日本に年末年始に行った時に本屋で見かけた太宰治作品集の2番目に収録されている作品がこれ、『人間失格』です。初出は昭和23年(1948)で、作品解説によると作者自身が昭和10年にパビナール中毒で精神病院へ入院させられた時の体験と「自分は当たり前の世間人として、真っ当な生活者として、この世を生きていけないのではないか」という恐れを文学として表現した作品らしいです。
出だしの「はしがき」で大庭葉蔵という「狂人」の写真3葉の説明がされ、最後の「あとがき」で大庭葉蔵の手記と写真が手に入った経緯などが語られ、その間に大庭葉蔵の長い手記が3部挟まれる構造です。手記の部分はまさに作者の自己を語る私小説で、心の叫びが聞こえてくるような真に迫った心情吐露なので、正直楽しめるような代物ではなく、共感できるところがほとんどないので、他人の思考回路を覗ける興味深さはあるものの、読み通すのに忍耐力が必要でした。
作者同様東北の裕福な地主の家に生まれた大庭葉蔵は幼少期から自己の存在価値を疑問視し、家族も含む自分以外の他人を極端に恐れるあまり道化役に徹して決して自分を出さず、他人とぶつからないように生きてきましたが、東京に出て旧制高等学校において人間への恐怖を紛らわすために、悪友堀木により紹介された酒と煙草と淫売婦と左翼思想とに浸る、という傍から見るとただの放蕩生活を送った末に心中騒ぎを起こし、相手の女性だけ死亡してしまったので自殺ほう助罪に問われる羽目になります。結局起訴猶予になったものの混乱した精神状態は続き、将来をどう考えているのかと身元引受人となった父の取引相手に問い質されたのをきっかけにその家を飛び出して、子持ちの女性や、バーのマダム等との破壊的な女性関係にはまり込むようになります。しかし、堀木とのやり取りを経て「世間とは個人ではないか」という考えに至って恐怖心はやや薄れ、漫画家として仕事をし始め、酒を止めよという一人の無垢な女性と知り合い、結婚します。一時充実した生活が続きますが、奥さんが出入りの商人に犯されている現場に出くわし、助けるのではなくただ逃げてしまった自分を嫌悪したことから結婚生活の幸せは破綻し、アル中からモルヒネ中毒、そして自殺未遂と、一気に転落していき、ついに精神病院に入院させられる羽目になったところで手記は終わります。
「ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分が今まで阿鼻叫喚で生きてきたいわゆる「人間」の世界において、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。」
という絶望的な無常観で締めくくられている手記と距離を置いて客観化するために、「私」という人称で語られるはしがきとあとがきを付け加えたという感じがしますが、いまいち客観視できていないのがはしがきでの写真の描写に表れています。「私」の写真の人物に対する嫌悪感。「なんて嫌な子供だ。」と幼年時代の写真を見て言い、「...充実感は少しもなく、それこそ鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで作り物の感じ...」と学生時代の写真に難癖をつけ、最後の年の頃が分からない写真には「特徴がない」「ただもう不愉快」「人間の体に駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか」など悪感情丸出しです。ここに太宰治の自己嫌悪が隠しきれずにあふれ出ているように思います。
あとがきで、「私」がマダムと会い、小説のネタとして提供された葉蔵の手記と写真を見て、その奇怪さから熱中します。「私」がマダムに葉蔵の安否を尋ねると、不明であると告げられます。そして、マダムは「お父さんが悪い」と言い、葉蔵のことを「神様みたいないい子」と語り、小説は幕を閉じます。これにより、いかに葉蔵が自分を隠し、他人を騙すことに成功していたかが強調されているようです。
連載最終回の掲載直前の6月13日深夜に太宰治が自殺したことから、『人間失格』は彼の最後の完成作であり、「遺書」のような小説とも言われています。
よくもまあ、ここまで徹底的に自己肯定感の欠如した人間が居たものだとある意味感心してしまいました。自己肯定感の欠如は家庭環境にあるのでしょうけど、そこから淫蕩、酒・薬物に溺れて現実逃避をし、逃避しきれなくなると自殺を図るという典型的なうつ病患者のようですね。その絶望感を創作のエネルギーに変換できたところが彼の才能だったのかもしれません。