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山田詠美『珠玉の短編』その4

2017-10-31 04:57:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 これまでも、この先も、ああ、困難だらけ。でも、どうってことない。受難は、私の得意科目。逆らうことなく、粛々と受け止め、運命のなすがままに身をまかせて行けば、必ずや神のお導きがあるに決まっているのだ。彼は言った。「みこちゃんは、可哀相な子だね」私の奥深い部分で沈黙を守っていたものがぴくりと動いた。「実は、ぼくも可哀相なんだ」え? と思い、動きを止めて彼を見る。「二人一緒に可哀相な者同士にならないか。そして、お互いの存在に同情し合おう」はあ、と思わず曖昧に頷いてしまった私であった。体内で息を吹き返しかけた攻撃的な生き物が、拍子抜けしたように、再び眠りに落ちて行く。「可哀相は魔法の言葉だよ」え? ごめんちゃいじゃなかったの?「言ってみてよ。ぼくに。可哀そうって」私は口を開きかけるが、矜持が邪魔をして声にならない。改宗の危機か。あんなにも長かった苦役と信心の果てに? まさか、そんな、かわいそうなこと。
『生鮮てるてる坊主』
 その夫婦と私は親しかった。夫である勝見孝一と妻の虹子とも友人だった。けれども、二人をひと組としてまとめて友人夫婦と呼ぶのは少し違うような気がした。何故なら、私は、虹子よりも孝一の方に強い親近感を覚えていたし、深い友情を感じていたから。問題は、虹子が友情だけでつながっている男女関係を理解していなかったことだった。それにしても虹子と来たら、どうしていつも自分を痛々しく見せる言動ばかり取るのだろう。他人の言葉を軽く流すということを知らない。他愛ないことでも毛を逆立てる敏感な動物のようだ。ある日、孝一から自分が出張で家を空ける週末、虹子の様子を見て欲しいと言われた。虹子はぽつりと呟いた。「あたしも子供とか欲しいかもなあ」「……あたしだってって、どういう意味? まさか孝一が誰かと?」「誰かって、奈美ちゃんじゃない? 奈美ちゃんとうちの孝ちゃん、あたしと会うずっと前から仲むつまじく二人の子供を育てて来たんでしょ? 何人も何人も作って、たっぷりと愛情をかけて大きくして、それでも足りずに交尾をくり返して、また産んで、幸せな育児のくり返し……」「虹ちゃんが私と孝一をそんなふうにたとえるのは間違ってるよ。私たちに恋愛感情なんかはなからないんだし」本当は、私たちの育んだ「友情」は恋愛などよりも、はるかに性質の悪いものではなかったか。私たちにとっては香水であるものも、他の人間、たとえば虹子にとっての毒薬となるもの。「二人共、あたしを見くびってるけど、あたしだって、大人のおもちゃくらい知ってるんだもーん。孝ちゃん、奈美ちゃんと楽しむためにあたしと結婚したのね……」その瞬間、私は、虹子の頬を打っていた。虹子は泣き止もうとしなかった。「みんな雨のせいなの。あたしが変になっちゃったのはいつもいつも雨のせいなの。雨、止むように、あたし、てるてる坊主作るから」「てるてる坊主、ずっと作ってなさいよ」もう、会うことはないかもしれない、と私は思った。その晩、私は、孝一に虹子のことを報告しなくてはならなかった。孝一は、予定を繰り上げて、東京に戻った。そして、その足で私の部屋に直行した。開けられたドアの前で相手の姿を目にした瞬間に、私たちは、すべきことを同時に悟った。そして素直にそれに従って、寝た。最初で最後になるであろうと察しが付いたので、この際だからと思い切り楽しんだ。「何年かに一ぺんはこうしたら良かったんかもしれない」「そう思えるなら、もうしなくても良いのかもなあ」同意した。虹子とは、あれ以来、疎遠になって行った。そうこうしている内に、彼女が妊娠したと孝一から聞いた。「今は、落ち着いてさ、すごく満たされている感じ。以前の困ったちゃんな言動はまるでなくなったよ」虹子が出産して二ヶ月ほど経った頃だろうか、私は久し振りに勝見家を訪れた。「ね、虹ちゃん、早く赤ちゃん見せて」「うん。こっちへ。でも、その子、あたしの子じゃないのよ」「は? どういうこと?」「ほら、托卵って、奈美ちゃん、聞いたことあるでしょ? カッコウなんかの鳥が、他の鳥の巣に産卵して、その卵を孵化するまで温めさせること。うちの子、それだったのよ。あーあ、早く雨、止まないかしら。ほら、あそこ。新しく、うんと生き生きしたのも下げてみたんだけど」そう虹子が指差した縁側の上のカーテンレールには、いくつものてるてる坊主がぶら下がっていた。(また明日へ続きます……)

