懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

昭和の遺物たち  その12 消えた貨車客車 その2

2015年11月19日 | 昭和の遺物たち写真展
二重屋根構造の客車、スハフ32  撮影は肥薩線人吉駅

肥薩線で八代から人吉に向かった。大畑越えで吉松に向かうのに乗り換えのため時間があった。
その時間で機関区や駅構内を歩いた。古い昔の鉄道風景が残っていた。
肥薩線は歴史も古いのでレンガ積みのトンネルなど構造物にも古い物が残っていた。
構内の隅に古い客車が置かていた。外装の鋼板がリベット止めである。薄板の溶接が技術的に難しかったのだろう。これは古い客車だと思った。吉松と人吉の運行に使われていた。
この形式では人吉のものが最後ですべて解体されたそうだ。機関車は沢山保存されているが客車や貨車の保存はすくない。

蒸気機関車に遅れて10年客車の多くは廃棄された。
乗客の減少で長い客車の編成が必要無くなった。ローカル線では1両か2両の気動車で住む時代になったし老朽化も進み廃棄された。

鉄道の写真を撮っていた人も列車や貨車は顔でないので関心が薄かったと思う。
鉄道写真も昔の客車の色と形は古臭くて味があった。蒸気機関車にはよく似合った。
現役の蒸気機関車の時代でも新型客車がイベント列車に登場しきたが落ち着きない列車だった。

写真展をしたときに鉄道友の会の人が来てくれた。この客車を見て談義が始まった。
鉄道模型をやっているので詳細まで見ている。こんな窓は作るのが面倒だと話していた。
なるほど戦後の客車に比べて窓が小さく数が多い。 


岡山の茅葺民家 新庄村の民家

2015年11月18日 | 茅葺き民家
新庄村は岡山の北西部、鳥取県に隣接している。小さな村でどことも合併せずやっている。
出雲街道の宿場町の街並みが残る。春には凱旋桜とよばれる桜の咲く時は大勢人が訪れる。
買い物は鳥取県の日野町にスーパーがあるので20分ほどかけて車で買いにいっている。

私が初めて訪れたときは10軒ほど茅葺民家があったが今は全く見かけない。
夏に一回雪のある冬に一回いったきりであった。平地に比べ桜の開花が二週間は遅いので二度目の桜見物ができる。
何度か訪れるうちに茅葺民家は姿を消した。
新庄村から蒜山に新しい道が出来て走りやすかった。インフラが整備されるに従い懐かしい風景は消えていく。
新庄村の宣伝に阪神にいた新庄選手を起用しようとしたが金額的に折り合いがつかなかったのか、

福祉バス乗り場の停留所の表示が見える。


茅葺き民家 京都府旧美山町の民家

2015年11月17日 | 茅葺き民家
美山町の茅葺民家、300軒くらいあるという。撮ったものの地名も苗字も記録していないので何軒撮ったのかもわからない。しかもモノクロしか撮っていない物、カラーネガで撮った物、近年はデジカメで撮った物と混在し整理がつかない。
最初何度か美山町にきて10年以上行かなかった期間がありカラーで撮った物が少ない。

正確に撮れば沢山あったと思うが一日6時間程度撮影して帰る事があったので取り残しもあると思う。

山際にあった民家を上から撮影する。日頃見ない位置から撮影すると新鮮に見える。
私には山に登り撮影することはもうできなくなった。健康だった頃の写真が記録に残るだけでありがたい。




日本茅葺紀行 NO,253 山口県旧旭村

2015年11月16日 | 日本茅葺紀行
山口県の山中を茅葺民家を求めて走る。
旧旭村にあった民家、脇の道が未舗装なのがいい、人が歩き自転車ではしってるのであろう。草も生えていない。そんな人の生活が感じられる風景が好きだ。
私はこんな昔出会ったこんな風景をいまだに追い続けている。
自分の記憶を平成の現在にいまだに求めている。
いつもキーワードは「懐かしい」である。

自分の息子たちの世代は常に車があり毎日肉が食べられる。
どんな風景に懐かしさを感じるのであろう。
我々の年代とは懐かしさの基準が違うであろう。

昭和の遺物たち  その11 消えた貨車客車 その1

2015年11月15日 | 昭和の遺物たち写真展
写真は飯山線 飯山駅


国鉄の近代化、民営化で多くの客車や貨物が廃止になった。
車社会になり地方鉄道は乗客の減少に見舞われた。トラックによる宅配便により荷物輸送が減少。貨物を取り扱いの駅が減っていった。、

昭和45年と平成20年の客車、貨車、機関車の推移を示す。

1.貨車 S45年,149,526両  H20年,12,682両

2.客車 S45年,8,611両  H20年,438両

3.機関車 S45年,4,677両  H20年,1,115両

貨車は15万両近くいたのがほとんどスクラップにされた。
私は数年しか鉄道写真を撮っていなかったので国鉄民営化に至る過程はほとんど知らない。
国鉄の車両やマークの入った写真を撮ろうととかブームはあったのであろうか
今頃になり国鉄車両だと必死になり追いかけている人がいる。

