徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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スペイン旅行記~マドリード(1)航空会社・ホテル・レストランなど

2018年10月06日 | 旅行

2018年9月26日から10月2日まで6泊7日でマドリードに滞在しました。初日を除いて晴天が続き、日中の最高気温は25~30℃、最低気温は17~20℃でした。旅行に適した気候でしたね。2日目にマドリード旧市街を案内してくれたガイドさんによると、地元では「マドリードには冬が3か月あり、残りは地獄」と言うんだとか。特に8月は熱地獄のようで、日中は40度以上、雨なし、風なし、なのだとか。このため、「マドリードに行くなら秋」と考えたのは私たちばかりではなかったようで、観光客がかなり来ていて、定番の観光名所などはかなり混雑してました。

マドリードは言うまでもなくスペインの首都で、人口350万人、ヨーロッパで3番目に大きい都市です。にもかかわらずこれといったランドマークがないのも特徴です。1516年にハプスブルク家のカール(カルロス)1世(同時に神聖ローマ帝国皇帝カール5世)がマドリードを首都に定めるまでは、防衛の要所ではあったものの小さな地方都市でしたので、旧市街の街並みは16~17世紀のハプスブルク王家による建造物と18世紀のブルボン王家によるバロック建築が支配的です。

観光名所などは後に記すとして、まずは飛行機やホテルについて。

飛行機

飛行機はAir Europaで、デュセルドルフ10:35発~マドリード13:05着、帰りはマドリード15:10発~デュセルドルフ17:45着のチケットを格安(一人当たり約123€)で購入しました。

が!しかし!!! 行きは1時間半遅れて、帰りはいったん搭乗した後に整備のやり直しのために降ろされて、さらにマシン交換となり、3時間以上の遅れとなりました。どこのエアラインでも運が悪ければそういう問題が起こるものなのでしょうが、行き帰りの両方だったので、Air Europaの評価は最悪です。格安だけあって、機内食はすべて有料ですし。とにかく帰りが最悪でした。デュセルドルフに着いたのが20:10くらいで、それなら20:50のボン行きの最後の直通電車に乗れるかと期待したのですが、荷物受取の場所まで相当距離歩かされた挙句、なかなか荷物出しが始まらず、自分たちのスーツケースを受け取った時点ですでに電車が出てしまいました。(´;ω;`)

デュセルドルフ空港からボンまでの接続は1時間1本の直通電車を除けば、すべてケルン乗り換えになってしまいます。乗り換え接続も夜遅くなるとかなり悪くなるので、飛行機の3時間の遅れはかなり痛かったです。結局帰宅したのは翌日の1時くらいになってしまい、疲れ果ててしまいました。Air Europaには二度と乗らないと誓いを立てたくらい腹を立てました。デュセルドルフ空港の利用も今後は控えようかと考えています。ケルン・ボン空港であれば、最悪タクシーで帰宅しても50€くらいで済みますが、デュセルドルフからだとタクシー代は最低でも150€、下手すると200€になってしまうので、かなり手痛い出費になってしまいます。

空港と電車の接続という意味では少し遠くなりますが、フランクフルト空港の方が逆に便利かもしれません。

とにかく、Air Europaはサイテー!!!

というわけで、今回の旅行の思い出は大分割り引かれてしまってます。

ホテル

宿泊したホテルはマドリードの中心地ではなく、北東部の郊外・コンセプシオン地区にあるNovotel Madrid Puente de la Pazという4つ星ホテルです。セビリヤの時もNovotelに泊り、いい感じだったので今回もそんな感じを期待していたのですが、残念ながら期待は裏切られました。設備の老朽化が進行しており、洗面所の水はけが悪かったり、絨毯の痛みが目についたり、ベッドの軋みが激しかったりして、部屋が快適とは言い難かったのです。

 

従業員のサービスはよく、朝食ビュッフェもなかなか豪華でしたが、保温装置が不十分で、ちょっと遅めに行くと調理されたものが若干冷めてしまっているという難点はありましたが。以下は朝食の写真。

     

 

ホテルでは初日だけ昼食ビュッフェを利用しました。お味はちょっと残念な感じでしたね。デザートは豊富にあって美味しかったのですが。

  