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山田詠美『珠玉の短編』その3

2017-10-30 06:42:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 大人の男たちが近付いて来る場合は、性的なものも加わった。しかし私は耐えた。そして、そうすればそうするほど、新たな罪人たちが押し寄せて、私のオアシスに首を突っ込んだ。次第に順番を待つような秩序は失われ、大混乱となった。そしてとうとうその日がやって来たのである。心の奥底から、くわーっ、辛抱たまらん! という声が湧きあがり、地鳴りのように体中に響き渡ったのである。次の瞬間、私は、ある特定の人物に向けて念を送っていた。「死ね。うんと、苦しんで死ね」その思いは正確に届いたらしく、彼はのたうち回って死んだ。同級生の男の子だった。名前は初野仁志という。私をいかに陰惨に苛め抜くかに常に心を砕いている生徒だった。私が苛められることに麻痺していた頃、初野仁志が私に与える危害は、他の危害の中に埋没しつつあった。彼は次第にあせり始めた。そしてある時、苛められている私に近付くと、「可哀相に」と言って、私を助け起こし、「この子に与えなくてはならないのは、存在していることへの制裁ではない。同情だ」と言ったのである。その瞬間、私の中ですっかり馴染んだ筈の痛みや苦しみが、新たな輪郭を携えて立ち上がって来たのだ。屈辱も姿を現わし、同時に、忘れていた様々な感情が甦って、私という器の中で大暴れを始めたのである。それら全部を放出して楽になりたいと切に願った私は、大量のどす黒い感情を、初野仁志に向けて噴き上げた。すると、それはすぐさま念に姿を変え、またたく間に標的を覆い尽くした。「死ね。うんと、苦しんで死ね」数日後、彼の家族の者たちは、次々と不幸な死に見舞われた。そして、たったひとり残されたのが、末っ子の仁志であった。順序良く家族を亡くして行くという悲痛な経験をくり返しながら、彼は生き地獄の責め苦にあえいでいた。その内、原因不明の病で闘病生活に入った。そして、これ以上ない苦痛の中で悶絶したあげくに、ついに絶命した。しかし、積年の恨みをはらしてせいせいしたとは、私は思わなかったのである。それよりも、意外にカジュアルな感じで、あれまっ! と呟いたのだ。もしかしたら、体質が変わったのかも、と気になり、初野仁志の次に私をひどく虐げた女生徒にも念を送ってみた。