michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

若葉と滝の水しぶきを浴びて

2013-04-30 15:26:55 | お出かけ

きのうは お天気上々。

どうしよっかな…と思っているところへ同僚からメール。

急ぎの仕事は特に無いですよ、と。

  こういう連絡、ありがたいですねぇ。

これはもう出かけるっきゃないね。

  あとは野となれ。もとい、翌日がんばるサ。

 

「滝めぐり」してきました。

といっても、有名な観光地ではなくって、

町のガイドブック  には  載っている、という程度のもの。

 

まず、いつも行っている「白藤の滝」は通り越して、

  (この辺りで標高350m。ちょっと涼しくなってきたね。)

さらに登って「二位の滝」へ。

案内板の所に原付を停める。

――なにも音はしない。

  どのくらい降りるんだっけ。山道なんだよね。

と思いながら補聴器を着けると、途端に「ザザザ~ッ」と水音が入ってきた。

  おおっ

ちょっと高まりくる期待感。

笹など手でよけながら降りていく。

 

 この滝の良いところは、簡単に水際まで降りていけて、

手を川に浸したり出来るところ。

 冷たくて気持ち良い~

 

  

さらにその上の「三宝の滝」へ。(宝、という字、実際は旧字体)

これは、何段にもなる滝なんだけれど、

崖を回り込む格好になってて、人は歩けない。

  全ぼうを見てみたいナ。

鳥さんにカメラを担いでもらうとかしないと撮れないのが残念。

上の道路の方から撮ってみたけれど、写真になってみると とっても小さかった。。

  やっぱり白藤の滝が良いナ。

と、戻りました。

いつものように下りはエンジンもかけずにブレーキを握り締めるだけ。

あと、バックミラーをしっかり頻繁に見て。

  

 この辺り、川沿いはモミジがたくさんあって、

  その季節の紅葉は見事なんです。

 今は若葉が青々していて素晴らしい。

 

白藤の滝の手前の、 

赤い橋が塗り替えられていた。

以前のものより、古風な雰囲気の良い色になったね。 

 

 

   (滝の下の方に見えるのは、女性の頭です。

     滝の大きさがわかりますか?)

 

撮っていると、細かい水しぶきが。

も、全身に浴びる。心地よい。

 

 

 ドドド~ッと落ちてくる。

 

 

  イオンか何か知らないけれど、

  心まで潤ってハッピーな気分に。

 

 

 

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否定しない。良いところを評価したいね。

2013-04-29 11:24:30 | TV

今朝、あるサイトでの投稿にグッと惹かれた。

他の人たちがやっていることを、全く否定せずに尊重し、

その上で、元プロとしての

もっと良くしていくためのアイデアを提案しておられる。

  こういう姿勢でいきたいわね。

みんながそんな風に尊重し合い、足していく風潮になれば、

  きっと社会は 変わる。

 

と、誰かに言いたいような気がして、ふと自分を振り返ると…、

否定的な観方を、かなりやってるわね。。人に対しても、自分に対しても。

 

(この花壇、上から見るとかなり花と花の間隔があいてて、土がよく見える。

 でも、しゃがんで横から見ると、「花がいっぱい」って感じ。

 自分の立ち位置や視点しだいなんですね。)

 

 

                 

 

わたしは短歌や俳句が好きで、日曜朝の番組をいつも観てるんです。

どちらも月の最終週には、初心者講座がある。

メンバーは、若いタレントさんなど。

年度初めの作品は、率直に言ってまるで小学生並み。(私もそうなんですが)

それが、一年やっていくと、とても味のある作品を作れるようになるんですねぇ。

 

短歌の番組は、メンバー6人(男性・女性各3人)のうち、

良い作品が作れた4人だけが次の回に出られるんです。

  (私は最初、これビックリしたんですが)

女子チームは、いかにも「今どきの娘さん」といった方々なんですが

かなり本腰が入ってて、

自分で「短歌ノート」を用意したりして、ちょっとした時間を見つけては

短歌を作って取り組んでおられるとか。

 

