michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

仕事が変わっても、きっと生かされる部分が

2015-05-26 08:15:14 | お仕事

携ってきた部門が今月いっぱいで閉じられようとしています。

私の仕事は、今日が一応の区切り。

  発展的解消とはいえ、ちょっぴり寂しいような気持ちもあるかな。。

もっと長い年月、お父さん役として懸けてやってきたNさんだったら

どんな心境なのかしら?と訊いてみたい気もするけど、

彼だったらきっと、今必要なことを前向いて進めていくだけ かも。

 

自分は、ほんの一部をやらせてもらってきただけ。

それでも、それなりに気を入れてやってきたつもり。

ミスやトラブルなどある度に、いかにしたら――と手を打ってきました。

 

   (栗の花の蕾)

 

これまで色んな部門でやらせてもらってきて、

全然ちがう仕事になっても、応用というか、

やってきたことが生かされている、と感じることが度々。

 

例えば、洗濯。

大量の洗濯で、分業でした。

洗う人は、洗う専門。 干す・取り込む・畳む、など、それぞれ専門。

バラバラにならないよう、毎日じっくりと話し合いをしてました。

ある人の発言が心に残った。

「干す時にな、洗濯ばさみの止め方を、こんな風にして、風で飛ばされないようにしてみたんや。

取り込む時に、やりにくくないか、見といてー。」

かなり高齢のおばあちゃんです。

あのお年にして尚、より良く と工夫し、かつ、

次の工程の人がスムーズにいけるか、と 想える。 

                                  

 

私も、洗う時には、頭の半分で 干す人のことばっかり想い、

取り込む時には、畳む人のこと、この衣類を着る人のことを想って、せっせと手を動かした。

  それが、面白かった。

 

 

そんな体験は、

どの部署に行っても、無意識のうちに生かされているように

時々感じるんです。

  実際にやれているかどうかは・・・ですけど。

 

 

 

 

 

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『五月の歌』、気持ち良かったなァ

2015-05-23 07:32:16 | 想ひ出

この季節になると、いつも頭の中を流れている歌があるんです。

も、エンドレスです。

 

  楽しや五月 草木は萌え
  小川の岸に すみれにおう
  やさしき花を 見つつ行けば
  心もかろし そぞろ歩き

  うれしや五月 光は映え
  若葉の森に 小鳥うたう
  そよ風わたる こかげ行けば
  心もすずし そぞろ歩き

 

そう、『五月の歌』です。

まだ聴こえていた頃、コーラス部にいて、毎年歌ってました。

これって、モーツアルトの曲だったんですねぇ。 

職場で、とにかく歌が好きな人が寄せ集まった、全くの初心者ばかりの集団でした。それでも、

私はアルトで、どの曲も歌の間じゅう ソプラノの声を聴いて

常にハモるように、和するように歌うのが 快感でした。

 

 

指揮は、やはり初心者のT子さん。

指揮、というより、まるで踊っているようで、

でも気持ちよく歌えたもんです。

 

 

 

しばらくして、Kさんが入部してきた。

彼は大学で本格的にやっていたとのことで、指揮・歌唱指導を。

もう難しい組曲などが中心になったし、かなりの音楽性が求められるようになった。

指揮が始まっても、どこから入ったら良いのか分からないほど高度だった。

それはそれで 一応歌えるようになると 達成感など味わえましたけどね。

 

だけどやっぱり、あのT子さんの踊るような指揮で歌った『五月の歌』、

あれは気持ちよかったなァ~。

 

          

でもね、

 今は、自分ではちゃんと歌っているつもりでも、隣りの人に

「やっぱり…、音ズレてるね」って言われて、すごいショック受けたり、

難聴になってから聴いた曲は、何度聴いてもメロディが捉えられなかったり、

ピアノを弾いていて、間違えて不協和音になっていても、耳では気付かなかったり・・・、

そんなことばっかしなんだけど、

そんなこと思っていても何ともならないんだよね。

「みんなで歌ったの、気持ち良かったな~」でマル、

   で良いのかな。

 

 

 

 

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今は緑の大樹でありました

2015-05-21 06:24:53 | お出かけ

ここんとこ、山へ行ってないね。

きっと緑がきれいでしょうから、お寺のオハツキイチョウを仰ぎたい。

と、いざ霊山寺へ。

 

山の道は、緑のトンネル。

まさにグリーンシャワーだね。

も、たまりません。

 

お寺への長い石段の下、駐車場に到着。

わぁ、森の香りがいっぱい~。

 

