今日は会社のチームイベントでワイン生産で名の知れた観光地アールヴァイラー(Ahrweiler)に行ってきました。近場なので、何度も行ったことがあるのですが、電車で行ったのは今回が初めて。ボン中央駅から約30分でアールヴァイラー・マルクトに到着します。直線距離にして約35㎞。
アールヴァイラーがなぜ観光地かと言うと、ワインの谷が美しいというのもありますが、旧市街がほとんど完全な状態で残された城壁に囲まれており、中世の面影を色濃く残しているからでもあります。893年のプリュムのベネディクト修道院の文献における記録が初出ですが、集落としての歴史はローマ帝国時代まで遡れます。
アールヴァイラー旧市街の地図
アールヴァイラー・マルクト駅から一番近い旧市街への入り口・アーデンバッハ門
旧市街には17世紀・18世紀に建てられた木骨家屋がたくさんあります。
昼食は1761年創立の古式蒼然としたレストランで。
注文した料理は「小さなポエム(Gedichtchen)」という豚ヒレ、アスパラとオランダソース、ポテトコロッケのお皿でした。ホワイトアスパラガスと豚ヒレの組み合わせは割と珍しいです。料理の命名センスも面白いですね。
昼食後はゆっくりと1.8km程歩いて、いわゆる「政府ブンカ―(Regierungsbunker)」に行きました。
正式名称は「国家機関待避所(Ausweichsitz der Verfassungsorgane)」で、NATOの指示によって1960年から1972年にかけて極秘に作られました。
元は20世紀初頭に第1次世界大戦準備のために建設された鉄道トンネルで、未完のまま第1次世界大戦後にフランス軍によって西側の出入り口が爆破されました。1930年から1939年まで未使用のトンネルはマッシュルーム栽培に使われていました。第2次世界大戦末期は様々な武器製造企業がそこに生産ラインを持ち込み、トンネルの外に大規模な強制収容所が「ブドウの木収容所」というコードネームで設営され、強制労働者たちを収容していました。第2次世界大戦終了後、連合軍によって一部の出入り口が破壊されました。
ドイツ連邦共和国として独立し、NATOに加盟後、冷戦対策の一環としてNATO加盟国全てに政府機関退避所の建設が義務付けられました。NATOの要求基準は最大3000人が少なくとも30日間滞在可能な施設で、西ドイツ首都だったボンにはその規模の施設が建設できるようなスペースがなく、ボンからほど近いアール渓谷の未使用トンネルに白羽の矢が立ったのでした。
ブンカ―は基本的に2階層で、一階部分にオフィスや会議室などがあり、2階部分が寝室になっていました。ここで1966年から1989年まで2年ごとにNATOの演習が行われ、真剣に第3次世界大戦のシミュレーションなどが行われていたそうです。1997年に施設の放棄が決定し、解体が始まり、2008年に博物館として残された部分を除き解体作業が完了しました。
ブンカ―のモデル。右側の明るい部分が現在博物館になっている部分。中央部はマリエンタールという街で、トンネルの切れている部分。左側のトンネルは最後に南部にカーブしてデルナウという街に出る。
安全扉開閉のための機械室
安全扉
消毒キャビン 診察室
電報室 電報室
管制室 管制室
消防用備品 会議室の戦略検討用地図
放送室
オフィス 美容室
大統領寝室 大統領応接室
解体後のトンネル首相寝室
普通寝室 シャワールーム
ブンカ―は一応ヒロシマ型原爆程度の威力になら耐えられる強度を持っていましたが、ブンカ―建設当時には既にもっと威力のある原爆が開発されていたので、原水爆使用を含む戦争には実は全く役立たずだったのですが、結局想定された事態にならずに済んでよかった、と言うべきでしょう。
ちょっとばかり現代史の勉強をした後はワイン畑(急斜面!)を通って、景観を楽しみながら旧市街へ戻りました。
トータル4時間ほど座って休憩することができなかったので、街に戻ったときは足がかなり痛くなっていました。。。休憩はコーヒーとワッフル。
どうもお疲れさまでした。
アールヴァイラー旧市街からブンカ―へ行く途中にはローマンヴィラがあります。
この中には2012年10月に入ったことがあります。2世紀頃に建てられ、5世紀まで使われていたようです。後に土砂に埋もれて、9世紀ごろには埋葬地となっていたようです。道路が建設されるまでそれらすべてが土砂の下に埋もれていたのでヴィラが発見されたときはかなりのセンセーションだったようですね。大きな浴室やチャペルのようなものもあり、かなり大規模な荘園だったようです。