きのう、次の回に出られる人の発表があった時、選ばれた一人の娘さんが

感涙。もう顔を覆って泣いてしまった。

隣りのもう一人の娘さんも、もらい泣き(実はライバル同士なわけですが)。

 そこまで打ち込んでおられるなんて――。

 

でも、逆に言えば、「君、ヘタだから、次来なくて良いよ」と(暗に)言われた時には、

それはショックでしょうね。。

 

 

俳句の方は、番組の後半、作品の作者名を伏せて、それぞれが評価。

良い作品と、ダメだと思う作品にそれぞれ印をつけていく。

  え? ダメな作品…?

  私は、こういう考え方って、あんまり好きになれないんです。

 

 

評価の低かった作品の作者に、先生は宿題を出された。

分厚い『歳時記』を手渡して、

「この中から好きな作品5つ選んで、暗唱してください」。

…こんな風に、もっと勉強していく手立てを教えてくれるのは良いと思うんです。

 

ある先生は、投稿作品一つ一つを講評されるとき、

「この部分が、こうこうで良いと思いました」

といった感じで、良い部分を取り上げて評価される。

どの作品についても、「ここが良いと思いますね」。

――こういうことは色んな意見があるでしょうが、

   なにか、あったかい空気を感じるんです。

 

 

 

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次の命を。梨も、菜の花も、タンポポも

2013-04-28 07:59:40 | 自然

梨の花。↑ これはおととしの4/26。

今年は もう終わっちゃったね。

他に目をやると、花もまだチラホラとは残ってるけど、

ほとんど同時進行で実が生ってくる。

 今はまだ1cmにも満たないけれど、日ごとにグングンと。

 

 

 

菜の花もそう。

ちょっとは花残ってるけど、種が出来てきてる。

せっせ せっせと 次の命を つないでく。

 

 

 

タンポポだって。

無数の種が、良い風が来るのを待ってるのね。

  飛んで飛んで 拡がってけ~

 

 

 

 

 

 

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その言葉のもつ意味は、

2013-04-27 19:50:32 | つぶやき

言葉というのは大切だけれど、

その言葉が持つ意味を取り違えてしまうことがよくある。

  心していきたいです。

 

 今朝のニュースで、体罰を誤解している先生たちの話題が。

『体罰禁止を過度に意識するあまり』

『子供に絶対触ってはいけないと誤った指導をする管理職もいる』というのです。

  なんとまぁ。。

 

体罰ではないけれど、自分の子どもの頃の体験で、

たった1回、数学の宿題を忘れただけで、その授業の間じゅう

教室の一番前に、床に座らされたことが。(3~4人だったと思う)

今みたいにピカピカのきれいな床じゃないんですよ。汚れっぽい床に、じかに正座か横座り。

すごい屈辱。 も、泣きたかった。

その先生は普段から冷酷な…と言っては言い過ぎかもしれないけれど。

 

また、小学校の3~4年の頃、

校庭で整列するとき、先生は、少しずつ間隔を詰めたりする時、

腕を乱暴につかんで引っぱって直していた。すごく痛かったし、「まるでモノ扱い」と感じた。

「お口ないの? 言ってくれたらすぐに直すのに」と思ったし、

地面の位置を指さすだけでも分かるのに。

 

とにかく、

今朝のニュースは、「体罰」という言葉が一人歩きしているように感じました。

 

               

 

ここで ちょっと気分を変えて――。

 

この拙いblog、ふと気づくと開始してから4年3ヶ月経ってて

  トータル訪問が103,303 IP。 ええ~っ、そんなに 

  閲覧数は その倍。 ワォ~

訪れてくださった方は、前の記事も、つまり2日分くらい読んでくださることが多いらしい。

 

数字って、一般的に「事務的」とか、冷たいとか見られがちですが、

私には これらの数字は 温かい 心の支え です。

もちろん、個人的なメールや声かけなども。

 

 

 

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ゲップ、その意味がわかって見方が変わると

2013-04-26 07:28:24 | 健康・身体

私は、よくゲップが出る。(ふつうの範囲内とは思うけど)

 

ゲップは、飲食のときに一緒に空気をどうしても飲み込んでしまうことが

大きな原因、と聞きました。

  私は食べ方、飲み方がわるいのかしら?