これまでは紅葉の時に来ることが多かったけど、今は、

   おお、若葉茂る 緑の大樹

 

 

池にはいつものように大きな鯉がたくさん悠々と泳いでいたけど、

この頃はネットを張ってあって、目をこらさないと見えず残念。

  (冬には全面凍ってて、鯉たちはどうしてるのかしら…と心配してのぞくと

  底の方でじっとしてエネルギーを温存してしのいでいるようでした。健気ねぇ。)

 

 

おびただしい数の 石の仏様たちが並んでおられる。

 

 

 

 

何年か前、霊山山頂まで登った。

私には『登山』という感じで、情けないほどくたびれて、

でも達成感、充実感を味わったっけ。

山頂からの360度の展望・眺望は忘れられません。

また登れれば良いんだけど、今はそんな気力も体力も無く

10分でも20分でも、登山道の入口あたりだけね、と登り始める。

これ以上体力落ちないようにしたいわね、ホント――。

 

 

ご夫婦に出会った。

本格的な登山装備。山頂まで登られるのでしょう。

前を行くご主人に「こんにちわ~」。

すると、後ろの奥さんが優しく何かひと言。

きっと「良いお天気ですね 」とか、そういうことだろうと、推測・想像。

  でも、ちがってたら…?

そんな時、私はにっこり頭を下げるだけになってしまう。

「ごめんなさい、聴こえないのでねぇ――」とか伝えた方が良かったのかしら?

 

 

 

 

 

 

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こんなに探しても無いのだから、と先入観で…

2015-05-20 08:31:59 | つぶやき

きのうの記事で、すぐに思い出したことが。

 

それはある日のこと、

脱衣室に入ると、みんなで何か探してる。

聞くと、Aさんがコンタクトレンズを落とした、という

大事なものなので、くまなく探したけれど、

なんとしても見つからない。

そこへBさんが入ってきて、

「あら、ここに落ちてるじゃない 」

なんと、Aさんが落とした、その場所にあったのです。 

私ふくめてみんな、

「これだけ探しても無いのだから、きっとどこかへ転がって…」と、

部屋中、隅の方まで探していたんですよ。

みんな大笑い。

それは、ホッとしたのと同時に、

それぞれの先入観がおかしかったんだと思います。

私の中にも、この“教訓”は、シッカリと刻まれたことでした。

 

  

 

 

 

 

 

 

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「ない、ない」って思って探すと、見つからない

2015-05-19 08:48:36 | メルマガ

あれまぁ ここ数日「蓮、蓮」とうかれていたのは、

「睡蓮」だったそうな。

思い込みとは怖いもの。

  ゴメンナサイ…。

 

   

            

 

かめおかゆみこさんのメルマガ『今日のフォーカスチェンジ』、きのうは、

タイトル「24時間365日、ネガティブ」。

 (↑ リンクしたので、ぜひ全文読んでください)

これ、グッときました。

一部抜粋させていただきます。

 

 

さがしものをするとき、私たちは、つい、
「ない、ないよー」と言ってさがしてしまいがちだ。

すると、意識は「ない」にフォーカスしてしまうから、

あるものも見えなくなる。

 

 

「〇〇はできない」と想っているひとにとっては、

〇〇はできないのだ。

でも、何らかのきっかけで、ひょっとしたら、
できるかもしれないと、想うことができたら、

「できるかもしれない」可能性の扉がひらく。

実際、それまでも、「できる」部分はあったのに、

それを見落としていただけなのだ。

 

たとえば、24時間365日幸せでなくても、

幸せを感じられる瞬間に、その幸せをしっかり受け止めれば、

幸せな感覚を、自分のなかで、維持することができる。

 

その感覚を、一度でも味わったことがあるならば、

それをしっかり感じ直すことで、自分のなかに、
定着させていくことは可能なのだ。

 

「それがすべてではない」

もし、苦しい気持ちになったときには、

このことばを、ぜひ、口にしてみてほしい。

そう。そうではない瞬間は、必ずあるのだ。

何度でも何度でも、そこにフォーカスし直し、

それを、あたらしい習慣にしていけば、いいだけなのだ。

 

 

