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エドワード・ヤン監督『クーリンチェ少年殺人事件』その3

2018-08-31 05:06:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 男、小明に「また出戻りか? 外に出る度に男が変わるな。今度は俺とどうだ? この時期に戻るとはいい度胸だ。疫病神め。哀れなふりをして。ハニーから連絡は?」。(中略)
 小明「オーディション見に来なかったね」小四「演習場にいた君の村の連中が学校へ脅しに来た。小猫王に午後会う」「私と会うと面倒じゃない?」「やましくないから平気だ」。
 「なぜここに?」「歌詞の翻訳と返すものがあって。(中略)」「まとめ役が必要だ。和解の話だ」「明らかに造反だ」ハニー「ことはそんなに単純じゃない。東門(トンメン)の小林(シャオリン)と三環(サンホアン)の小葉(シャオイエ)に、ハニーが戻ったと伝えろ。まずそれからだ。山東と葉っぱはコンサートで賑やかにやってる。もっと盛り上げてやろう」(中略)。
 「老二は知ってるだろう。217と葉っぱの企みを」。
 小四「老二兄さん、起きて」。
 豪雨の中、帰隊する兵士たち。
 ハニー「東門も三環も殺しちまえば……。なぜ葉っぱと一緒に?」老二「ビリヤード場で知り合った。カネ稼ぎの方法があるって」「南部からもらったら台北はカネ稼ぎが流行とは。生活が苦しいのか? 当時滑頭は俺と逃げたくて必死で頼んできた。奴の父親は中山堂を押さえられただの、お前が滑頭をかばわなければ、とっくに見下してた。今は217が奴の後ろ盾だ。今、小公園のボスは滑頭だ」「東門と三環に伝えろ。襲撃は中止する。山東と葉っぱのことだ。このツケは後で取り戻そう」「台南の“土狗”(トウコウ)の所へ戻るか、ここで潜伏するのか?」「台南に戻る。外省系とは居たくない。(小四に)来い。小明はお前が好きだ。俺はあの日一目で分かった。ずっと待ってた。俺は武侠小説ばかり読んでいた。結局男は捕まる。“馬車”! 手紙で消息を聞かせてくれていれば状況は変わっていた。今は小説を書きたい。読者はチンピラだ」。
 コンサート会場。「小四、滑頭だぜ、見ろあの様子」。「大物を紹介する。彼が先ほど話した華(ホア)主任の次男坊だ」。
 国家斉唱。ハニー現われ、「誰が許可を与えた? ボスの山東を呼んで来い」「大事なお客さんだ。どうぞ中に」「和解したいって?」部下に「手を出すな」「これが217の作法か。中華民国海軍。お似合いだ」。(中略)