 

ゲップって、欧米(?)では おならより失礼に当たる、って聞いたことがあるんです。

  でも、ゲップ出そうになってるのを止めるって、むずかしいよね。

 

ある健康番組で、「おなら」がテーマになった時の情報。

飲食の際、一緒に入った空気が、胃から腸に降りていくと、おならとして出る(他にも原因あるけど)。

胃からあがって口から出ると、ゲップになるのだそう。

 

――ということは、ゲップが出たら、

  「あ、この分、おならが出ない」って喜んだら良いのね。

 

 

やれやれ。情報ひとつで、困ったこと、になったり、

喜ばしいことになったり。 

  なんか、おっかしいね。

 

  

 

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手話では「パパ」も「お父さん」も一緒。。

2013-04-25 19:39:20 | 聴こえ

きょうは、完全に「つぶやき」っていうか、

「ぼやき」になりそうです。

 

『介護百人一首』に出てきた、「漢(おとこ)」という言葉。

念のために検索して確認してみると、

「男の中の男というような意味の美称」

「このを使用する場合は、生物学上の雄個体であるというような意味よりは寧ろ、勇猛さ、大胆さ、潔さ、堅い信念など、古来より男たるものが持つべきとされている美徳を備えている男前に対して贈られる称号である。」

とありました。

こういうのって、手話ではどう表すのかしら…。

 

また、「お父さん」「父さん」「おやじ」「パパ」など、

手話では、全部同じ。 一緒らしい。

かなりニュアンスが違いますよねぇ。

明治時代あたりの小説では「お父様」って呼んでいたり。

 

わたし自身は、子どもが幼い頃は「お母ちゃん」と呼ばれてて、

「お母さん」になって、息子からは いつの間にか「母さん」に。

あるとき、

電話で友だちと話しているのを聞いていると「おふくろが」と言ってました。

  (そんな風に変わって行くたびに、成長してきたな、と嬉しくもあり、

   だんだん離れていく淋しいような感覚もありました。)

 

手話では、「あなた」は、相手を指差す。

先生は「手話では、相手を指差すことは失礼にならないんですよ」とおっしゃるけれど、

ふだん手話の世界で暮しているわけじゃない私は、やっぱり躊躇してしまう。

 

また、「私は」ってしゃべってて、なにかの時に

「あたしゃねぇ」なんて言いたくなったり、

「僕が」って言ってて、話の流れで 急に「オレ」って言ったり。

  そこに  意味  がある。

「僕」と「オレ」と「ワシ」――全然違うと思う。

 

手話では、そういうのも全部同じのようですね。

 

    手話と同時にそういう口の動きをしてもらえれば、

  ゆ~っくり・ハッキリなら、たぶん読み取れますが…。

  また、特に強調したいときは、指文字を使うとか? 

 

「姑さん」のことを「おかあさん」と言ったりしますよね。

手話では? 『「夫」の「母」』ってするんでしょうか。

  なんか、他人っぽい。

 

さらにさらに、

「とても嬉しい」だったら、「嬉しい」の手話を、うんとオーバーに表現する。

  ただ、それだけ。

でも、「とても嬉しい」にも色々、種々様々あると思う。

 

 

この疑問、ちょっと前にコミュニティでも問いかけたけど、答えて下さる方は現われず、

「同感です」という反応があっただけ。

  私はやっぱり、こんな辺りも大事にしていきたいんですけどね。。

  でも、とにかく大まかな辺りとか伝われば「良し」としたらいいのかしら。

 

 

TVだったら字幕がかなり付くようになったけれど、付いてない番組もたくさんあるし、

生放送の字幕は、時間的にかなりズレが。

図を指しながらの説明などは分かりにくいし、

何人かがポンポン話す番組では、字幕を集中して見ていても誰が言ったものか分かりにくい。

  はぁ。。

  挙げるとキリ無いね。

 

