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西加奈子『ごはんぐるり』その2

2013-06-30 06:17:00 | ノンジャンル
 モンテ・ヘルマン監督・共同製作の'10年作品『果てなき路』をWOWOWシネマで見ました。実際の事件に基づいて、駆け出しの女優を主演に抜擢して映画を撮影していく映画チームが、やがてその女優が現実のモデルの人物の影武者であることが分かり、最後、撮られつつある映画なのか、現実なのか判然としなくなる、という風変わりな映画でした。映画の引用が多くあり、プレストン・スタージェスの『レディ・イヴ』やビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』、ベルイマンの『第七の封印』などは、映画のシーンそのものが引用されていました。

 さて、昨日の続きです。
 「甘みのあるマンゴーソースをかけたチキンに、煮込んだ赤豆や黒豆とブラウンライスを添えて食べる。(改行)チキンに甘い蜂蜜つきのワッフルを添えて食べるのは、以前ハーレムに行ったときに経験し、美味しい! と感動していたのだが、甘いマンゴーのソースというのも、チキンにめちゃくちゃ合うのである。豆の煮汁をパサパサしたブラウンライスにかけて食べるのも、日本でいうぶっかけごはんのようで、なんだかほっとする。(改行)トマトで煮込んだ肉や野菜のマリネを少し酸味のあるパンケーキのようなもので包んで食べるセネガル料理や、フムスという、豆をすりつぶしたペーストをパンにつけて食べるヘルシーなトルコ料理、大きな白身魚を揚げて美味しいマリネにしたハイチ料理、など、日本ではなかなか食べることが出来ない、美味しい料理。(改行)しかも、日本にいるときのように、わざわざ○○料理を、と探すのではなく、ふらふら街を歩いているだけで、各国料理が食べられる。それが、人種の坩堝の醍醐味、ニューヨークの、好きなところである。(一行あける)今回の旅行で、私は9番街にあるアフガニスタン料理の店に行った。(改行)アフガニスタン出身のご主人はとても気さくで、ひとりでおずおずと入った私にも、屈託なく話しかけてくれた。(改行)ダンプリングというきし麺のようなものに、トマトで煮込んだラムとヨーグルトをかけたものを食べたのだが、唸るほど美味しく、量の多すぎるニューヨークの料理の中、初めてぺろりと完食してしまった。(改行)『美味しい!』(改行)と言った私に、ご主人は嬉しそうに、(改行)『ありがとう』(改行)と答えてくれた。そして、君は日本から来たのか、と聞いてきた。そうだ、と答えると、彼は、いいな、日本はいい国だ、と呟いた。(改行)ハッとした。彼の祖国の現状を考え、あなたの国も、とは、簡単に言えなかった。(改行)その代わり、私は、何度も何度も、この料理は美味しい、とても美味しい、と言い続けた。(改行)ご主人はそれに答えるように、『ありがとう』と、飽きず、答えてくれた。(改行)料理が美味しい国は、きっといい国だ。絶対にいい国だ」、「(生まれて初めて料理を作った日に)その日のソフトボールで活躍できたかは覚えていないが、薄暗い朝、急に大人になってしまった、頼もしくて、でも少し心細い感じは、覚えている」などなどでした。

 ニューヨークのくだりで、「一人旅が苦手な私が、それでも(ニューヨークに)足を運ぶのは、東京と変わらない都会であること、ガイドブックを広げて見ていようが、ぼんやり座っていようが、誰も自分に関心を持たない気楽さ、などが、心地良いからだ。遠さや英語力を除けば、唯一『旅行!』とふんばらず、気楽に行ける街なのである」と書いてらっしゃるのは、まさにその通りだと思いましたし、またニューヨークに行きたくなりました。そして前回は全く楽しめなかったニューヨークの“食”を今度は楽しめたらなあ、とも思いました。また、アフガニスタン料理のくだりや、初めての料理の朝の感触のくだりは、素晴らしい文章だと思いましたし、小説で西さんが“奴”と呼ぶものは、私にとっては私に“ばちを与える”何かであり、その点でもやはり心通じるものがあるとも思いました。
 西さんの文章、やっぱり好きです。これからも西さんの書く文章はずっと読んでいきたいと改めて思いました。

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西加奈子『ごはんぐるり』その1

2013-06-29 05:58:00 | ノンジャンル
 フェデリコ・フェリーニ監督・・原案・共同脚本、ドナルド・サザーランド主演、ニーノ・ロータ音楽の'76年作品『カサノバ』をWOWOWシネマで再見しました。冒頭のヴェネツィアの祭りのシーンから、映画の
祝祭性に魅せられ、ビニールの波、機会仕掛けの鳥、目が覗き穴になっている彫金の魚、等身大の機械人形など、舞台を見ているような見事な装置と照明、幻想的な画面を十分に堪能しました。