一応屋外プールもついてます。小じんまりしてますが、深さが両端で違います。カフェのテラスからプールへ降りてすぐの側(下の写真の手前側)が深くて、1.3メートルくらいでしょうか。反対側は階段もあり、60~70センチくらいだと思います。私がプールに入ったのは一度だけですが、外気温が30℃近くあっても水温は23℃くらいだったので、温水プールに慣れた軟弱者の私には若干冷たすぎる感じでした。なので結局一度入った後はプールサイドでゴロゴロしていただけでした(笑)

 

なんでこんな郊外のホテルを取ったかと言えば、2か月近く前にBooking.comでベストディールとして出ていた街中のホテルを、ダンナの言に従って「様子見」してしまったため、数日後にはすべて売り切れになってしまい、慌てて別のホテルを様々な旅行サイトで探したら、もう値段の高い所しか残ってなかったのです。6泊で1000€超えるところはさすがに予算オーバーなので、しかたなく郊外のホテルに目を向け、Arcor ホテルの会員になっている私はIbisやNovotelやMercureに10%割引で泊まれるので、このNovotelにした次第です。Arcorのサイトでも街中のホテルは売り切れでした。マドリードの行楽シーズンは侮れませんね。2か月前ならまだ時間があるように思いましたが、本当にいいホテルを手ごろな値段で取りたかったら、「様子見」をする余裕はないということを今回のことで学びました。

レストラン

時系列は無視して、まずは旧市街の中心地、Plaza Mayor や Mercado de San Miguel のすぐ近くにある伝統的なレストランからご紹介いたします。

Meson del Champnonは、Cava San Miguelに立ち並ぶ洞窟レストランの1つで、名前の通りマッシュルームを専門としています。1皿7€だったと思います。観光地にしては安いのかもしれませんが、アンダルシア州の相場に比べればやはりやや高めですね。でもとっても美味しいです。

 

マッシュルームとピーマンの揚げ物

伝統的なレストランのわりには、メニューがタブレット端末で、言語が選べるようになっているのが驚きでした。外の看板も多言語対応で、日本語もあります。カタカナで「マッシュルーム」と書かれているのですぐに分かると思います。外国人観光客対応がばっちりですね!

もう1件同じ並びにあるLa Bodega Bohemiaにも行きました。パエリアが得意料理のようですが、ものによってはハズレのお品もあるみたいです。

  

私が食べたのはArroz negroというイカ墨ごはん。なかなか美味しかったです。ピーマンの揚げ物も期待を裏切らない味でした。まあ、失敗しようがないという話もありますが(笑)

ダンナの頼んだ、ソーセージの入ったスープみたいなものは失敗だったみたいです。

 

 価格は相場通りだと思います。全体評価は平均点でしょうか。「ここは外せない」というようなお勧めではないです。

すごくお勧めなのは、旧市街からは離れてますが、ショッピング街として有名なサラマンカ地区にあるタパス・レストラン「Lateral」です。値段も手ごろで、タパスの種類も豊富です。地元の人に人気があるようで、夜9時以降かなり混雑します。英語対応できる従業員は限られているので、呼び鈴で従業員を呼んでも、英語ができる従業員がくるとは限らないので、スペイン語のできない観光客には不便かもしれません。でも、とっても美味しいんです。

 

取り敢えずビールとお水。そしてガスパッチョ。

ハムコロッケ。アンダルシアでは見かけたことなかったんですが、マドリードではほぼどこにでもコロッケ(Croqueta)があります。チーズや魚が入ってるものもあり、どれも美味しいです。

野菜天ぷらにヨーグルトソース。果たしてどんな味がするものやら疑問でしたが、これがなかなかいけるんです。絶妙な組み合わせ。

スペインに来たらたこ足は外せません( ´∀` )

イベリコ豚も外せませんね。こちらはダンナのチョイス。

最後にスペアミントティーを飲んでみました。

 

次は絶対に行ってはいけないレストランをご紹介します。サラマンカ地区から割と近い、Recoletos駅や国立図書館・博物館のあるPasseo de Recoletosの車道に挟まれた緑地帯にテラスとパビリオンを出している「El Espejo」というレストランです。サルスエラ・ディナーショー(下)をやるレストランから近く、ディナーショーの時間を間違えて連絡されたために入れずに、しかたなく雨宿りもかねて入ったのがここだったのですが、見かけはなかなかおしゃれっぽい感じでも、サービスはそれほどよくありませんし、高価格。そして何よりも許せないのが、美味しくないこと。値段が高くても美味しければ納得がいきます。でもまずいのは全然納得できません。結局ここで食べたご飯がマドリード滞在中の食事で一番高かったです。二人で52€(チップ抜き)。他のところでは大抵40~47€(チップ込み)で済みましたので。

