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瀬尾まいこ『傑作はまだ』その6

2020-03-31 13:53:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

 金曜日。俺は開店と同時にショッピングセンターで買い物を済ませると、すぐさま家に戻った。
 テーブルに並べたのは、太い黒糖かりんとうと細長いごまかりんとうに、季節限定の柚子(ゆず)かりんとう。それに、惣菜売り場で買った大量の揚げ出し豆腐だ。
「おはよう……。何これ」(中略)
「もうすぐ十二時だから昼ごはんだろう。まあ、座って」(中略)
 どうやって今まで生きてきたのか。俺のことをどう思っていたか。そんなことを聞いても、どうしようもない。満たされるのは、俺の好奇心だけだ。それより、二人で共有していることを話すほうがおもしろい。(中略)
「もしかしてさ」
「もしかしてなんだ?」
「俺が帰るのを今日まで引き伸ばしたのって、これ?」
 智は柚子かりんとうをつまんだ。
「ああ、あの日、十六日から柚子かりんとうが販売されると知って予約したのに、君が帰るって言うから……」(中略)
「そんなことよりさ、聞かなくていいの?」(中略)
「何を?」(中略)
「何をって、俺を引き留めといて、かりんとうや餅の話で終わっていいのかなって」(中略)
「最後だし、だいたいのところは教えてあげるよ。(中略)」
「いや、いい」
(中略)どれも知りたい。けれど、どれも言葉で知りえるものでもない。俺が傷つかないようにと考えて、智が上手に語るそれらは真実から少しずれてしまう。(中略)
「君は、どうして、今、ここに来たの?」(中略)
「今?」
「君はバイトに行くのに便利だからと言っていたけど、それがここに来た一番の理由ではないだろう?(中略)」
「なるほど。改めて考えると謎めいてくるな」(中略)
「おっさんの小説だったらどう?」(中略)
「作家だとさ、どんなふうにこの状況を結末にもってくの?」(中略)
「もずくや林檎に変身する以外で頼むよ」
「ああ。そうだな……、これが小説だったとしたら……、えっと、君は本当は存在しなくて、俺のもう一つの人格だったとか……」
「何それ、どういうこと?」
「君がこの家を出た後、俺は美月に電話をかける。すると、彼女は私には子どもなんかいない。(中略)不思議に思った俺は、君を知っているはずの人物のもとを訪れる。(中略)みんな一様にそんな人物は知らないと首を横に振るんだ。(中略)家に戻った俺は鏡に映った自分を見てはっとするんだ」
「なになに?」
「そこには、いかにも青年らしい服装をした俺の姿が映っていた。そう、君そのものの格好のね」
「怖い! それ、怪談だよ。ホラーだ、ホラー」(中略)
「うーん。だけどさ、その結末を持ってくるなら前半部分軽すぎない?(中略)」
「そっか。それなら、そうだな。俺は記憶が一ヶ月しかもたない病(やまい)で……」
「そんな都合のいい記憶喪失ってあるの?」(中略)
「ちょっとつじつまが合わないか」
「ちょっとどころか全然だよ。おっさん、もうちょい本領発揮してよ。せめて筋が通るような話を聞かせてくれなきゃ」(中略)
「悲しみや不条理さに向き合いたいやつなんているかよ。もし、そんなものに本気で触れたいなら、どこでもいい、一日でいい、いや三時間でもいいから、総合病院の小児病棟に行けばいいよ。(中略)」
「なーんて、むきになっちゃった。このかりんとう、変なもの入ってるんじゃない?」(中略)」
「本当はさ、もっと単純なんだよ」
「単純?」
「そう。ここに来た理由。おっさんの小説、ここ二作連続、主人公が最後に自殺してるだろう」
「そう言えばそうかな」(中略)
「で、今回始まった連載もまた死にそうだねって、おふくろと話してたんだ」(中略)
「三度目主人公が死ぬ時におっさん自身もって話してたら、なんだか落ち着かなくなってさ。で、おふくろとどっちかが様子見に行こうって」(中略)

(中略)
「また来るんだよな」
「元気でいてくれよ」
「連絡くらいしてくれ」
 それらは形になる前に消え、かろうじて声になったのは「ああ、また」。それだけで、俺は前の通りを歩いていく智の背中を見送っていた。

