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michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

3Dプリンターで握り寿司!? そこから想いました、母の食事

2025-01-30 08:43:36 | 介護

NHK『スゴ動画祭』で、“3Dプリンターで極上の〇〇が作れた!”というのがありました。

まるで本物そっくりの ‘握り寿司’。 見た目だけでなく、味も歯ざわりも そっくりとか。

作ったのは、甲殻類が食べられないという専門家。海老なんか言われても分からないくらいの仕上がりです。

 すごい――

材料は、主に白身魚とか。

 

   

 

わたしの頭にすぐ浮かんだのは、介護食。もう噛めなくて普通食はムリ、というケース。母がそうでした。

介護食って、自分でイチから作るにはタイヘン…ということが多くて、

半分くらいは市販の介護食でした。ミキサー食をなんらかの方法で形にしたもの を主に。

ほとんど、どのメニューも同じ形でしたね。。

(メーカーさんも工夫して下さっていて、魚だったら、切り身の形、とかもありましたけどね。)

 

噛めない超高齢者向けに、毎日の食事を豊かに楽しめるようなのが、もっとあったらいいな――。

但し、価格は 普通食 程度に収めて頂きたいです。

グルメ・贅沢ではなく、ふつうの食事が食べられないのですから。

 

ファミレスとか行っても、食べられるのはプリンだけ。フルーツなど添えられてない、プリンのみ。

お寿司屋さんだったら、ふわふわのだし巻き卵だけ(シャリもダメ)。おすましの、汁のみ とか。

 

社会全体的に、介護食がもっと進んでくれたら――と、何度ため息をついたことでしょう。

ご自分や、大切なご家族が、そのうち そうなるかも しれないのですからね。

 

 

 

 

 

 

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母の想い出、VTRの再生のよう

2024-09-27 07:58:50 | 介護

待ち焦がれていた秋は、一気にやってきましたね。

朝のゴミ出しの時なんて「エッ!?」って思うほど涼しかったり。

こんな時には、母だったら「寒い…」って言うだろうな なんて、ことあるごとに母を想い出してしまいます。とにかく寒がりでした。

お天気の良い日に「これはチャンス☆」と散歩に連れ出しても、チョット風があると「寒い…」と言うんです。気温は決して低くないのに。

なんか、風とか寒さに過敏というか、こだわりがあるような気がしてましたね。

 

 

訪問看護の度に、足湯――というか、熱いのは苦手で、温かいお湯に足をつけて穏やかに洗うようにしてもらって、保湿剤を塗ってもらってました。(乾燥肌で、まるで粉ふき芋。着替えのときには、粉雪が舞うような状態でした)

その、足湯(?) の時に母は、いつもいつも毎回 同じ話をしてました。にこにこと、

「わたしは長女だったからー、いっつも畑で手伝わされた。親とおんなじに働いた。」

  これ私は、100回以上くらい聞かされましたね…。

看護師のAさんは毎回 根気良く聴いて、母に話を合わせてくださり 有難かった。

そして「畑でどんな野菜を作ってたんですか?」と問われても、それは覚えていない。「とにかく、親とおんなじに働いたー。」 それが言いたいらしい。

そんなことを自慢気に喋りたかったんですかね。

 

 

手相の話も好きで、母の手は生命線が長かった。それ、手を見せながら話すんです。

すると、Aさんは、自分の手を見せて「ほんとねー。私なんてこんな短い…」。

彼女は若くて美しい手。母はそれに毎回ビックリしてました。

するとAさん、母の皺クチャの手に触れて「これは、働き者の手。(自分の手を指して)こっちは怠け者の手

うまくフォローも出来ないまま、ちょっぴり満足気にほほ笑む母でした。

 

そんなようなのが、まるでVTR を再生するように、目の前にハッキリと浮かんでくるんです。見送ってから もう半年以上経つのにね。

 

 

 

 