その女生徒もさまざまな要因から辛酸を嘗めた後、錯乱状態で用水路に身を投げた。じゃあ、こうしたらどうなる? と続けて性的悪戯をされ続けた叔父にも念を送ってみた。すると、やはり、彼はどん底生活に突き落とされ、無念の内に息を引き取った。断腸の思いだ! と絶叫したところ、本当に腸が千切れ飛んで、後片付けは大仕事だったという。ここまで来て、私は確信した。自分には、ある能力が備わったのだ。世にも稀な復讐の才能が与えられたのだ。そこで、私が選んだのが世界最小の教団の設立である。神の私、教祖の私、信者の私。ついでに巫女もねっ。こうして、みこちゃん教は始めの一歩を踏み出したのだった。その輝かしいきっかけを作った初野仁志には慈悲の心と共にホーリーネームが授けられることとなった。その名も「初の人死」負のみこちゃん遺産として、わつぃの心の奥底に、いつまでも留め置かれることであろう。しかし、あまりありがたくない。私は、自分の特殊能力を、当面、封印すると決めた。やり過ぎの教祖は糾弾されるって、過去の事例が証明しているもんね。それからの私の生活は、時に、オーラやカリスマがあるなどと、その存在感に一目置かれるかと思えば、孤高を持する者の境地を全然理解しない俗物たちに、気取ってらあ、などと陰口を叩かれた十代から二十代にかけての学校生活。そして、社会人になってからは、高嶺の花と敬遠されたり、取っ付きにくいと煙たがられるように、要するに近寄りがたいってことね。でも、ぜーんぜん、気にしない。あなた方とはステージが違うんだから仕方がないの。ごめんちゃい。あ、「ごめんちゃい」は仏教の「南無」やキリスト教の「アーメン」に通ずるもの。ともすれば、荘厳になり過ぎる宗教心に、あどけなさを演出する帰依、敬礼(きょうらい)の言葉に他ならない。あれほど長きに渡って続いた苛めや嫌がらせは急速に減って行き、その内、ぴたりと止んだ。受難の末に、とうとう私は、決して尊厳を侵されることのない高みに上り詰めたのであった。たまに、私から滲み出てしまう神々しさに気付かない鈍感な男がちょっかいを出して来たりした。最初の頃は、この罰当たり共め! と牙を剥いて威嚇したものだが、その内、生贄として神であるみこちゃんに供える機会も増えてきた。目の前にいるこの殿方は、生贄は生贄でも、実は隠れ生贄。いえ、隠し生贄と呼ぶべきか。何故なら、彼は、会社の上司にして他の女のだんなさん。しかも、その妻は、同じ社の役員の娘さん。(また明日へ続きます……)