おさらいすれば、

まず、自分が何にフォーカスしているかに、気づくこと。

そして、それが好ましいものでないと想うなら、

それがすべてではないと、言ってみること。

本当は、何を選択したいかを、決めること。

選択したい感覚を、しっかり味わうこと。

もしくは、選択している瞬間を、意識すること。

たとえ一瞬であっても、それを選択している自分に、

OKをあげること。

あとは、量稽古で、その感覚を強化していくこと。




24時間365日完全に
…をめざす必要はない。

そのひとのなかの、分岐点を超えた瞬間に、

フォーカスの向きは、自然に変わる。

そしたら、無理に想おうとしなくても、

気がついたら、「あっ、いま、勝手に想ってた」という状態に
なっているはずである。

これは、私自身が体得してきたことなので、確信をもってお伝えできる。

 

 

――一部といいながら、大事なところをピックアップすると

かなりの部分になってしまいました。

 これ、私の為に書いて戴いたみたいに思えてきます。

 かめさん、ありがとう

 


 

 

 

 

 

 

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朝露の蓮

2015-05-17 22:56:54 | 自然

今の部署はもうすぐお仕舞いになる。

ナンダカンダ言ったこともあるけど、終わるとなると感慨ふかいね。

 

 

 

 

さて、今日のお散歩は8時をねらって。

たくさん咲いてました。

朝露まで撮れた。

 

 

朝日をいっぱいに浴びた紅葉の葉がきれいでした。

 

種。かわいいね。

 

 

 

 お花がいっぱい咲いてて「わぁ、きれい~♪」ってその全体を撮りたくなるけど

それではあんまり面白くないことが多い。

この花の美しさを、なるべく引き出してあげたいんだけど――。

 

 

 

桜並木の奥は、深い緑の雑木林。

小さな生き物たちいっぱいの世界なんでしょうね――。

 

 そうそう、サクランボがいっぱい生ってたけど

全体にネットかかってて、鳥よけでしょう、って思ったけど、

開けて入るのは ためらわれ、

外から撮ってみたけど、やっぱりイマイチでした。

撮るだけなら入っても良いのかなぁ・・・。

 

 

 

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小さな薔薇も高級香水の香り♪

2015-05-15 06:33:40 | 自然

薔薇は、毎日5時間程度 陽に当ててください、と説明書に。

それで、毎朝 お天気を確認してからベランダに出し、お昼過ぎに入れてあげる。

その都度 鉢を持つたびに とっても良い香りで、

もう酔いしれてしまいそう。

花は小さいんだけど、

まるで最高級の香水の香りです。

 

                   

 

さて、蓮はどうなったかな。

朝早くがよく咲いてるそうなので、7時に。

花の数は少なかった。

あるサイトでは、9時頃が一番咲いてる、ということなので、

次回はその時間をねらってみよう――。

 

 

梅は少しずつ大きくなってきたね。

大きいもので親指の頭くらい。

つい実や花に目がいくけど、そういえば葉っぱも大事なのよね。

 

 

梨の赤ちゃんは、艶々で、生き生きしてる。

 

葡萄は、どうかな…。

        

 

ぶどうは、まだまだち~っちゃな粒々。

こんなのが大きく甘い葡萄の実になっていくなんて、

  ふ・し・ぎ――。 

 

 

  

 

 

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蓮ってどうしてこんなに美しいの?

2015-05-10 16:41:30 | 自然

蓮が咲いてるらしい。

今朝チョット嬉しい(お役に立てた)ことがあって、

調子づいたところで そのままお散歩へ。

 

こんな泥の中から、よくまあ こんなにも美しい花が。

いつ見ても、どうして…?って思ってしまう。

 

池の方は、と――。

おお、たくさん咲いてる

 

 

今日は母の日。

子ども達からは、それぞれ それなりの優しさを表わしてくれた。

なんだか感慨深い。

私は母親としてのつとめを果たせたのかしら…なんて何度か思ったりもしたけど、

その時その時、自分なりに精一杯やってきたことを

子ども達はちゃんと受けとめてくれてたのかと

嬉しく、ありがたく想う。

 

 

そして何よりも、心やさしい人に育ってくれたことが

何よりも嬉しい。

 

 

    あ、白い蓮もあったのに、撮り忘れてるわ

 

 

 

 

 

 

 

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感じる世界、あれこれ

2015-05-06 07:44:17 | 聴こえ

きのうのづづきです。

『触手話』での会話って、「言葉を全部訳して手で表現する」というよりは、

「丸ごと伝える」、それを「全体的に、総合的につかみとる、感じる」

というような世界かな、って思ったんですが、どうなんでしょう。

 

私はつい「言ってもらったことを、何らかの形で全部知りたい」

「ちゃんとキャッチボールしたい」

みたいな感じ、、かな?