 翌日、目が覚めると、想像していたよりもはるかに静かな朝が待っていた。(中略)
 かすかに起こった気力が閉ざされ、俺がベッドに戻ろうとすると、チャイムが鳴った。
「あ、わしです。朝早くすまんね」
 慌てて出たインターホン越しに聞こえる声に、俺は笑いが込み上げた。
 身内でもないのに、朝八時前にやってくるおおらかな森川さんに。(中略)
「これ、今できたからさ。母ちゃんが作ったんだけど」
 森川さんはそう言って、大きな瓶を差し出した。(中略)
「柚子だよ。今年はよく採れて、母ちゃんがジャムにしたんだ」(中略)
「柚子茶にしたら、あっという間になくなるよ。風邪の予防にもなるし、頭もすっきりする」(中略)
 俺みたいな人間の家にも、たやすく人は訪れるのだ。スリッパくらい用意したほうがいいのかもしれない。(中略)

(また明日へ続きます……)

瀬戸まいこ『傑作はまだ』その5

2020-03-30 13:00:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

 春菊に長ねぎにポン酢に鶏肉が入った大きな土鍋を手に抱え、腕から筑前煮に漬物にポテトサラダが入った紙袋を提げて家に戻ると、
「どういうこと?」
 と、台所で白菜を切っていた智が目を丸くした。(中略)
 具材を突っ込めば鍋ができるとは言ったものの、そうは簡単にはいかないと思っていた。ところが、鶏肉に白菜に春菊に大根に長ねぎ、それらをただ入れただけで鍋は十分おいしかった。(中略)
「……あ、そうだ、君は怪我することも多いのかな」(中略)
「怪我……? どうかな、捻挫した覚えはあるけど、どうして?」(中略)
 当然の質問に不思議そうにしている智に、俺は写真をしまってあるファイルを取り出し、松葉杖の写真を見せた。(中略)
「松葉杖の前は泥に汚れた体操服姿で走る写真が送られてきたんだけど、部活中に走っていて怪我したのか?」
「この走っているのは体育祭の写真。俺、リレーのアンカーだったんだ」(中略)
「体操服、ずいぶん汚れてるけど」
「ああ、それは洗濯出すの忘れてたからだ。(中略)あ、ついでに捻挫は部活中じゃなく、昼休みに鬼ごっこして階段を踏み外したんだよ。俺、お調子者だったから」(中略)
「けれど、おふくろ、なんで、よりによって三ヶ月続けてこんな写真選んだんだろうね。高校の二学期なんて文化祭も合唱祭もあったから、もっといいのありそうなのに」
「そうなんだ」(中略)
「これは?」
 小学生の智は、満面の笑みで手に表彰状を持っている。(中略)「あ、一学期休まなかったから皆勤賞もらったやつだ」(中略)
「皆勤賞。すごいんだな」
「そんなの、すごくないよ。俺、小学四年生の時はマラソン大会で優勝したし、中学一年生の時は市の絵画展で佳作だったんだよ。あ、書道コンクールで表彰されたこともある。(中略)」
「おふくろは元気だったらそれでいいっていうおおらかな人だから、マラソンや書道の賞より、皆勤賞が貴重だったのかな。いや、どう考えても、マラソン大会優勝のほうがすごいよなあ」(中略)
 十万円を送り、その返事に送られてきた写真。毎月の決まりでただの受領書のようになっていたそれらが、突然動きだしたように思えた。

 十一月十四日。駅前の銀行で預金を下ろしたついでに、ショッピングセンターで大福を買い、森川さんの家に届けた。(中略)
 森川さんの家から帰宅すると、智がリビングで掃除機をかけていた。(中略)
「ずいぶん丁寧に掃除してるんだな」
「ああ、明日戻るから」
「戻る?」
「そ。俺のアパートにね」(中略)
「だから明日家に帰るんだよ。おっさん、世話になったね」(中略)
「でも、昨日鍋を食べたところじゃないか」(中略)
「鍋……? 鍋を食べたら、とどまるのが普通なの?」
「そうじゃなくて、鍋を一緒に食べて話だってしただろう。なんていうかこれからというか……」(中略)
「これからってどういうこと?」
「その、まだ何も起きていないし、疑問も明らかになってないし、普通、もうひと悶着(もんちゃく)あるはずだというか……。これじゃ、起承転結の起までしか進んでいない」(中略)
「とにかくあと少し待ってくれ」(中略)
「じゃあ、せめて金曜日まで、あと二日待ってくれ」(中略)
 俺が念を押すのに、智は不思議そうな顔のままで「わかった」とうなずいた。