            

  

仲間うちのイベントなどに行くと、おもしろい場面で、隣同士で顔見合わせて笑い合ったりする。

でも、聴こえなくて舞台でナニやってるのか分からない私は、「は?」って感じ。 その瞬間、

相手も戸惑うような微妙な表情になる。その笑顔をどこへ持ってけば良いのやら…と。

そういう時のなんともいえない、自分の周りの調和してない空気がたまらないんです。

 

もし、それから筆談、書いてもらったとしても、

それを読んではじめて「ああ、それでみんな笑ったのか」と分かる。

その時点では、もうほとんど笑えてこない。

 

  わたしは、耳が聴こえる・聴こえない関係なく、

  顔見合わせて笑い合いたい。声あげて思いっきり。

    これって、贅沢な望みでしょうか。

 

             

 

IT関連というのでしょうか、科学技術は、すごいスピードで進歩している。

でも、聴覚障がい者は、フツウの会話すら・・・・・。

 

   本気で開発して戴けないものでしょうかね。

    音声の話を、即 文字に変換するようなもの。

   スマホか、タブレット端末くらいの大きさの。

 

  今のこういう社会の中では、ムズカシイのでしょうかね。

 

                    

 

あぁ、思いっきりグチったら、――ちょっぴりスッキリしました。

 読んでくださって、ありがとう。

 

 

 

 

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ステキな生き方♪『介護百人一首』 その3

2013-04-24 07:43:37 | 健康・身体

NHK『介護百人一首』から、私の心に特に響いた作品。

これで一応最終回になりそうです。

 

                   

 

 「ステキな感性」編。

 


花びらのごとく飯をこぼしつつひたすら食(は)むる姑(はは)を見守る                             

                          小塚 百合子

 

  お姑さまは不自由な手でスプーンを使い、懸命に口に運ぶけど、胸元にこぼしてしまうそうです。

  この「花びらのごとく」と見える感性が、

      ステキです。☆

 

 

 

出歩けぬわれの歌材は限られて話のできる金魚に向かう

                         小松 幸子

 

  このお宅の金魚さんは「話しができる」!?

  日々の暮らしはタイヘンなこともあるでしょうが、

  心の持ち様ひとつなんですね。

 

 


寝たきりの母の世話するわが背(せな)にふっと優しい目差(まなざ)しのあり

                              樋渡 幸江

 

  『後ろを向いている時に優しい視線を感じて、まだ 母に見守られているのだと感じる』とか。

 

 

                    

 

 「目指したい、この生き方」編。

 


三度目のがんの手術に「やってくんな」即答する父昭和の漢(おとこ)

                              植田 由江

 

  なんと、心臓の手術だそう。

   「やってくんな」

  この言葉を、わたしは歯科の治療のときに思い出し、

  こんなことでひるむ自分が恥ずかしくなったものです。

 

 


「やめてくれ」初めて受けた介護拒否気まずいままに終わらせないぞ

                               尾上 優花

 

  実習でこう言われ拒否されて一時は落ち込んだ。

  それでも『この方の信頼を得ることができれば自信につながる』と思われたとか。

  立派です。見習いたいです。

 

 

                                        

 

介護って、やることのタイヘンさも もちろんあるけれど、

時に もどかしくなったり、イライラしたりして、優しくしてあげられない自分が たまらなく情けなくなる、

その心の問題の方が辛い、と聞いたことがあります。

 

また、

愛する人の、そんな様子に心が波立つ。自分の介護のために――。

そんな方もおられるでしょう。

 

日々本当にイロイロあるでしょうに、そんな中でも、

こんな作品が生み出せるって素晴らしいと思います。

100首すべてじっくりと味あわせて戴いて、こちらの胸まであったかくなりました。

  本当にありがとうございました。

 

 

 

 