 さて、西加奈子さんの'13年作品『ごはんぐるり』を読みました。『NHKきょうの料理』テキスト(2008年10月号~2010年10月号)、並びに『NHKきょうの料理ビギナーズ』テキスト(2012年2月号~5月号)に連載されたものに、大幅な加筆・修正を加えたものに、書き下ろし小説『奴』を加えてできた本です。
 「食」全般に対するエッセイなのですが、その中でも書き記しておきたいと思った箇所は、「(著者が料理を好きなのは)ただ、包丁を入れたときの大根のみずみずしい骨のような白さ、火を入れたときのガスコンロのポッと可愛らしい音、鍋を振るとき腕にずしりとくる頼もしい重み、などが好き、つまり料理を作っている、その行為、そしてそんな自分が、好きなのだ」、「(カイロの)お米は、たくさんの石と死んだ虫入り、洗う前にまず、お米をテーブルに広げ、ピンセットで石と虫をひとつひとつ取っていく作業から始まる」、「(日本の)スーパーに並べられた、色とりどりの形の揃った野菜、石や虫なんてまったく混じっていないお米、パックに入れられた鮮やかな肉と、蠅のたかっていない新鮮な魚。ネギのみじん切りがパックで売られているのを見た母などは、言葉を失っていた」、著者が引用している森茉莉さんの文章「フライパンを熱して黄色のバタァを溶かす、すると私はもう楽しくなっている。バタァが溶けるや間髪を入れず卵を割って落とす。ニ三度掻きまわし、ふんわりとまとめ、表面を一寸焦がして皿にうつす。全く楽しい作業である」(『貧乏サヴァラン』所収「食い道楽」ちくま文庫)、「普段私は、スナック菓子やアメリカンドッグなんかを、食べない。(中略)でも、車に乗る、しかも友人たちと! となると、どうしてもスナック菓子を買いたくなるし、パーキングエリアで売っているアメリカンドッグは、とてつもなく美味しそうに見えてしまうのだ」、「でも、大好きなのだ。エコノミークラスの、きゅうきゅうに狭い座席で、隣の人に遠慮しながら食べる、ぴっちり容器に詰まったあの、機内食を、いつの間にか、全部食べてしまっているのだ」、「よく考えると、お料理には、それに合ったお酒が、必ずある。(改行)ピザや、トマト風味のものには、やっぱり、少し苦味のあるワインが断然よい。(改行)酒盗、なんて酒を盗むほど美味しい、て意味なのに、きりりとした日本酒を飲まなかったのは、もったいなかった。(改行)テキーラは苦手だったが、ハバネロのフライや、タバスコのスパイシーな味に負けないものは、それしかないと、確かに思う。(改行)ジャンの甘辛さには、まっこりの深みのある甘さが、抜群に合うし、レバーのパテ、ねっとりと舌にからむそれには、シェリー酒の可愛らしい刺激がちょうどよい」、「セネガル料理は、アフリカの料理の中で、一番美味しいらしい」、「(セネガルの主婦が時間をかけて楽しみながら家事をしているのに対し)私は、いかに効率よく、楽に、そして早く家事を済ますかを、大切にしすぎている」、「一人旅が苦手な私が、それでも(ニューヨークに)足を運ぶのは、東京と変わらない都会であること、ガイドブックを広げて見ていようが、ぼんやり座っていようが、誰も自分に関心を持たない気楽さ、などが、心地良いからだ。遠さや英語力を除けば、唯一『旅行!』とふんばらず、気楽に行ける街なのである」、「いつも行く店が、ブルックリンのフォートグリーンにある、南アフリカ共和国料理の店、MADIBAだ。(改行)(中略)食パンにつけて食べるカレーは辛くなくまろやか、インドのカレーとも違う。もっと出汁の味がする、というか、野菜がたくさん入っているので、とてもヘルシーだ。(改行)もうひとつは、イーストビレッジのさらに東、アベニューに数字ではなく、A、B、などとついているエリアにあるプエルトリコ料理の店、『CASA ADERA(アデラおばさん)』。(改行)アデラおばさん(もうおばあさんと言ってもいい)が作るプエルトリコ料理は安くて量が多くて、何よりも美味しい!」明日へ続きます‥‥)