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山田詠美『珠玉の短編』その2

2017-10-29 06:53:00 | ノンジャンル
 昨日からの続きです。
 どうやら、漱子の小説など真剣に読んでいないようだ。珠玉の復権などと言い出したのも怠慢を誤魔化すためのでっち上げだろう。元々、誉めるところに苦労する短編には「珠玉の」と付けて置くのがならいなのに違いない。適当に流しても問題のない仕事は極力そうする。正しい編集者の姿勢だ。夏目漱子の短編の題名は「きょうだい血まみれ猫灰だらけ」という。漱子は玉本のおかげで「珠玉」について考えてしまった。まずは、敵のことを知らなくてはならない。現に、今日、締め切りがせまりつつある作品に着手するべく最初の一行を書き出したら、こんなふうになってしまったのである。〈夫が逝ったのは、五年前の春、ちょうどいまこの時のように、はらはらと桜が散りそめる午後の光の中でだった。〉あっあー、なんでー!?と慌てふためく漱子であった。本来なら、自分は、こう書き始めるべきではないのか。〈夫が獄死したのは、五年前のリンチ、ちょうどいまこの時のようにたらたらと血が流れ続ける肛門裂傷の果てであった。〉そこで覚醒した漱子は、急きたてられるようにして、玉本に電話した。「きょう猫」の書き直しを掲載して欲しいと頼むためである。「題名も変えようと思ってんだわ。『きょうだい死だらけ猫愛だらけ』とかさ」。恐る恐るの提案だったが、玉本は、快く承諾した。そして掲載誌が送られて来た。心ならずもわくわくして目次を開いた漱子だが、またもや唖然とせざるを得なかった。題名の横にあったのは〈真心の掌篇〉の一行。ふう。今度は真心に取り憑かれるのか。夏耳漱子の受難は続く。
『箱入り娘』
 新しく作られた工場の工場長の娘・美津子は文字通り箱入り娘でした。私・治子は小さい食堂屋の娘で、美津子はあこがれの的でした。美津子は自分のことを「引き受けられるか、そうじゃないかを話し合われる子なの」といいます。「どうして?」「さあ。悪い子だからじゃない?」。美津子の家に招かれた私は、つい「箱入り娘」という言葉を口にしてしまうと、それに激昂した美津子はチェストと呼ばれる大きな箱を開け、中身をすべて外に出し、その箱の中に私を突き飛ばしました。その勢いでバランスを崩した私は箱の中にすっぽりとはまってしまったのです。「これから、ずうっと、美津子の召し使いになるんなら、ここから出してやってもいいよ」。私は黙ったままでした。「美津子の召し使いになったら、欲しいものは何でもあげるよ」。やがて美津子の声がしなくなり、私は難なく箱から外に出ることができました。それ以来、私は、美津子の意のままに動いていました。「箱入り娘になった気分はどうだ?」「はい、とってもとっても幸せです」「そんなことはないだろう!」「とってもとっても幸せです」「嘘だ! そんなことはないだろう! つらいと言え!」「いいえ、幸せです。ようやく箱入り娘になれて幸せなのです」このような仕様もないやり取りがくり返された揚句に、美津子は泣き出してしまうのが常でした。地元の子供たちによる妬みと美津子の理不尽な要求に耐えながら、今は、人間修行の時なのだ、と自分に言い聞かせたものです。でも、私が耐え難きを耐えていたのは、本当は理由があったのでした。それは工場長さんと未亡人である私の母との密会の場を目撃してしまったことでした。工場長さんとお母ちゃんが結婚したら、私は箱入り娘になる! どうしよう、本当にそうなったら。そうです。その期待が、私に忍耐を強いていたのでした。しかし、もちろん、そんなふうに上手く事は運ばず、時流に乗れなかった工場長さんの会社はやがて閉鎖され、美津子もいなくなったのでした。風の噂によると、その数年後に胸の病で死んだそうです。りっぱな柩の中の顔は、それはそれは美しかったと聞きました。あれから五十年余りが経ちました。このたび私も、とうとう本物の箱入り娘になれました。ずい分と年は食ってしまいましたが、心持だけは娘のままで、もうじき、私は、焼かれます。
『自分教』
 自分は神であり、教祖と信者も兼ねている存在である。ひとり宗教は「みこちゃん教」と呼ばれる。私の名前である神戸巫女から付けた。本名は美子(みこ)であるが、勝手に改名させてもらった。数々の受難の末に、私が啓示を受けたのは中学の時。幼い頃から、みこちゃん教を開くまで、理不尽な扱いを受けた経験は数限りない。意地悪、苛め、仲間外れ、濡れ衣、裏切り、捏造など、犯罪人としてしょっ引いて行けないからこそ始末に困る類のちゃちな悪意なら、ほとんどすべて受け止めて来た。叔父は「美子ちゃんが、あまりにも可愛らし過ぎて、何とかして気を引きたくなっちゃうからだよ」と言い、パンツに手を入れて来て、下半身を押しつけてきた。言葉、肉体における暴力は蔓延していた。(また明日へ続きます……)


