また昨日の続きです。
・女性は時代において長く抑圧されてきたかどうか知らないが、男が男だけでかたまって何かしていると、「陰で何か面白いことやっている」と疑う傾向があるように思う。けれど、これは誤解である。たとえば男同志の代表的な会合として麻雀があげられる。私たちは下品なダジャレを頻繁に口にするので、そこに女性がいると困るのである。
・私が女の「シナ」を目の当たりにしたのは、高校生のときが最初であった。2歳年上の姉が学校帰りに喫茶店に来いという。そこには姉のボーイフレンドらしき男がいた。その時の姉は私にミョーにやさしかった。むろん多面性は男にもある。しかし男は確信して使い分けるのに対して女性は無意識のうちに使い分けているフシがある。ところで、私はなかなか見ることができない女の「シナ」を、つい最近またしても目撃している。小さな制作会社を牛耳っている才色兼備のプライドの高い女性がいた。ある日、長身でハンサム、腕のいいグラフィック・デザイナーが現れると、かいがいしく珈琲を出し、私の分まで出してくれた。男がいる間、彼女は明るくおしとやかに振る舞った。デザイナーが退場すると、事務所には奇妙な沈黙が流れた。「そうか、オレたちは恋愛対象ではなかったのか」女の「シナ」を目の当たりにするということは、少しサビシイ事実を受け入れることになるのである。
・Iちゃんというのは私が新宿のゴールデン街でスカウトしたグラフィック・デザイナーの女の人である。しかしI
ちゃんには困った癖があって、少し混んだ電車に乗っていると、私を痴漢扱いして、周囲の視線を集めることがある。Mちゃんは音楽ライターとしていくつか仕事をお願いしているうちに、専用のデスクができて、気がついたら社員になっていた。彼女は酒が入るといい具合にキレてしまう。一度本物のヤクザ方面の方を相手に「ちょっとー、なんならオモテに出なさいよ!」と得意のタンカをきり、私が平謝りの態勢を取ると、相手は苦笑いしていた。本人はまったく覚えてないらしい。当人がこの本を読まないことを祈る。
・いま私の周囲では「吉田栄作ウォッチング」というのが流行っていて、仕事場や酒場で大いに盛り上がっている。先日もエドウィン主催の「ベスト・ジーニスト」に選ばれ、「リーバイスしかはかない」と発言していた。しかし同性からの風当たりは強く、硬派系男の子雑誌の『GORO』や『週プレ』では罵詈雑言を受けていた。そこでこれを書くにあたって女子大生に聞いてみたら、「ああ、吉田栄作なんてそろそろ落ち目ですよ。これからはアズマ・ミキヒサですよォ」と言われた。吉田ァ、こうなったら私は断固応援するからなあ。
・私はがさつな性格のせいで、コレクションの趣味というものを子供のころから一度ももったことがない。たとえば、ビートルズのアルバムを私はかねてから「全部もっている」と吹聴しているが、実はウソで『イエロー・サブマリン』をもっていない。つまらないアルバムだと分かっているからなのだが、このことで延々と悩んでいる。こういう気持ちは女性にはなかなか理解できないと思う。
・洋の東西を問わず「ひとりでいる女」というのはなかなか放っておいてもらえない。ところが、女性がひとりでいても気持ちいいほど周囲が放っておいてくれる国もある。私の好きな香港である。
・「美人」というレッテルが、いつどこで誰によって貼られるのか、私の長年の疑問である。女性の派手目のオシャレというのが、それだけで誉め言葉を強要する力を持っているのも事実だ。
・私は女性誌というものを積極的に「できるだけ読みたくない」という意識がある。それは雑誌がオシャレでインテリっぽくて、生き方とか人の内面に向かっているほどダメだ。男性誌では意味をなさない「同性礼賛」や「素晴らしい感覚」が、女性誌では常套手段となっているのである。今の世の中、「女は強くて素晴らしい」と言っていれば、誰からも攻撃されない状況になっている。(また明日へ続きます……)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
