長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

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2010年大河ドラマ「龍馬伝」福山雅治

2010年01月24日 09時25分39秒 | 日記
2009年大河ドラマ「天地人」(上杉の智将・直江山城守兼続が主人公)が終了しましたね。いよいよ次は幕末の寵児、坂本竜馬の2010年大河ドラマ「龍馬伝」(福山雅治主演2010年1月3日よりスタート)です。初回視聴率は23・2%でした。大河ドラマ「龍馬伝」を観て「ガッカリした」というひとがいます。坂本龍馬は大好きな偉人なのに「不器用なところ」や「出来の悪いところ」が演じられていない。というのです。やたら埃臭くしたのもリアル過ぎるというのです。まあ、所詮は「ドラマ」です。作られた「作品」です。また福山雅治のようなイケメンで演技力抜群の俳優が龍馬役ですから仕方ないのではないでしょう(笑)高知県竜馬空港の竜馬像の首が切り落とされました。心ない輩がいるものです。
1836年1月3日土佐(高知県高知市)生まれ、1867年12月18日京都近江屋により浪人による凶刃に倒れ暗殺(享年31)

坂本竜馬のプロフィールです。天保6年11月15日(1836年1月3日)から慶応3年11月15日(1867年12月18日)
坂本竜馬は日本の武士(土佐藩郷士)。脱藩後、貿易と政治組織を兼ね備えた亀山社中・海援隊の結成、薩長同盟の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど維新の志士として活躍した。贈官位、正四位。作家、故・司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」の主人公として国民的スターになる。別名、直陰(なおかげ)のちの直柔(なおなり)。
天保6年(1836)1月3日、高知県高知市上町に生まれた。嘉永3年(1846)母・幸、死す。12歳のとき小高坂の楠山塾で学ぶが出来が悪くて退塾、14歳で高知城下の日根弁治の道場で剣術を習う(泣き虫で寝小便たれで姉・乙女に鍛えられる)。嘉永6年(1853年)江戸(東京都)の北辰一刀流剣術の千葉周作の道場に入門した。12月には佐久間象山(さくましょうざん、蘭学者)の私塾にも通っている。安政元年(1854年)に土佐に帰郷。画家の川田小龍やジョン万次郎から西洋事情を学ぶ。安政2年(1855年)父・八平死す。
文久元年(1861年)井口村刃傷事件が起こり、武市瑞山(半平太)をリーダーに土佐勤王党を組織して竜馬は9番目に加盟した。萩で、長州藩(山口県)の久坂玄瑞と高杉晋作、桂小五朗(木戸孝允)と面談した。
文久2年(1862年)3月に沢村惚之丞とともに脱藩した。幕臣・勝麟太郎(海舟)に弟子入り、神戸海軍塾の塾頭を務める。竜馬は勝海舟の護衛に同じ土佐藩の人斬り・岡田以蔵をつけた。天治元年(1864年)池田屋事件や禁門の変で、脱藩藩士らを蝦夷(北海道)に逃そうとするが頓挫。慶応元年(1865年)中岡慎太郎とともに亀山社中(のちの海援隊)を組織した。グラバー商会から銃を買い付け、桂小五朗(木戸孝允)と西郷吉之助(隆盛)を会談させ、薩長同盟を成立させました。寺田屋で暗殺されかけるが、入浴中のおりょうが気付き逃れ、のちに竜馬はおりょうと結婚して日本人初の新婚旅行をする。慶応3年(1867年)、大政奉還を実現させる。12月、京都の近江屋で暗殺された。2010年大河ドラマで「龍馬伝」として主人公・坂本竜馬役を福山雅治主演でドラマ化される。米沢藩の次は土佐藩(高知県)の番です。頑張ってください。また撮影で
及川奈央(誰ですか?)が添い寝したらしいが多分「千葉さな子」役ではないか?もしくは「春猪」役ではないか?また蒼井優(竜馬に思いをよせる芸者、お元役)が演技で苦悩したらしいですね。架空の人物です。また福山雅治さんも気合いを入れて竜馬役を演技しているらしいです。春猪(はるい)役は前田敦子というAKB48のやつです(誰ですか?)。平井加尾役は広末涼子、坂本乙女役は寺島しのぶ、勝海舟役は武田鉄矢です。
私はたとえひとりになっても大河ドラマ上杉鷹山(ようざん)を招致します。必ずや米沢の偉人・上杉鷹山公の大河ドラマ撮影を誘致します。頑張ってみたいです。応援お願いします。ちなみに上杉鷹山役はSMAPの木村拓哉がいいと思う。あの「武士の一分」の演技力で頑張ってほしい。必ずや大河ドラマ「上杉鷹山」は招致するし、ドラマ撮影をNHKに働きかけます。
頑張ります。なお、上杉鷹山(1751-1822)うえすぎようざんとは上杉氏十代(第九代米沢藩主)。藩の財政は逼迫し、前藩主重定は幕府に封土の返納を決意したほどでした。この救いようのない窮乏期に日向高鍋藩(宮崎県高鍋市)から養子縁組され、十七歳で藩主となったのが治憲(はるのり、のちの鷹山)です。治憲は大検の断行を誓い、一汁一菜を実行して改革を断行しました。武士といえども鍬や斧を持ち畑や紅花や笹の一刀彫りや米沢織物や米沢牛や冬場のタンパク源に鯉を食べるなど米沢藩始まって以来の大改革をして米沢藩中興の祖と言われました。またバブル経済崩壊後に上杉鷹山公が見なおされています。それは鷹山公は改革で人員減つまりリストラを断行しませんでした。女中は減らしたが武士や足軽と言った家臣を減らすことをせずに農業や織物で藩の経済を活性化させます。また「なせばなる。なさねばならぬ何事もならぬはひとのなさぬなりけり」とは上杉鷹山公の言葉である。封権制度中に民主主義を実行しました。詳しくは私
も上杉鷹山公のことを小説で書いています(まだ未刊行)。詳しくはそれで勉強してくださいね(笑)
とにかく大河ドラマ「上杉鷹山」の実現に向けて頑張っていきます。どうか応援よろしくお願いします。
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