白石一文さんの「私という運命について」を今日読み終わりました。一人の女性が27才から40才までの人生を一人称で語るというもので、二通の手紙と二人の身近な死がからんで、自問自答しながら生きて行くという話でした。出てくる人が若干の例外を除いて皆いい人で、特に主人公と関係をもつ二人の男性は、こんな人はなかなかいないんじゃないか、と思えるぐらい優しいので、自分が実は例外的にやさしくない人に囲まれて生きているじゃないか、とさえ思えるほどでした。
辻内智貴さんの「セイジ」を、きのう読み終わりました。これも「泣ける」本ということでしたが、泣けませんでした。中編2編からなっていて、どちらも一人称で書かれているのですが、語りぐちが少年ぽくって「かっこいい!」と思いました。内容は結構心の深いところをえぐってくるもので、気軽に読める内容ではありませんでしたが、男の「かっこよさ」を味わいたい人にはいいんじゃないかな、と思います。
瀬尾まいこさんの「優しい音楽」、きのうのうちに読み終わりました。簡潔な文章で、とても読みやすい文章でした。
3編の中編からなっていて、第一話の「優しい音楽」は、自分が亡くなった長男にそっくりということからその家族と親しくなっていって、最後に長男が生きていた頃にしていた家族による合奏をする、という話。第二話の「タイムラグ」は、不倫相手の娘を一日預かることになり、その娘に連れられて、耳の聞こえない母との結婚を未だに許してない父方の祖父の家にいく話。第三話の「がらくた効果」は、同棲相手の女性が公園でホームレスのおじいさんを連れて来てしまい、三人で暮らし始める、という話。
どれもほのぼのとした味わいがある、ちょっといい話で好感が持てました。優香が好きだといった「タイムラグ」は娘のはつらつさがみずみずしくて、心洗われる感じがして、彼女が気に入る気持ちも分かりました。
「優しい音楽」、お薦めです。
3編の中編からなっていて、第一話の「優しい音楽」は、自分が亡くなった長男にそっくりということからその家族と親しくなっていって、最後に長男が生きていた頃にしていた家族による合奏をする、という話。第二話の「タイムラグ」は、不倫相手の娘を一日預かることになり、その娘に連れられて、耳の聞こえない母との結婚を未だに許してない父方の祖父の家にいく話。第三話の「がらくた効果」は、同棲相手の女性が公園でホームレスのおじいさんを連れて来てしまい、三人で暮らし始める、という話。
どれもほのぼのとした味わいがある、ちょっといい話で好感が持てました。優香が好きだといった「タイムラグ」は娘のはつらつさがみずみずしくて、心洗われる感じがして、彼女が気に入る気持ちも分かりました。
「優しい音楽」、お薦めです。
重松清さんの「その日のまえに」、読み終わりました。やっぱり泣きませんでした。いいなあ、というところはありましたが、感動もしませんでした。やっぱり、私は普通の人と「感動」するセンサーが違っているようです。
また、この本も前に読んだ2冊と同じで、余韻を残すような終り方なんですよね。これって、やっぱり現在を描く日本の小説の傾向のような気がします。今度は瀬尾まいこさんの「優しい音楽」です。優香が好きという「タイムラグ」の章は、果たしてどんな話なんでしょう?
また、この本も前に読んだ2冊と同じで、余韻を残すような終り方なんですよね。これって、やっぱり現在を描く日本の小説の傾向のような気がします。今度は瀬尾まいこさんの「優しい音楽」です。優香が好きという「タイムラグ」の章は、果たしてどんな話なんでしょう?
きのう、恩田陸氏の「夜のピクニック」を読み終わりました。結構すらすらと読んでしまいました。高校生が24時間歩く「歩行祭」という学校行事で、義理の兄弟の男子学生と女子学生(二人以外はこの事実を知らない)が、それまではお互いに牽制して口もきかなかったのに、この行事を通して仲良くなるという話。
この本も「さくら」と同じで読後に読者が何らかのカタルシスを感じるように書かれているのですが、これは最近の日本の小説の流行なのでしょうか? 今は重松清さんの「その日のまえに」を読んでいるのですが、これも感動巨編(!)との噂が‥‥。実態はどうなのでしょうか?
この本も「さくら」と同じで読後に読者が何らかのカタルシスを感じるように書かれているのですが、これは最近の日本の小説の流行なのでしょうか? 今は重松清さんの「その日のまえに」を読んでいるのですが、これも感動巨編(!)との噂が‥‥。実態はどうなのでしょうか?