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介護して自分に残ったものは

2024-09-18 08:40:36 | 介護

介護生活。私にとっても 母にとっても まるで激動の8年間でした。

始めの頃の まだ軽かった頃はそれなりに。重くなってからは それなりに。

「ありえない!!」と何度つぶやいたことか。そんなこと言ったって、現に目の前に展開されているのに。

 それなのに、いつものベッドで穏やかに見送ってからは――、

お母さんて、いっつもこんな話してたよね…とか、ご飯食べるとき こんなことしてたね…、なんて後から後から想い出されてくるんです。

母の小さな手記や つぶやきメモを整理してると、切なくなってきたり。

お母さんなりに一生けん命に考え、やってきたのよね。

私は、その時点では精一杯やってきたつもりだけど、もう少し何とかできなかったのかな。母の気持ちを理解し、それに添って、

…なんて、あれこれ思いが巡ってきます。反省しきり。けど、後悔しても始まらない。済んだことは、済んだこと、と割り切らないとね。

とにかく、母の希望通り、家で最期まで過ごしてもらえた。それだけは やれたよね。 専門家にも見守ってもらいながら、樹が枯れていくように自然に。 

 

 

TV で、介護や子育て、また主婦として精一杯やってきた方が、「私の人生なんだったんだろう…なんにも残らない…」みたいなことを言ってらした。驚きました。その人その人で視点や価値観など違うということでしょうか。

介護、子育て、主婦としての様々なこと、どれ一つとっても重要なこと。家族など支えたり、自分自身も大きく成長したり、充実し深まったりしたのでは?

少なくとも私は、色んな面で育ててもらった。鍛えてもらった。気づかせてもらった。味合わせてもらった。

そんな8年間だったと思ってます。

  も、わたしにはタイヘンすぎ…なんて

   何度も心の中で弱音を吐いたりしたけどね。。

 

 

 

 

 

 

 

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敬老の日…もうお祝いは来ないよね…

2024-09-16 09:09:18 | 介護

今日は敬老の日。

例年だと、お花がいくつも届いたりした。

去年なんか さらに、お国から、市から、〇〇から、と続々『百歳のお祝い』が届き、当人は、少し戸惑ったようにも見えたっけ。

 

 

その母はもう旅立ってしまったので、今年からは何もない。。

 いっちゃったもんね…と改めて。

日々何を見るにつけても、母を想い出します。

訪問看護の記録を整理していると、いつもあるシーンが浮かぶ。

その看護師、Aさんのことを、母は大好きだった。(名前はともかく、お顔を見るとすぐ思い出して笑顔がでてきた。)

バイタルチェックや、遊び感覚での軽い体操、頭の活性化にと思い出話など、常に母の体調や気分に合わせ工夫してやってくださいました。

Aさんが母に「じゃ、今日はこれで。また来週来ても良いですか?」と帰りかけると、母はベッドに横になったまま、にこやかに こう言いました。

「あいそなしで すんませんでした――」

お茶もお出しせず、何もお構いもしませんで――と。(楽しくおしゃべりの相手をしてくださる お客さまのように思ってたんでしょうか。)

 アハハ~

また3人の笑顔が広がったことです。

 

 こんな何気ない、どーでも良いようなことが、私の中では大切な想い出になってます。

 

 

 

 

 

 

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エアコンの扱い――母の場合

2024-09-09 15:39:00 | 介護

去年購入したサーキュレーター。ちょっとしたすき間にも収納できるし、充電式で、コンセントもコードも気にせず どこででも使える。持ち運びも軽くて助かります。

さて、このサーキュレーターを付けて、あと 消し忘れることがあるので、リボンを付けました。よく電気屋さんでやってますよね。リボンが風にそよいで、見た目にも涼し気。そしてOFF にするとペタンと下がるので消えてることを目で確認できる。

電気って、灯油などと違って、使っても目には見えない。けど、せっせと働いてくれてて、OFF にするまでは、電気をドンドン ドンドン使ってることを忘れないでおきたいと思います。

 

 

母は、エアコンや温風ヒーターの ‘タイマーでON / OFF ’とか、理解できないようでした。

温度設定しておけば、その温度にほぼ保ってくれる、ということも。

なので、「暑い、暑い」とエアコン付けて、やれやれ涼しくなった――と思っても、

ふと気づくとすごい暑くなってる。見るとリモコンで消しちゃってある! 聞くと「だって、もう涼しくなったから」と言う。 あの、、扇風機と違うのよぉ~。 

窓もドアも閉めてあるので、熱気ムンムン。これ、もし 一人で暮らしていたら…と思うとゾッとしたものです。

 

