懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車  妻線を走る

2014年06月20日 | 蒸気機関車
撮影場所 宮崎県佐土原町(国鉄 妻線)

国鉄妻線は日豊線佐土原と西都市杉安駅を結ぶ19.3kmのローカル路線
1968年の赤字83路線のひとつで廃止の勧告を受けていたが意外と生き延びて1984年12月に全線廃止となる。
蒸気機関車時代にはC56形蒸気機関車が貨物列車を引いてコトコトと走っていた。
あの年代ならば各駅を訪れていたらローカルな懐かしい風景に出合えたと思う。
私は妻線は早期に廃線になると思い有人駅に手紙を出して硬券のキップを購入した。

岡山の茅葺民家写真展 -21  登る その1

2014年06月19日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県賀陽町(現在は吉備中央町)

茅葺を求めて道のあるところをひたすら走った。
何も発見できなければガソリンの無駄と時間の無駄である。
何も発見できなければこんなことをやることの虚しさを感じる。
撮り残しておけばきっと役立つ事があると自分に言い聞かせて撮影を続けるしかない。
一人でこそこそ続ける趣味は自分で挫折しないよゆうに目標を常に掲げてやる必要がある。
取り組みの理念と目標、今年やること、今月やることを反芻しながら

賀陽町の山間部を走っていた。地元の人と会話しながら茅葺の所在を聞いたら細い道を登ったらあると教えてくれた。
メイン道路から離れUターンできるかどうか分からない道を登った。
丁度奥さんが荷物を担いで登るところだった。
それを撮らせてもらい民家も撮らせてもらった。
下屋のないいい民家だった。石垣といい昔の姿を残していた。
二人の息子は上場企業に勤めていると話してくれた。息子さんの歳を聞いたら私と同年代だった。
歳をとれば厳しい生活環境だがここが好きだ。嫁いできて家を守る責任もあり夫婦で力を合わせて働いていると語った。
山間部の民家には車で家まで登れないところが沢山ある。
厳しい環境の民家が今後も残るのであろうか





茅葺民家 奈良県都祁村の民家

2014年06月18日 | 茅葺き民家
奈良県から紀伊半島を訪れたのは21世紀に入ってからだった。
奈良県、三重県には行った事も無かった。
神社仏閣や観光地にはほとんど行った事が無かった。
ある程度の年齢にならないと観光地や神社仏閣にいかなくなるのか、自分もそれだけ歳をとったということである。しかし、私のような身体になると階段の多い神社仏閣には行けないし温泉にも縁がない。自分の行ける所で新しい物を発見するかネットの画像で満足するしかない、しかし、悲観的になることはない、人間失われた機能があれば生まれる機能もある。

今回の旅も茅葺民家の撮影の他に神社仏閣の見学も入っていた。
奈良公園の脇を通り道は山に登る、奈良県は奈良盆地以外に平野は少ない。
茶畑が多いものだこれが宇治茶になるのかと思いながら走る。
茅葺民家の情報は無かったが県道沿いにポッポッと茅葺民家があった。
この民家は都祁(つげ村)にあった。この時、初めて大和棟を見た。
全国各地の茅葺民家の代表的な形式は撮りたいものだ。
いまなら何とか残っていると思い撮影した。
蒸気機関車は私が撮っていた頃は17形式ほど残っていた。
それを必死に追い求めていた頃を思いだす。
何歳になっても夢中になり全国を探し求める時が一番楽しい。
夢中になることと感動だけは失いたくない。
これから室生寺に立ち寄り伊勢街道の狭くて厳しい道を走る。(今は道は広くなっている)


日本茅葺紀行  NO,138 新潟県出雲崎の民家

2014年06月17日 | 日本茅葺紀行
新潟県出雲崎町の海岸に茅葺民家があるので撮影にいった。
柏崎から海岸線を走った何軒か茅葺民家にであった。
海岸沿いにも茅葺民家があるものだ。
地元の人に茅葺民家を訪ねたら山の中にあると教えてくれた。
しかし、それは旅館のようで歩いて登る高台にあり木々が邪魔でとれそうも無くパスをする。
そこからの帰りに偶然発見する。家の前でドジョウの養殖をしていた。

ドングリコロコロを孫に唄っていたらジィジ間違いと指摘される。
「どんぐりころころどんぐりこ」と唄ったら「どんぐりころころどんぶりこ」だそうだ。


出雲崎には古い町並みが残っていたので車で走る。
四十年も前のモノクロの出雲崎の風景は素晴らしいと思った。
現在の町並みは手を加えて綺麗になっているが懐かしさの感じられない町並みだった。
カラーでは古さを表現できないと思い撮影しなかった。
リフォームしたらリフォームした後の年数しか古さを感じないものだ。
維持管理する人には申し訳ないが古さは壁の割れ具合や汚れ年輪の浮き出かたで時代の長さを感じるものだ。
帰る前に寺泊の魚のアメ横に立ち寄り魚を買って帰る。大変な人出だった。
500円の岩牡蠣を食べたがしょっぱいだけで牡蠣の味わからず普通の牡蠣が美味しいと思った。