でも現実的にはうまく出来ず、モタモタ…。

どうもそんな辺りが習得しきれてないんですね。。

 

 

 

 

          

 

久代さん、お料理はどうするのかと思ったら、

すべて触って確認する。

そこまでは想定内だけど、

ソーセージを焼くとき、そのソーセージを一つ一つお箸で抑え気味にして、

なんと、そのお箸から伝わってくる振動で焼き具合を確認するという

そこまでいけるんですね!

もちろん、匂い、鼻も動員するのでしょうね。

(何でも熱が充分に伝わると、その素材の良い匂いがしてきますね。)

家事の全てをそんな風にこなしておられる姿は、素晴らしいと思いました。 

 

           

 

私だったらね、

例えば

プリンターで印刷するとき、始まるのにチョット時間かかりますよね。

たぶん音がするんでしょうけど、何にも聴こえないので(家では補聴器してない)、

プリンターに手を触れると、作動が始まれば振動するので分かる。

 

職場に色んな人が出入りしてても、自分は目の前の仕事に集中してて、

声では誰か分からないことが多い

(声がしてるのは聴こえるけど、何の話してるかなどは、すぐそばでも全く分からない)。

視野ギリギリくらいに気配、『何か大きなもの』を感じると、

「背の高いNさんかな」と思い、そちらに目を向けてみると、

「ああ、やっぱりね」となる。

 

道を歩いていて、後ろから来る人の足音が聴こえないことが時々。

マイペースで歩いていて、突然サッと横に風を感じる。

追い越されることを、まず風で感じて、その次の瞬間に人が目に入ったり。

 

  聴こえてた頃もそうだったのかもしれないけど、

  この頃なんだか、そんな風に 感じる世界 が、面白いナって思うんです。

 

 

ある会合では、いつも最後に『みんなで歌いましょう』のコーナー。

季節の唱歌とか、誰でも知っている曲だし、歌は大好きなんだけど、

基準の音の高さが掴めない。そして、

前奏を聴いていても出だしのタイミングが分からない。

 

それで懸命に曲についていこうとしていたら、ふと、

テーブルにおいていた手に振動が伝わってきた。

隣りのテーブルに置いたキーボードで伴奏を弾いてくれている、

その振動が、床を伝わって、隣りの自分のテーブルまできているらしい。

これは大発見で、嬉しかった。

 難聴のお陰…かな。

 

 

 

 

 

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『見えず 聞こえずとも』

2015-05-05 07:39:52 | TV

   (※ 一部、訂正しました。2度ほど。)

世は連休。 TVでは良い番組が目白押し。

予約録画して、少しずつ観てます。

3日のNスペは『見えず 聞こえずとも~夫婦ふたりの里山暮らし』。

予告を見たときは、う~ん、どうしよかな…、って思った。

触手話の存在は以前から知ってるし、

こういうのって、「アンタは難聴くらいで何しとんの」とか言われるみたいな感じがして。。

でも、一応観て、吸収できる部分だけ頂こうかなと思った。

 

 

やっぱり観て良かった――。

優等生みたいなキラキラじゃなかった。

田舎で、ナンダカンダ言いながら、たわい無い会話して笑い合っておられる、

その ほのぼのとした暮らしぶり、力みなど無い心おだやかな光景が、

しみじみと良いな~と感じられました。

 

それぞれ若い頃は苦労して、

結婚してからも決して順調ではなかった。

 そんなことも包み隠したりせず、

全部話してくれたので親しみがもてました。

 

久代さんは聴こえない上に、目も見えなくなってきて、

二度も自殺をはかったそうです。

あるとき眼科の先生から

    「目の病気というよりも、心の中に目があるから、心の持ち方が非常に大事。

  嬉しい時は明るく見える。イライラしたり、悲しい時は周りが暗くなってしまう。」

と言ってもらったことが、今になって分かるようになったとか。

これはズシリときます。

 

好彦さんは、宮沢賢治にあこがれ、『新しき村』にも参加した方。

山の中で、理想とする自給自足の生活を始めたけれど、

その暮らしは久代さんには無理ということが分かり、

里に下りてきたそうです。

吉彦さんは淡々と語ります。

  『相手が満足できて初めて自分も満足できる。

  相手が苦しんでて自分だけ良い生活しても、結局 自分も全然喜べない。

  そういう中で相手の価値観も受け入れていく。

  昔の固い自分から見ると、ちょっとやわらかくなったというか――。』

  

これですね。

 