冬は、温風ヒーター。外から帰ってきた時は「寒い、寒い」と母はON にしてから、温度設定をパパパッと3度くらい上げてしまう「すごーく寒いんだもの」。。薪をドンドンくべるような感覚が残ってるんでしょうか…。

 

 

私が小さい頃は、豆炭の掘りごたつでした。朝、コタツに足を入れても温かさは…無い。 そこへ母が「ほら、熱いよ、熱いよ、足どけて~」と言いながら 熾した豆炭をいそいそと入れてくれるんです。母は、まるで太陽でした。

 

 

 

 

 

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デイ、お母さんも取り組んだよね

2024-09-04 07:47:42 | 介護

書類の整理を進めてます。

その棚が空いてきて、整理済みのバインダーがどんどん増えてく。

こういうのって、成果が目に見えるのでやりがいがある。

ふだん色んなこと「なんか、しんど…」と、なかなか腰が上がらない私でさえ。

 

デイサービスの連絡帳。日々の記録を見ていくと、様々なことがあったのが思い出されてきました。

母の言動に恥ずかしくなったり、申し訳なくなったり。本当に色んなことがあったっけ。

 

 

デイ。母にとって最初は慣れにくいようだったので、週一回、半日にして、お昼に私がカラの車椅子を押して迎えに行った。

少ぅしずつデイに馴染んできて、他の利用者さんとも打ち解けて談笑するようになり、職員の方とも、気軽な口ぶりで話すようになったらしい。(毎回同じことを言ったりしたようですが…)

最終的には、週に4回、行ってくれるように。

 

それでも、毎回、どこへ行くのか分からないと言う。

‘デイサービス’なんてカタカナ言葉じゃダメで、‘日帰りの〇〇〇’と言って、毎回詳しく説明。写真を見せても「どんなとこ~?」。

「家で寝ときたい」と言い始めたらテコでも動かない。ラクなのは分かるけど、家に居たら、寝て食べてトイレ行って…の繰り返しだけで一日終わってしまうでしょ?すぐに寝たきりになっちゃうよーと思い、

本腰いれて説得し、なんとかカントカ誘っていく。

たいていは「…分かんないけど、まぁ、行ってみるわねー」と言って起き上がってくれるのでした。 ほっ。。

 

デイに行けば軽い運動も、母に合わせてやってくれる。遊び感覚でやれるよう職員の方もすごく取り組んで下さったし、母もそれなりに楽しくがんばった(?)ようです。

他の利用者さんたちは、母をそれなりに受け入れて、あたたかく接して下さいました。例えば、お風呂を嫌がったりしたら、優しく誘って下さったり。

周り中の色んな方々のお陰で、母も私も直接間接に励ましてもらい、支えて頂いて、 どうにか100歳まで在宅で――母の希望通りに過ごせたのです。

(結局、母はその間、一度も入院も手術もしないで過ごせた。)

 

 

家の前に階段が10数段。これがなんとも。。

ある時、途中で力尽きてしまって、もう一歩も上れなくなった。ど、どうしよう…と思いながら 必死で抱え上げるような状態で、とにかく家に入れた。

それからは、階段を上がる母の後ろで 私が母のお尻を押し上げるような恰好で 上がるようにしました。

それでも母にとっては大仕事。一生けん命。も、全力です。

下りる時だって、シッカリ手すりに掴まり、杖をついて、慎重に一歩ずつ。

そんな母の姿が、なんだか尊いように見えて、

わたしも精一杯それに応えていきたい、と純粋に思えたものです。

(実際にはイラついて自己嫌悪になったり、途方にくれたり、――それはもうナンダカンダありましたけどね。

 

 

 

 

 

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心にぽっかり穴でしたが

2024-04-15 16:27:20 | 介護

 

 

