蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

本格的に眠くなってきた

2020-02-12 | 無題
ブログ村エッセイの新星、面白い大学生やわぁ〜。
朝から笑わせていただきました。
広告業界へ、ヘッドハンティングしたい気分です。

で、話は変わり、、、
さて、気の利いた話は、そういうのが得意な人にお任せして、、、

芸術と、わたし。
これ、離婚した夫婦みたいなもので、元の鞘には収まらない。
でも、くっ付いたり離れたり、身近なところをウロウロ。
わたしは、芸術は、鑑賞する派で、決して作る派ではないので、非常にお気楽だ。
好きだの嫌いだの、感想を述べていればよいのだから。
ケーキが芸術的であるなら、感激してすぐには食べられない。
存分に眺めたり、写真撮ったり、ひとしきりキャーキャー騒いで、あちこちに広めたりして、でも最後に食べるんだろうなあと。
芸術を食べる。ぱくり。

では芸術的な味のケーキは?
食べたから味がわかるわけで、食べないで味を芸術認定するわけにはいかない。
ちなみに、わたしは、ケーキでマズイものを食べたことがないので、まあ、だいたい大まかには芸術的であろうが、宗教的であろうが、ケーキは甘くて美味しいと想像する。
国によっては、甘さが強烈なところもあるが、気候や風土も関係しているかも知れない。

もう一題、ブログ村エッセイ、敬愛ブログからお題を頂戴する。
「人に人生のアドバイスする人」
こんな、鬱陶しいものはない。
宗教家か?
はたまた年かさ行かない子供の親?保護者?
宗教家であっても押し付けがましいのは、暑苦しく圧迫される。
だいたい、親はともかく、人の人生に何の権利があって口を挟むのか、意味不明である。
藁にもすがる気持ちの人に対して、人助けならいざ知らず。

ずいぶん前に、仕事の後輩とのやり取りを思い出した。
スタッフで子育てに深刻に悩むママがいた。
そのママの話を、子育ても結婚も児童学も、なんにも経験も知識もない後輩女子Aさんが、しゃーしゃーと、悩めるママにアドバイスしていた。

「そんな時は、これこれこうしたらいいんですよ」

そんなこと、誰でも考えられる。
思うように行かないから苦労し、悩むわけだ。
彼女の浅はかさには、驚いた。
他の事柄も、一事が万事だった。
世の中、そういう人も普通に存在する。

それはそれとして、、、
芸術も解らないが、芸術論はもっとわからない。
わたしから芸術を遠ざけるのは、全く理解できない芸術論の存在だ。

なんの知識も先入観もなく、絵画などを観て楽しんではいけないのか。
自分流の楽しみ方。
難しい解説は必要なのか。
解説を理解するほうが、より理解が深まるとは思うが。
わたしには、横から口を出す、うるさい母親のように感じる。
きっと、ひねくれているのだろう。
素直な生徒ではない。
天邪鬼。

そのくせ、芸術的なものは大好き。
何?これ?
似非(えせ)芸術愛好家?

解らないものは、我流で理解するのが、わたし流である。
そして、わたしが最近一番好きなのは、、、「個性は比較できない」。
個性は唯一無二なので。
しかし、時代の流れ、時流というものがある。
似たような個性の大まかな集団。
個性に似たようなものがあったら、あるいは、同じ個性があったら、それは個性なのか?

と、話がまとまる方向とは逆展開になっている。
眠くなってきた。
道理で、何を言いたいのか、自分でもよくわからないはずだ。