 智を引き留めたものの、どうすればいいのか、自分がどうしたいのか、はっきりとはわからなかった。(中略)
 俺はどうしようもない父親にしかなれなかったかもしれないが、美月一人で育てていくよりも、智の世界はわずかでも広くなっていただろう。智はどんな人間とでも近づける、垣根のないやつだ。こんな俺でも、智にとっては+になりえたにちがいない。そう考えて、俺は失笑した。(中略)

(また明日へ続きます……)

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瀬戸まいこ『傑作はまだ』その4

2020-03-29 16:08:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

(中略)「なんていうか、大福買ったから」
「そうなんだ。了解」(中略)
「お、慣れてくるとうまい」
「おおそうか」(中略)
「小説はあんなに暗いのに、大福でこれだけ盛り上がれるって、おっさん、実はのんきで陽気なんだね」
 智は「うん、よかったよ」と微笑んだ。
「いや、まあ、そうだな、えっと、君は今日の休み、何してたんだ?」(中略)
「おっさん、大丈夫?」
「大丈夫だが、なぜだ?」
「突然コーヒー大福に肩入れしだしたかと思ったら、次は俺に興味持ちだしてさ。俺が来てから三週間くらい経つけど、おっさんが俺の何かを知りたがったの、初めてじゃない?」(中略)
「まあまあ、力まなくても自然にわかってくるのを待てばいいんじゃない。本当に大事なことならそのうち伝わるしさ」(中略)
「俺の好きなものは、かりんとう。もしくは揚げ出し豆腐」
「へえ」(中略)
「好物さえ知っておけば、次、土産買う時迷わないだろおう。こういう奇天烈なお菓子、あんまり得意じゃないんだよね」(中略)

(中略)
 パソコンを開いて小説の続きを書く。締め切りは二十八日。まだ二十日以上あるが、少しでも話を進めておきたい。
 今月書くのは、借金を断られた主人公亮介の次の行動だ。途方に暮れた亮介がどう動くのかが、なかなか思い浮かばない。この話は、来年一月までの連載で、あと二回。結末は頭の中でもうできている。亮介が自ら生涯を閉じたことを知った、親や兄弟、友人たちが後悔を口にする。(中略)

「ね、おっさんも書く?」(中略)
「書くって何をだ?」
「これだよ、カード」
 智はピンクの花の絵がちりばめられたカードを見せた。
「何のカードだ?」
「やっぱり知らないんだ。明後日は、おっさんの、ゆきずりの女の誕生日だよ」(中略)
「君の母親だろう。そんな言い草はないだろう」(中略)
「おっさんと一緒にいるのに、黙って俺だけがおふくろの誕生日祝うの、抜け駆けみたいでよくないかなと声かけただけなんだけど」(中略)
「突然、驚かないだろうか」(中略)
「驚かれるのって悪いことじゃないじゃん。サプライズは誕生日には付きものだし」(中略)
「げ。おっさん、字、小さすぎだろう。これ、虫眼鏡ないと読めないよ」(中略)

(中略)
 美月に誕生日カードを送ってから、一週間が経つ。そろそろ返事が来てもよさそうなころだ。(中略)
「返事気にしてるの、おっさんだけだから。(中略)」
「そっか」
「しかも、二十年以上放っておいても平気だったおふくろの反応を、今になって気にするなんてさ」(中略)