 

    

スープ、チキン、サーディンと赤ピーマン、ズッキーニの揚げ物はまあまあ何とか食べ切れるレベルで、チキン入りサラダが全然無理な味でした。ソースとサラダの調和がとれておらず、葉っぱはしなびた感じで、新鮮な野菜の食感ゼロでした。チキンは乾燥しすぎでした。

外観につられてうっかり入らないように気をつけてください!

 

Zarzuela(サルスエラ)

スペインといえば闘牛やフラメンコを思い浮かべる人が多いでしょうが、闘牛は動物愛護の観点から全く見る気はしませんし、フラメンコはすでにアンダルシア旅行で見ているので、今回はスペインのオペラ・サルスエラを見ることにしました。

とはいえ、オペラ座に入ってかしこまって観劇するのではなく、La Castafiore というレストランで毎夜9時からあるディナーショーに行きました。チケットはGetYourGuideで購入。ここのサイトの日本語訳では「ザルズエラ」となっていますが、スペイン語のZは「θ」の音ですので、カタカナ書きするなら「サルスエラ」が正解です。

ウイキペディアによると「1657年、スペインの劇作家、宮廷詩人であるペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカと、スペインのバロック声楽の作曲家フアン・デ・イダルゴ (Juan de Hidalgo) による喜劇の新作 "El Laurel de Apolo"(アポロの月桂樹)が、マドリード市外の別荘サルスエラにおいてスペイン国王フェリペ4世とマリアナ妃、廷臣たちの前で上演されたのが、この新しい音楽様式がこの名で呼ばれるようになった始まりであると考えられている」そうです。

というわけで、スペイン独特のオペラ作品が聴けると期待してディナーショーに行きました。ところが、スペイン独特の作品はむしろ稀で、歌われたアリアのほとんどが「ラ・トラビヴィアータ」や「カルメン」、「リゴレット」の「ラ・ドンナ・エ・モビレ」などの有名オペラのアリアでした。残念と言えば残念ですが、それはそれで楽しめました。

歌うのはウエイターのうちの二人とウエートレスの二人の計4人。第一線のオペラ歌手とは違いますが、間近で聴く迫力はあり、なかなかのものでした。

 

ショーの流れは、まずは飲み物と前菜が供され、お客が前菜を食べ終わったころにアリア2・3曲。

   

メインディッシュが供され、またお客が食べ終わったころにアリア2・3曲。

 

デザートが供され、またお客が食べ終わったころに数曲連続でデュエットやカルテットで歌われます。また、観客に一緒に歌うように促すこともあります。

 

 

今は楽譜もタブレットにロードして演奏できるのですね。タブレットであれば楽譜を照らす照明器具が必要なくて、暗い環境でも便利ですね。ピアニストの人がタブレットを使っていたので感心しました。

ディナーのコースはいくつかありますが、どれも美味しかったです。まあ、舌鼓を打つほどではないかもしれませんが。ディナーを美味しくいただきながら、オペラ(のさわり)を間近で堪能できる良い体験だと思います。

このレストラン「La Castafiore」はColonという地下鉄の駅から徒歩5分くらいのところにあります。RenfeのRecoloetos駅からも近いです。オペラを気軽に楽しみたいというか単位はお勧めですので、ぜひ立ち寄ってみてください。

 

観光名所など「スペイン旅行記~マドリード(2)観光名所その1」へ続く


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

スペイン・アンダルシア旅行記(2):セビリア

スペイン・アンダルシア旅行記(3):モンテフリオ(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記(4):グラナダ

スペイン・アンダルシア旅行記(5):グアディックス(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記 II(1):マラガ

スペイン・アンダルシア旅行記 II(2):グラナダ~アルハンブラ宮殿

スペイン・アンダルシア旅行記 II(3):シエラネヴァダ山脈

スペイン・アンダルシア旅行記 II(4):アルメリア

スペイン・アンダルシア旅行記 II(5):カボ・デ・ガータ(アルメリア県)

