徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

ドイツ・バイエルン州周遊旅行記(4)~バイエルンの森・ガラス街道

2016年08月05日 | 旅行

バイエルンの森はレーゲンスブルクからパッサウに行く途中にチェコ国境の方へ寄り道する感じの位置にあります。

7月28日は、レーゲンスブルクにほど近いドナウシュタウフに寄った後、バイエルンの森でただひたすら緑の中を散策し、頭を休めるはずでした。それなのに、こんな天気… 

 

  

 

仕方がないので、緑の中の散策は諦め、ヨーロッパ最古のガラス製造中心地の一つ、フラウエナウ(Frauenau)という村にあるガラス博物館に入りました。国立公園バイエルンの森のほぼ真ん中にある集落です。

屋内オプションはいいのですが、また頭を使わなくてはいけないのが玉に瑕。

ガラス博物館は、外もガラス芸術作品が多く展示されています。敷地内にはガラス工房もあり、見学できるようになっています。私たちはモンシャウというところでガラス工房見学をしたことがあるので、こちらでの工房見学は割愛しました。

  

博物館に入って、まず目についたのが、チェコ語表記です。ドイツ語・英語の次にチェコ語。さすが、チェコの国境が近いだけあります。ベルギーやフランスの方が近いドイツ西部から来ると、実に新鮮な驚きを感じました。

ガラス博物館は、人類のガラス製造の歴史からスタートし、ガラス製造の歴史を展示物とパネル解説やオーディオ解説などで現代までたどることができるようになっています。もちろんローカルなガラス製造の歴史、ヴェネチアングラスの影響やガラス職人の権利の変遷などを含めて学べるようになっています。チェコのボヘミアングラスも有名ですが、森、というくくりでみればボヘミアの森もバイエルンの森も繋がっています。たまたま領土の境界線が森の中を突っ切っているだけです。

       

 

いわゆるシャンデリアにぶら下げるたくさんの飾りは、最初、ただのガラスくずだったそうです。それでもきらきらと光を反射するのがロココ的趣味に合致したらしく、瞬く間に人気が出たので、デザインも凝るようになってきたとか。

   

バイエルンの森におけるガラス製造の歴史は約700年にも及びます。今でも多くのガラス工房、ガラス加工業などが盛んで、バイエルンの森は「ガラス街道(Glasstraße)」と呼ばれるルートがいくつかあります。

生憎の天気でしたので、ガラス街道の一つであるグラーフェナウ(Grafenau)からパッサウ(Passau)へ至る道をドライブしても何もそれらしきものを見ることができませんでした(´;ω;`)

 

パッサウ編に続く。


ドイツ: ローマ帝国軍駐屯地ザールブルク

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ドイツ・バイエルン州周遊旅行記(3)~ドナウシュタウフ・ヴァルハラ


ドイツ・バイエルン州周遊旅行記(3)~ドナウシュタウフ・ヴァルハラ

2016年08月05日 | 旅行

7月28日はレーゲンスブルク市を出発し、まずはレーゲンスブルク郡ドナウシュタウフ(Donaustauf)へ向かいました。そこにはバイエルン国王ルートヴィヒ1世の命で建築家レオ・フォン・クレンツェによって1830-42年に建設されたヴァルハラ(Walhalla)というギリシャ神殿風の、いわゆる新古典主義の建物があります。ドイツ語圏の英雄や偉業を胸像や記念碑などで称えられるための殿堂ですが、「神殿」ではありません。あくまでも「神殿風」の殿堂です。このようなものがつくられた背景は、1806年に神聖ローマ帝国が瓦解し、ライン川より西は「ライン同盟(Rheinbund)」としてナポレオン指揮下のフランスの直接的な影響下にあったこと、ドイツの政治的細分化と弱体化及び1812年にナポレオンのロシア遠征に多くのドイツ人が参戦し、悲惨な目に遭ったことなどが屈辱と感じられていたため、民族のアイデンティティーをドイツ語を頼りに過去をゲルマン民族の時代にまで遡って探したということにあります。

ヴァルハラ。駐車場の方から。

 

ヴァルハラから見えるドナウ川。

現在、誰でも死後20年経過している人をここに陳列するよう提案できるそうです。決定権はバイエルン州閣僚理事会にあります。今までのところ著名な芸術家や学者130人の大理石胸像と65の碑文板が収められています。

殿堂の中は撮影禁止で、入場料は8ユーロもしたため、中には入りませんでした。写真はドイツ語版ウィキペディアより転載。

ヴァルハラはドナウ川の方から徒歩で階段を登っていくことも可能ですが、駐車場も完備しているので車でも行けます。駐車場からは緩やかな階段を5分くらい登って行くことになります。乳母車や車いすでも行けるようにバリアフリールートも、少し遠回りになりますが完備しています。

丁度相模原事件が起こった直後のことだったので、ここのバリアフリー完備が特に輝いて見えました。現在のドイツは障害者にも妊婦にもやさしい国です。


次の目的地はバイエルンの森です。


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