人間はなかなか先読みができないものである。それと人の行動に釣られ行動を起こすものである。
蒸気機関車のブームが終わりほとんどの人は鉄道写真から離れた。
私も鉄道に魅力を感じずやめた一人である。
鉄道写真は旅行をしないといけないので結婚し子供が出来て家を建てると経済的にも時間的に難しい。
そんな中でも50年以上鉄道を追い続けている人もいる。こんな人は鉄道の歴史を記録している。

貨車トラは無蓋車のことトはトラックの意味、ラは積載重量区分゛


写真は二枚とも室蘭本線





蒸気機関車 C1255

2015年11月14日 | 蒸気機関車
撮影場所 宮崎県 日豊線延岡駅

日豊線延岡駅に停車中のC12型蒸気機関車
これから高千穂線へ出発を待つ。
C1255はプレートに形式が入っている。
C12型は小型だか好きな形だった。C11型より数がすくなかったので意識して撮影したように思う。この形式は梅小路に保存されていない。
バックの風景の看板を見るとナショナル カラーテレビの表示が懐かしい。
写真は時代の変化が見えていて面白い。

コンテストの写真は省略の技術だというが記録写真は下手な人の写真の方が余計な物が残っていて面白い。

構内に並んでいる貨車が懐かしい。こんな貨車も昭和で消えた風景だ。
このワラやワムの貨車が並んでいる。ワム、ワラのワは有蓋車、ラやムは重量区分




岡山の茅葺民家 岡山市才崎の民家

2015年11月13日 | 茅葺き民家
私は住んでいるのは岡山県だが生まれてたころでも育ったところでもない。
転勤で岡山にきて暮らしている。
転勤でその地に住んだものは地元の新聞は取らずに全国紙を取る。
地元の情報など関心をしめさない。
しかし、何十年も住んでいると愛着が湧いてくる。
もっと住む場所に愛着があれば地元の写真を記録しようと思ったであろう。
それでも鉄道や古い町並みや茅葺民家を求めて岡山県内を走り回ったおかげで愛着も湧き記録も残せたと思う。
こんな行動が無ければ岡山の事を知らずに一生を終えていたかもしれない。
転勤してきたときはこの地でいつまでも暮らすとは考えもしていなかった。

結婚生活と同じで写真もその物、その土地を好きになることが不可欠であった。

岡山市南部の茅葺民家の形を残している。寄棟で下屋は本瓦が使われている。



茅葺き民家 塀ののある家

2015年11月12日 | 茅葺き民家
撮影場所 京都府旧園部町

関西地方の茅葺民家は昔ながらの塀のある家が多い。
塀だけでも金が掛かっている。
東北の茅葺民家は立派な家でも塀のある家はすくないように思う。
土地の広さか密集度の違いかとおもったがそうでもないようだ。
関西圏は生活レベルが高かかったのであろうか。

塀はプライバシーを守るためと境界区分をはっきりする、防犯の意味合いもあった。
生垣で家の周りを囲むところもある。
房総半島の外房の槙囲いの集落は素晴らしい。長生村だったと思う茅葺民家もあったが雨の夕暮れでいい写真がない。それから二度と訪れていない。

塀と生垣について地域の違いによる特徴を観察したい。カラー写真も少ないのでデジカメで意識して撮っておきたい。いつか日本茅葺紀行として写真展をしたい。塀、生垣のあるある民家も一つのテーマでもある。

日本茅葺紀行 NO,252  島根県三刀屋町の民家

2015年11月11日 | 日本茅葺紀行
島根県や兵庫県の投稿が多くなる、茅葺民家が多いのでどうしてもそうなる。
島根県を東の端からローラー作戦で細道、脇道、怖い道を走ってきた。
「思えば遠くへきたもんだ」などと海援隊の歌を口ぶさみながら走る。
これからどんな家に出会うのだろうかどんな人に出会うのだろうかそんな思い持ちながら茅葺探訪の旅が続く。いつもアホな事をやっている思う。
男の多くはこんなアホなことに情熱を注ぐ。
そんなアホなことに一生懸命やっている者には負けたと思う。
人生は何かに一生懸命になれたら幸せだ。屁理屈や講釈ばかりで何も行動しない人よりましだ。人間は体験がすべてである。

島根県も茅葺民家があるのは三刀屋あたりまでそれより西にもあるにはあるが少ない。
牛を飼っていたのか繋ぐ柵がある。女性では牛がいうことを聞かず動かない。
動物は人をランクづけする。
障子に縁側が懐かしい。


昭和の遺物たち  その10 軽便 下津井電鉄 その4

2015年11月10日 | 昭和の遺物たち写真展
撮影場所 倉敷市児島 下津井電鉄児島駅

写真展で場所がわからず下津井駅と書いたら児島に住まれている方から児島駅との指摘をうけた。よく見ると駅名が書かれている。ビルの名前が現在も残っているそうだ。
私も撮るには撮っても撮影日も場所も記入していない。
写真もデーターが残っていて価値が生まれる。
乗ろうとする人はまだ若い女性と思うが髪形もファッションも古臭く40歳台に見える。

この当時はどんな目的でどんな思いで撮影していたのであろうか
何に使おうと思って撮っていたのだろうか、自分でもよくわからない。
みんな写真は何に使うためにどう生かそう撮っているのであろうか
今ならホームページ、ブログやSNSに投稿するために撮っている人も多いと思う。
だれでも撮影できるカメラをもっている。
誰でも撮れる時代だが目的をしっかり持っていないと駄作しか残らない。