 山東「俺は2つのタイプが苦手だ。死を恐れない奴、それと恥知らずな奴。お前はどっち? 答えないのか、答えられないのか」。山東、やって来た車にハニーを突き飛ばす。(中略)
 医者「父と治療上の相談がついた。心配いらない」。
 「ハニーは217に殺されたらしい。兵役逃れの説もある。奴、南部に行ってたろ?」
小四「噂話ばかりするな。賭けてもいい。噂は間違っている。兵役逃れであるはずはない。小馬、お前見てたんだろ?」。チャイム。「授業だ!」。小四「トイレに」。小明「数日登校しなかったね。てっきり南部に帰ったと……。彼が萬華(ワンホワ)を離れる時、台南の住所を教えてくれた。私は会いに行くつもりで、ハニーに笑われた。心配しすぎだって。おかしいでしょ? 病気だったのは数日間だったのに、彼の顔が思い出せない。気持ちが乱れて恐ろしかった」。小四、駆け寄り「小明、僕がいる。勇気を出して。怖がらなくていい。僕は一生離れない君の友だちだ。守ってあげる。誰もいらない」「当てにならない」。
 バスケ。「小明だぞ」「やりたい?」「そんな勇気ないよ」。小虎「脚のケガを恨んでる?」。「小虎が行ったぞ」「小明は無視だ」(中略)。
 教室の清掃をする生徒たち。(中略)
 小四、帰宅。父「よく考えてみてくれ。急がない」男「小四の昼間部転入だが、やっかいだ。クラス編入を考えたが、休み明けになる。教育部の友人に頼んでみる。教師資格の書類は手続き中だから。さよなら」。父「奴もよく俺に言えたもんだ」母「柔軟にならないと」。小四、押し入れに入り「小明がやっと登校してきた。でも……」と書く。
 「武器もなくケンカか?」「行こう。応援も呼ぶんだ」。小四、ナイフを手に「行くぞ」「ムキになって死にたいのか?」「俺たちの実力をを見せてやる」「そのナイフは日本の女の自殺用だ。笑われるぞ」「どうしたんだ?」「天井裏で見つけた。他にもあった」「レコーダーで遊んでな」。
 「今思いついた。小四、小馬を訪ねよう。お前、仲がいいだろ?」「何を頼むんだ?」「仲間がひどい目にあったんだぞ。せめて刀を借りるんだ」。(中略)
 小馬「さえない顔だな。まさか女のことか?」小四「違うって言ったら?」「女のことで悩むのはくだらない。分かるか? お前も見ただろ? ハニーの件だ。台北中が恐れた男だぞ。結局女が原因であの始末だ。小虎なのか?」「違うよ」「ならいいけど」。
 ライフルを撃つ小四。
 映画館で銃声を聞く小四。(中略)
 並んで座り、キスする小四と小明。(また明日へ続きます……)

