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ロバート・アルトマン監督『ロング・グッドバイ』

2013-05-31 05:01:00 | ノンジャンル
 CDを整理していて、久しぶりに『天地総子大全 フーコのコマソン・パラダイス』を聞きました。ご本人が前がきで「待ってました!」と書いてらっしゃる通り、当時の天地さんは私のアイドルの一人であり、懐かしい曲にあふれているCDでした。その声の変幻自在ぶりは驚くばかりで、またご本人が「本アルバムの守護神となって多大なるお力添え下さった」と書いているお一人があの濱田高志さん(ルグランの決定本を出版された方)であることに気付きました。リフレットの最後に『NHK少年ドラマ・シリーズ「タイムトラベラー」オリジナル・サウンドトラック」が売り出されていることを知り、すぐにアマゾンの中古で2千円を出し衝動買いしてしまったことも付け加えておきます。

 さて、ロバート・アルトマン監督の'73年作品『ロング・グッドバイ』をWOWOWシネマで再見しました。
 朝の3時に腹の空いた猫に起こされた私立探偵のマーロウ(エリオット・グールド)は、猫がいつものブランドの餌しか食べないため、その餌を買いに出ます。向かいの部屋でセミヌードで踊る若い女性たちに声をかけられるマーロウ。店にはいつものブランドの餌はなく、マーロウは別の餌を買い、家に戻ると、猫に見つからないようにブランドの餌の缶に、今買ってきた別の会社の餌を入れて、ごまかそうとしますが、猫はやっぱり食べようとせず、鳴き続けます。
 翌朝、知り合いのテリー・レノックスが頬に引っ掻き傷をつけて訪ねて来て、妻のシルビアとケンカし、ある男たちに追われているので、今すぐメキシコのティファナまで逃げたいと言い、マーロウは彼を自分の車に乗せて出発し、国境付近で降ろします。
 巡査部長のグリーンがマーロウの元を訪ねてきて、「下にレノックスの車があるが、夕べはどこにいた?」と言い、レノックスの住所録にマーロウの名前が載っていたので訪ねてきたと言います。「質問に答えるつもりはない。何か容疑でも?」とマーロウが言うと、グリーンはマーロウを警察へ連行します。写真を写され、指紋を採られ、尋問を受けたマーロウは、殺人犯の逃亡を助けた容疑が自分にかかっていて、レノックスの妻が殴り殺されたことを教えられます。マーロウはレノックスの本名がレニー・ポッツで、単なるコソ泥でしかなく、オーガスティンの仲間だったと言いますが、グリーンはレノックスが妻とは不仲で、博打でも負け続きだったとマーロウに教えます。
 そしてその3日後、マーロウは、ファーマー警部からレノックスが死んで一件落着となったと知らされ、釈放されます‥‥。

 アルトマンの映画を見るのは実に久しぶりで、彼の作品を思い出そうとしても『M★A★S★H』しか思い出せず、ウィキペディアで調べてようやく、そう言えば『ギャンブラー』もあった、『ナッシュビル』『ウェディング』もあった、『ボウイ&キーチ』もあった、そして『イメージ』『三人の女』『クインテット』、それに『ポパイ』なんてのもあったなあ、と思い出した始末だったのですが、久しぶりに見た『ロング・グッドバイ』は以前に見た時よりも数段楽しめ(というか、以前に見た時の記憶がなぜかほとんど残っていない)、潮騒の音が常に耳を包み、ジョン・ウィリアムスによる『ロング・グッドバイ』のせつないメロディーが繰り返し流れ、必要最小限のカット割り、滑らかな移動撮影、そして浜辺で遊ぶマーロウの姿が窓に映って、窓の中のウェード夫妻が話している姿に重なるという素晴らしいシーンや、ロジャーが荒波の夜の海に消えていくシーンなど、ヴィルモス・ジグモンドによる撮影ならではの印象的なシーンがたくさんあり、エリオット・グールドのコミカルでありながらもシニカルなマーロウもなかなか良くて、今現在、私の中でのアルトマン作品ではこの映画がベストワンに躍り出ることとなりました。ちなみに、上記以降のあらすじに関しましては、私のサイト( Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/))の「Favorite Movies」の「その他の傑作」にアップしておきましたので、興味のある方は是非そちらをご覧ください。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