山田詠美『珠玉の短編』その1

2017-10-28 06:22:00 | ノンジャンル
 山田詠美さんの’16年に刊行された本『珠玉の短編』を読みました。11編の短編からなる本です。
『サヴァラン夫人』
 小さい頃からのマリの憧れであった母の友人の夏子さんの本業は精神科の医師でしたが、占い師に転職しました。確かに夏子さんの言葉は説得力に満ちていました。ただ、最初に告げるのです。「どんなものを食べていらっしゃるの? それによって、どんな人であるかが私には解りますよ」。そして「夏子の館」も、「サヴァランの館」と改名され、幼い頃から、夏子さんにまとわり付いていたマリは、急に忙しくなった「サヴァランの館」で手伝いをすることになりました。弟子としての修業の道のりは、まだまだ長く続くでしょうけれど、精進する所存です。がんばって、憧れのサヴァラン道を極めなくては。「食べ物の栄養は食べ物だけでは成り立っている訳ではないのよ。あなたは、ご両親と一緒に家族の平和を食べているの」。この言葉を聞いた途端、、涙が出そうになりました。当然、一番近くにいるマリは、今、夏子さんがどのような食事をしているかを知っていました。彼女は料理を作ることはほとんどなく、近くにある小料理屋に通っていました。店の名は、「わかつき」といいました。店主が若月さんだからです。板前さん独特の清々しい美男子でした。「あの人は、血が澄んでいるという感じがするわね」初めて「わかつき」を訪れた時、夏子さんがそう呟いたのを、マリは聞き逃がしませんでした。夏子さんは、血の澄んでいるらしい男が大の好物なのでした。若月さんと夏子が男女の関係になった日がいつであるかをマリは知っていました。案の定、その日を境に若月さんと夏子さんの親密度は増して行きました。「わかつき」でしか見ることのなかった若月さんの姿を、マリは、サヴァランの館に続く夏子さんの自宅でもたびたび見かけるようになりました。そこでは、お世辞にも上手とは言えない夏子さんの手料理に彼が舌鼓を打っているのでした。ある日、夏子さんはマリを呼んでこう告げました。「マリちゃん、私ね、サヴァランの館を閉めようと思うのよ。ここを閉めて、ワカちゃんの帰りを待つ女になりたいの。お店で、人のために料理を作り続けて疲れたワカちゃんに、おうちで私の手料理を食べさせてあげたいなあって……」。あの、まずい料理を!? なんと迷惑な! マリの頭の中は完全に混乱してしまいました。放り出されたような気持ちで途方に暮れるマリでした。あの人に憧れて、ここまで来たのに。青春を捧げたのに。憎い。仕返ししてやる! 復讐の機会は、いとも簡単に訪れました。それは、恨みをはらすためであると同時に、今でも思うだけで胸が痛くなるくらいにいとしい人であった夏子さんと同じものを食べてみたい、という欲望をまっとうするための行為でした。若月さんは、すぐに誘いに乗りました。女子高生に弱いのは、どの男も同じのようです。「わかつき」のお店で、「夏子さんとも最初はここだったんですか?」マリが冷ややかに問うと、若月さんの顔には怯え切った色があります。「大丈夫です。絶対に言いませんよ」途端にほっとして表情を浮かべる若月さんをながめながら、マリは、ゆっくりと体を起こし、カウンターから降りました。そして跪いて、彼のパンツのジッパーを降ろしました。すると、待ちわびていたかのようにブリーフのゴムの上から膨張した性器が飛び出して来るではありませんか。これから時間をかけて味わうつもりです。サヴァラン夫人二世の誕生も間近です。
『珠玉の短編』」
 そもそもは、某小説雑誌の目次が始まりだったのである。彼女の書いた小説の題名の横に、こんな惹句があったからだ。珠玉の短編------健気に身を寄せ合う兄と妹の運命やいかに……。夏耳漱子が憤るのも無理はなかった。彼女は、凄惨極まりない殺人場面や露骨な性描写を、これでもかこれでもかと畳み掛けるようにして登場させ、しかも、その一部始終を緻密に執拗に描く作風で知られている小説家だったからである。いや、知られているといっても、読後感の不快さ故に良心的読者には敬遠され、一部のマニアたちから熱狂的に支持されるという類の認知度であった。今回の短編も、その熱狂的読者を裏切らない内容であった。兄と妹が獣のような近親相姦の禁忌の快楽に溺れ、それを追求するあまりに、果ては互いの心身を傷付け合い、殺し合い、ついには息絶えることで、誰にも理解し得ない至福を共有し、限りなく愛に近い互いへの思いを完遂する。編集者の玉本に抗議の電話を入れると「今、珠玉の短編って、ほとんど死語じゃないですか。そう考えると、もう気になって気になって、自分の名前の前に玉が付いているというのもあるかもしれません。で、この辺いけるかも、と目を付けた箇所に珠玉という言葉を滑り込ませてるんですよ」(明日へ続きます……)

