michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護。100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

‘場面かん黙’ の世界って

2017-10-16 21:06:29 | バリアフリー

2年前の写真を見ていたら、こんなのがあった。

ああ、懐かしい。

 

            

 

きのう、Eテレでバリバラを久しぶりに見ました。

テーマは〔知られざる“場面緘(かん)黙”の世界〕。

当事者の方々、よくまぁ取材に応じ、出演してくださったものです。

そのうちのお一人は、「…喉の辺りが…固くなってしまって…」

というようなことを仰ったと思います。

なんとなく分かりますね。

 

ゼンゼン違うけれど、

私も時に、顔がこわばってしまうことが何度もあったし、

ある思い出が…。

 

それは、小学校の3年の頃の記憶。

国語で、指されて朗読するように言われると、立って、読み始めるんだけど、

どうしても声が上ずってくるというか、

まるで泣いているような声になってしまうのです。

クラスメイトは「え?泣いてるの?」という風に振り向く。

そうなると、ますます緊張して、必死の思いでナントカ最後まで読む、ということになる。

(家とかだったら、難なく読めるんですよ。)

 

ああいう時も、喉のあたりが緊張して、硬くなっていたのかも。

なんでこんなこと・・・と思うんだけれど、

どうしようもない時は、どうしようもないんですね。

 

番組では、専門のスタッフが、丁寧に指導したり、

スタジオでも、その方の言葉が出てくるのを

じーーーっと待ったり。

 

少し経ってから、

「あの時、ただ待ってたけど、あれで良かったですか?

どうして欲しかったですか?」と聞いたり。

――その人その人に寄り添って――。

なにか温かいものを感じました。

 

 

 

 

 

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『心象記憶』

2017-10-13 14:22:18 | 想い

いつも母は ヘルパーさんに お風呂に入れてもらっています。

ほっかほかに温まって上がってきて、

その度に「ああ、極楽~」と言うのです。

「こんな、昼間っからお風呂入れてもろてー」

そして、昔のことを思い出し、ニコニコと こんなことを言うのです。

「そのころは全部で10人くらいの家やった。嫁だから、お風呂は一番最後。

michiはまだ小さかったから、眠くなる時間。

寝たらあかん~寝たらあかん~言うて起こしながら入れたんや。」

 

――この話はもう何度も何度も聞かされ、その度にこちらは

「すみませんでしたねぇ。お世話になりましたね」と笑いながら頭を下げるのです。

 

さて、かめおかゆみこさんのメルマガ〔今日のフォーカスチェンジ〕10/4のテーマは、

「自分を幸福にするために」でした。

一部抜粋すると、

 

  そして、あらためて、「心象記憶」の
  おもしろさに気づいたのです。

  私ほど極端でなくても、誰もが、
  記憶のずれはもっているでしょう。

  ということは、
  いま、こうだと思いこんでいること、

  それって、事実とはことなる場合が
  あるということです。


  自分にとって、うれしくない記憶が、
  もしも、自分の思いこみによって
  つくられているとしたら…?

  それを後生大事にかかえている
  必要って、あるのでしょうか?

 

これ、とても共感し、心に深く入ってきました。

そこから思ったんです。

母の昔話は、年齢の計算が合わなかったり、

ん?ほんとに?と首をかしげたくなることもあったりしますが、

母はとにかく、昔を懐かしんだり、目の前の人とおしゃべりしたい、

そういうような気持ちから話をしているのかも、と。

何度も同じ話を聞かされても、

ああ、楽しんでいるのね~、と

受けとめられるようになってきました。

 

 

 

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‘ ただゐるだけで ’

2017-10-02 21:28:50 | 暮らし

こないだの昼下がり。

母は、手記やら年間手帳やら つけてました。

私は、同じテーブルで、母のズボンの繕い。

新しいのを買えば良いのかもしれないけど、

母も私も貧乏性が身についてしまって。。

ウエストを直すのに、どんな風にしたら、と考え考え。

母も、真剣に集中して何やら書いてました。

 

ふと、浮かんだのは「平和だねぇ~。平穏無事でありがたい」という気持ち。

なんだか、母を抱きしめたい想いにかられてしまった。

抱いたりしたら、母はビックリすると思って、写真だけ撮りました。

実際には、日々ナンダカンダあるんですが、

「こんなひと時が、いつまでも続いてほしい」と思ってしまった。

 

 

           

 

読売新聞の投稿句で、こんなのがありました。

   母とゐる ただゐるだけで 秋の夜

これ、これ。

ピッタリ共感して、しみじみと読み返したことでした。

 

 

 

 

 

 

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