徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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【ドイツの緊急事態】というデマの真相:新民間防衛構想

2016年08月23日 | 社会

【ドイツは緊急事態!】はお笑いネタ

昨日(8月22日)テレビでニュースを見ていた時は、この「新民間防衛構想」がこれほどドイツ国外、特に日本で話題になるとは思っていなかったので、ブログ記事にするまでもないだろうと考えていたのですが、あまりにもデマが酷いというか、ネット住民のリタラシーレベルが低いというか、なんか情けない限りなので、やっぱりブログで取り上げることにしました。

ちなみに私のダンナ(ドイツ人)は、日本語のネットで「ドイツは緊急事態!」というデマが飛び交ってる、と私が知らせたら、ひたすら大笑いしてました。「情報が短縮されすぎて勝手に妙なデマが独り歩きするいい例だ」と、笑いをこらえながら指摘。私の同僚たち(全員ドイツ人)にもこの話は大ウケでした。余りにも事実とかけ離れているため、なんでそうなるのか理解できず、笑うしかない、という感じです。

デマが発生した原因(私見)

推測に過ぎませんが、日本語デマの元はBBC日本語版の「ドイツ政府、国民に水・食料の備蓄呼びかけ」という記事だったのではないかと思われます。この記事自体はBBCのオリジナル記事「Germans told to stockpile food and water for civil defence」を日本語訳したに過ぎないのですが、これ自体も少々不正確なタイトルです。

しかしながらこの「ドイツ政府、国民に水・食料の備蓄呼びかけ」というタイトルだけ読んで、「ドイツは緊急事態なのか?」という早とちりに繋がったのではないかと考えられます。それがはてなマークまで取れて、「ドイツが緊急事態に!」に変質したり、「ドイツ銀行緊急事態」と尾ひれが付いたり。記事中の「戦後70年間で、こんな声明は初めて。」という文言は更にひどいデマです。食料品などの備蓄の推奨は決して新しいものではなく、以前から災害対策などの関係で「民間人保護(Zivilschutz)」コンセプトの枠内で奨励されてきました。

また、「ドイツ銀行が危ない」とは前から言われていますが、これと緊急事態が結びついてしまったのは、食料などの他に現金も各家庭で備えておくことが推奨されていたからでしょう。災害時に広域停電になれば、ATMも機能しなくなり、現金引き出しは不可能ですし、カード払いも電話回線などの通信が不能であればやはり不可能になります。そういうことがシナリオ想定されている、という方が余程信憑性があるのに、信憑性が薄くとも刺激的なネタに飛び付くネット住民の低俗性が妙なデマの流布の原因なのかも知れません。

付け足し:「背景にはドイツの財政危機?」などという憶測も。日付は2016.08.26。

デマの真相

真相は拍子抜けするほど単純で、1989年の冷戦終了以来防衛的観点からは更新されていなかった「民間防衛構想」の改定版が、2012年のドイツ連邦議会の財政委員会の依頼に基づいて作成され、この度完成した、と言うだけの話です。これは防衛白書(Weißbuch für die Sicherheitspolitik)に並行して作成され、8月24日に内閣で審議されることになっていましたが、独紙フランクフルター・アルゲマイネ(Frankfurter Allgemeine Sonntagszeitung=FAS)が8月21日に既にリークしたため、余計な波紋を起こしてしまったようです。このため政府のこの件に関するコミュニケーション管理の在り方も批判の的になっています。

以前は「民間人保護(Zivilschutz)」という用語を使っていたのに、今回の改定では「民間防衛(Zivile Verteidigung)」が使用されていることに関して、ドイツ政府は8月22日の記者会見で「用語がいつ変わったのかは定かではないが、重点が防衛の方に移行したことに起因する」と回答しています。因みに「民間人保護」コンセプトの方は1995年が最後の改定でした。

新民間防衛構想に対するドイツ人のツイッター反応

政府が発表した新民間防衛構想及び食料品等の備蓄に対するドイツ人たちの反応はツイッターのタグ#Hamsterkaeufe #Zivilschutzkonzeptでざっと見ることができますが、ジョークのネタになっていることが多いようです。

