更新がたいぶ空いてしまいましたが、元気でいました。
涼しくなったら急にやる気がでてきて、
足の踏み場もない程に山積みになってしまった本や資料の整理に没頭していました。
おかげでほぼ9割がた片付き、すっきりとしたところでいそいそと勉強をしています。
さて、少し前のことになりますが、
埼玉県東松山に在住のNさんに案内していただいて、夢酔い人Kさんと3人で、
川越藩の松山陣屋跡や大川平兵衛のお墓、大川平三郎翁記念公園などを見学してきました。
幕末の慶応3年に川越藩は東松山に陣屋をつくっていて、
現在東松山市役所の一角にその碑が建てられています。
日記によると堅曹さんは横浜の帰りによく寄っていて、
ある年の暮には甥の遠藤鏘平さんとそこで年を越しています。
遠藤鏘平さんはKさんやNさんの先祖になります。
市役所の駐車場に車を止めて碑を見学しましたが、当時の略図が案内板に書かれていて、
通りをいくつも含むかなり広い敷地であったことがわかりました。
そして陣屋の端にあった松山陣屋鉄砲場跡というのも見に行きました。
ここは八幡神社となっていて、古い道標なども残っている旧道に面しています。
150年くらい前にここで先祖たちは鉄砲の訓練をしたのだろうか、
この道は絶対歩いているね、などと3人で話しました。
次は車で移動して坂戸市の大川平兵衛の道場跡に行きました。
大川平兵衛とは神道無念流の剣豪で農民でしたが、
幕末の川越藩に召し上げられて剣術指南役を勤めた人物です。
門弟は3000人ともいわれ、尾高淳忠は弟子の筆頭となっています。
堅曹さんは門弟でもなく、剣術の流派もちがうのですが、意外なところに接点があります。
前橋にあった大川の家を後に堅曹が入手して住んでいました。
大川平兵衛のお墓は千坪余りあった道場の跡地にあり、
そこに大川平三郎翁記念公園もあります。
近くの川には今も「道場橋」という橋が架かっているそうです。
大川平三郎は平兵衛の孫にあたり、明治から昭和にかけて日本の製紙王といわれ活躍した大実業家です。
夢酔い人Kさんが『松平大和守家の研究』の本を持ってきていたので、それと照らし合わせて、
お墓をみたり、道場の建物の場所を想像したりしました。
その『松平大和守家の研究』という本は大和守研究会というところが発行しているものですが、
とても詳しく調査された研究内容が書かれていて、帰ってきてから本を求めました。
昨日届き、早速読んでみると、内容が充実していて、
先祖が松平大和守家の川越藩士だったら手元においておきたい本だとおもいました。
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