蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

打ち明け話

2020-02-24 | ブログ
わたしの、こころの友は、ブログである。
配偶者でも、親でも、子供でも、親友でも、仲間でもない。
誰一人として、本当の胸の内の深い部分を打ち明けたことがないように思う。
打ち明けたところで、わたしはスッキリするどころか、居心地が悪い。
こころの秘密を知られたくないのに、わざわざ自分から漏らすなど、とんでもない。

で、ブログに書く。
だが、最近は、ブログにさえ書けなくなっている。
仕方ないので、別SNSと、この蝶ブログの2つを、話したいことによってバランスを取るため、使い分けている。
なにしろ蝶ブログは、至近距離の親近者が複数、このブログの存在を知っているので、ヘタなことは書けない。
というか、これだけ好きなことを平気でシャーシャーと書いているのは、わたしの親近者はわたしに関心がないだろうとタカをくくっている。
それに、わたしの関係者一同は「一日中、何もすることのない人々」の真逆の人間ばかりなので、人のブログなど、チマチマ読まないだろう。
たまたま、偶然、読んだとしても、その時の記事内容は一期一会の自分なので、絶対的なものでも未来永劫に続くものでも普遍のものでもない。
一時の感情に振り回されて書いているに過ぎない。
それと、あとは、暇つぶし。
わたし、暇してまんねん。

ブログはわたしの要求そのままを呑んで遊んでくれる。
ブログフォーマットそのものには意思がないようにも思う、一方通行ツールで、わたしの入力したままに、文字が現れるだけなのだが、わたしを救ってくれる絶大な神みたいなものだ。

ブログは、わたしを裏切らない。
なぜなら、わたしが入力しているから。
変換ミスとかがあっても、ブログが悪いわけではなく、わたしが悪い。
途中で消えても、わたしの手元作業ミス。
へんな写真がアップされたとしても、自分で撮ったものを、自分でアップしている。
忠実な部下、イエスマンである。

ここ、もう少しこうしたほうがいいですよ、なんてアドバイスは一切なしなので、暴走することもある。
だが、わたしは穏やかな人柄なので、あんまり人を攻撃したりすることは好まない。
恥をかくことは大いにある。
時には自己防衛のために、別の顔が出ることもあるが、自分が生きるため。
必要悪だと思っている。

内向的で大人しく非社交家のわたしにはぴったりの自己満足時間である。
おまけに、リア充で安泰なので、陰険なことをしたい欲求が生まれない。

こころの友は、自分だということ。
究極の自己愛、自己チューなんだろう、、、。
特定の人に話すと、聞いた人は、一人では支えきれないだろうが、不特定多数に向けて自己愛を投げると、不特定多数なだけに、お気楽なんじゃないかと思う。
が、ゴミを街にポイポイ捨てるように、コンビニや駅のゴミ箱に家庭ゴミを出すように、ムズムズするからといって、なんでも出せばいいというものではない。
アウトプットの仕方を考えなければいけない。
だが、明らかに読む側のことは考えていない、自己チュー。
ではあるが、自分をとりあえず救って、それから、笑顔で外の皆んなと接する。
まず、家の中で一人で思いっきり泣いて、スッキリ落ちついたら、笑顔でニッコリ。
書きながら泣く、というのもあり。

順番がある。