 十一月第三週の火曜日。ぐっと冷え込んだ夕方、チャイムが鳴るのが聞こえて、慌てて玄関に向かった。(中略)ドアを開けると、笹野幾太郎さんが立っていた。
「やあ、親父さんは元気だったんだな」
「はあ……」(中略)
「智の風邪だよ。明日はバイト行くとは電話があったけど、二日も熱が続くとさすがにぐったりしてるだろう」(中略)
「はあ……」
「はあって、親父さん、智と一緒に住んでるんだよな」
「そうですけど……」(中略)
「あ、これ、ありがとうございます。智に渡してきます」
 俺が(ポカリスエットとゼリー飲料の入った)レジ袋を抱えて頭を下げると、「ああ、お大事に」と笹野さんは軽く手を振った。(中略)
 階段を上がってすぐの部屋(中略)の隣の六畳の部屋の扉をそっと開けてみると、布団の上に寝転がった智がいた。(中略)
「この家、すごく広いのに、おっさんのための物しかないもんね。人が来ることをまったく想定されてないから」
 と、智が笑った。
「ああ、(中略)そう言えば、この布団、どうしたんだ?」(中略)
「買ったんだよ。布団もタオルもパジャマも歯ブラシもコップも。(中略)」
「あ、でも家に余分なものを置かないの、今のはやりみたいだよ。なんだっけ、ミニマリストとかっていう……」
「俺、買ってくる。(中略)肉と豆腐と白菜と、それと鍋。大きな鍋を今すぐ買ってくるから」(中略)
「(中略)あ、でも、白菜と大根はあるからね。こないだ森川さんが畑で採ったのを持ってきてくれたの(中略)」

 外は太陽も光をひそめ、しっかりと寒い。(中略)智は白菜と大根は森川さんにもらったと言っていた。(中略)荷物でいっぱいになる前に、先に礼を言いに行かないといけない。(中略)
 俺は住居看板で場所を確認すると、森川さんの家に向かった。(中略)
「礼なんかいらないのに、あんな野菜で気を遣わせてしまって悪かったな」
「いえ、ありがたいです。今晩、いただいた野菜を鍋にしようと」
「寒いしいいね。だったら、そうだ、よかったら春菊も持って帰って」(中略)
「いいです。これ以上いただくわけには。それに、今から買い物に行くので」
「何を買いに?(中略)」
「土鍋を」(中略)
「土鍋かいな。それだったら、うちの持って帰りな。いらない鍋、山ほどあるわ」(中略)

(また明日へ続きます……)


瀬戸まいこ『傑作はまだ』その3

2020-03-28 11:47:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

(中略)

「おっさん、起きてよ!」
 日曜日の朝、寝室のドアを激しく叩いて、智が入ってきた。
「なんだ、どうした?」(中略)
「どうしたって、今日、秋祭りだろう?」(中略)
「えっと……。なんだろうそれは」(中略)
「なんだろうそれはって、おっさん、回覧板読んでないの?」(中略)
「そこに秋祭りの役割分担の説明があっただろう? 人数が足りないからご協力くださいって書いてあったから、おっさん、古本市の担当に名前入れといたんだ」
「はあ……古本市……」
「とにかく着替えて! 説明は小学校へ行く道中でするから。(中略)」
「若い人が来てくれると助かるよ」
おじいさんはダンボール箱に本を並べ終えると、そう言って床に腰を下ろした。(中略)
「そうなんですね。えっと、おいくつなんですか」
「ああ、わしは七十八歳。自己紹介してなかったな。自治会の防災委員のリーダーやってる森川です」
「七十八歳?!」(中略)
 がたいがいいせいか、きびきびした動きのせいか、六十歳そこそこだと思っていた。(中略)
「たいそうな仕事しているやつなんてそうそうおらんでしょう。防災訓練の時はお宅の智君が途中から来てくれたから、後片付け、ずいぶん助かった」
「智君?」(中略)
「そう、智君、場慣れしてたけど、防災関係の仕事してたことでもあるんかな?」(中略)「さあ……どうでしょう。よくわからないやつで……」
「謙遜して。よう働くええ息子だんやな。うらやましいわ」
 と、森川さんは褒めてくれた。
 智は何をしているのだろうか。ヨーヨー釣りのほうに目をやってみると、子どもたちの相手をしては楽しそうに笑っている姿が見えた。(中略)
 智はにこやかに、でもきっぱりと子どもたちに指示を出す。あいつ、仕切るのがうまいんだなあ。本当に俺とは正反対だ。(中略)
「おっさん観てると、外界との断絶を図ることが生む弊害がよくわかるよ」
「俺は別に断絶なんかしてないし、時々外にも行くし、たまに……」
 俺が言い訳している横で、智はどこかのおばさんに声をかけられ、そのまま話が盛り上がりだした。周りを見ると、みんな作業をしながらも、楽しそうにおしゃべりをしている。(中略)
 二十年も住んでいる地域なのに、ここにいる人の顔を俺は知らない。(中略)