青木理『絞首刑』

2013-05-30 00:38:00 | ノンジャンル
 青木理さんの'12年作品『絞首刑』を読みました。死刑に関わる人々――執行にあたる人々はもちろん、死刑囚や被害者の遺族までを含む人々――の心中に渦巻いているだろう感情の深淵を、現場取材で多角的に、包括的に描いたノンフィクションです。
 この本で扱われている死刑囚は、1994年に大阪、愛知、岐阜の三府県にまたがって、当時18~19歳だった3人の少年を中心とする少年・少女グループが、わずか11日間の間に4人の男性に集団リンチを加え、次々に殺害してしまった事件(主犯格とされた3人の少年全てが死刑とされたが、少年事件をめぐって複数の被告に1度に死刑が言い渡されたのは戦後初。うち2人は劣悪な環境の中で育っていた)、覚醒剤を常用し、1981年に前妻の実家で前妻の義姉とその兄を殺害し、現場に居合わせた2人の少女にまで重傷を負わせた事件(自立歩行もままならない車椅子の障害者で、自身が犯した罪を悔悟して敬遠なクリスチャンになっていた75歳の死刑囚をクリスマスの日に死刑執行した。彼は幼い頃に同居していた男に連日のように激しい暴力を加えられていた)、保険金詐欺などを目的とし、1979年から1983年にかけて愛知県や京都府で計3人の男性を殺害した事件(この死刑囚は被害者遺族と不思議な交流をするようになり、ついには被害者の遺族側が「死刑を執行しないでほしい」とまで訴えるようになっていたが、死刑が執行された)、2003年8月、埼玉県熊谷市で風俗店店長の男性を刺殺し、それを目撃した女性まで拉致して1人を殺害、2人に重傷を負わせた事件(この死刑囚は「死刑とは反省の時間を与えないことを意味するのだから、自分が死刑を望む代わりに反省しない」と豪語した。裁判で検察の嘘が次々と認められていく中で、そうした心境になったと述べている。また「どんな理由があっても人を殺してはいけない」と言うのだから、権力だけが死刑という殺人を許されているのはおかしいとも主張)、1992年2月に7歳の女児2人の遺体が見つかった事件(当時の不完全なDNA鑑定だけを証拠に有罪となり、冤罪を訴え続けたにもかかわらず処刑されていまった)。
 この本を読んで新たに知ったことは、死刑執行に関わる刑務官の選抜に関しては、拘置所長が幹部だけが持つ特殊な職員名簿を開き、当日が誕生日にあたる者や妻が出産を控えている者、あるいは近親者が重い病を患っていたり、親族の喪中である者などを除外し、最終的に10人ほどのメンバーを慎重に選ぶこと、「死刑は検察官、検察事務官及び刑事施設の長又はその代理者の立ち合いの上、これを執行しなければならない」と法で定められていること、立ち合い検事は大抵の場合、高検に所属する検事が当たること、死刑執行の階下の部屋には、受刑者の身体が落下の反動で跳ね上がり、上下左右に大きくバウンドすることを防ぐため、受刑者の身体を受け止める役の刑務官がいること、死刑囚が落下してから最終的に心臓が停止するまでの「平均時間」はおおよそ13~15分であること、死んだ受刑者の身体をきれいに湯灌し、白装束を着せ、白木の寝棺に納めるのも刑務官の役目であること、死刑執行に携わった刑務官には、わずかだが特別の手当てが支払われること、拘置所で1回の面会で会うことができるのは1人だけであること、したがって続けて2人目の収容者と会おうとすれば、いったん拘置所の外に出て、面倒な検査を再びいちから受け直さねばならないこと、面会は1回に15分しか許されないこと、死刑確定から執行までの平均は約6年程度であること、拘置所に収容されている刑事被告人は、原則として1日に1回、1組の面会しか許されていないこと、被疑事実を否認している被疑者の場合は起訴後も検察が接見禁止を申し立て、面会などまったく許されないケースが圧倒的なこと、しかも拘置所が面会に与える規則には法的な根拠がないこと、最近凶悪事件は減っているにもかかわらず死刑判決が増えていることなどでした。
 「生い立ちなんて言い訳にならない。もっと大変な生い立ちの子でも、真っすぐに生きている子はたくさんいる」という被害者遺族の主張にも一理あると思いながらも、「犯罪の被害者遺族は同情の声はかけてもらえるが、本当の意味での救いの手を差し伸べられることはなく、周囲の人は加害者を崖から突き落とすことに夢中になっているだけだ」の述べる被害者遺族に、より説得力を感じました。改めて死刑に反対する意を強くしてくれた本でした。