半月ほど経ちました。

毎年、桜は楽しみでしたが、今年は火葬場へ向かう車窓から眺めました。

「お母さんは、見れなかったね。間に合わなかったね…」と。

お別れの場では泣くまいと思ってたのに、ダメでした。どうにも…どうしようもなかった。

 

100歳のバースデイケーキをペロリと平らげ、その翌日に転んで、何も食べられなくなり、水も飲めなくなり、10日ほどで逝ってしまった。

ま、母としてはそれなりに満足だったのかな。

ただ、

私の生活のほとんどを占めていた母が(介護、必死!でした)、いなくなってしまったわけで、

正に 心にぽっかり穴、という状態。

 

それでも、手続きは、あれもこれも。

そして、片付けが山のよう。気が遠くなる。

 はぁ。。

 

以前から「ずっとこの家に居りたい」と言っていた母の希望を叶えてあげられたのは良かったかな。

私の役目としては、一応果たせたのかな。

周りのたくさんの人が支えてくれた。助けてくれたお陰で。

 

次第になんとなく ‘ シャンとせにゃぁ ’ と もう一人の自分が言ってくるようになってきました。

 やること、考えることを 急がれるものから 一つ一つ

ね。

  お母さん、見ててね

 

 

 

 

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旅立ちました

2024-04-01 01:13:41 | 介護

母は父のもとへ旅立っていきました

安らか、おだやかな寝顔のようです

応援してくださった皆さん、ありがとうございました

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母が転倒…

2024-03-24 21:53:01 | 介護

先日、100歳の誕生日。

ささやかにお祝いした、その翌日に外に出てしまって転倒。

見た目はなんともないんだけけど、腰が痛い、イタイ、いたい!!!と、

もうタイヘン。。

寝たきりになり、ほとんど食欲ナシ。。

何もかもガラリと変わってしまって、途方にくれたり…。

幸い、周りが助けてくださってます。

この小さなブログは、しばらくお休みとなるかも。。

 

 

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100歳。それってめでたいの?

2024-02-20 06:18:20 | 介護

いつだったか、車のフロントガラスが、こんな結晶に。

 

もう2月も後半。3月が来たら、母は100歳になる。

よく「99歳、すごいですね☆ 100歳までがんばりましょう~」

なんて言われる。

「お陰様でー」なんて応えながら、心の中では少々戸惑ってしまうんです。

超高齢って、めでたい? それって素晴らしいことなの?

本人は、もうだいぶ前から自分の年齢を聞かれても分からず、「知らんー」。

周りがワイワイ言うだけ。

 

一緒に暮らしてると この頃、母の色んな言動に ビックリ仰天の連続。ため息ついたり、情けなくなって泣きたくなったり。。

 

ふと、母は心の中でどんなこと思いながら暮らしてるんだろう、って思えてきました。

 

食事はソフト食。自分で食べる。

おかゆや雑炊(ミキサーにかけ、網で漉してます)の上に、ソフト食のおかずをきれいに載せてトッピングしたり。味の組み合わせはどうでも良いみたい。まるで おままごと。

お汁など、片手で まるで山男の酒盛りのような手つき。ほかのことでも、マナーもエチケットもあったもんじゃない。とにかく省エネ。ラクならそれが良いらしい。 とにかく 自分流。

 そんなですけどね、ちょっと別の角度から見てみると――。

 

最近 私が不調なのを察してか、ほんのちょっとしたことで「ありがとう」と言うんです。

例えば、トイレして ベッドに戻った時、自分では毛布と掛け布団、両方かけることが難しくなり、どちらか1枚しかかけられない。それ見つけたら私が掛けてあげる。すると にっこり「ありがとう」。

ポータブルトイレの中身を空けて 戻ってきたら「ありがとう~」。

飲み薬、いつものように次の1週間分 セットしてる間じゅう、人間観察のように じぃーっと見つめてて、終わると「ありがとー」。

 

もう、こんな小さな家の、洗面所とかまで行くにも床を見つめて真剣に、手すりに掴まり 一生けん命にならないと辿りつけない。そういうような状態になってるのに、家族にそんな声をかけてくれる。

 私は、今の母みたいになった頃、そんな風にできるかなぁ、なんて思った。

 

 

 