 十月最後の月曜日。(中略)今日は編集者との打ち合わせだ。(中略)

 駅前の喫茶店に入ると、二十代後半くらいの男が俺を見つけてすぐさま「加賀野さん」と奥の席から声をかけてきた。
「片原と言います。やっと加賀野さんの担当になれました。僕、加賀野さんの作品は全部読んでるし、暗記している言葉もたくさんあるくらいなんですよ。(中略)」
「今、書きたいものありますか? 気になってることとか」(中略)
「そうだな、どうだろう」
「今までにない感じがいいですよね。攻めた作品にしましょうよ」(中略)
「若者……バイトをしてる青年とか……」
「いいですね。フリーター。どこか刹那的で投げやりな生き方をしてて」
「ああ、その青年がバイト先の年老いた店長と……、なんというか、仲を深めていくとか」(中略)
「はあ……」
 片原はさっきまでの勢いをなくして困った表情を浮かべた。
「生活環境も年代も違う人間同士が、仕事という括りで一緒になって、距離を縮めていく過程は興味深いと思ったんだけど」
 俺が説明を加えると、片原はますます眉を寄せた。(中略)
「どうかな。今までの加賀野さんの作風と違い過ぎませんか?(中略)ほか、ないですか? もっと身近な題材で」
「身近……。それなら、地域の活動に焦点を当てるとか、どうだろう。大掛かりじゃない祭りとか」
「嫌だな。加賀野さん」(中略)「それ、題材聞いただけで薄っぺらい感じがしますよ。(中略)それより、もっと加賀野さんらしい、加賀野さんの本当に書きたいことで行きましょう。(中略)読者に迎合するのはやめましょう。無理に温かい小説に持って行く必要ないですよ。(中略)」

 打合せは一時間程度で終わり、店の前で片原と別れると、俺はバス停へ向かって歩いた。
「人間の闇を書いた小説か……」
 片原に言われたことを思い出すと、気が重くなる。(中略)
 バス停で時刻表を確認すると、通勤時間帯でもないせいか、あと三十分以上バスは来なかった。せっかく駅まで出てきたのだから、何か買って帰ろうか。そう考えて、俺は大人になってから土産というものを買ったことがないことに気づいた。(中略)
「カフェオレ大福?」(中略)
「大福はほんのり塩味が利いているので、それほど甘ったるくもなく、男性の方でもぺろりと召し上がっていただけると思います」(中略)
「じゃあ、これ、これをください。二人分」(中略)
智はびっくりするにちがいない。俺はわくわくして、紙袋を受け取ると帰り道を急いだ。

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瀬尾まいこ『傑作はまだ』その2

2020-03-27 18:20:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。

(中略)俺にとって小説を書くのは意外と現実的な作業だ。それでも、少しずつ話が広がっていくこの時間が好きだ。(中略)
「おっさん、外、出てる?」
「ああ。週に一度程度は」(中略)
「案外出てるんだ。人とは話す?」
「支払いはカードでとか着払いでとか、言うかな」
「それ、会話じゃないから」
 青年の指摘どおり、会話と呼べるようなものはずいぶんしていない。(中略)
「会社行ったりしないの?」
「いや。どこかに所属してるわけじゃないから」(中略)
「俺ですらローソンに所属してるのに。あ、そうだ。からあげクン食べる?(中略)まだ温かくておいしいよ」(中略)
「うまいな」
「だろう。これがからあげクン。もはやポッキーやハッピーターンやスタバラテと同じくらい知名度があると思うけど」
「そうなんだ。ポッキーは食べたことあるけど、スタバラテは飲んだことないな。あ、もちろんスターバックスは知ってるけどな」(中略)
「(中略)おっさん、もっと外に出ないと。百冊の本を読むより、一分、人と接するほうが十倍の利益があるって、かの笹野幾太郎氏も言ってるだろう」(中略)
「笹野幾太郎って誰だったかな」(中略)
「俺が働いているローソンの店長だよ。(中略)」
 俺が拍子抜けしていると、
「さあ、行くよ」
 と、青年が立ち上がった。
「どこへだ?」
「スタバだよ。おっさん、スタバのラテ飲んだことないんだろう? 行こう」

