モンテ・ヘルマン監督・共同製作の'10年作品『果てなき路』をWOWOWシネマで見ました。実際の事件に基づいて、駆け出しの女優を主演に抜擢して映画を撮影していく映画チームが、やがてその女優が現実のモデルの人物の影武者であることが分かり、最後、撮られつつある映画なのか、現実なのか判然としなくなる、という風変わりな映画でした。映画の引用が多くあり、プレストン・スタージェスの『レディ・イヴ』やビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』、ベルイマンの『第七の封印』などは、映画のシーンそのものが引用されていました。
さて、昨日の続きです。
「甘みのあるマンゴーソースをかけたチキンに、煮込んだ赤豆や黒豆とブラウンライスを添えて食べる。(改行)チキンに甘い蜂蜜つきのワッフルを添えて食べるのは、以前ハーレムに行ったときに経験し、美味しい! と感動していたのだが、甘いマンゴーのソースというのも、チキンにめちゃくちゃ合うのである。豆の煮汁をパサパサしたブラウンライスにかけて食べるのも、日本でいうぶっかけごはんのようで、なんだかほっとする。(改行)トマトで煮込んだ肉や野菜のマリネを少し酸味のあるパンケーキのようなもので包んで食べるセネガル料理や、フムスという、豆をすりつぶしたペーストをパンにつけて食べるヘルシーなトルコ料理、大きな白身魚を揚げて美味しいマリネにしたハイチ料理、など、日本ではなかなか食べることが出来ない、美味しい料理。(改行)しかも、日本にいるときのように、わざわざ○○料理を、と探すのではなく、ふらふら街を歩いているだけで、各国料理が食べられる。それが、人種の坩堝の醍醐味、ニューヨークの、好きなところである。(一行あける)今回の旅行で、私は9番街にあるアフガニスタン料理の店に行った。(改行)アフガニスタン出身のご主人はとても気さくで、ひとりでおずおずと入った私にも、屈託なく話しかけてくれた。(改行)ダンプリングというきし麺のようなものに、トマトで煮込んだラムとヨーグルトをかけたものを食べたのだが、唸るほど美味しく、量の多すぎるニューヨークの料理の中、初めてぺろりと完食してしまった。(改行)『美味しい!』(改行)と言った私に、ご主人は嬉しそうに、(改行)『ありがとう』(改行)と答えてくれた。そして、君は日本から来たのか、と聞いてきた。そうだ、と答えると、彼は、いいな、日本はいい国だ、と呟いた。(改行)ハッとした。彼の祖国の現状を考え、あなたの国も、とは、簡単に言えなかった。(改行)その代わり、私は、何度も何度も、この料理は美味しい、とても美味しい、と言い続けた。(改行)ご主人はそれに答えるように、『ありがとう』と、飽きず、答えてくれた。(改行)料理が美味しい国は、きっといい国だ。絶対にいい国だ」、「(生まれて初めて料理を作った日に)その日のソフトボールで活躍できたかは覚えていないが、薄暗い朝、急に大人になってしまった、頼もしくて、でも少し心細い感じは、覚えている」などなどでした。
ニューヨークのくだりで、「一人旅が苦手な私が、それでも(ニューヨークに)足を運ぶのは、東京と変わらない都会であること、ガイドブックを広げて見ていようが、ぼんやり座っていようが、誰も自分に関心を持たない気楽さ、などが、心地良いからだ。遠さや英語力を除けば、唯一『旅行!』とふんばらず、気楽に行ける街なのである」と書いてらっしゃるのは、まさにその通りだと思いましたし、またニューヨークに行きたくなりました。そして前回は全く楽しめなかったニューヨークの“食”を今度は楽しめたらなあ、とも思いました。また、アフガニスタン料理のくだりや、初めての料理の朝の感触のくだりは、素晴らしい文章だと思いましたし、小説で西さんが“奴”と呼ぶものは、私にとっては私に“ばちを与える”何かであり、その点でもやはり心通じるものがあるとも思いました。
西さんの文章、やっぱり好きです。これからも西さんの書く文章はずっと読んでいきたいと改めて思いました。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
さて、昨日の続きです。
「甘みのあるマンゴーソースをかけたチキンに、煮込んだ赤豆や黒豆とブラウンライスを添えて食べる。(改行)チキンに甘い蜂蜜つきのワッフルを添えて食べるのは、以前ハーレムに行ったときに経験し、美味しい! と感動していたのだが、甘いマンゴーのソースというのも、チキンにめちゃくちゃ合うのである。豆の煮汁をパサパサしたブラウンライスにかけて食べるのも、日本でいうぶっかけごはんのようで、なんだかほっとする。(改行)トマトで煮込んだ肉や野菜のマリネを少し酸味のあるパンケーキのようなもので包んで食べるセネガル料理や、フムスという、豆をすりつぶしたペーストをパンにつけて食べるヘルシーなトルコ料理、大きな白身魚を揚げて美味しいマリネにしたハイチ料理、など、日本ではなかなか食べることが出来ない、美味しい料理。(改行)しかも、日本にいるときのように、わざわざ○○料理を、と探すのではなく、ふらふら街を歩いているだけで、各国料理が食べられる。それが、人種の坩堝の醍醐味、ニューヨークの、好きなところである。(一行あける)今回の旅行で、私は9番街にあるアフガニスタン料理の店に行った。(改行)アフガニスタン出身のご主人はとても気さくで、ひとりでおずおずと入った私にも、屈託なく話しかけてくれた。(改行)ダンプリングというきし麺のようなものに、トマトで煮込んだラムとヨーグルトをかけたものを食べたのだが、唸るほど美味しく、量の多すぎるニューヨークの料理の中、初めてぺろりと完食してしまった。(改行)『美味しい!』(改行)と言った私に、ご主人は嬉しそうに、(改行)『ありがとう』(改行)と答えてくれた。そして、君は日本から来たのか、と聞いてきた。そうだ、と答えると、彼は、いいな、日本はいい国だ、と呟いた。(改行)ハッとした。彼の祖国の現状を考え、あなたの国も、とは、簡単に言えなかった。(改行)その代わり、私は、何度も何度も、この料理は美味しい、とても美味しい、と言い続けた。(改行)ご主人はそれに答えるように、『ありがとう』と、飽きず、答えてくれた。(改行)料理が美味しい国は、きっといい国だ。絶対にいい国だ」、「(生まれて初めて料理を作った日に)その日のソフトボールで活躍できたかは覚えていないが、薄暗い朝、急に大人になってしまった、頼もしくて、でも少し心細い感じは、覚えている」などなどでした。
ニューヨークのくだりで、「一人旅が苦手な私が、それでも(ニューヨークに)足を運ぶのは、東京と変わらない都会であること、ガイドブックを広げて見ていようが、ぼんやり座っていようが、誰も自分に関心を持たない気楽さ、などが、心地良いからだ。遠さや英語力を除けば、唯一『旅行!』とふんばらず、気楽に行ける街なのである」と書いてらっしゃるのは、まさにその通りだと思いましたし、またニューヨークに行きたくなりました。そして前回は全く楽しめなかったニューヨークの“食”を今度は楽しめたらなあ、とも思いました。また、アフガニスタン料理のくだりや、初めての料理の朝の感触のくだりは、素晴らしい文章だと思いましたし、小説で西さんが“奴”と呼ぶものは、私にとっては私に“ばちを与える”何かであり、その点でもやはり心通じるものがあるとも思いました。
西さんの文章、やっぱり好きです。これからも西さんの書く文章はずっと読んでいきたいと改めて思いました。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)