わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

囲い込むんじゃなくて、どんどん広がっていってほしい

2024-03-14 22:35:33 | グラレコ
ここ最近、グラレコ講座を自分で主催して開くことが少なくなっている。会場手配をはじめとする事務局業務がなかなか大変なので、誰か企画してくれないかなーという他力本願、他責全開。
ただ、やっぱりやるととっても楽しくて、ああぁあ、もっとこういう場を作りたい、作らなきゃ、って気分になる。やる気が長続きしないのが難点だけど。


HOOD天神での全3回シリーズが昨日終わって、その勢いのまま、今日はつい先日まで受講していた「小さなリーダーシップ論」の皆さんと一緒にグラレコぷち講座を開催した。


いやー、楽しかった!
楽しかった!って言ってもらえることが本当に嬉しいし、描いてみます!描きます!っていう感想が何よりも嬉しい。この一言のためにやってるんだよなぁ、って思う。


絵は苦手だからなぁ、、、って皆さん、最初は躊躇される。描けるようになるとは思えない、ともおっしゃる。
そんなことないのよ、みんな描ける。そもそも何を持って「描ける」というのかも曖昧だし、記録なんだから、うまく、きれいに描く必要なんて1ミリもない。絵が上手い人、美術や図工の成績がよかった人のためのものじゃなくて、みんなのものなのよ。画力のある人、色使いが上手な人、なんならツールをうまく使いこなせている人が描いたものを見ると「ぉお!」「すごーい」って思っちゃうのは否めないけど、でも、だからと言ってそれがいいグラレコなわけじゃない。


良いグラレコって何か?って、わたしは声を大にして言いたい。
記憶が想起できるグラレコが良いグラレコ。それは自分だけが見てわかるものでいい。そうそうそうだった!とその時の情景が思い出せるような、そんなグラレコが良いグラレコ。画力があるとか、色使いがきれいとか、字がかわいい、とかそんなの全く関係ないのよ。


でも、画力がある人の描くグラレコは破壊力があるから、それを見ると「すごい、けど、わたしには描けない」ってなっちゃう。それってもったいない。


みんなが芸術家、画家、イラストレーターである必要は全くなくて、大事な記憶を留めておければそれで良いのだし、さらに一歩進んで「そうぞう」(イマジネーションとクリエーション)を刺激して育むことが必要とされている昨今、そんな力をつけられればいいのだから、どんどん手を動かして描いてほしい。グラレコが一部の人のものになっちゃうの、まったくもって勿体無い。こういうこと言うと、玉石混交を生むからよろしくない、それを生業にしている人の仕事を奪ってしまうことにもなるので、あんまりいい顔されないんだけど、誰もが覚えておきたい・記憶に留めておきたいことを記録できるようになったら、すっごく素敵だと思うんだよね(語彙が貧困すぎる)。


新しい技術だったり、様式、方式が出てくると、それを囲い込もうとしがち。ブルジョアの中だけで楽しむ、みたいな。資格ビジネスなんかもそうだけど、いいこと、いいものなんだから囲い込むんじゃなくて、もっともっと広めていこうよ、と思う。その過程の中で、意に沿わないものも生まれるかもしれない。けど、それでいいじゃん。そうやっていろんな形で広がって使われてこそ、の技術や様式なんだと思うのよ。


知は流通してこそ、汎用されてこそ。


そう思うんなら、もっと伝えていかなくちゃ、と珍しくちょっと前向きになっている。がんばろ。(いつまで続くかな、このやる気)

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