エドワード・ヤン監督『クーリンチェ少年殺人事件』その2

2018-08-30 05:10:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 小明「オーディションのことを彼が知ったら嫌がるわ」「帰るの?」「行く場所ある?」。
 2人、坂の原っぱに並んで座っている。小四「よく知ってるね」小明「昔近くに住んでたの」「意外だね」「私が男なら兵役に行きたい。男子は兵役を嫌うわね」。坂を転がる小四。駆け寄る小明。「こうなるのが怖いんだ」。
 兵士たちの動きを映す超ロングショット。
 4人の男たち。「“ミス”とデートかい? うちの縄張りの娘とデートするにはチケットが要る」小明「無視して」「無視する? できるかな? 腕時計を隠してるか? 俺が探してやる」。小四のポケットを探る男に、小四は一蹴りを浴びせ、倒す。残りの3人は逃げ出す。
 「自転車に乗って。家まで送るよ」「方向が違うからバスで帰るわ」「僕も小公園に行く」。
 ビリヤード。小四の兄の老二(ラオアー)。男「どこへ行っても儲からない。今日は彼に代わりにやってもらう」。老二は勝負に勝つ。
 小四、小明を尾行し、家を突き止める。
 洋楽のライブ。(中略)
 「(中略)ハニーがいないから混乱する。葉っぱものさばるし、皆ボスになりたがる。小猫王(リトル・プレスリー)出番だ!」。(中略)
 口笛を吹きながら小四の家をめぐる小猫王。小四の姉に「お願いがある。歌詞の翻訳をしてほしい」「暇がないわ」小四「あの手この手で行こう」小四の妹「お弁当を温めるのお姉さんに頼めって」「お母さんは?」「試験の監督よ」。
 レコードプレーヤーが動かなくなる。ラジオも。
 妹「何してるの?」小猫王「修理だ」。(中略)
 バスケットをする男子生徒。「小虎、小明の脚のケガ、お前とバスケをしたせいか? 小明の彼氏、知ってるよな」「知ってる」「ならいいけど」(中略)
 小四の姉、母に「イヤリングと腕時計貸して」「いいけど腕時計は気をつけてね」「残りは800元だけ?」父「ツケを全部払った。あのデブの嫌味は聞きたくないから」「昇進しても給料は少ないのね」「どうした?」「まず小四のメガネね」。
 父「ラジオはどうした?」妹「小四兄さんが分解してた」。
 教室。「立ちなさい。作文のノートは? 提出してないわね」。教頭が入ってきて「皆に紹介しよう。転校生の馬(マー)君だ」。着席する馬。「あいつ板橋中学で人を斬ったらしいぜ」「王茂(ワンマオ)! さあ、立とうか」。
 小明「小四! オーディションの通知が来たの。来ない?」「行けるけど」「私と一緒だと思われたくないのね」。
 スタジオ。小四「でも彼氏が嫌がるんだろ?」「それが原因であなたも怖いのね」「面倒は嫌だ。彼氏はハニーだろ?」「怖いって認めたら? 面白い人ね」「何で笑う?」「お人好し過ぎていつか損するわ」「どうして?」「ハニーがそうなの。皆が彼を怖がるけど、ハニーほど誠実な人はいない。正義感が強くて、人とまともにぶつかってしまう。彼に忠告するの。この世界は変えられないと。結局ガッカリさせてケンカになるの。でもハニーがいなくなったら、彼が懐かしくて泣きたくなる」「噂ではハニーは君のために“217”のボスと決闘となり、人を殺して逃げたと。本当なのか?」「明日来るわよね」「上から見てるよ」。
 採点する母。次女に「毎週聖書の勉強会や讃美歌だの、勉強は大丈夫?」。長女、帰宅。「楽しそうね。私はダンスでお父さんと知り合った。当時の上海の女学生はモダンだった。なのに嫁ぐと貧乏な田舎に」。兄「小四、ちょっと来てくれ。母さんの時計を質に入れてきてくれ。葉っぱの誘いでビリヤードをやり400元の借金ができた」。
 小明、帰宅。医者「お母さんの喘息に一般的な薬はもう効かない」。
 オーディション。「辛かった思い出は?」。小赤は何も語らず、ただ涙ぐむ。「OKだ。今度は時代物の衣装を着てもらおう」。
 小四「答案は見せていない」教師「正解している問題も同じだし、間違っている問題も同じ間違いをしている」。
 小四の父「調べもせずに減点とは理屈が通らない」教師「もう一人は退学させた」。
 自転車を並んで押す小四と父。父「悪かった。感情的になった」「間違ってないのに謝るなんて卑屈なことだ」「社会にはよくあることだ。努力が未来を決める」「母さんが心配だ」「女は面倒だ。大人になれば分かる」。
 母「丸く収めるために行ったのに、大減点なんて」。
 小明の母「小明、早く大きくなってね。あなただけが頼り」。(中略)
 仲間、小四に「映画ばかり見てて勉強は? 退学して暇そうだな。もしかして女のトラブル?」「小翠じゃない。俺は話してない」「問題があるなら力を貸す」。
 「小虎は?」「お前、俺たちの縄張りの娘とデートしてるな」「俺は司令官の息子、小馬(シャオマー)だ。俺がいれば、そこが俺の縄張りだ」。(中略)(また明日へ続きます……)

