東京国立博物館に行って、下村観山の「弱法師」(よろぼし)を見てきました。(1月30日まで)
この絵のことは、原三溪のことを学んでから知りました。
謡曲の「弱法師」の一場面であり、観山は三溪園内の臥龍梅の木に着想を得てこの絵を描いたという。
そしてこの絵を見たインドの詩人タゴールが感銘をうけ、インドに持ってかえりたいというのを
三溪が荒井寛方に模写させて、それを渡したという。
本館の近代美術の部屋にあるということで、真っ直ぐにそこへむかいました。
ありました、大勢の人が見ていました。
ちょうど解説している人がいて、これは絹本に金箔をはって、その上に絵を描いたと説明していた。
6曲1双の素晴らしく美しい金屏風です。
100年近くまえに描かれたものなのに、今描きあがりました、といってもいいほどきれいな状態。
臥龍梅と弱法師と落日だけの大きな構図。
その絶妙なバランス。
法師の顔や衣服に梅の花びらがハラハラと舞っている、その一枚一枚までじっくりとみることができました。
金の上に朱で描かれた落日はその濃淡が得も言われぬ美しさ。
全体は凛としてとても静謐な感じです。
ちょうど絵の前にソファーがあり、写真をとったりして(フラッシュなしでしたら、写真OKでした)
座って眺めていたら、隣の女性も感慨深く鑑賞していらした。
話してみると、なんと謡曲を長年たしなんでいる方で
謡曲「弱法師」はよくご存知で、たまたまこの絵をご覧になって感銘しているという。
「弱法師」の物語を教えてくださいました。
法師は本当はもっと小さい子供で、設定は梅の花の咲いている四天王寺の境内だという。
絵馬と塔婆があることでそれを表しているという。
落日の位置が最高だとその方はおっしゃった。
そしてこのあと、父親と会うことができてハッピーエンドの話なのよ、と。
うれしかった。
偶然とはいえ、謡曲の素養が全くない私がこの絵の物語についてこの場で知ることができるなんて。
話しを伺ってから絵をみると、この絵の精神性が何倍も感じ取れるような気がした。
法師の日想観(西に没する太陽を拝み、西方の極楽浄土を想い浮かべる修行)をする悟りの境地が
画面全体からつたわってくる。
その能面のような横顔からはうっすらと笑みさえうかがえ、
自分の置かれている状況を静かに受け入れ、み仏の心に包み込まれているのだろうとおもえた。
こんなに素晴らしい絵だったとは。。。
こちらの気持ちまで洗われるようだった。
「弱法師」の他にも、大観の「松並木」、古径の「阿弥陀堂」、青邨の「御輿振」、ゆき彦の「項羽」。 いずれも原三溪が支援した作家たちで、かつて旧蔵していた作品です。
作家が存分に絵筆を振るえるよう、理想的な環境を提供したのが三溪、その人でした。
お互いが深い信頼で結びついた、真の意味でのパトロネージュがそこにあったのでしょうね。
コメントありがとうございます。
同じフロアに展示されていたそれらの作品も三溪が旧蔵していた作品だったのですね。
どれも素晴らしくて、日本画のよさを堪能させてもらいました。
作品をみていると、三溪園のあの広い鶴翔閣に皆があつまり、絵が描かれ、飾られ、語り合っていた様子が想像できました。
三溪さんにとって至福の時間だったんだろうなあ、と。