いつも私のブログを見てくださり、的確な情報を寄せてくださる藤沢のEさんから、
1月15日の日本経済新聞の記事を教えていただきました。
「アートが語る日仏150年
~幕末以降の関係示すポスターや版画など収集~」 クリスチャン・ポラック
クリスチャン・ポラック氏は早稲田大学と一橋大学で日仏外交史を研究。
現在コンサルタント会社を経営しながら、中央大学、立正大学で教鞭をとり、
フランス社会科学高等研究員日本研究所客員研究員でもある。
記事から少し抜粋すると、
・二国の交流史のキーワードは「絹と光」。
・58年に日仏修交通商条約を締結し、横浜開港の翌年、60年には絹商人が
横浜に上陸している。日本産生糸の半分が輸出されたフランスは日本の
最大の貿易相手国にのし上がり、横浜の外国人の5人に1人はフランス人と
いわれるまでになったのである。
・絹を求めて来日したフランス人が日本にもたらしたものが光、つまり近代化だ。
徳川家茂と交渉したロッシュ公史が蚕の見返りに申し出たのが、横浜や横須賀への
製鉄所、造船所の建造である。さらにリヨンにあった最新の工場の技術、機材を
持ち込んで富岡製糸場が建てられ、富岡をモデルに全国二十ヶ所に製糸場が
つくられた。
・「絹と光」に象徴されるようにフランスと日本の関係は、経済的に相互に依存して
いたために深く親密になった。横浜から帰国した絹商人が記事を寄稿し、
当時のパリの新聞は毎日、日本のニュースを報道していた。
外国人の5人に1人がフランス人!
パリの新聞は毎日、日本のニュースを報道していた!
そうかフランスの19世紀後半のジャポニズムはこうした側面の影響もおおきかったのですね。
同じ日(1月15日)の朝日新聞には文化面に次のような記事がでています。
「日仏芸術交流 150年機に新たな光」
・日仏交流150年の昨年以降、意欲的ないくつかの企画が、それ以外の交流に
光を当てている。
・最も驚いたのは美術史家の宮崎克己氏の発表だ。美術品の日仏貿易は、
19世紀後半は圧倒的に仏側の輸入超過で浮世絵や屏風が流出したが、
20世紀初めに逆転して日本の入超になり、印象派などの絵がはいったという。
この間に日本の政治・経済状況が大きく変わり、文化環境も一変したことが背景だ。
この記事を読むまで、ジャポニズムというと、浮世絵や印象派の絵のことしか
頭に浮かばなかったけれど、それには両国の経済状況が大きく関わっていたという。
絹を最大にして行なわれていた、日仏の貿易の変化が美術品の購入にも密接に影響していた。
ちょうど19世紀末から世界的にみてリヨンを中心とするヨーロッパ・フランスの絹市場は
アメリカの機械化の生糸消費におされ、ナンバーワンの座から落ちて低迷していくのです。
今年は横浜開港150年、さまざまな企画展や研究発表も行なわれています。
日仏の関係にしても、単に生糸貿易のことだけ見ていくのではなく、
それによる文化交流、人的交流がおよぼしたものという視点をもって見ていくと
とても広がりがでて、面白いとおもいました。
さて、クリスチャン・ポラック氏は長年両国の交流を示す文献から美術作品まで
捜し求めては収集をしてきました。
それが今月16日から東京・銀座のシャネル・ネクサス・ホールで展示されています。
「交差する眼差し」 クリスチャン・ポラック コレクション
早速初日に行ってきました。
これは次回に。
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