エドワード・ヤン監督『クーリンチェ少年殺人事件』その1

2018-08-29 05:03:00 | ノンジャンル
 WOWOWシネマで、エドワード・ヤン監督・製作・共同脚本の1991年作品『クーリンチェ少年殺人事件』を見ました。4時間弱の映画です。
 “1959年夏”の字幕。「息子は国語が得意なのに50点しか取れていない。他の教科の点も悪く採点の間違いがあるはずだ。汪(ワン)さんは共通の友人だ。理解してくれるはず」。
 ラジオ「(人名が列挙され)以上が国立政治大学文学部教育学科の合格者、計25名です」。
 “1949年頃、中国から数百万人が国民党政府とともに台湾へ渡り、誰もが安定を願った。しかし子供たちはその成長過程で大人の不安を感じ取り、少年たちは徒党を組んだ。脆さを隠し、自分を誇示するかのように”の字幕。
 “1960年9月”の字幕。スタジオ。「予算がないので白黒映画にするしかない」と監督。「これでクランクアップだ」。その様子を天井から見ていた少年が冊子を落とす。「クソがきが!」(中略)
 「名前は? 夜間部の何組だ? 黙っててもダメだぞ。(服にぬいつけてある学生番号を見て)86089だな」。ガラスが割れる。「誰だ! 逃げるな!」。どさくさに紛れて懐中電灯を盗み、逃げだす少年。(中略)
 教室。「起立。礼。着席」。プリントが配られる。
 夜のスタジオ。懐中電灯で照らされ、「まぶしいよ」。「“小豆氷”が来た」「照らせ、早く」「何を照らすの?」「(パンツは)きっと赤だ。賭けよう」「いくら?」「10元」「1元だね」「よく言えるな。賭け金をけちる奴なんて、負けても払わない」「その通りだ」「小四(シャオスー)、事件だ。滑頭(ホアトウ)が小学校で因縁をつけられた。懐中電灯を貸せよ」「いいよ。だが俺はいかない」「誘ってないぞ」「放っとけ」(中略)。
 武装した集団。逃げ出した生徒を追いかけ、捕らえる。「なぜジュエンツン派がここへ? ここは俺たちの縄張りだぞ。(レンガを手に持ち、仲間に)殴ってみろ」。恐れる仲間たち。「よく見てろ」。レンガで顔を殴るリーダー。殴られた生徒は立ち上がらせると、口からひどく出血している。「ボスに伝えろ。今後は“小公園”に遊びに来るなと」。
 帰宅する小四。母「遅かったわね」小四「同級生と話をしてた」。
 小四が目を覚ますと、もう既に皆出かけていて、自分も土曜日の週会の当番だったことを思い出す。
 教師「毎週土曜の午後は医務室で診察を受け、ボランティアとして働くように。それから学生番号86089の生徒は今すぐ補導室へ。昨日の昼間、野球部の学生がバットで先生を殴った。今日から全てのバッドを登記し、登記されてないバッドは没収する」。
 補導室。「間違いなく彼だ」「僕は取ってない」「学校もスタジオも開けっ放し。ご近所づきあいみたいなものだ」。
 教室。小四に隣の生徒「答案を見せろ」。
 「無視しやがって。小四がおとなしいからって、ナメるなよ。
 「僕のバッド没収されちゃった」「他のバットで返す」「買ったばかりだったのに。70元はするよ」。
 「ボールでこんなに?」「母さん、ツケで買うの止めたい。お店のおじさん、すごく意地悪。自分の娘が受験で失敗したせいで?」」
 食卓につく家族7人。母「露店の果物屋の音楽うるさい。日本と8年戦って、日本家屋に日本の音楽。日曜は汪さんに招待された」「行っても下男ばかり?」。(中略)
 押し入れの中の寝どこにはいる小四。「滑軽はメーデーを避けられない」と写真の裏に書く。兄「70元もっていけよ」。
 教室。「国際社会を考える頃、彼の行動は限られている。国際的な共産陣営の陰謀に対してアメリカ市民も不安に違いない。若過ぎる大統領なのだ」。
 パーティ。「汪さん、アメリカの視察のたびに悪いね」「アメリカはすごいぞ。写真がある(中略)」。
「1949年、中国に戻れるとは思わなかった。ならば早いうちに長い目で計画しよう。僕らは身内だ。小四の昼間部への編入する件だ。俺の人脈だけでいける。夜間部は環境が悪い。感化されるのが心配だ」。(中略)
 汪宅からの帰りのバス。「夫人の前で夏先生のことを語るな。夏先生がよくない」「一人で上海に戻るんだもの。小四の昼間部への編入は問題なんだ」「教師証書の件は? 私のことだと急がないのね」。何台もの戦車とすれ違うバス。
 「君が美人だから僕らは常連なんだ」「売り物に手をつけないで!」どさくさにまぎれ、スカートをめくり、「赤だったぞ」と叫ぶ生徒。
 バスケのカップル。小明(シャオミン)「小虎(シャオフー)ずるい」。
 注射し、整列させ、投薬する女医師。脚の傷の手当を受けた少女を教室まで付き添うように言われる小四。
 並んで歩く2人。「歩けるから教室へ先に」と小明。「前回授業をサボった。どこか行く?」。
 壁を乗り越え、スタジオの天井へ。しかし映画監督に見つかる。逃げる小明に「そこの女学生。今何年生?」「中2です」「この子、いいだろう。オーディションを受けなさい」。(中略)(明日へ続きます……)