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ステキな生き方♪『介護百人一首』 その2

2013-04-23 07:51:20 | 健康・身体

さて、おとといからの続き、『介護百人一首』です。

 

 まず「やさしさ編」から。

     (↑こういう分類は、michiが勝手にやっているものです。)

 

「なんでもなゆっくりゆっくりやんなさい」心にそよ風あなたの言葉

                                                          伊藤 蓉子

 

   実習でディサービスを訪れた際、利用者のおばあさんがこう声かけてくださったそうです。

  「心にそよ風」が良いですねぇ~。

 

 

 

 もの言えぬ夫(つま)と暮らして「ああ」と「うん」短き言葉も介護の励み

                             井上 愛子

 

  半身不随と出語障害とか。

  たったのひと言でも、通じ合えればそれで充分。

 

 

 ニコニコと孫と妻との長電話トイレ行きたし続けさせたし

                        齊藤 善次郎

 

  この優しさ。

  きっとお孫さんも、奥様も、愛しておられるんですね。



 


                  

 

「置かれた場所で咲いていく」編

 


広告のおすしをつまむ夫(つま)を見て今夜は決めたおすしに決めた

                                                       小野 久子  

 

   紙いじりが大好きで、いつもテーブルにきれいな色の広告紙を置いておくとか。

   その中にお寿司があった☆  「決めた」「決めた」と繰返し。

  ご主人が食べたいものを食べて欲しいって、

  同んなじ気持ちになっちゃうんですね。

 

 


ベッドから「一番星を見つけたよ」教える姑(はは)の声弾みたり                                                  

                                                栗屋 節子

 

    その、ご自分の置かれた状況・場所で咲いていく。

  暮らしをそれなりに充実させておられたのですね。

 

 

 

 

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『みんなの手話』オープニング曲に字幕が♪

2013-04-22 08:45:54 | 聴こえ

今日も、介護百人一首のつづきを、って思ってたんですが、

もっとおしゃべりしたいことが出来ちゃったので、

もしよろしければお付き合いを――。

 

いつも日曜の夜はNHK『みんなの手話』を楽しみにしてるんです。

とっくに知っている手話も多いけれど、

知らなかった手話、忘れかけていた手話もよくある。

機会あるごとに手話に触れて、スムーズに読み取ったり、

自分の手がサッと動くようになりたい。

 

ただ、この4月から始まったオープニング曲。

あの今井絵理子さんが元気に歌ってくださってるのに、

それなのに歌詞がほとんど聴き取れなかった。

リズムや雰囲気がわかるだけ。

  どんなこと歌ってるんだろう…? 

 

それでNHKさんに投稿したんです。

「手話を勉強したいのは、健聴者ばかりではなく、難聴者もたくさん居るのです。

『(中途失聴・難聴者向けの)ワンポイント手話』は、たったの5分。」

「ぜひオープニング曲に字幕を付けて戴きたい」と。

  (番組全体は、字幕放送なのです。)

 

ほとんど期待はしていなかったんですが、

ゆうべは――、字幕が付いていた。

 

英語がかなり入っていたんですねぇ。

そんなことも分からなかった。

私は英語ってほとんど知らないとはいえ、

あの程度なら、字幕があれば聴きながらたどれるし意味も分かる。

日本語の部分も音楽と重ね合わせながらたどっていける。

    (曲によっては、それすら出来ないことも よくあるんですが。)

ゆうべは曲として充分に味わえました。

 

その時ふっと浮かんだのは、

「私の耳って、こんな簡単な英語や日本語も、字幕が無いと全然分からないんだ…。」

という思い。 

  ただ、ため息。。

 

でも、思い直したんです。

「字幕を付けて」と、きっと他の方もそういう意見・希望を出して下さってたのでしょう。

諦めたりせずに、やっぱり提案・お願いとして出してみるもんだね、って。

 

 

 

 

 

 