・女性は時代において長く抑圧されてきたかどうか知らないが、男が男だけでかたまって何かしていると、「陰で何か面白いことやっている」と疑う傾向があるように思う。けれど、これは誤解である。たとえば男同志の代表的な会合として麻雀があげられる。私たちは下品なダジャレを頻繁に口にするので、そこに女性がいると困るのである。
・私が女の「シナ」を目の当たりにしたのは、高校生のときが最初であった。2歳年上の姉が学校帰りに喫茶店に来いという。そこには姉のボーイフレンドらしき男がいた。その時の姉は私にミョーにやさしかった。むろん多面性は男にもある。しかし男は確信して使い分けるのに対して女性は無意識のうちに使い分けているフシがある。ところで、私はなかなか見ることができない女の「シナ」を、つい最近またしても目撃している。小さな制作会社を牛耳っている才色兼備のプライドの高い女性がいた。ある日、長身でハンサム、腕のいいグラフィック・デザイナーが現れると、かいがいしく珈琲を出し、私の分まで出してくれた。男がいる間、彼女は明るくおしとやかに振る舞った。デザイナーが退場すると、事務所には奇妙な沈黙が流れた。「そうか、オレたちは恋愛対象ではなかったのか」女の「シナ」を目の当たりにするということは、少しサビシイ事実を受け入れることになるのである。
・Iちゃんというのは私が新宿のゴールデン街でスカウトしたグラフィック・デザイナーの女の人である。しかしI
ちゃんには困った癖があって、少し混んだ電車に乗っていると、私を痴漢扱いして、周囲の視線を集めることがある。Mちゃんは音楽ライターとしていくつか仕事をお願いしているうちに、専用のデスクができて、気がついたら社員になっていた。彼女は酒が入るといい具合にキレてしまう。一度本物のヤクザ方面の方を相手に「ちょっとー、なんならオモテに出なさいよ!」と得意のタンカをきり、私が平謝りの態勢を取ると、相手は苦笑いしていた。本人はまったく覚えてないらしい。当人がこの本を読まないことを祈る。
・いま私の周囲では「吉田栄作ウォッチング」というのが流行っていて、仕事場や酒場で大いに盛り上がっている。先日もエドウィン主催の「ベスト・ジーニスト」に選ばれ、「リーバイスしかはかない」と発言していた。しかし同性からの風当たりは強く、硬派系男の子雑誌の『GORO』や『週プレ』では罵詈雑言を受けていた。そこでこれを書くにあたって女子大生に聞いてみたら、「ああ、吉田栄作なんてそろそろ落ち目ですよ。これからはアズマ・ミキヒサですよォ」と言われた。吉田ァ、こうなったら私は断固応援するからなあ。
・私はがさつな性格のせいで、コレクションの趣味というものを子供のころから一度ももったことがない。たとえば、ビートルズのアルバムを私はかねてから「全部もっている」と吹聴しているが、実はウソで『イエロー・サブマリン』をもっていない。つまらないアルバムだと分かっているからなのだが、このことで延々と悩んでいる。こういう気持ちは女性にはなかなか理解できないと思う。
・洋の東西を問わず「ひとりでいる女」というのはなかなか放っておいてもらえない。ところが、女性がひとりでいても気持ちいいほど周囲が放っておいてくれる国もある。私の好きな香港である。
・「美人」というレッテルが、いつどこで誰によって貼られるのか、私の長年の疑問である。女性の派手目のオシャレというのが、それだけで誉め言葉を強要する力を持っているのも事実だ。
・私は女性誌というものを積極的に「できるだけ読みたくない」という意識がある。それは雑誌がオシャレでインテリっぽくて、生き方とか人の内面に向かっているほどダメだ。男性誌では意味をなさない「同性礼賛」や「素晴らしい感覚」が、女性誌では常套手段となっているのである。今の世の中、「女は強くて素晴らしい」と言っていれば、誰からも攻撃されない状況になっている。(また明日へ続きます……)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)