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さん福長さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。

石坂敬一『我がロック革命 それはビートルズから始まった』その2

2018-08-28 05:31:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
・「(前略)各社にはそれぞれ看板となる女性アイドルがいたが、東芝EMIは手薄だったので、なんとかして薬師丸ひろ子と原田知世を獲らなければと思っていた。二人を育てた角川春樹さんを口説かない限りは彼女たちと一緒にやることは難しい。そう考えて、知識や技術ではない大勝負に出た。体育会系発想とでもいうのか、宣伝部・制作部の総勢20人に指令を出し、麹町にあった角川春樹さんの自宅周辺に僕も含めて早朝4時に集合し、全員で家の近所の掃除を始めた。会社からホウキとチリトリを持ってきて、家からもちゃんと見えるように、掃除をする場所も指定した。すると1時間後くらいに、角川春樹さんが起きて家から出てきた。『お前ら、偉い。これで飯でも食え』と現金50万円を渡された。この人の懐の大きさに感服した。そうやって信頼関係を築き上げたところで、『薬師丸ひろ子と原田知世の映画主題歌を東芝EMIでリリースしたい』と頼みこみ、結果的に二人とも東芝EMIからレコードを出すことができた。」

・「(前略)僕は99年から日本レコード協会の理事を務めていたので、2001年頃に経済産業省へ『1兆円クラブ』の入会申し込みに行ったことがあった。『1兆円クラブ』とは、その名の通り、経済界にある1兆円以上の売上のある業界が入会できるクラブ。ところが、それを口にした途端に(売上の)伸びが悪くなってしまった。成長を遂げていた音楽産業が2000年代前半から急降下していく。デジタル時代に入り、その対応が万全でなかったこと、さらには安い音楽が巷に溢れ、レベルが下がってしまったことは事実として否めない。良い歌をコピーなりカヴァーなりするならいいけど、レベルが低いオリジナルを作って四方八方にばらまくと、世の中にレベルの低い音楽が流行る。その様子を見て失望感を抱いた。音楽がハードウェアに合わせているかのように見えた。70年代初頭から40年も時間が経てば変化があるのは当然だが、音楽至上主義者の自分としては、音楽にハードウェアが合わせていくのが、あるべき姿だと思う。」

。「日本人アーティストの世界制覇を実現できなかったのは、今でも無念に思う。キョードー東京の永島達司さんと組み、じっくり腰を据えてやるべきだった。二人で協力すれば、きっと大きな成果をもたらすことができたはずだ。
 僕にとって永島達司さんは、特別大きな存在だった。僕より背が高く、183センチくらいあり、外国人に比べても見劣りせず、威厳と気品をもった業界随一の国際人だった。永島さんに教えられたことはいろいろあるが、いちばん大事なのは『ビジネスマンには品格が必要だ』ということだった。我々のしごとは 個人対個人だから、最終的には信頼関係になり、そこで品格が問われる。『上品な英語を使うように』とよく言われた。あとは『仕事は一人でやる』ということ。永島さんはなんでも一人でやる人だった。」

 上記以外でも、本で触れられている忌野清志郎さんのアルバム『カヴァーズ』や『君が代』も聴いてみたいと思いました。読みやすい本で2日かけて一気に読んでしまいました。60年代から90年代にかけて音楽(とくに洋楽)を聴いてきた人は、特に楽しめる本だと思老います。

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さん福長さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。

石坂敬一『我がロック革命 それはビートルズから始まった』その1

2018-08-27 05:17:00 | ノンジャンル
 WOWOWオンデマンドで、黒沢清監督、黒沢清・高橋洋脚本の’2017年作品『予兆・散歩する侵略者 劇場版』を見ました。ドラマ版とほとんど同じ内容で、新たに付け加えられたショットは確認できませんでした。

 さて、石坂敬一さんの20’17年作品『我がロック革命 それはビートルズから始まった』を読みました。「本書は、著者が2015年9月27日から2016年8月9日までの計13回、約20時間にわたって半生を語り下ろしたものをまとめたものです。」とのことです。以下、いくつか本文から引用させていただくと、

