堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

谷中、青山お墓参りと散策

2008-05-27 13:43:38 | お墓

東京で真夏日を記録した5月24日(土)、谷中と青山でお墓参りをしました。



谷中は堅曹さんの甥にあたる、遠藤謹承(きんしょう)さんのお墓まいりです。堅曹さんのお姉さん梅さんの息子さんです。

夢酔い人Kさんが、昨年暮れに突撃訪問で謹承さんのご子孫宅を発見。そこから謹承さんのお墓が谷中のお寺にあることをお聞きして、他の親戚のかたも一緒に今回お参りすることになりました。



朝9時に日暮里で待ち合わせて、遠藤宅へ訪問。少しお話をお聞きして、お墓に案内していただきました。

謹承さんは堅曹さんの日記にも出てきて、甥っ子になりますが、家族のように面倒をみています。

彼は明治10年(1877)の西南戦争に軍人で出兵していて、その従軍記が2冊残されています。

それを見せていただいたときは、歴史のなかの出来事だった西南戦争がすごく身近に感じました。貴重な史料です。


Cimg3477 遠藤家菩提寺 霊梅院


Cimg3474 遠藤家の墓



謹承さんのお参りをしてからは、近くの谷中霊園へ向かいました。

Cimg3486 谷中霊園


ここから毎日五重塔をながめ、あの『五重塔』を書いたという幸田露伴の家のあった場所をとおり、昭和32年(1957)に焼けてしまった幻の五重塔跡を見に行きました。


Cimg3479 幸田露伴の旧居跡


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   五重塔跡



ウロウロと霊園の中を歩いて、有名人のお墓はどこにあるのかな~などと探していたら、「どこが見たいのですか?」と声をかけてくれる方がいました。

渋沢栄一!、阿部正広!などというと直ぐに教えてくれ、なんと連れて行ってくれました。しかもくわしい歴史の解説付きで。

そしてその後も、折角だから徳川ご三卿のお墓も、そしてよかったら寛永寺の篤姫のお墓も案内しますよ、とどんどん教えてくれます。


皆で顔を見合わせ、驚くやら、うれしいやら。ご好意に甘えて、たっぷりと案内してもらいました。


Cimg3495 徳川慶喜の墓


Cimg3508 渋沢栄一の墓


Cimg3498 阿部正広の墓


Cimg3523 Cimg3526

  寛永寺  篤姫の墓は非公開



こんなこともあるんだ、きっとご先祖様のお計らいだね、などと思ってしまいました。


途中、上野桜木でK’s Green Galleryも併設しているクマイ商店(私の姉の家)に寄り、姉から街づくりの話などを聞かせてもらいました。

「谷根千」としてこの界隈は近年人気があり訪れる人も多く、でもここまで来るには10年以上の地元の活動があってのことだそうです。一線でがんばってきた具体的な話は、富岡の街づくりにも参考になるような話ばかりでした。


Cimg3520_2 クマイ商店



さて、上野で昼食をとり、次は青山霊園です。


Cimg3567 青山霊園


現在堅曹さん夫妻は取手の瑞法光寺のお墓に入っていますが、その他の速水家の本家の方たちは青山霊園のお墓に入っています。先日のモニュメントになった川越のお墓以降はこちらです。


Cimg3569 速水家の墓


皆でお参りさせていただきました。

そのあと、すぐ近くの大久保利通のお墓を見学。いつみてもすごく立派です。


Cimg3572 大久保利通の墓


その墓前にある石燈籠に彫られている「速水堅曹」の名前を皆さんに見ていただきました。


Cimg3573 石燈籠の刻字


ここは堅曹さんが確かに大久保利通の下で仕事をしていたという、目にみえる証拠のような気がして、お参りにきていただいた方には紹介しています。



暑いなか、何時間も谷中から青山とお墓ばかりみてしまいましたが、本当にこの両方の明治初期につくられた官営の墓地は広くて、かつ、今の墓地のように整然と区画ができていないので、見て回ると一日あっても足りないくらいです。

でもご先祖のお墓参りを縁のある方たちと出来たことは、とてもうれしかったです。


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