懐かしい物 山陽本線東岡山駅

2014年06月16日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県岡山市

木造駅舎の東岡山駅を撮った写真があった。
何の目的で撮ったのか分からない。
岡山の蒸気機関車は昭和47年に姿を消した。
しかし、鉄道写真には未練を残していたのか木造駅舎の写真を撮ったものと思う。
気まぐれ的に撮ったので岡山県内の一部を撮ったものである。
物事はやる以上は岡山県内をすべて撮るような事をしないと何の値打もない。
これでは作品としてまとまらない。

東岡山駅は山陽線の駅であるとともに赤穂線の分岐でもある。
これを撮った頃は下りの次の駅は岡山駅だったが今は間に二駅増えたし新幹線が並行して走っている。ホームに列車の停まっているところも撮ればよかったのに、

岡山の茅葺民家写真展 -20 四季の風景 冬

2014年06月15日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県阿波村(現在は津山市)

モノクロで冬の表現は雪であろう。
稲株の残る田や氷の張った田の表現は白黒は難しい。カラーだと微妙な色彩で冬の田が表現できるが

阿波村に初冬に雪が降り撮影に出かける。
雪の多すぎる風景は茅葺の屋根を覆い隠すのでトタン屋根でも茅葺でも変わらないので好きでない。茅葺である事が分かる程度の雪がよい。
茅葺民家は屋根の形状や棟飾り、茅の状態が見るために基本的に雪のないシーズンを撮るべきであろう。それを撮った上で雪の写真を撮るべきであろう。
私も雪の写真が多く夏場撮影していない民家があった。

こんな民家は撤去したり建て替えられたので茅葺として残っていない。
表紙の写真の地域はおそらく20年後には集落に住む人もいなくなるであろう。


岡山県加茂町



岡山県上斉原村


茅葺民家 丹波町の茅葺民家

2014年06月14日 | 茅葺き民家
撮影場所 京都府丹波町冨田

美山町に行く時に丹波町を通過していた。
冨田というところに茅葺民家が10軒ほどの残っていた。
山間部ではなく二車線道路が走る田園集落であった。
ここで撮影に時間をとられて美山町に着いたころには13時を過ぎていた。
丹波町は京都府、篠山町は兵庫県だが風景がよく似ている。
旧国名は丹波になるので似通ったところがあるのだろう。
もう今は茅葺も建て替えたりトタンを掛けているのであろう。



日本茅葺紀行  NO,137 屋敷林と茅葺民家

2014年06月13日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 山形県長井市

山形県の置賜地方は風が強いのか背後に屋敷林のある民家が多い。
日本の農村風景で残しておきたい風景のひとつである。
茅葺民家と屋敷林が撮影できる場所でもある。

砺波平野から秋田にかけて雪の降る地域では杉の屋敷林が多い。
杉が植えられた理由は何であろうか
杉はまっすぐの「すぐ」から名づけられたとも言われている。
整然と並んで植える事が出来る。横に広がらないように剪定が出来る。
剪定に強く細かな葉で目隠しになる。常緑樹で冬も防風雪を防いでくれる。
枝が柔らかいので雪に強い。黒松に比べると寒さに強い。
枯れ葉はカマドや風呂の焚きつけに使える。
寿命が長く建築用材にも使える。
上越地方や奥州市、白河周辺でも杉の屋敷林は見られる。

蒸気機関車  鳥栖機関区

2014年06月12日 | 蒸気機関車
撮影場所 佐賀県鳥栖市 鳥栖機関区

蒸気機関車を撮影し始めた昭和43年には九州の工場に勤めていた。
その時に鳥栖機関区に立ち寄り蒸気機関車を撮った写真が残っている。
当初に撮影した写真は管理が悪く紛失したものも多い。
情熱をもって撮影していたら散逸する事も無かった。
適度に撮影していたのであろう。
昭和40年代はよき時代であった過ぎ去った時代に戻れないのが辛いところだ。
鳥栖機関区には鹿児島本線、長崎本線、久大線、筑豊線の機関車が入り大きな機関区であったと書いてある。
鉄道ファンは多くホームページを見ると昔の鳥栖機関区の様子が沢山のこされている。

D5110号機のナメクジを撮影している。D519号機は私が当時住んでいた南延岡機関区にいた。


オヤジギャグ その2

2014年06月11日 | オヤジギャグ

孫たちがヤクルトを飲んでいた。小学生の孫たちは封を開けて飲んでいた。
三歳の孫が立ったまま封を開けていた。どう見てもこぼしそう。母親に座って開けようと言われた。ここで一言よけいなオヤジギャグ
「ヤクルト スワローゼ」