・「ビートルズの功績を集約するならば、感覚だけの存在だったロックに主体的な側面を与え、生命力を失い疲弊していたポップ・ミュージックに活力を与えた、ということになる。ロックという若者の風俗文化の一メディアをフィルターとして、社会の風俗や日常的な事項にまで影響力を広げていった。エルヴィスもシナトラも達することができなかった境地━━つまり、音楽を武器にしつつも音楽の世界から脱却し、若者の精神文化にまで侵入して得た偶像の地位、これこそ前人未到のビートルズの偉業であると考えた。エルヴィスは、“観に行く、聴きに行く”で終わっていたが、ビートルズは“観に行く、聴きに行く、真似もしにいく、最後は考える”というスタイルを残した。ビートルズは記録上も記憶上も最も鮮烈な印象を残したバンドだった。」

・「1972年にビートルズの担当ディレクターに就いてすぐに、ビートルズ初のベスト・アルバム『赤盤』と『青盤』(原題『THE BEATLES 1962-1966』『THE BEATLES 1967-1970』)が出ることになった。リリースは73年だが、イギリスの『メロディ・メイカー』や『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』では前年から出るという情報が伝えられていて、ついにリリースされるのかと思い、期待は高まった。ビートルズの歴史が一目でわかるLP2枚組の完璧な選曲で、大衆はこういう曲を好んでいるということを世に見せるいい機会だった。今聴いても『赤盤』と『青盤』は、数あるベスト・アルバムの中でも抜群の出来だと思う。『青盤』にジョージ・ハリスンの曲が多く収録されているのは、ジョージが選曲したという噂があったが、実際に選曲したのはイギリスのEMI。ジョージの選曲なら、逆に自分の曲は少なくするのではないか。(後略)」

・「「(前略)でもビートルズが凄いのは、ロックンロールに不良性がなくなり、研究開発型に変わっていったところだ。それは、その後のイギリスのバンドにも受け継がれていった。その重要なナンバーが『アイ・フィール・ファイン』だと思った。カントリー・アンド・ウェスタンのビートを使ったロックンロールで、さらに音が複雑でプログレの綾がある。また、この曲で聴けるフィードバック奏法も、先鞭をつけたのはビートルズということになる。『アイ・フィール・ファイン』こそが、すべてのロックの原点だと思っていた。日本ではビートルズ=『イエスタデイ』ということになるけど、『アイ・フィール・ファイン』も正当な評価を受けるべきだと思っていた。
 僕のアイデアを汲み取り、アメリカのキャピトル・レコードが『ロックン・ロール・ミュージック』というベスト・アルバムを制作した。日本の企画をビートルズ側がのむという状況を作り出した。それがアメリカやイギリスに逆反射して、世界的なビートルズのルネッサンスを起こしている原因のひとつになった。イギリス人は利害関係をベースにして考えるから『ビートルズは地球の財産だ』という意識はなく、ビートルズが見えなくなっていた。僕はこの時、日本のファンはビートルズを育て、偉大にすることに大きく貢献したと思った。そういうムーヴメントの一角を担えたことに僕は非常に誇りを持ったし、時代の巡り合わせに幸せを感じた。思い通りの選曲になったこのアルバムのブックレットに僕が書いたキャッチ・コピーは、『この28曲にビートルズのロックンロール魂は埋め込まれているのだ!』。このブックレットもまた『赤盤』『青盤』同様、気合を入れて編集した。(後略)」

・「アーティストとの関係性を作るうえにおいて、とにかくいろいろな話をすることが大切で、その際には媚を売らず、居丈高にならず、共通言語を持つことが重要だ。そのためには、相手が何に詳しいかを見抜き、それぞれのアーティストに即した『カルテ』を持っていなければならない。矢沢永吉さんとは音楽の話が多かったが、忌野清志郎さんとは車、松任谷由実さんとは宇宙の話、長渕剛さんとは社会全般のいろいろな話題で盛り上がった。こちらが無知では話にならないから、音楽だけでなく、いろいろなことに精通しておくことが音楽ディレクターには求められる。」(明日へ続きます……)

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さん福長さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。