下のツイートは8月21日のもので「【ハムスター買い】を日曜日に話題にする。まさしく俺的ユーモア。」いわゆる「買いだめ」をドイツ語では「ハムスター買い(Hamsterkäufe)」と言います。日曜日にそれを話題にすることがなぜおかしいのかと言えば、ドイツでは日曜日はガソリンスタンドなどを除く全てのデパート・スーパー・商店が閉まっているからです。

 

次のツイートは「今私のハムスターを太らせているところ。こういう時代の純粋な事前の備え」とコメントしてます。「ハムスター買い」に引っ掛けたジョークであることは言うまでもありません。

次のツイートはスマートに一杯詰まれたバナナの写真。コメントは「連邦政府はハムスター買いを推奨。最初のストップは八百屋。これで10日分足りる。」

次のツイートは独紙南ドイツ新聞の2016年8月22日の記事へのリンク。コメントは「新民間防衛構想をアルバート・シュミットは全く評価していない。彼はとっくにプライベートブンカー(貯蔵庫)を持っている」

 

民間防衛構想の法的根拠

「民間防衛(Zivile Verteidigung)」に相当するものはドイツ基本法第73条第1項に、連邦機関(政府あるいは連邦議会)が独占的に立法権をもつ項目の一つとして、外務関連と並んで最初に挙げられています。

原文(Grundgesetz, VII. Die Gesetzgebung des Bundes ― 基本法、第7章 連邦の立法):

Art. 73 [Gegenstände der ausschließlichen Gesetzgebung] Der Bund hat die ausschließliche Gesetzgebung über:
(第73条 【独占的立法の対象】 連邦は以下の項目に関して独占的な立法権を有する:)

1. die auswärtigen Angelegenheiten sowie die Verteidigung einschließlich des Schutzes der Zivilbevölkerung
(第1項 外務関連及び民間人保護を含む国防) 

すなわち、民間人保護を含む国防に関する法整備はドイツ政府及び連邦議会の義務であり、州の代表者たちの集まりである連邦参議院の承認を必要としないということがここで規定されているわけです。

ドイツ及びNATOを取り巻く状況は変化してきているにもかかわらず、民間防衛コンセプトは1989年の冷戦終了を最後に全く更新されていなかったのは問題ということで、2012年に改訂版を出すことが決定し、今それが完成したので公表した、という話なのです。「4年間も何してたんだ」という疑問は残らなくもないですが。

とにかく改定が決まったのは2012年のことですので、難民問題もロシアやトルコとの緊張関係も金融危機も、そしてつい1か月ほど前に連続して起こったテロあるいは暴行事件も全く関与していません。また、政府は、正確には国民に備蓄を【呼びかけた】わけではなく、民間防衛の新コンセプトを公表しただけです。そのコンセプトの中に「食料は10日分、飲料水は5日分及び現金を各家庭で備蓄することを推奨する」という項目が含まれてる、という話です。

民間防衛構想の内容

その69ページに及ぶ「民間防衛構想」にははっきりと、「従来型の国防が必要となるようなドイツ領土への攻撃はまず考えられない(…)それでも将来、基本的に除外することのできない、そのような存続危機的な状況に適切に備えておくことは、安全性配慮の観点から必要なことである」と明言されています。非常に回りくどい文ですが、要するに「備えあれば患いなし」だから、ことが起こってから慌てないようにあらかじめできる限り計画を立てとくのが国の役目だ、と言っているわけです。

日本の原発再稼働のように避難計画の具体化は後回しで、取りあえず動かしてしまいましょう、というような態度とは正反対のスタンスですね!日本では「想定外」ばっかりです。

オリジナル文書「民間防衛構想」の解説は、拙ブログ記事「ドイツ:新民間防衛構想、本日(2016.08.24)閣議決定~【緊急事態】ではありません!」に書きましたので、興味のある方はご覧になって下さい。

この新民間防衛構想には、徴兵制の復活国家機関待避所(Ausweichsitz der Verfassungsorgane)」の構築なども暗に含まれています。

徴兵制再導入の可能性

ドイツでは2011年7月にそれまでの徴兵制を停止し、職業軍人による軍隊へ移行しました。ウルズラ・フォン・デァ・ライエン防衛相は今年6月末に、「ロシアとの緊張関係やイスラム原理主義のテロの脅威があっても、徴兵制を再導入する理由はない」と明言したばかりです。