スペイン・アンダルシア旅行記 II(6):アルムニエーカル

 


書評:横山秀夫著、『クライマーズ・ハイ』(文春文庫)

2018年10月06日 | 書評ー小説:作者ヤ・ラ・ワ行

『クライマーズ・ハイ』は2003年1月に発表され、2006年に文庫化された作品。

第一ハング

主人公は北関東新聞の古参記者・悠木。現在の年齢は52歳。17年前の1985年に同僚の元クライマー・安西に誘われ、谷川岳に屹立する衝立岩に挑戦する筈でしたが、彼と待ち合わせしていたその日、御巣鷹山で日航機が墜落し、悠木は全権デスクを命じられて、安西との約束を守れませんでした。一方安西の方は、当日午前2時に繁華街で倒れているところを発見されて病院に運ばれ、そのまま意識が戻らず、植物状態に。「下りるために登るんさ」という謎の言葉を残して――。悠木は安西の息子と今衝立岩に挑戦します。17年前の出来事やそれ以前の彼の過去がフラッシュバックし、大半のページが過去に割かれます。日航機事故を彼がどう思い、全権デスクとして社内政治に翻弄されつつどう切り盛りして紙面を作っていったか。その一方で、安西の最後の日の足取りも追っていきます。また、以前に事故とも自殺ともとれる形で新米記者を死なせてしまったこと、その事件が悠木の身の振り方に与えた影響なども回想します。記者として、夫として、父として、友としての苦悩、怖れ、義憤、怒りなどが比較的淡々と描写されています。

そして、山登りを通じて、安西の息子の心細さを救い、悠木の息子・淳との親子関係を改善し、自分自身の過去を逡巡しつつも徐々に克服していく様子には山登りなどしない私でも共感できます。   

1985年の日航機墜落事故は私も朧気ではありますが、覚えています。生存者の一人だった少女がかなり取り沙汰されていたように記憶しています。あれからいくつも飛行機墜落事故があり、大勢の方がなくなりましたが、それでも520人亡くなった日航機墜落事故の規模を上回る墜落事故はなかったように思います。

作品中で20歳の女性の口を借りて「軽い命と重い命がある」という問いかけはマスコミばかりでなく、私たち一人一人が自分に問いかけ考えて行かなければならないと感じました。例えば、2001年9月11日の飛行機2機を用いたテロで約5000人の方が亡くなりました。追悼報道は言うまでもなくたくさんあり、遺族たちのためにたくさんの義援金が集まり、911の犠牲者を悼み、アメリカに同情する空気が作られて行ったのをよく覚えています。でも、その後に続いたオサマ・ビン・ラデンを追い落とし、テロリストを殲滅戦とアフガニスタンに乗り込んだ米軍を始めとする有志連合軍の攻撃で亡くなった多くの罪のない人々に対してはどうでしょうか。   

2010年代になって「イスラム国」のテロがネットの普及と共に世界中に頻発するようになり、一件一件は犠牲者も数人から数十人で規模こそ小さいですが、そのテロが欧米で起これば大きく報じられ、「イスラム国」に対する憎しみが増長されます。しかし、そうしたテロがほぼ日常的に起こっているアフガニスタンやイラクなどでテロがあっても欧米人や日本人が関わってなければニュースは軽く流されるだけです。日本では報道すらされないかもしれません。こうしたテロの犠牲者たちの命は確かに軽く扱われているとしか言いようがありません。そして大抵の人は関係のない「対岸の火事」としか捉えず、数日もすれば忘れてしまいます。私はそれが悪いと言うつもりはありません。世界中に溢れる悲惨な死・死・死・死・死。身近な人の死以外の多くの死を一々真剣に受け止めていられるほど人間の精神は強くないので、一種の自己防衛手段として感覚が鈍化し、麻痺するようにできているのではないかと考えられるからです。   

けれども、時として立ち止まって考え、命の尊さを噛み締め、命は数字では計れないということを改めて想起し、感覚を研ぎ澄ます必要はあると思います。   

そういうことを考えさせられる作品でした。   


書評:横山秀夫著、『第三の時効』(集英社e文庫)

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書評:横山秀夫著、『動機』(文春文庫)

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