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ロジャー・コーマン監督『ワイルド・エンジェルズ』

2013-06-28 06:10:00 | ノンジャンル
 ロジャー・コーマン監督・製作の'66年作品『ワイルド・エンジェルズ』をWOWOWシネマで見ました。
 家から出て運河沿いに三輪車を走らせる子供。母は「ブライアン!」と呼んで、子供を追いかけ追いつくと、「危ないじゃない」と言って子供を抱きしめます。その手前に停止するバイク。帰っていく母子からバイクに乗るブルース(ピーター・フォンダ)へカメラが振られると、次のショットは一気に遠景となり、バイクが運河沿いに走り出すのを映し出します。バイクが走る姿をバックにタイトル。
 ブルースは油田で働く“負け犬”ジョー(ブルース・ダーン)の許を訪れ、ジョーのバイクが砂漠の町メッカで見つかったことを知らせますが、ジョーは仕事中に私語をしたことで、クビを言い渡されます。ジョーの恋人ゲイシュは、この5ヶ月で4回もクビになり、家の修理もできないと愚痴を言いますが、ブルースから「ジョーのバイクが見つかったので明日出発だ」と聞くと、はしゃぎ出します。
 ブルースが先頭の、後部座席に女を乗せたバイクの車列は、暴走集団“ヘルズ・エンジェルズ”と呼ばれ、ナチの鉤十字を身に付けています。車列を見つけた警官は、無線で仲間に連絡し、自らも追跡を開始します。車列はメッカに到着し、ブルースらはメイシコ人の若者たちがいるガレージに入っていきます。ブルースが「ジョーの盗まれたバイクがここにあるはずだ」と言い、ジョーが自分のバイクの部品がそこにあるのを見つけると、ブルースらとメキシコ人らの間で乱闘が始まりますが、外にいた警官たちがそれを止めようと入ってくると、ブルースらは逃げ出し、ジョーは白バイを盗んで逃げ出します。ジョーを追跡する白バイはジョーを撃ち、彼にケガさせることには成功しますが、途中崖に転落します。検問の手前で倒れ、意識を失うジョー。
 野外パーティをするブルースら。フランケンシュタインはゲイシュに「淋しいだろう」と言って無理矢理キスしようとします。暴力的な遊びに興じる連中。ヤクをやっていた仲間を見つけたブルースは「ヤクは止めろと言っただろ!」と言って、彼らとケンカを始めます。騒ぎを聞きつけた警官がやって来ると、また逃げ出すブルースら。一方、ジョーは病院に運ばれ、手術を受けます。
 ブルースは、退院しても刑務所に送られるであろうジョーを病院から奪回することにします。ジョーの妹に扮したメンバーが病院の警備員の注意を逸らせている間に、ジョーを病室から運び出すブルースら。異変を感じた看護婦はジョーの部屋に入ってきますが、フランケンが彼女の口を塞ぎ、乱暴をしようとします。それに気付いたブルースによって、無理矢理病室から連れ出されるフランケン。ブルースは彼らのアジトにブルースを運び込みますが、結局虫の息だったブルースは死んでしまいます。号泣するゲイシュ。一方、病院でフランケンに襲われた看護婦は、警察の提示した写真を見て、一味の中にブルースがいたと証言します。実家に警察の手が回り、帰れなくなるブルース。彼は仲間からボートで中国へ逃れるように言われます。
 教会を乗っ取り、ジョーの葬儀を行うブルース。牧師が説教を始めると、それに反発したブルースは、自分たちが求めるのは自由だとして、これからパーティを行うと宣言すると、興奮した仲間は牧師を倒し、教会の内部を破壊し、乱痴気騒ぎを始めます。フランケンシュタインはゲイシュを襲い、彼女を無理矢理犯します。仲間に回されるゲイシュ。ジョーの遺体も仲間に弄ばれ、ブルースはヤクをやった後、仲間の女性とセックスし、ピグミー(マイケル・J・ポラード)らに命じてジョーの遺体を柩に戻させます。仕方がなかったとジョーの遺体に泣きながら謝るゲイシュ。
 翌朝、ブルースらはジョーを埋葬するために教会を出発し、牧師は警察に電話します。町を練り歩く葬列。墓地の穴に柩を下ろそうとしていたピグミーは、町の若者が放った石を当てられ、倒れます。それをきっかけにブルースらと町の若者たちとの間で乱闘が始まりますが、やがてパトカーの近づく音が聞こえ、ヘルズ・エンジェルズの連中は逃げ出します。しかしブルースは1人残り、埋葬を続けるのでした。

 オールロケの作品で、極端な縦の構図や、パーティ場面での手持ちカメラ、ミラーを使ったショットなど、風俗的な興味以外にも、“映画”ならではの楽しみも与えてくれる作品でした。