しかし、徴兵制停止の際に、徴兵制を定める基本法第12a条が変更されなかったため、実はいつでも簡単な法改正で徴兵制を復活させることができます。独紙ケルナー・シュタットアンツァイガー(Kölner Stadt-Anzeiger)の「徴兵制廃止から5年。民間防衛計画の更新に伴い徴兵制復活か」という2016年8月23日付けの記事によれば、徴兵制と言っても、軍隊への民間協力という形が念頭に置かれている(つまり戦士として戦地に派遣されるわけではない)とのことです。主に軍隊の移動の際の一般道路の交通整理だとか、軍用建物の補強作業だとか、そういう作業が想定されています。恐らく人手が足りない場合の数合わせ的な意味合いが濃いものでしょう。

基本法12a条第2項で、倫理的な理由から兵役を拒否し、民間部門で代用任務に就く権利も保証されていますので、どちらにしても本人の意思に反して兵役を義務付けられることはありません。

国家機関待避所

「国家機関待避所」の構築も国防コンセプトではお馴染のものです。東西ドイツ統一前の西ドイツの首都がまだボンにあったころはこの待避所(俗に「政府ブンカー」)がアールヴァイラーにありました。拙ブログ「ドイツ・ワインの谷、アールヴァイラー」でも紹介しましたが、NATOの指示によって、1960年から1972年にかけて元鉄道トンネルを利用して極秘に建設されたもので、現在は博物館になっています。ここで1966年から1989年まで2年ごとにNATOの演習が行われ、真剣に第3次世界大戦のシミュレーションなどが行われていました。1997年に施設の放棄が決定し、2008年に博物館として残された部分を除き解体作業が完了しました。これのベルリン版を再構築するみたいですが、まあ、これが具体的に一般公表されることなどないでしょう。一応国防に関する極秘事項に属する筈ですから。他国の諜報機関などには情報が洩れていると考えられますけど。「国家機関待避所」に関しては連邦安全保障会議でも審議されるとのことです。

アールヴァイラーの政府ブンカーは一応ヒロシマ型原爆程度の威力になら耐えられる強度を持つよう設計されていましたが、ブンカー建設当時には既にもっと威力のある原爆が開発されていたので、最初から時代遅れの役立たずでした。その「役立たずさ加減」を立証せずに済んだのは僥倖と言うべきでしょう。

終わりに

こうしたブンカーはもう冷戦時代の遺物ですが、それでも万一に備えておくと同時に、新たな脅威としてのテロや原発過酷事故、サイバーアタック等々のシナリオを想定し、対策を練ったものが新民間防衛構想です。8月24日に内閣で審議されることになっています。繰り返しになりますが、審議が予定されているだけで、緊急事態宣言やそれに近い政府声明が出されたわけではありませんので、くれぐれもデマに惑わされないよう情報源を精査することをお勧めします。

ある記事が信用に値するかどうかは、その記事がどれだけ信頼できるソースを参照し、引用元としてあるいは参考記事・文献としてきちんと生きたリンクが張られているかどうかで決まります。
あとは刺激的に煽り立てるような内容であるか、冷静な分析であるかでも違いが分かります。前者ならデマの可能性大、後者なら参照文献等がきちんと明記されていれば信憑性は高い。執筆者がジャーナリストで独自取材している場合は、いつ、どこで、誰からあるいはどういう関係者から情報を得たか、あるいはインタヴューしたか通常明記してあります。それがなければ、やはりデマの可能性大なので、独自に検索して、確認する必要があります(興味があれば)。 

また、現地からの正確な情報があるにもかかわらず、デマのほうを信じる方が貴方のフォロワーあるいはFBFにいる場合は、その方たちとのお付き合いを考え直すことをお勧めしたいです。

参照記事:

BBC日本語版、2016.08.23、「ドイツ政府、国民に水・食料の備蓄呼びかけ
BBC、2016.08.22「ドイツ人は民間防衛のために水・食糧の備蓄を勧められた
フランクフルター・アルゲマイネ日曜版、2016.08.21、「このように連邦政府は戦時に対応する
ドイツ連邦政府ホームページ、「8月22日の政府記者会見」 
ケルナー・シュタットアンツァイガー、2016.08.23、「徴兵制廃止から5年。民間防衛計画の更新に伴い徴兵制復活か 
ドイツ連邦内務省 、2016.08.24、民間防衛構想(Konzeption Zivile Verteidigung=KZV)
ドイツ連邦議会のホームページ、「基本法