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大島渚監督『日本の夜と霧』その3

2013-05-29 05:09:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 野沢は闘争に疑問を感じ、中山とミサコの結婚式でも胸がもやもやし、それが何か追求する勇気も持ち合わせてなかったと語ります。新聞社に潜り込んだ自分は、周囲が結婚という日常に埋没していく中、不安定な気持ちのままで過ごしてきましたが、60年安保にやっと自分の居場所を見つけ出したのだと付け加えます。野沢がここまで語ったところで、太田はレイコを連れ出そうとします。北見の居場所を知っているという佐々木。
 病院の場面。レイコは北見に「やっぱり安保は通るだろう」と言い、北見は「学生連合の主流派に自分が合流したのは、とりあえずのことだった」と語ります。
 再びレイコの結婚式。「お疲れ様と言って、途中で手を引く連中は、明らかに前衛ではない」と太田が言うと、中山は党として考える未来についての演説を始めます。そして「今日の暴露をお二人はこれからの生活の糧に」と言って式を終わらせようとする中山に対し、宅間は「何も問題は解決していない。統一と団結の偽善に隠れて責任逃れをしているお前は、高尾を死に追いやった時と同じだ」と非難します。
 再び青年が逃げ出したあの夜の場面。絶望する高尾と話す宅間。荒れる野沢。壁は厚いと憤る高尾は、改めて絶望します。
 「あの時、高尾のスパイ容疑の噂をなぜ否定しなかったのか」と中山と野沢を宅間が責めると、中山は「米日反動が彼を殺したのではないのか?」と反論します。
 あの夜、高尾は教授に「私はあの青年はスパイではないと思う」と断言し、「先生が青年の身元を引き受けて、2度とこんなことはしないと約束させて釈放したらどうでしょう?」と言い、教授も同意します。そこへ聞こえて来るブザーの音。高尾は一旦は青年を確保しますが、「スパイじゃないんだから、逃がしてくれ」と懇願する青年を結局逃がしてしまいます。青年を逃がすということは自分の弱さに起因しているとして、党から自己批判を命じられる高尾。
 宅間は「青年がスパイでなかったとしたら、1人の友人を死に追いやり、1人の青年の心に深い傷を追わせたことになる。北見君からも目を離してはいけない」と語ると、ミサコは、6月15日に党の命令で流れ解散をした後、ミサコの体を求めることしかしなかった中山を糾弾します。太田は新しい前衛を作る必要を説きますが、坂巻は「中山らの大きな組織を動かせれば革命は前進する」と反論します。「北見のところへ行く」と言って外に出て、霧の中、刑事たちに襲いかかられる太田。大立ち回りの末、太田が刑事たちに連れていかれると、レイコの友人の佐々木は同志たちに「皆、すぐ行こう。そして太田が逮捕されたことを知らせよう。15日の二の舞いはよそう」と言って、同志たちと立ち去ります。式の他の出席者は庭に立ちすくんだままです。中山は「佐々木君、ここにいた方がいい。我々の統制を乱し、無謀なデモばかりやってる連中が逮捕されたところで、それは自業自得だ。我々の責任ではない。(会場から出て太田が逮捕された庭の方を見ていた式の出席者に相対する形になると)現実的な見通しをしない、労働組織とその共闘戦線を破壊し、世間が彼らをもてはやすのに有頂天となり、自ら何ら生産的な、生活的な根拠のない存在になることを忘れ、いたずらに晴れ上がってる連中‥‥」と中山は太田の批判を続け、やがて党の正しさを延々と主張し出すと、式の出席者は皆頭をたれ、その中で黒衣のミサコは1人怒りに燃えた顔で中山の演説に耐え、レイコは悲痛な表情で演説を聞き続けます。そしてカメラは中山から離れ、闇を映して映画は終わります。

 役者が話してる最中に、やたらに台詞をかむのが印象的で、臨場感を高めていました。オーバーラップを効果的に使い、登場人物の存在感も際立っていたように思います。小山明子さん、当時から怖かったんですね。あの硬直的な無表情を見ていて、野坂さんが大島さんを殴った舞台のことを思い出したりもしました。また、6月15日に実際に起こった出来事を、その年のうちに映画化してしまったということにも驚きました。