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今尾恵介『世界の地図を旅しよう』

2013-06-27 06:15:00 | ノンジャンル
 ルキノ・ヴィスコンティ監督の'65年作品『熊座の淡き星影』をWOWOWシネマで見ました。亡き父が反ファシズムの英雄で、弟と近親相姦的な関係を持つ、イギリス人の男性と結婚したばかりの若いブルジョワ女性をクラウディオ・カルディナーレが演ずる白黒映画で、無骨な感じの映像の質感はそれなりに楽しめましたが、内容にはあまり惹かれませんでした。

 さて、今尾恵介さんの'07年作品『世界の地図を旅しよう』を読みました。
 著者は“まえがき”にあたる部分で、「地図はその作製目的によって省略や取捨選択の作法を異にするわけだが、(中略)場合によっては正確なはずの地図が結果的にウソをつくこともあり得るのだ。(中略)読者の皆さんには、地図というものがいかに多様であり、それをよく見ることで実にさまざまなものが浮かびあがってくること、この地球上のいろいろな価値観が無数の地図の上でさまざまなトーンで主張されていることの面白さを知っていただきたい」と書いています。
 その後、世界共通でない地図記号、地図で見る道路・鉄道・川の名前の種類と変遷、国境や県境の話、地図に見る自然の造形、わざとウソをついている地図、といった順で、地図のあれこれが語られていきます。
 この中で面白いと思ったことは、アメリカ合衆国の官製地形図は植生に限らず記号が少なくてシンプルな図式が特徴ですが、農地は果樹園(orchard)とブドウ畑(vineyard)の2種類しかないこと(したがって、広大なグレートプレーンズ(ロッキー山脈東側の大平原)の小麦畑などは、碁盤目に区画された大平原に記号のない空白が延々と続いています)、日本とドイツの地形記号は全般によく似ていて、なぜかといえば、明治20年代に日本がドイツの地形図記号を直輸入に近いかたちで採用したものが多いからであること(特に鉄道の記号や針葉樹林・広葉樹林などはほとんど同じです)、外国の2万5千分の1や5万分の1などの地形図を見る限り、郵便局の記号はない国の方が多いこと、これに対し市街地図にはまず確実に郵便局の記号があり、欧米の市街地図での多数派の代表格が「ポストホルン」であること(「ポストホルン」とは、かつて郵便馬車の馭者が鳴らして走った楽器のこと)、日本では戦後になって鉄道の国鉄・私鉄の区別が行われるようになり、「官尊民卑」の意識の表れなのか、一日数本のローカル線であっても国鉄の線は太く全駅が掲載されるのに対し、私鉄だと特急が10分間隔で走る幹線であっても細い線で駅も省略されるといったことが横行していたこと、'97年の数字で日米の鉄道輸送の実態を比較すると、旅客輸送では、日本が3953億人キロ、米国225億キロと日本が圧倒しているのに対し、貨物輸送では、米国2兆3202億トンキロ、日本229億トンキロと米国が日本の100倍の数字を示していること、日本の旧国境は尾根線や大河などによるものが多く、たいていは現在も合理的な文化圏・生活圏などの境界として機能していますが、トンネルや橋梁などの開通などで交通事情が大きく変わり、旧来の地域分けが不便をもたらす場面も出てきていること、地図の製作には多くの労力がかかっていて、他社にそれを複製されては困るので、例えばアメリカでは、びっしり掲載された地名の中に1つか2つのダミーの地名を混ぜておき、複製されるのを防いでいること、都道府県別に色分けしていろいろなデータを一目瞭然に表示するいわゆるコロプレス・マップは、数値の区切り方によっては作製者の意図に合わせた表現が可能になること、また図表を見せる原則を意図的に外し、本来はドット(点)で表現するのが適当なものをベタ塗りで表現して印象を歪めることも可能であること、また、以前は国家の体制を色分けで示した図がよく地図帳に載っていましたが、社会主義国を示す赤の色が、メルカトル図法をあえて使うことにより、広大な旧ソ連がますます拡大されて「共産主義の脅威」が強調されていたと考えることもできること、江戸時代の地図には被差別部落が「非人小屋」とか「穢多村」などとあからさまに表現してあるものがあり、復刻版ではそれを掲載する出版社は少ないこと、などなどでした。

 地図が意図的なものであることを楽しく明らかにしてくれる良書だと思います。お勧めです。

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鈴木則文監督『関東テキヤ一家 喧嘩仁義(ごろめんつう)』