ある食卓での会話風景の中で、

好彦さんが、テーブルを軽くトントンとたたいた。

振動が伝わって、これで分かるんですねぇ。

その時の字幕は

  「うん、そうやな」

これが大事なんですね。

同意したことを伝える。 わかってるだろ、じゃなくって。

 

他にもたくさんハッとする場面があって、

なんだか、自分の暮らしぶりを素直に省みたくなりました。

 

 

 

 

 

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『見えず 聞こえずとも』

2015-05-05 07:09:45 | TV

世は連休。 TVでは良い番組が目白押し。

予約録画して、少しずつ観てます。

3日のNスペは『見えず 聞こえずとも~夫婦ふたりの里山暮らし』。

予告を見たときは、う~ん、どうしよかな…、って思った。

触手話の存在は前から知ってるし、

こういうのって、「アンタは難聴くらいで何しとんの」と言われるみたいな感じがして。

でも、一応観て、吸収できる部分だけ頂こうかなと思った。

 

 

やっぱり観て良かった――。

優等生みたいなキラキラじゃなかった。

田舎で、ナンダカンダ言いながら、たわい無い会話して笑い合っておられる、

その光景が、しみじみと良いな~と感じられました。

 

久代さんは聴こえない上に、目も見えなくなってきて、

眼科の先生から

  「心の中にある『こころの眼』を開きなさい」

と言ってもらったことが支えになったとか。

これはズシリときます。

 

好彦さんは、宮沢賢治にあこがれ、『新しき村』にも参加した方。

山の中で、理想とする自給自足の生活を始めたけれど、

その暮らしは久代さんには無理ということが分かり、

里に下りてきたそうです。

  『相手が幸せでない限り、自分の幸せは無い。』

  『自分だけの幸せというのは、あり得ない。』

これ、そのものなのですね。

 

ある食卓での会話風景の中で、

好彦さんが、テーブルを軽くトントンとたたいた。

振動が伝わって、これで分かるんですねぇ。

その時の字幕は

  「うん、そうやな」

これが大事なんですね。

同意したことを伝える。 わかってるだろ、じゃなくって。

 

他にもたくさんハッとする場面があって、

なんだか、自分の暮らしぶりを素直に省みたくなりました。

 

 

 

 

 

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藤は、まさに“今”

2015-05-03 18:09:21 | 自然

あれから2日。藤はどうなったかな…。

わぁ~、もう最高の見頃になってる。

 

まさに、今 って感じ。

そよ風に気持ちよく揺られて――。

 

 

 

 

 

 

わたし的には、こういうところも惹かれるんです。

斜面全体の緑がハッとするほど鮮やか。

   実際には、も~っと美しい緑なんですよ。

 

 

もうすぐ開花。直前だね。どの蕾も準備万端。

 

 

 こちらも満開です

 

 

 

 

  

 

 

 

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人も花も、多種多様に、豊かに――

2015-05-01 10:16:30 | 自然

ゆうべの『クロ現』は「“政治を変えたい”女性たちの闘い」でした。

世の中を変える、って本当にタイヘン。

でも、歴史を振り返ると、先人たちはそうやって改善してきたんですよね。

女性、ってこともそうだけど、

世の中には色~んな人が居るんですよね。

この社会のメンバーは多種多様ということを それぞれが認め 尊重し合っていけたら、

社会は暮らし良くなっていくでしょうね。

 

              

 

さて、こないだのお散歩から3日。

お花たちはどうなったかな。

 

まずは、ボタン。重たそうなほど花咲かせてきた。

 

 

「柿若葉」って季語を使って、俳句など生み出せたら良いんだけれど・・・。

 

 

松ぼっくりの赤ちゃんたち。

いつの間にか ツンツンと伸びてきたわね。

 

 

これだけの綿毛が全部根付いたら、タンポポの群生地になるでしょうねぇ。

 

 

あちこちきれいに草刈してくれてあって、良い香り~。

草刈りのお陰で、そうそう、こんな所にも小道があったのね、と思い出した。

ゆるやかな坂を昇っていくと、、

藤は半分くらい咲いてました。

 

 

梨の赤ちゃん。

 

こちらは葡萄。

 

 

よく「小さな名もない花」なんて言いますけど、

それぞれに、ちゃあんと名前があって、

健気に懸命に営んで、花咲かせてるんですよね。

 

いろんな花や実たちが、それぞれに精一杯生きていて

こんなに豊かな自然が営まれているんですね。

  自分も至らないなりに、それなりに やれることを やっていけば良いのかな

 

 

 

 

 

 

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