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ステキな生き方♪『介護百人一首』 '13

2013-04-21 08:02:37 | 健康・身体

毎年楽しみに拝見している『NHK介護百人一首』。

これが始まった頃は、「障碍者とその周りの人」ということだったと思うんですが、

だんだんと高齢者の介護がテーマになってきたようです。

今の自分に直接は関係ないけど、どの作品も心惹かれる。

年々充実してきて、作品の文学性・芸術性まで高くなってきた。

素敵な生き方。 人間って。 心模様。 夫婦愛や家族愛などなど。

作品ごとに、共感したり、涙したり。クスッと笑えてきたり、また励まされたり。

 

24年度の作品100首の中から付箋を付けたのは16首になってしまった。

いっぺんにアップするのは大変なので、少しずつご紹介したいです。

 

               

 

まず、「ユーモア編」。


ボリュームを最高にあげテレビ見る夫(つま)よ我が家は祭りのやうだね

                              江見 眞智子

  夫さまは耳が遠くなってきたそうですが、

  こんなことも楽しいものにしちゃう~。

 

 


「片山さん」「北山さん」毎日変わる僕の名は最終的に猫の名になる

                             佐山 洋樹
 

  作者は実習生。毎日名前を伝えたそうですが、最終日には・・・。

  なんともはや。。 苦笑している作者が見えてくるよう。

 

 

いらだちて拳をあげる夫(つま)めがけじゃんけんぽいとぱあをだしたり

                               森田 富美子
 

  「ぱあ」とひらがなになってるところが良いですねぇ。

  その場の雰囲気がよくわかる。

  …と、詞書を見てみると、ご主人は体の自由が効かないのがもどかしいらしく、

  物を投げてきたり。。

  でも、『ひょうきんを装ってその場を切り抜けて』こられたとか。

  とても賢明な方だと思います。

  

 

               

 

次に「夫婦愛や家族愛編」

 


ぐずぐずと介護のつらさ並べてもほほえむ夫(きみ)と一緒にいたい

                             梅田 康子

  若年認知症だそうです。

  『おとなしくニコニコしている時ばかりではありませんが――』

  とあり、やっぱり良い時ばかりではないようですが、それでも、

  心から愛しておられるんですね。

 

 

 足首を持つ吾(われ)の手と妻の手が触れ合い母のむつきを替える

                               小林 喜代春

  『12年間、家庭で介護してくれた妻に感謝しています』とあります。

  ご夫婦とお母様の三人、心通い合う温かいご家庭。

 

 

年老いてけんかばかりの夫婦でも食べたいおかず相手に譲る

                             平川 克彦

  『介護される母親と介護する父親。お互いうまくいかず、けんかが絶えませんが、

  本当は「ありがとう」と言いたいのだと思います。』

  相手に食べてもらいたいんですね。

 

――つづく――

 

 

 

 

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『五月の歌』と共に想い出されてくるんです

2013-04-20 07:30:06 | 想ひ出

ここ何日か、ある歌が頭の中で流れている。

も、エンドレスです。

 

   『五月の歌』

       【作詞】オーヴァベック
       【作曲】W.A.モーツアルト
       【訳詞】青柳善吾

 楽しや五月 草木は萌え
 小川の岸に すみれにおう
 やさしき花を 見つつ行けば
 心もかろし そぞろ歩き

 うれしや五月 光は映え
 若葉の森に 小鳥うたう
 そよ風わたる こかげ行けば
 心もすずし そぞろ歩き

 

モーツアルトの曲だったんですねぇ。

私は昔、職場のコーラス部で、毎年この季節になるとこの曲、歌ってました。

(まだちゃんと聴こえてましたので。)

指揮は女性。歌は上手いけど素人で、楽しく踊るように指揮してくれてたっけ。

 

このころは、この私も元気モリモリで、仕事に子育てに、

そしてコーラスにと(アルトのサブパートリーダーでした)

365日24時間、フルフル回転。

まさに目が回るような忙しさを精力的に こなしていた。

 

コーラスは、個々人の趣味というよりは(それも兼ねてたけど)

お客様を歓迎する場で披露したり、

職場の行事で盛り上げるような役割。

 

