懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車 駒ヶ岳と蒸気機関車

2017年10月22日 | 蒸気機関車
撮影場所  北海道函館本線 大沼駅周辺

大沼駅の南に小高い岩があるそれに登り列車を待つ、冬の早朝岩の上には誰もいない。
寒いが風が無いのが救いだ。
ひたすら蒸気機関車を撮ったがその当時には70歳を過ぎてブログに投稿している自分がいるとは想像できなかった。
若い時からなんでもやって残して置くそれがつかえる時代がくるものだ。
人生にやって無駄な事はないというがどれほど有益なものがあったかは疑問だ。
失敗や反省すべて事が圧倒的に多いように思う。

年寄りは三モチと言われている。
時間モチ、金モチ、思いでモチだそうだ.金持ちは個人差がある。
一杯行動して思い出は沢山持っていた方が人生楽しい。
私のように車椅子生活で自分で何処へもいけなくても思いでが沢山あれば死ぬまでネタには事欠かない。

駒ケ岳は活火山である何年か前にも噴火した。
日本の火山は地球の歴史から言えばごく最近のものであきる。
人が日本に住んでいた頃に噴火したのが沢山ある。
ここの大沼は火山の噴火で堰き止められてできた湖だそうだ。
カルデラ湖ではないそうだ。
ブラタモリではないが日本の観光地や景勝地や温泉地は火山と切り離せない。
地殻変動でできた日本列島は岩石や地質を知っておかないといけないと思う。


懐かしい物  担ぎ屋

2017年10月21日 | 懐かしい物
撮影場所 熊本県 肥薩線矢岳駅(やだけ)

肥薩線は大きな峠越えの難所がある。大畑ループである。
それから矢岳越えまで登りが続く。熊本県、宮崎県、鹿児島県の入り混じったところである。
矢岳駅で列車の交換があり一時停車、上り列車に乗り込む担ぎ屋さん。
農産物などを人吉や八代に運びお得意さんに売り歩く。
昭和40年代はおばちゃんの担ぎ屋が一番列車に沢山乗り込んできた。
余り撮影していない。朝の薄暗い時間帯でもあり自分にそれを撮る感性が無かったのであろう。
撮って置けば時代の記録簿になったはずだ。
画家の岡村太郎氏は昭和35年頃、全国各地の風土記をカメラで撮り雑誌に連載している。
その写真に駅のホームの担ぎ屋のおばちゃんを沢山撮っている。
風土記と言いながら人の暮らしに目を向けているのに心打たれる。


戦後の食糧難で田舎から都会へ売り込みに行った。都会から田舎に闇米を買い出しにも行った。
それは戦後30年は続いていた。

一年位前NHKの小さな旅を見ていたら茨城県から東京の銀座まで担ぎ屋をやっているオバアチャンがいる。中学の孫が休みの時は担ぐを手伝ってもらう。
はずかしい年ごろの中学生が手伝うのはなかなかできるものでない。

流通の進んだ現在に電車賃を使いどれほどの儲けになるのかとおもってしまう。
人との出会いや交流や生きがいのためにやっているように思う。

茅葺民家 モノクロ 茅刈風景

2017年10月20日 | 茅葺き民家
撮影場所 京都府旧美山町

美山町の茅葺保存地区の北地区の東側の集落に茅場があり茅刈をしていたので撮影させてもらう。
男性が草刈り機で刈り取り女性が束ねて立てて春まで乾燥させる。
こんな茅場が何か所かあるのであろうか。これだけでは足りないであろう。乾燥したものは倉庫に収納する。
昔は茅葺の家の人は自分で茅を刈って屋根裏に収納していた。

現在は茅の刈り取り保管、葺き替え作業を会社組織でやっている。
土木建築業でやっているところが多い。

茅葺に使う茅はすすき(薄)で尾花ともいわれ秋の七草のひとつである。
人名や地名にもススキや茅はある。札幌の飲み屋街のススキノ、東大の学長をされていた茅さんや詩人の薄田泣菫
日本では茅の他に葦や荻が使われる。背丈や軸の長さの違いはあるが呼び名はススキで片付けられている。

屋根材は草屋根の通り草の葉から穀物の軸、木の葉や木の皮、木を薄く削いだコツパなど使えるものは何でも使った。南の国では椰子の葉なども屋根材になる。遊牧民や極寒の地には茅葺がないようだ。