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やっと きまってきたよ、介助の方法

2024-02-17 23:15:54 | 介護

ずいぶんご無沙汰してしまった。

このところ、怒涛のような――って大げさでしょうけど、私の気持ちとしては、そんな感じ。

母のことでイッパイイッパイなのだから(特にこの頃)、その上に あれやこれや…。 も、カンベンしてくんないかな…なんてつぶやいてしまったけど(心の中で)、世の中そんなに甘くないですよね。

 

 

デイサービスからの帰宅時、家の前に階段10数段。母は杖をつき、手すりにつかまって昇る。最後の3段あたりで、もう力尽きてしまったことがあった。私は必死で抱きかかえて何とか家にたどり着いた。

そんなことが2度ほどあってから、私が母の後ろからお尻を押し上げるようにして昇るようになった。

手すりは、階段が尽きたところでお仕舞い。家のドアまでは2mほど。片手の杖だけでは歩けない。そこでどうしたら良いか、あれこれ考え、いろいろ試行錯誤してきました。

玄関内での、靴の脱ぎ履き。手すりに掴まっててもらって やってたけど、ちょっと危なっかしい。それも同様に考えました。

 

結局、最近は――、

シャワーチェアをドア前に置いておいて、そこに2秒ほど掴まっててもらう。その間にドアを開け、閉まってしまわないよう押さえつつ母を中に入れる。

※ 集合住宅なので、シャワーチェアを置く位置も考慮。他の方の邪魔にならぬよう、ギリギリのところに。

 

玄関の中に安定感のあるイスを置いておいて、そこに座らせ靴から室内履きに替える。(小さな すのこを利用)

 

そんな方法で落ち着いてきた。

このことは、これで一応いけそうーというのを見つけられると、ホッとして、そんなことが毎日の原動力の一つ。私を支えてくれる。

もうすぐ100才。徐々に体力おちてきてるし、来週どうなるか、来月は階段昇れるか…。

ま、その時はその時。それなりに考えるしかないよね。

 

 

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超カンタン、かぼちゃ和え。甘党さんに

2024-01-11 23:22:07 | 介護

以前よく行ってた落差15mほどの滝。冬になると落ちる水の両側から凍ってくるんですよね。

これらは滝の入り口の手水からはねた水が凍ったもの。↑ ↓

 

おもしろいもので、こちら(横浜)のさほど寒くない気候に慣れてしまうと、

天気予報で「あさっては、一時 雪」とか聞いただけでビビっちゃう。

 

         

 

母の食事内容など時々書いてます。

たまに読み返すと「ああ、この頃は、こんなの食べれたんだねぇ」なんて思います。

 

最近の、母(ソフト食の段階)のお気に入りは――。

かぼちゃのハチミツ和え。レンチンです。

1, 冷凍かぼちゃ。150g ほど1分チン。半解凍です。

2, 一切れごとに、皮の側と 赤く柔らかい側を切り分ける。

  (もちろん、皮の側は、私が頂きます)

3, 小鉢にそれぞれ入れて、柔らかくなるまでチン。

4, 赤い側は、はちみつ(又はメープルシロップ)と、湯煎したマーガリンをかけて、軽く和える。

――これだけで、母は喜んで食べてくれるんです。

 

以前はこれ、小鍋で弱火にかけながらやってましたが、鍋肌にいっぱいついてしまうし、焦げないよう気をつけないといけない。

ただ、ホックホクには なります。お好みで。   

 

 

 

 

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年明けを前に想う

2023-12-31 23:20:36 | 介護

年の瀬というのは、不思議なほど、

アッ!という間に毎日が過ぎ去ってしまいます。

ドタバタだからでしょうか。

母が寝てる間に、ここを整理してお掃除、と自分なりにがんばって、

やれやれ、ああ腰が…。膝が…。

チョットひと息つこうかな、とコーヒーを淹れると、母が起きてきてトイレへ(ベッド脇のポータブルトイレ)。

あわてて立ち上がって、介助。

母は一人で一応は出来るけれど、介助があった方が良い時もあるし、トンデモナイことをすることもあるので。

 