仕事では、人手が足りないと声がかかれば、「はぁい」と、その部門に移っていったり、

心を合わせて進めていく手ごたえを感じたりしながら、中身の濃い毎日を送ってました。

 

そんな中で、ふと思えてきた。

  「わたしって、こ~んなにもやれるんだー 

そう思った瞬間、どこからか声が聴こえてきた。

 「それ、傲慢になってないかい?」  

それは、神サマの声だったのか、もう一人の自分だったのか。

それとも周りの雰囲気・気風みたいなものからきたのか…。

 

とにかく、それからは しばらく、

なんだか どこを観て どう考えたら良いのか、、

自分の中で暗中模索、不安定みたいな状態になってしまった。

 

あの時の心の状態は、考えすぎて横道にそれてしまったのか、

それとも適切なものだったのかどうか、何年たっても分からない。

 

   楽しや五月 草木は萌え

この歌を思い出すたびに、あのなんともいえない、

波間を漂うような自分が想い出されてくるんです。

  蕗の薹味噌 みたいな、ほろ苦い味と共に。

 

 

 

 

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あっち見ても「あら~♪」こっち見ても「あれ?」

2013-04-18 16:09:45 | 自然

咲いた、咲いた~

朝日を浴びて透けて、

とってもきれい~

 

…とのぞいてみたら、なんか入ってるよ。

ネコのお人形らしい。

落ちてたのかしら?それを誰かが入れたのかしらね。

 

 

 

山吹を眺めていると、なんだか懐かしい気持ちが涌いてくるの。

 

 

 

   

霧の朝。クモの巣が丸見えですよ~、クモさん。

(どってことないので小さな写真にしましたけど、

 michi同様、物好きな方はクリックしてくださいね。大きくなります。)

 

 

 

モミジの葉の付け根あたりから、赤い花が。

これが種になるんだっけ・・・。

 

 

  ふつうに歩けば3分もかからない道中なのに、

  何度も思わず立ち止って撮ってしまった。

    ひどい道草だね。

 

 

 

 

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微妙な心理描写『少しだけ、おともだち』

2013-04-17 18:39:14 | 

こないだ図書館で借りたのは2冊でした。

渡辺和子さんの 『置かれた場所で咲きなさい』と、

もう1冊は『少しだけ、おともだち』。こちらは朝倉かすみさん。

上の、リンクしたところにあるように、

ほんとうに仲良し? 女性たちの微妙な距離感を描いた8つの物語。

です。

 

まだ半分くらい読んだところなんですが、正直いって、

読み始めたときは、「エッ、、こういう本だったの 」って思った。

『置かれた~』の方は、 まるで天使のメッセージのようだったのが、

『少しだけ~』は、対照的に、

人間くさい部分が表面に浮き出ているんだもの。

 

それでも読み進めていくと、

 心理描写がすごい と驚いた。

言葉にできない、もわもわした辺りまで、それなりに伝わってくるし、

感じたものや想いの微妙なニュアンスまで ありありと表現されている。

その辺りに ちょっと触発されそう――。

 

自分だったらね、

こんな風に文学的に書くことは望むべくもないけれど

日常のひとコマで良いから、自分の心の揺らぎとか さざ波なんかを、書き表していきたい…、

なんてチラッと思ったんです。

そうして、その一瞬一瞬をじっくりと見つめ直してみたい。

 

人は、それぞれ、

 * しゃべるのが得意な人(そのまん~ま 喋ることが出来たりね)

 *  聴くのが好きな人(「ふつう」に聴こえる耳を持っていて)

など、色々あるけれど、

そのどちらも不得手(困難)な、自分みたいな人間は、

 * 書いてみる、

というのも「手」としてアリじゃないでしょうかね。

 

 

 

 

 

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前歯・奥歯、それぞれの役割、舌の、それから――

2013-04-16 19:49:04 | 健康・身体

今朝の最低気温は6.1℃。 最高は27.6℃。

――21.5℃の高低ってかなりのもんですよ。

天気予報では聞いてたけど、

  ここまで暑くなるの~

って感じ。

 