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大島渚監督『日本の夜と霧』その2

2013-05-28 04:53:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 10年前、朝鮮戦争が勃発し、それまでアメリカが日本で進めて来た民主主義政策は逆方向へ転換され、その反動帝国主義的な動きに対し、武器を持って立ち上がれと、当時自分たちは教わったと語る戸浦。ブザーの音がして、書類を盗み出そうとしていた青年が寮の学生たちに捕まります。寮の緊急集会が開かれ、捕まった青年の処遇に関しては、多数の賛成で執行部の委員長・中山に一任されようとしますが、宅間は1人それに反対し、青年が冤罪である可能性を示し、最初から青年をスパイ扱いしている中山への一任は受け入れられないと言います。中山は党の方針を語り、野沢は宅間が過った客観主義者だと非難します。それに対し、坂巻は「宅間は青年がスパイか、単なる泥棒なのか調べろと言っているだけだ」と反論しますが、結局青年はスパイとして監禁することに決まります。
 監禁し始めてから5日目。野沢が青年に話しかけると、青年は「自分は労働者だ。書類を盗み出したのは、そうすれば学生が大騒ぎすると思ったからだ。学生ごときに何ができる?」と話し、怒った野沢は青年との会話を打ち切ります。戸浦は野沢に「一般に中山は独断的だと思わんか?」と言い、宅間も「政治をこれか、あれかの2者選択にしてしまうと、あらゆる大衆の動員は見込めない」と主張します。そこにやって来た北見は「裏庭に妙な影が見えた」と言い、野沢とミサコと一緒に偵察しに行きます。宅間は戸浦に「下手すると戦前の治安維持法の時代に逆戻りするぞ」と言うと、そこへ教授がやって来ます。やがて聞こえるブザーの音。青年は逃げ出し、戸浦も宅間も彼を追いかけます。
 日本の独立を心から願いながら武力闘争を指導していた党が、ある時から方針転換をし、その青年組織である民青は歌い踊るようになります。「狐につままれたようだ。彼らは宗教家だ」と語る戸浦。依然として高尾の消息は掴めないままです。やがて高尾が党に査問されたという噂が広がります。野沢とミサコは大っぴらに付き合いだします。
 しかし場面は一転し、中山とミサコの結婚式となります。悪酔いして自室に戻って来た戸浦。そこへ自殺した高尾の遺体が運び込まれます。吐く戸浦。またまた馬場面は変わり、野沢とレイコの結婚式。「高尾だけ査問され、やはり現場にいなかった野沢とミサコはなぜ査問されなかったのか?」と言う戸浦。自己弁護する野沢。「当時、野沢や中山は正しいという党の後ろ楯があって、自由にものが言える雰囲気ではなかった」と語る坂巻。「そんなの甘い」と反論する太田。ミサコは「高尾は野沢と自分を嫉妬していた」と語ると、戸浦は「運動内部の権力者にベタベタとくっついていたのはお前だ!」とミサコを糾弾します。野沢との関係を述べるのを躊躇するミサコに対し、レイコは「ここで、皆の前で言ってください」と言います。当時の話を始めるミサコ。高尾が1人で偵察に向かうと、野沢はミサコに「高尾は闘争に参加するのを怖がっている」と言い、ミサコが「高尾さんは変なことを言う」と答えると、野沢はミサコを抱きすくめようとします。抵抗するミサコ。そこへ教授がやって来て、彼らに挨拶して去ると、2人は改めて抱き合います。そこへ聞こえるブザーの音。「そういう訳で、スパイを逃がしたのは自分たちではなかったのだ」とミサコは言います。
 中山とミサコの結婚式で、今後は地味に長続きしていこうという運動転換を喜びたいと語る教授。結婚は社会の最初の単位であり、中山もレイコもこれまで活発な活動をしてきたので、心を癒すのにも今回の結婚はよかったと続ける教授。また、野沢とレイコの結婚式に場面転換。周りに促され、野沢は当時ミサコと関係を続け、未来を約していたことを認めます。狭い彼女の下宿で、ヒリヒリするように体を寄せ合っていたと語る野沢。中山は寮を出て下宿すると野沢とミサコに告げ、2人を自分の下宿に招待します。ショスタコビッチの音楽を聞かせる中山は、朝鮮戦争の休戦以来、世の中は変わったとも言います。読んだことのない本ばかりだ、と中山の蔵書の豊かさに嫉妬する野沢。中山はそんな野沢に入党を勧めます。帰路、いつものように誘う野沢に、今日は帰ると言って強引に野沢から逃げ去るミサコ。中山の下宿で楽し気だったミサコを思い出す野沢。(また明日へ続きます‥‥)