カラオケで挑戦したい曲

2017年10月19日 | 日記
25年も前にレーザーカラオケを買って家で練習していた。
本体が16万円でカラオケの盤にも金が掛かった。
今や一万円のマイクを買ったら300曲のSDカードが内臓されている。
通信カラオケもあり技術の進歩に驚かされる。・

このレーザー―カラオケが邪魔になるので捨てようかと思った。テレビもデジタル化して使えないとおもった。息子家族が来てカラオケを今のテレビにつないで歌いだした使えるではないか。
しかしレーザー盤も長く使っていないので白くカビが生えている。スポンジで水洗いすれば汚れはとれると書いてある。
ネットオークションでレーザーカラオケ見たら25,000円で売りにでていた。
こんなの買う人もいるのだ。

歌を聞くのは好きだ。しかし、年齢と病気をして声が出なくなった。
唄えるのだったら昭和20年代の歌を歌いたい。
アザミの歌や津軽の故郷など

日本茅葺紀行 NO,400 コスモスと茅葺き民家

2017年10月19日 | 日本茅葺紀行
今頃カメラを持って出かければコスモス、柿、稲刈り風景と茅葺き民家が撮れるが雨だったり家内の都合が悪くどこに出かけずにいる。

10年も前に吉井川の堤防にコスモスを植えているのを見に行った。大勢の人が見に来ていた。
先に咲いたのはもう実ができていた。フィルムキャップに色別に種をもらって帰った。盗ってて帰ったが正確なのかもしれない。
それが小さな畑で毎年花を付ける。美しいものだ。

キク科の植物はコスモスもマーガレットもヒマワリも種を播入ておけば翌年は沢山芽がでる。
だれがやっても失敗のない植物だ。
野草なども種を採ってきて植えたものだ。笹百合やスズランも種からそだてた。
笹百合は11月初旬に乾燥して種が飛び散る前に収穫する。
枯れてから探すのは難しいので花の咲くころにマーキングや目印を付けておく。
種から花が咲くまで時間が掛かるがそんな苦労が面白い。
自然界では種から育つのはごくわずかだが人が播くと何百と芽がでる。
木の種も万両や千両、南天や紫式部など買うものでない。
種の果肉を砂でごしごし洗い落し置いておけば何年かすれば種をつける。


私の昭和鉄道遺産 その47 佐土原の機関車

2017年10月18日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 宮崎県佐土原 日豊線佐土原駅

延岡市に住んでいた頃、延岡から仕事を終え夜間歩き通して宮崎まで歩るこうと思った。
延岡と宮崎は90kmある。
明け方になると眠さと疲れで仮眠しながら歩いた昼過ぎに佐土原まで来て力尽きた。宮崎までは20km以上残っていたであろう。

そんな苦い思い出のある佐土原である。
延岡と宮崎が90kmあるので蒸気機関車の給水や給炭のために機関区の役割ももっていた。
機関車はC57,C61,D51,C56が見られた。C57とC61の横並びが撮影できるのは今思えば贅沢である。

佐土原(さどわら)は九州では珍しく原をばると読まない。
福岡から鹿児島まで駅名は原の付くところはバルと読む。
人の名前も中原さんはナカバルとよむ。そのまんま東氏の本名は東国原ヒガシコクバルである。佐土原の近くの空軍基地は新田原ニュウタバルという。
熊本の西南戦争の田原坂は普通の人はタハラ坂とよむだろう。

沖縄もバルとよむので沖縄かの影響があるのか
原をバルというところや豚足を食べる文化は九州統一だなあ。
九州は言葉にしても共和国でないかとさえ思う。


懐かしい物 開いた玄関

2017年10月17日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県旧作東町

茅葺民家の玄関が半開きのままである。
田舎の家は人がいれば鍵など掛けない。昼も夜も鍵を掛けない家もある。
半開きにしておくと野良犬や野良猫も入ってきて悪さをする。
私の家も開けてあったら蛇が二回入った事がある。隅に入ると追い出すのに苦労する。
玄関を開けておいて竹の棒で追い回したら勝手に逃げてくれたからよかった。
近所に気丈な奥さんがいて蛇が逃げる時に戸を力一杯閉めて挟み込んだ人がいた。蛇も骨折でダメージを
うけただろう。