新年――。 一応、正月飾りは、

‘一応’しました。 けど、おめでたいとかいう気分は あんまり…。毎年そうなんです。

そんでも 年が明けると、数えで100歳になる。 やっぱり おめでたいのかな。

 

なんだかんだあっても、

自分の足で歩けるし――

亀の歩みか、カタツムリか、ですが。 階段は、一段一段 一生けん命。杖をつき、手すりにしがみつくようにして。(昇りは、私が後ろから押し上げる)

自分で食べるし――

食卓に好物の甘い蒸しパンなんかあると、ニコニコして、私が急いでエプロンをつけるのが間に合わない程、喜んで食べちゃう。

 

こんな母が愛おしい、と時々思えてくる。

もう言葉が通じないことも日常的だし、イラッとくる時もチョクチョクあるけどね。

 

私の役目は、

母が、なるべく いつまでも 今くらい ‘元気’で、心おだやかに過ごせるよう お世話すること。改めてそう思えてきました。

来年も、再来年も、母とお正月を迎えられると良いな。

 

 

 

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味噌漉しでいけちゃう。裏ごしみたいに。

2023-12-20 06:17:38 | 介護

三重県にいた頃の 今の季節。寒かったな…。雪とか霜柱、つららとか。

それでも草木は逞しかった。その力強い生命力に感動してました。

これ、霜です。 ↓

 

最近の母の食事に、味噌漉しが活躍してます。家じゅうのザルを試してみたら、味噌漉しのアミ目が適格でした。大きさもバッチリ、一食分に 丁度良い。

例えば、

お粥や雑炊は、介護食(舌でつぶせる)も、普通食のも、電動チョッパーでトロトロにする。それでも小さな小さな粒みたいなのが残ってると、母は口から出してくるので、味噌漉しで漉す。(介護食の‘おかゆペースト’などより、普通食のをこうする方が安上がり

 

ミキサー食って、見た目が…食が進みにくい。 なので、トッピングなどを。

‘鮭のソフトふりかけ’ を、同様に漉して、お粥などに乗せると、美味しそうに、その部分だけスプーンで掬って食べたりしてます。

 

ポテトサラダは、人参など取り除いて、フォークでつぶし、漉す。

すると、ふわっとなって、とっても美味しそうになるんです。

小皿に多目に盛っても、完食してくれます。

 

裏ごしまでしなくても、これでいけちゃう。

 

 

 

 

 

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ホットケーキミックス で 蒸しパン ♪

2023-11-05 06:12:49 | 介護

(朝の投稿に 多少補足しました)

ここんとこ、っていうか、もうずうっと私の周りでは、あれやこれや、なんだかんだの連続…。自分なりにがんばって 何とかこなしてるけど、そのせいかどうか、目が不調、ブレて見える(TVの字幕や筆談が見えにくくて困る)。おなかの調子もイマイチ。。それでも母の世話は してかなきゃね。

 

 

母は、最近グッと進んできちゃった。いや、下がってきたというか。アタマも身体も。仕方ないか…。 デイとか お散歩とか、いつまで行けるかしら。。

食事は、一応は自分で食べてくれるので助かる。(体調わるいときは、食欲ゼロで、困惑しました。)

よく途中で手が止まってしまうけど、ひと匙ずつ食べさせると 食べてくれるのです。

もう月単位くらいで食べられるものが変わってきているので、このごろの食事のことを書き留めておこうかしら(自分のため、記録です)。

 

夕飯のおかずは、ムース食。ミキサーにかけたものを、適当な形にまとめてあって舌でつぶせる。充分に柔らかい。

全体に黒っぽいと食欲わきにくいようなので、お豆腐をちょっと入れたり、みじん切りのカニカマを振りかけたり。

主食は、おかゆをミキサーでペースト状に。――これが、このごろ食べなくなってきた。トッピングなど工夫しても。

 

ということもあり、ホットケーキミックスで蒸しパンを作り始めたんです(ネットで見つけたレシピをアレンジ)。

ミックス・ヨーグルト・マーガリン・卵・砂糖。これらを混ぜて電子レンジで。

――パクパク食べてくれて、ホッ

 

 

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