そんな中、歯科へ行ってきたんです。

             

やれやれ、そんでも治療の段階、一つ進んだのよね。

 今日一日だけ前歯が無い状態になっちゃった。

それで柔らかいパンなんかも

ひと口に切ってから口に入れるんですよ。 赤ちゃんみたい~

 なんでもそうだけど、無くなって初めて その有りがたさが身にしみる――。

 

ちょっと前には、一時 奥歯が使えなくなったことが。

そうなると、ご飯も食べられず、お粥にした。

 わたしって、100何歳とかになったら、毎食こんな風になるのかなぁ…

なんて思ちゃった。

 

前歯も、奥歯も必要なんですね。

    大事にしなきゃ。

 

なんの時だったか、ふと

  舌の動きも大事なのねぇ

って感じたことが。

ただあごを上下させたのでは 口の中の食べ物は動かず、うまく こなれない。

無意識のうちに舌で、食べ物を良い具合に 移動させていかないと。

 

                  

歯科で、「抜歯したので、昼食は麻酔がさめてからにして下さいね」と言われたので、

「牛乳とかは?」と訊いたら、

「良いけど、唇もしびれているので 漏れてこぼれることがあるので、気をつけて」とのこと。

  アッ、 そうか

唇も大事な役割をしていたんですねぇ、全然気付かなかったわ~。

 

             

これまで何にも考えずに、ただ「ああ、美味しい~ 」なんてムシャムシャ食べてきたけれど、

歯や舌・唇などなど、黙々とそれぞれの役割を果たしてくれてたんですねぇ。

顎も、食べ物を口に運ぶ手だって・・・、

と、どんどん拡がっていきます。

 

 

 

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『2%の余地』これが大切なのね

2013-04-15 15:15:44 | 

毎日のように通る道なのに、毎年見ているはずなのに、

ふと道の脇に目をやると、

「あら、ここにこんな花が。いつの間に? 毎年咲いてた?」

なんて気づくことがよくあるんです。

花はきっと毎年、一生懸命に咲いてくれているのにね。

 

よぉく見ると、12日にアップした花と同じ?

花のつき方、っていうか、枝ぶりががかなり違うんだけど、育ち方で こうもちがうの・・・?

 

置かれた場所で咲きなさい』は、後半にも、「おっ、」と目にとまる文章がありました。

許すための「ゆとり」 2%の余地』っていうテーマ。

  え?すっかり丸ごと信頼するんじゃないの?

と読み進めると、特にこの部分。

 

『…あなたがお父様を亡くして悲しかったその悲しみと、お友だちがお父様をお亡くしになっての悲しみとは、決して同じではない。お互い別々の人間だから、共通するところもあるけれどもわかり切れないところもあるのです。

 人間は決して完全にわかり合えない。だから、どれほど相手を信頼していても、「100%信頼しちゃだめよ、98%にしなさい。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておきなさい」といっています。

 人間は不完全なものです。それなのに100%信頼するから、許せなくなる。100%信頼した出会いはかえって壊れやすいと思います。「あなたは私を信頼してくれているけれども、私は神さまじゃないから間違う余地があることを忘れないでね」ということと、「私もあなたをほかの人よりもずっと信頼するけど、あなたは神さまじゃないと私は知っているから、間違ってもいいのよ」ということ……。そういう「ゆとり」が、その2%にあるような気がします。』

 

――なるほど、これは深い。 大きく包み込むような愛。

その2%の「ゆとり」がとても大切なんですね。

 

完全に丸ごと信頼しきっていると、なにかあったときに

「えっ、こんな人だとは思わなかった。。こんな人を信じきってしまった私がバカだった…

なんてことになって、

自分の中の土台、基盤から もう自分の心 全体がゆらいできたり…。

 

それと、

軽々しく「うん、わかる、わかる~ 」なんて言ったり出来ないんですよね。

  人の心は繊細で、もっと深い。 

 

 

 

 

 

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