聴き取ることができるか、

瞬時に見極めて、

たとえば早口の人には、「ゆっくり言ってください」とかお願いする。

その場合、こちらがあせったり、困ったりすることなく、心をゆったりもつよう意識して、

ゆっくりした話し方で「このくらい、ゆっくり言ってもらえますか?」と

微笑を浮かべて お願い…できれば良いんですけどね。。

そう出来る時もある、程度です、現実は。

 

職場に一人でいる時、色んな人が見えて声かけられるんだけど、

それが、どういった方面の用事の、どんな人なのか、

ほとんど分からず、書いて頂くしかない状態です。

特に外部の方には、もう、申し訳ないやら、情けないやら。。

 

  冷静に振り返れば、それは週に1回~せいぜい3回程度ですが、

  仲間から気にしないで良いと言ってもらえたとしても、

  やっぱり平気には なれず、なんとなく疲れをおぼえたりするんです――。

 


 

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聴こえない、そのことから気持ちが

2014-03-12 08:46:21 | 聴こえ

つづきです。

コンサートや小さなイベントなどに行く気がなくなった、その訳は――。

 

周りは盛り上がっていても、自分だけ聴こえなくて分からなかったり、楽しめなかったり。

 (手拍子なんかも打てないし)

そうしてボーッとした顔してる自分が不甲斐ない、っていうかね。。

 

さらに、舞台の人たちは、観客たちの反応をすごく見ているようで、

私の、そんな様子を見て

「乗らない人もいるんだな…」なんて思ってしまうんじゃないかと。。

 

友だちに頼んだら、要約筆記してくれるかもしれない。

でも、書いてもらう、ってことは、

その人は私に書くことでイッパイイッパイになって、

楽しむ、味わう、ということは出来なくなってしまう。

そんなことまでして参加したいとは思わない。

 

 

聴こえない、っていうその事柄だけじゃなくって、

そのことから気持ちが、、

積極性が少なくなったり、引っ込みがちになったり、

  そんな自分て、イマイチだな…ってなることもある。

 

自分は 今の、この自分で 

やれることをやっていったり、味わったりしていったら良いんだ、

  って思うんですけどね。

 

 

 

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布施明さん、ステキでした♪

2014-03-10 09:22:46 | 聴こえ

きのうの朝、BSで布施明さんの番組が。

迷わず録画した。

大好きなんです、昔から。

お人柄も好感もてるし、なにより歌が上手い。声が良い。

  こちら今は、なんとも頼りない耳になってしまったけど

  そういう辺りは感じられるつもり。

  少なくとも音楽は、自分なりには充分楽しめるんです。

 

布施さん、どの曲も熱唱してくれた。

 

1曲目の曲は、速いテンポで、字幕の歌詞を見つめていても

今どこを歌っているのか分からない部分があった。

 モダンで軽快な曲。 間のとり方やイントネーションが、

 ふつうの言葉と違うんですよ。

 こういうの聴き取るのは困難。

 (ふだんの会話でも、「間」とか「イントネーション」が、かなり参考になってます。)

 それでもその歌は、とっても良い曲で、好きですけどね。

 

  私はクラシックから今どきの音楽まで何でも聴くけれど、

  難聴になった以降に、何度か聴いた程度の曲では、

  メロディを捉えられないことがよくある。

   例えば、東北応援の『花は咲く』なども。 なので、歌えない。

 

きのうの布施さんの歌、2曲目以降は、

私がまだ聴こえていた頃によく聴いた曲ばかりで、

ハッキリ聴き取れて本当に味わえた。

(頭の中の記憶を引っ張り出してきて、いま何となく聴こえてるのと重ね合わせるような感じ。)

最後の、『マイ ウェイ』なんか、涙ぼろぼろでした。

 

その番組は、岩手県久慈市での小さなライブ。

『マイウェイ』の歌詞の一部を替えて

「私には~愛する久慈があるから~ 」と歌ってくれて、

久慈の町の人たちは、どんなに嬉しく心強かったか、と思われてきて、

そんな涙でもありました。

 

            

 

ここ数年、コンサートに行かなくなった。

ウチウチのちょっとした音楽関係の催しも。

みんながノッて、楽しんでる雰囲気は、感じる、

その中で、自分だけメロディも分からない、言葉ももちろん聴き取れず

ナニやってるのか分からない、という状況って、

寂しさとか孤独…みたいなものを感じてしまうんですよ。

 だからって、行かないのもどうかと、自分で思うんですけどね。。

 

 

 

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『難聴』の理解のためになりますでしょうか

2014-03-08 18:36:47 | 聴こえ

「佐村河内さんの回復、通常あり得ない」というタイトルのニュース。 ↓http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140308/crm14030811340003-n1.htm

この記事の下の方にも、「関連ニュース」として彼についての記事がたくさん。

ずーっと読み始めたけれど、なんか、はぁ、、、って感じで

途中でやめてしまった。

彼の言うことは、どこまでが本当なのか分からなくて

(前回の記事には「虚言癖がある」と書かれてあったっけ)、

どう読み取ったら良いのか考慮しながら、という状態。 疲れる。

 

   こういうのって、そのマスコミ(編集者とか)によって、簡潔にした場合とか、

   偏ってくることもあるんでしょうね。。

 

ただ、一つ気になったのは「音がひずんで聴こえるので、手話通訳は必要なんです」

という発言。 

 ひずむ・・・?

    ******************

 

私自身は、地元の病院での診断では6級。(純音検査のみ。しかも数年前。)

でも、なんと言っているのかサッパリ分からないことがほとんど。両耳に補聴器をしても。

日本語か、英語か、ドイツ語かも分からないことが多い。

そういう状態になることが、少しずつ多くなってきている。

音としては入ってくるんです。ボソボソ…、コソコソ…という感じで。

でも、どんな方面の話題かもワカラナイことが かなり多くなってきた。

 

              

このごろ、職場の隣りで工事している。改築、というのかな。

金槌トントンくらいならガマンできるけど、なにやら大きな電気工具で

ウチとの境の壁を「ガーッ!!」とやり始めた。

(大工さんたちは、とっても一生けんめいにやって下さってるんですけどね) 

 

一人になる時間には、とても補聴器などしていられない、って外してしまうんだけど、

「こんな時に、誰か用事で来たら、急いで補聴器つけなくちゃ…」なんて思いながら仕事している。

また、補聴器してないと、声かけられても ほとんど聴こえないから、

誰か来た、くらいは すぐに気づくようにしなきゃ、と

視界の端まで気をおいておいたり。

 

こないだは、その ガーガーやってる時に、同僚に話しかけられてしまった。

仕事の大事な話です。

みんな私が難聴と知ってくれているので、いつもよりさらに

気を入れて言ってくれるんだけど、

聴き取るのが困難。

(ふだんなら、ゆったりと ハッキリと言ってくれて、

 だいたい聴き取れる人なのに)

口の動きを読んだり必死で汲み取ったりして推測し、

「こうこう?」と言って確認とり、なんとかこなした状態。

 

ちょっとザワザワ程度の雑音がしている時も、

フツウに聴こえる人だったら、ふだんよりちょっと大きめに言えば大丈夫らしいけど、

難聴者はグッと格段に聴き取りにくくなるんです。

 

                   

 

『難聴』といっても、百人百様、千人いたら千通りですが、

こんな感じの難聴のケースも、結構あるようです。

 

  耳ふつうに聴こえる方、多少は理解のための参考になりますでしょうか。

 

(ちなみに、そのガーガーいう電気工具は、2~3日で済んだようです。

 どうぞ御心配なく。)

 

 

 

 

 

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