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大島渚監督『日本の夜と霧』その1

2013-05-27 05:37:00 | ノンジャンル
 昨日、河口湖円形ホールへ「中村由利子with木住野佳子 Piano Picnic」と題されたコンサートを母と聞きに行きました。それぞれのソロの演奏もありましたが、それ以外の11曲は連弾でした。演奏の見事さは言うまでもありませんが、総勢40名余りのアットホームな会場で、お二人の人柄が直接私たちに届いて、心暖まるコンサートになっていました。詳細はFACEBOOKの方をご覧ください。

 さて、大島渚監督・共同脚本の'60年作品『日本の夜と霧』をスカパーの日本映画専門チャンネルで再見しました。
 安保闘争を闘ってきた同志の野沢(渡辺文雄)とレイコ(桑野みゆき)の結婚式。野沢の恩師で仲人の教授(芥川比呂志)が祝辞を述べています。
 場面は2人が知り合う前の60年安保直前の時代。安保闘争の哲学部門を担当する坂巻(佐藤慶)は戸浦(戸浦六宏)と、闘争を指導してきた党の代表である中山と野沢が、武装闘争を止めて平和運動にという党の方針転換後、急に低姿勢になり、女子大生と歌を歌い、フォークダンスを踊るようになったことについて、あれがマルクス主義とどう関係しているんだ?、と言って彼らを腐します。1年前に破防法反対の火炎瓶闘争をしていた時には、中山たちから自分は日和見主義者だと糾弾されてたのに、と苦笑する戸浦。朝鮮戦争休戦により、全て話し合いで解決する時代になったのだと中山たちは主張し、女子大生とのフォークダンスに哲学部門の学生らを誘います。こういう時代だからこそ研究しているのだと答える坂巻。中山らは坂巻と戸浦をダンスに誘うことをあきらめ、彼らが気分的に孤立しなけりゃいいけど、と言って立ち去ります。一緒に歌ってるうちに統一と団結が生まれ、大衆的な感覚を身につけることもできると言う中山。そして学生運動も革命も一歩も進まないと言って彼に付いて行く哲学部の学生たち。一人残った坂巻は「俺は党員なので、間違っていると思っても口にできない」と戸浦に語ります。焚き火を囲んで女子大生らと歌って踊る中山と野沢たち。
 野沢とレイコの結婚式に場面が戻ると、そこへ結婚式を祝いに来たと言って、安保闘争で逮捕状が出ている太田(津川雅彦)が乱入してきます。6月15日の国会前の安保闘争の責任を自分はまだ問われていると言う太田。太田は今日もデモに行ってきたが、参加者は500人ほどで、安保の時の100分の1になってしまったと嘆きます。そして安保闘争で結ばれた野沢とレイコのそもそもの馴れ初め話をしたいと太田は言い出します。
 画面は暗転し、'60年6月15日の夜。「女性学生が1人死んだ!」という声が飛び交います。「黙祷を」「記者の方たちも帽子を取って」「記者の方たちは帽子を取ってくれた。心ある警官も鉄かぶとを取れ! 取れ!」というマイクの声。やがてそれは参加者たち全員のシュプレヒコールとなります。「心ある者だけで黙祷!」の声。教授も黙祷し、レイコは涙します。黙祷が終わり、歌われる革命歌。レイコと北見はケガをして太田らに担がれ、車に乗って病院へ向かいます。「犠牲者が出たということは、党の方針に誤りがあったのでは?」と言う太田は、分裂主義者だと中山に批判されます。結局国会では安保が承認されたと病院のベッドの上で聞いたレイコは、闘争現場で知り合った記者の野沢の見舞いを受け、花を贈られます。
 6月15日から日が経ち、中山と野沢は保守化し、レイコもデモに参加しなくなったと語る太田。北見は病院から姿を消したまま、消息が知れません。結婚式でレイコは「北見はただの友人」と答えますが、太田は「それでいいのか? 北見をデモに引っ張り出したのはあなただろう?」と言います。あの時のことを忘れてしまおうとしている者を許せないと語る太田。中山らは「自分が一握りの前衛だという太田の考えに問題がある」と言います。そこへ「高尾が現れた!」と叫ぶ野沢。「地獄からの使い手だ」と言う声。太田が「仲間が1人いなくなっているのに、家庭に逃げ込んでいいのか?」と言うと、そこには高尾ではなく、宅見が現れます。彼は「俺は忘れなかった。中山、ミサコ(小山明子)、野沢、3人を八つ裂きにしてやりたい!」と叫びます。坂巻も「戸浦も俺も6月15日を境に人間の見方が変わった」と言うと、戸浦は「今こそ仮面を引き剥がして、真の祝いの場に」と言います。(明日へ続きます‥‥)

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