私の家は猫を飼っていて外にださないので戸はすべて締めるめている。
田舎の人は地域に泥棒などいないが前提になっている。うちには盗る物がないが口癖だ。
私の住むところでも空き巣の被害は半年に6回程あるようだ。ほとんどが鍵を掛けていないところから侵入している。定職にもつかず高齢者への詐欺や泥棒で暮しているのがいる。外国人が250万人も働いている時代、窓に鉄格子のある国からすれば日本の民家は泥棒天国である
都市部のマンションなどは訪ねて行っても覗き窓から確認され鍵を開けて顔を見てチェーンをはずす。
用が済めばすぐに鍵とチェーンを掛ける。なんか不審者扱いされて嫌だ。

茅葺夏民家の玄関からそんな事を考えてみた。

茅葺民家  岡山県旧加茂町の民家

2017年10月16日 | 茅葺き民家
加茂町には茅葺民家の職人がいたので茅葺民家も残っていた。
大きな茅葺民家だけでなく小さめの民家も沢山あった。
屋根が茅葺きならばなんでも撮った。
発見して撮ることにやりがいがあった。
構造や技術的な話には余り興味がなかった。
茅葺民家写真のコレクションをしたようなものだ。
日本各地の隅々まで走ったし地域の暮らしの違いも少しは体験できたしツアー旅行では得られないものだった。

撮影をしていた時は撮れば次に移動と忙しかったので地元の人と余り話をしていない。
地域の昔の暮らし現在の暮らしについて聞き出すとおもしろかったか。

家の前に三又を組み稲や豆を干すのか。

家の裏は下屋の瓦の部分が広い、家を広くするためにこうしたのか。
茅葺は雨漏れしないため角度が45度は必要、瓦屋根は15度の傾斜で雨漏れを防ぐ。
同じ敷地で屋根を高くしないため下屋は瓦で葺いた。

日本茅葺紀行 NO,399 茅葺と赤い瓦

2017年10月15日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 島根県雲南市 旧大東町

母屋は茅葺で倉や小屋は赤い石州瓦である。
中国地方ではよく見かける瓦である。釉薬瓦である。
しかし岡山県は黒い釉薬瓦が多い。
水を吸い凍結する日本瓦より寒さに強い釉薬瓦が雪の多い日本海側では使われたのか。

赤い石州瓦の集落が今後は懐かしい風景になるのであろうか
茅葺民家は12月から2月までは屋根の北側には太陽が当たらず暗い写真になる。
春のお彼岸を過ぎると裏の屋根にも太陽が当たる。
3月から4月の太陽は半逆光で撮ると景色に奥行がでて色調も落ち着いて好きだ。

こんな赤い瓦と茅葺き民家は山陰の風景だなあと思う。

蒸気機関車 日豊線C57重連

2017年10月14日 | 蒸気機関車
撮影場所 宮崎県延岡市郊外

日豊線の下り列車 C57の重連で客車を牽引。
いつも重連だったか回送の機関車を付けてきたのか分からない。
大分県との県境には宗太郎峠がある。
列車はゆっくりゆっくりときつい勾配を登っていく。
この峠越えに貨物も機関車は重連になる。

線路際まで民家が立ち並ぶ蒸気機関車が走るのに洗濯物を干してある。
今の環境基準は厳しいのであんな煙を出す蒸気機関車は運行は出来ない。
煤塵の環境基準は1Nm3 50mgで煙突から煙がみえたらアウト
昔は煙突からは煙がでていたが今は許されない。

日々一日に何回も蒸気機関車は走っていたのにほとんど撮影していない。
若い頃は何もすること無くボケーとしていた。貴重な時間を無駄にしたように思う。
あんな昭和には戻れない。
写真を撮るにも昭和を記録する目標を持ち消えて無くなる昭和の風景を撮らなくてはいけなかった。
何事をするにも目標を設定してどんなね事をどう行動するか決めておかないと継続できない。
自分で考えられなかったら参考になる人の話を聞くなり真似をするから始めてめてみる。
そんな参考になる人を探すくらいの努力は必要だった。
金を貯め資産運用するにしても結婚して家族を持つにしても。
余り真剣に考えない人生だったよう思う。