(中略)

(中略)
 笹野さんが陽気に言うのに、俺は妙な親子関係だといぶかしがられずにほっとしたものの、愛人という言葉には反論せずにはいられなかった。
「いや、その、私は結婚もしていませんし、愛人とかいう関係ではありません。そもそも、私はけっして女好きではないですし……」
 俺が言い訳するのに、智と笹野さんは顔を見合わせて笑った。
「おっさん、恋人でもない女の子とセックスして子どもができてほったらかしといて、まじめなふりするのはないよ」(中略)

(中略)
「俺の書いたものを声を出して読むのはやめてくれないか?」
「どうして?」
「どうしてって……」
 作り物の話とはいえ、自分の内面を通って出てきた文章を改めて耳にするのは、恥ずかしい。(中略)「でも、俺、この小説が一番好きだなあ」と本の表紙を見せた。
「『きみを知る日』か。それ、デビューしてすぐに書いたものだから、拙(つたな)いし、迫力にもリアリティにもかけるだろう」(中略)

『きみを知る日』は世間から酷評された。(中略)
 デビュー作となった作品は、ある大学生が間違って飲んだ薬によって自分自身の内面にもぐり込んでしまい、そこで今まで知らなかった自分の悪意や自尊感情を見せつけられ、戸惑うというストーリーだ。人間の奥底を正直にとらえた小説だの、若者の本当の姿が赤裸々に描かれているだのと、高評価を得た。(中略)
 しかし、俺自身は、真実や人間の本来の姿などを書いた覚えはなかった。薬を飲んで自分の心の中に入ってしまうんだから、半分はファンタジーのつもりだった。(中略)ここまで自意識過剰だったら愉快だろうと考えながら書いていたら、単純におもしろかった。
 だけど、二作目の『きみを知る日』の失敗から、俺は編集者の意見に従い、人間の奥底にある弱い部分や、嫌らしい部分、自己嫌悪感や自尊心、そういうものを際立たせた小説を書くようになった。(中略)

(中略)

 さあ、続きを書こう。コーヒーを飲み終えると、俺は書斎に戻りパソコンを開いた。
 友達と始めた会社がなくなり、貯金もない。主人公の亮介は、お金のメドをつけようとする。さしあたっての家賃八万円。それを用立てようと、兄妹のもとを回っていく。(中略)
 ここまで書き上げ、俺は苦笑した。
「ちょっと、こいつの周り、やばいやつばっかじゃん」
 と顔をしかめる智の顔が思い浮かんだのだ。(中略)
 俺の親だったらどうだろう。笹野さんに指摘された乏しい想像力を働かせてみる。連絡も取らず、不義理をしているが、頼み込めば無理をしてでもお金は用立ててくれそうな気もする。いや、それは甘いか。(中略)
 そう言えば、いつだったか、泥で汚れた体操服姿で走っていたり、松葉杖で立っていたりする写真が続けて送られてきたことがあった。智は何かスポーツにいそしんでいたにちがいない。(中略)
 今から八年前に送られてきたものだが、この三枚の写真は覚えている。写真自体が印象的なせいもあるが、記憶に残っているのは、ちょうどこの時期、俺がひどい状態だったからだ。(中略)
 八年前の夏、俺の書いた小説が、ある漫画に似ているとネット上で話題になった。(中略)
 批判や誹謗(ひぼう)で俺が汚されたものは、なんだろう。(中略)俺自身は汚されていない。
 三ヶ月も書いていなかったのだ。腕はうずうずしていた。(中略)そこから一気に小説を書き上げた。
 その小説が、『崩れ去るもの』だ。

(また明日へ続きます……)

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