蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

人生、最後あたり

2021-06-28 | 無題
作家は、やはり素晴らしい。
知的なオピニオンリーダー。
澤地久枝さん、90歳。
母より2歳下。
超高齢になっても強く太く厚い、揺れないこころを持っておられる。
しかし、専門分野で高名で今も活動、活躍しておられる現役でこそかな、とも思う。
母と似たようなお年頃、同じ時代を生きて来た経歴を調べてみると、一介の田舎モンの母なんぞとは全く別世界の人。
これこそ、唯一無二の価値なんだろう。

しかし、その肝っ玉の太さがわたしの母と似ているのだが、残念なことに、母は唯一無二の無価値。
社会に何の発信力もない。
その娘であるわたしも同じ。
ではあるが、戦中派独特の強さがある。

有名作家女史、澤地さんが超高齢になって仰ることや行動は、わたしの母とあまり変わらないのに、この、唯一無二の価値か、無価値か、で、説得力は全く違う。
生きてきた経緯も大いに影響する。
世の中に対してアピールしなくていい場所にいると、埋没することに何のこだわりもない。
有名人を歳が近いからと、比べてみたりすること自体が馬鹿丸出しなのだが、他人とは思えない部分を感じた。

しかし、高名なこの超高齢作家女史のインタビューを拝読すると、わたしは、「自分教」教祖である母とオーバーラップして、なんだかあまり良い気持ちにならない。
有名な名声ある唯一無二の価値を発する人なら特別なので良いが、わたしの母のような唯一無二の無価値の人は、ただたんに、周りへの配慮に欠ける、自分勝手なふてぶてしいだけの人間として、娘のわたしの目に映る。
自分を過信し過ぎると、家族に迷惑をかける。
そんなことは、つゆとも感じていないだろうけれど。
あの世を目前に、周りの心配やフォローがいかなる大変なものか、まったく本人は想像していない。
お一人様だから周りには迷惑はかけてない、というのは思い上がり。
あの世に行ったその後、身内か他人かは別として、誰かのお世話になる。
強気は結構なのだが、たった一人で生きているわけではない。
たとえ、対価として金銭を支払っているにしても、なんらかの手をかけてもらっている。

しかし、あまり周りへ配慮し過ぎると鬱になり兼ねない。
だが、誰の世話にもならない、と堂々と言い切られると、なんだかなあ、、、と思ってしまう。
強いのは結構だが、人間として丸みや可愛げを感じられない。
まあ、職業柄、そして、唯一無二の価値ある人は、そんな平凡なことを言ったり思ったりしたら、シャープでもなんでもない、切れ味悪く、売れないだろう。
やはりわたしは、唯一無二の無価値グループの人間だなあ、、、と思う次第である。
比類なき人と比べようとする心情は、不毛で意味がない。
論点ズレズレ。
お恥ずかしい、、、。

しかし、どう生きて来ようが、あの世の直前状態、天国の入り口近くでは、どんな人であろうが、共通のものを感じる。

このインタビュー、わたしの敬愛する上野千鶴子さんとのもの。
キレ味鋭い人VSキレ味鋭い人の対談だから、わたしの感性など付け入るスキもない。
当たり前。
羨ましいお二人だ。
しかし、生死観や死に様は、それまで生きてきた経緯とは関係ない部分で、各個人によって確立されているようにも思う。
アウトプットする場所にいるか、いないかにもよる。
自分の考え方や感性、想いを確認するには、他の人たちの考えに触れると自分の具体的な考えを抽出しやすくなる。
なんでも、サンプル、たたき台があると、好き、嫌い、この部分は違う、全くその通り、、、などなど、気がつかなかった思いを具体的に取り出しやすい。

ご紹介いただいたKさん、ありがとうございます。

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