2013-06-26 07:10:00 | ノンジャンル
 先日、WOWOWプライムで『平成中村座“法界坊 串田劇場”』を見ました。ついこの間亡くなった中村勘三郎さんが主役の法界坊を演じた舞台でしたが、コミカルな法界坊が最後には自分の欲望のままに残虐な殺人を犯し、ラスト、殺した娘と殺された自分とが一体となって化け物化するという見せ場があり、おどろおどろしく終わるという見事な舞台でした。一体、原作のラストはどうなっていたのでしょうか? もし原作でもラストの化け物が出て来るようでしたら、すごい傑作だと思いました。

 さて、鈴木則文監督・共同脚本の'70年作品『関東テキヤ一家 喧嘩仁義(ごろめんつう)』をスカパーの東映チャンネルで見ました。
 進む新幹線の映像。「旅行けば~♪」と歌いながら小便をする国分(菅原文太)と、「兄貴、あと30分で大阪だがね」と名古屋弁で言うゴロウ(南利明)。駅前で3人の男に拉致されそうになる女性を助けた国分が「大阪着いたら、早速ゴロネンつくか?」と言うと、タイトル。
 拘置所へ国分と兄弟の盃を交わした結城(葉山良二)が迎えにきます。倉成組に草鞋を脱いだ国分。病身の倉成(加藤嘉)は結城に、戎祭の際にテキ屋に渡すネタの手配を任せます。組の金を持ち出そうとして結城に叱られる弟のトオル。トオルは幼い頃、兄の結城がはずみで発射した銃の弾が目に当たり、左目を失明して、未だに兄を恨んでいました。一方、国分はある店に行き、3年前に将来を誓い合ったミチコ(桜町弘子)の写真を見せて、「この店にいたはずだが?」と言いますが、ミチコの行方はようとして知れません。床に落ちたミチコの写真をたまたま踏んだ潮田(梅宮辰夫)は、「気が立っている」と言う国分に殴られますが、潮田も殴り返して、「すまん、俺も気が立ってるんだ」と言います。お互いゴロマキ同士だと認め合う2人‥‥。
 この後、暴力団を率いる社長・石田は、バックにつく的場(天津敏)の指示を受け、組を率いる杉浦とともに、結城が仕入れたネタに、厚生省が不認可としたネタを混ぜて、それを売っていたテキ屋の店を破壊し、不認可の食べ物を客に売った原因を作ったとして、結城に、テキ屋への損害賠償と、不認可の食べ物を食べて治療を受けている客の治療代として、合わせて50万を要求してきます。結城は明日の5時までに用意すると言いますが、銀行から下ろした金をトオルに強奪され、結局約束の時間までに金を作れません。するとそこへ、
岡山の西大寺の裸祭りの庭場に店を出すテキ屋にネタを卸す仕事を代々継いでいる花井(長門勇)が現れ、結城の代わりに50万を出します。石田はもう約束の時間は過ぎている、として金を受け取ろうとしませんが、そこへ現れた的場が花井の顔を立てようと言い出し、石田は50万を受け取ります。
 花井は国分をしばらく預かると言い、結城は今回の不始末の責任を取り、倉成から破門の処分を受けます。結城を岡山に誘う国分。
 的場は花井から西大寺の庭場を奪う計画を立て、裸祭りに来るテキ屋へのネタを花井から強奪し、花井を困らせようとしますが、その悪事が西日本の親分衆が集まる場で暴かれ、計画は頓挫します。結城に殴られ改心したトオルは、的場の女になっていたミチコを逃がしますが、その責任を問われ、石田に暴行を受けます。そこに現れた結城は、トオルの身代わりを買って出ますが、的場は何でも言うことを聞くのなら、花井を殺せと言い、「死ぬのはおんどれたちや」とドスを抜いた結城は、逆に的場らに殺されてしまいます。
 裸祭り当日、人波の中、石田の刺客に襲われる花井。祭りが済むまでジタバタするな、と言っていた花井は息絶え、祭りが終わった後、国分は潮田とともにトラックごと的場の事務所に突っ込み、斬り込みます。国分は杉浦を殺し、潮田は石田を殺し、最後に国分が的場を何回も刺して殺しますが、潮田も死にます。傷ついた体で出て来た国分を迎えるミチコでしたが、2人は抱き合った後、国分は1人その場を去るのでした。

 マキノの『日本侠客伝』シリーズの菅原文太版といった感じで、ストーリーも、悪役が天津敏という点も、大変似ていました。映画から受ける情動といった点でもマキノのシリーズを受け継いでいると思いました。『日本侠客伝』シリーズが好きな方は、より一層楽しめると思います。

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