『ためしてガッテン』、こないだは「関節リウマチ」がテーマでしたね。
私もリウマチの友人が複数いますので、
どんなことに困るのか、どんな風に痛むのか、など、
見たり聞いたりしています。
その痛みとかは実感できなくても、推測は出来る。
なので頼まれたことには、即 快く応えてきました。
「アッ、こんな場合も手助けが要るんだー」と
驚くようなことが しばしばありました。
そんな風なので、新しい治療法など出て来て、
我がことのように嬉しい。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0230.gif)
さて、番組の最後に あるお便りが紹介され、
これがさらに心に残りました。
それは前回、リウマチがテーマの時に出演された方からのもの。
「出演させてもらって良かった。周りの理解が深まったので――。」
というものでした。
「たとえば、電車に乗っていて、立っているのも辛く、
吊り革につかまったりするけれど、身体はもう悲鳴を上げている。
それで、手すりにつかまりたくて声かけてお願いしても、
見た目には普通の人と変わらない身体なので、理解してもらえないことがある」、
というのです。
バスや電車ってたいてい『優先席』があって、
「身体障がい者・お年寄り・妊婦さん…」などと書いてあるけれど、
座りたいのは、そういう方々ばかりじゃないですよね。
他に、病み上がりの人・内臓の病気の人などなど、色々おられる。
私なんかも、身体障害者ではないけれど、
膝が、、これまで何度も
平地をゆっくり歩くのも辛いほど痛い時期があった。
『優先席』とか設けなくても、
「あの、立ってるの辛いんですが――」と声かけたら、
「あ、そうでしたか」とサッと席を譲るとか、
そんな関係に成り合えたら素敵な社会だな、って思うんです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart_orange.gif)
また、弱視の友人がいますが、
結構フツウに何でもやってのける。
よくよく聞いてみると、
「明るいと割りと見えるけれど、ほんのチョットうす暗くなると ほとんど見えなくなる。」
そして、
「視野が狭くて、まるで小さな穴から覗いているみたい」
というんですねぇ。
こういう見え方とか、
いろんな病気の辛さとか、
実感は出来ないけれど、
気持ちをそちらに向けて推測・想像することは出来る。
互いに思いやることが出来るようになったら、
ああ、
そうなったら、どんなに暮しやすくなることでしょう――。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart2_shine.gif)