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福岡伸一さんのコラム・その3

2017-10-27 06:19:00 | ノンジャンル
 今年の6月29日、朝日新聞の木曜日の恒例のコラム「福岡伸一の動的平衡」で、「命の美しさ 感じる心こそ」と題するコラムが書かれていました。全文を引用させていただくと、
「子どもの育ちにとってもっとも大切なものはなんだろう。それは早々と九九が言えたり、英語がしゃべれたりすることではないはずだ。知ることよりもまず感じること。そう言ったのは、卓越した先見性をもって環境問題に警鐘を鳴らした生物学者レイチェル・カーソンである。彼女は「センス・オブ・ワンダー」という言葉を使った。驚きを感じる心、とでも訳せようか。何に対する驚きか。それは自然の精妙さ、繊細さ、あるいは美しさに対してである。
自然とは、アマゾンやアフリカのような大自然である必要は全然ないと思う。ほんの小自然でよい。近くの公園や水辺? いや、コンクリートに囲まれ、空調の中に住み、電脳世界に支配される私たちにとって、もっとも身近な自然とは、自分自身の生命にほかならない。私たちはふいに生まれ、いつか必ず死ぬ。病を得れば伏し、切れば血を流す。これこそが自然だ。そして私の生命はいつもまわりの自然と直接的につながっている。
心臓の鼓動がセミしぐれの声に、吐いた白い息が冷たい空気の中に、あふれた涙がにじんだ夕日に溶けていくことを感じる心がセンス・オブ・ワンダーである。それは大人になってもその人を支えつづける。私の好きな高野公彦に次の歌がある。〈青春はみづきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき〉」

 また、7月27日の朝日新聞の朝刊に掲載された、同氏の「作ることは、壊すこと」と題されたコラムを全文引用させていただくと、
「伊勢神宮と法隆寺、どちらが生命的だろうか? ある建築家と話していて、こんな奇妙な議論になった。私が、生命を生命たらしめているのは、絶えず分解と合成を繰り返す動的平衡の作用である、と言ったからだった。20年に1回、新たに建て替えられる伊勢神宮の方に一見、分があるように思える。が、法隆寺の方は、世界最古の木造建築といわれながら、長い年月をかけてさまざまな部材が常に少しずつ更新されてきた。その意味で、全とりかえをする前者よりも、ちょっとずつ変える後者の方がより生命的ではないか。これが私の意見である。
ところで世間では、しばしば、解体的出直し、といったことが叫ばれるが、解体しなければニッチもサッチもいかなくなった組織はその時点でもう終わりである。そうならないために、生命はいつも自らを解体し、構築しなおしている。つまり(大きく)変わらないために、(小さく)変わり続けている。そして、あらかじめ分解することを予定した上で、合成がなされている。
都市に立ちならぶ高層ビル群を眺めながら思う。はたしてこの中に、解体することを想定して建設された建物があるだろうか。作ることに壊すことがすでに含まれている。これが生命のあり方だ。そろそろ私たちも自らの20世紀型パラダイムを作り替える必要があるのではないだろうか。」

 また、10月19日の朝日新聞の朝刊に掲載された、同氏の「霜柱の素朴な研究」と題されたコラムを全文引用させていただくと、
 「北国からは早くも初冠雪や初霜の知らせが届き出した。都会はすっかり舗装されてしまったが、私が小学生の頃はまだ、寒い朝、通学の路傍のあちこちの地面に霜柱ができていた。それを運動靴で踏んでいくと、ウェハースをかむようにサクサクと気持ちのよい音がした。
 霜柱とは、土の中の水分が凍って地面を押し上げたもの、と思われがちだが、話はそんなに簡単ではない。実はここにちょっとしたミステリーがある。霜柱を形成する氷の量は、もともとその厚みに含まれている水の量よりずっと多いのだ。水はいったいどこからくるのだろう?
 氷と雪の研究で有名な中谷宇治吉郎の随筆を読んでいたら面白い記述があった。戦前、身近な霜柱の生成に興味を持った子どもたちがいた。自由学園の女子生徒たちである。彼女たちは凍てつく夜、霜柱に目印をつけたり、ブリキ缶を埋めたりして実験を重ね、ついに水が毛管現象で地中深くから吸い上げられていることを突き止めた。中谷は『この研究にとりかかられた娘さんたちの勇気には、大いに敬服した』『無邪気なそして純粋な興味が尊いのであって、良い科学的な研究をするにはそのような気持ちが一番大切なのである』と高く評価した。素朴な研究であっても専門家を瞠目させることがある。科学の萌芽(ほうが)は霜柱の成長に似ている。」

 いずれの文章も大変興味深く読ませていただきました。皆さんは読んでみて、いかがでしたか?

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