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私の今年の10大ニュース

2010-12-31 07:03:00 | ノンジャンル
 昨年に引き続き、今年の自分を振り返るために、私自身の今年の10大ニュースを考えてみたいと思います。
 1位「2ヶ月、仕事休むも、生活レベルアップ」 体調を崩し、8、9月と仕事を休みましたが、同僚の方々と家族の励ましにより無事に仕事に復帰でき、以後、「孤独でいることの肯定」と「休むことの重要性」を常に意識することによって、より健全に生活できるようになりました。
 2位「ピアノ演奏の再開」 職場の同僚のYさんとの出会いによって、4月から40年ぶりにピアノの練習を再開し、生活にまた一つ潤いが増えました。
 3位「シリアル・キラーとの出会い」 宮田珠己さんの『スットコランド日記』によって平山夢明さんらの『狂気な作家のつくり方』を知り、そこからトニー・パーカーの『殺人者たちの午後』、平山夢明さんの『異常快楽殺人』を読み、あとはなぜか『殺人という病』『死刑でいい』「犯罪心理学入門』『死刑と無期懲役』『隣の家の少女』をも読み、『イングロリアス・バスターズ』や『ナチュラル・ボーン・キラーズ』も見るという、シリアル・キラーに彩られた年となりました。彼らを排除することなく、理解し、受け入れるということを学べたような気もします。
 4位「オースター再発見」 『ティンプクトゥ』『空腹の技法』『最後の物たちの国で』、そして柴田さんによる新訳『ガラスの街』により、ポール・オースターに魅入られた1年ともなりました。それにより、「作家(不適合者)は書物こそがもっとも自分を見い出しやすい場になっているということ」と「物語の優越」を学びました。
 5位「『成熟』することの重要性の認識」 内田樹さんの『現代思想のパフォーマンス』により、ラカンの「想像界」と「象徴界」を理解することができ、「成熟」することの重要性を学びました。
 6位「山田宏一さんの『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』との出会い」 60年代のゴダール映画についての本としては決定版ともいえる山田さんの本と出会え、自分の中でのゴダール再評価への道を開いてもらいました。
 7位「『身体性』の意識化」 内田樹×三砂ちづる『身体知』により「身体」を意識することを学び、冬にはズボン下をはくようになり、年末には、とびお鍼灸接骨院にも通うようになりました。
 8位「『銃・病原菌・鉄』『フューチャー・イズ・ワイルド』との出会い」 ジャレド・ダイアモンドによる前者に出会い、歴史の理解を深め、後者では、直線的ではない進化の歴史を学びました。
 9位「ゴッホとの出会い」 年末のゴッホ展で、彼の作品の迫力に圧倒されるとともに、その恵まれない生涯と現在の栄光に涙してしまいました。
 10位「バードウォッチング始める」 双眼鏡と野鳥のハンディ図鑑を入手し、家の裏の川沿いと田んぼの道でバードウォッチングを始めました。意外な野鳥に巡り会え、厚木の自然の豊かさを再認識しました。
 他にも、母と木住野さんのライブに行ったり、鶴見川源流ウォーキングに参加したり、ハングライダーに挑戦したり、職場の日帰り旅行を満喫したり、今年もいろんな体験をさせていただきました。来年は今年できなかった海外旅行を是非実現させたいと思っています。ということで、読んでいただけた皆さんにとって、来年が良い年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

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山田風太郎『人間臨終図巻?』

2010-12-30 06:14:00 | ノンジャンル
 ジャン=リュック・ゴダール監督の'10年作品『ゴダール・ソシアリズム』を日比谷の東宝シネマで見ました。豪華船で旅する、船長の知り合いの老人と、彼と行動をともにする若い娘が点描されます。港に着くと、豪華船に乗っていたマルセル一家の話に移ります。ガソリンスタンドを営む両親と若い娘、幼い弟の4人。妻は愛人のためにガソリンスタンドを売りたいと言い、娘はスタンドを買いに来た客に目もくれず、バルザックの本を読んだまま「出ていけ、クソ野郎」と言い放ちます。そして最後にはパレスチナ問題に言及し、映画は終わります。豪華船でのディスコにおける音響が、まさに耳を弄する雑音で、今までの映画では聞いたことのない音でした。映像もHDビデオで撮られた、これまた今までの映画では見られなかった画質のもので、興味深く見ました。70才を超えても、ゴダールの映画は進化し続けているようで、その若さには驚くしかありません。意味を度返ししても、この映像と音響を体験することは、なかなかできないと思いました。

 さて、朝日新聞のノンフィクション特集で紹介されていた、山田風太郎さんの'86年作品『人間臨終図巻?』を読みました。10代から55才で死んだ人まで324人の人の死に様を描いた本です。
 政治、社会、文化に至るすべてのジャンルでの有史以後の人物を網羅的に取り上げた力作で、例えば文化で言えば、小説家、詩人、歌人、俳人、俳優、演出家、脚本家、映画監督、画家といったように、また社会であれば、聖人から犯罪者まで清毒取り混ぜて取り上げられている興味深い本でした。有名人ばかりが取り上げられているので、死に様が病死にしても痛ましいものが多く、また刑死もおびただしい数で、その残虐さは風太郎さんの著作ならではといった感じでした。
 こんな人とこんな人が同時代だったという発見もある面白い本です。おどろおどろしいものに興味のある方には特にオススメです。

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クエンティン・タランティーノ監督『イングロリアス・バスター』その2

2010-12-29 07:05:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
「第5章 巨大な顔の復讐」「『国家の誇り』プレミアの夜」の字幕。ショシャナは真っ赤なドレスに黒いベレーのような帽子に身を包み、プレミアに臨みます。ランダは女優を個室に呼び出して絞殺し、アルドをも秘密裏に取り押さえて、取引を持ちかけ、戦後の自分の身分の安全を保障させる代わりに、アルドらの命を助け、プレミア会場の爆破にも手を貸すことを、アルドの上司である将軍に承知させることに成功します。映画の上映が始まり、やがて会場からアルドの部下2人が抜け出すと、ショシャナの相棒が会場の扉に閂(かんぬき)をかけますが、映画のあまりの残虐さに辟易したフレデリッックは映写を止めさせようと、映写室にいたショシャナを訪ねてしまい、ショシャナは隙を見て彼に銃弾を浴びせますが、死んだと思わせた彼は振り向きざまに彼女に銃弾の雨を浴びせ、二人は映写室で息絶えます。そして映画が終わろうとする瞬間、スクリーンには巨大なショシャナの顔が映し出され、彼女の映像は観客たちに死のメッセージを送ると、ショシャナの相棒がスクリーンの裏で可燃性フィルムの山に点火し、スクリーンは燃え上がり、炎はあっという間に観客席を呑み込みます。貴賓席に乗り込んだアルドの部下2人はヒトラーをマシンガンで穴だらけにし、パニックに陥っている観客にも銃弾の雨を降らせます。煙りに写る巨大なショシャナの顔の映像は歪みながらも、呪いの言葉を吐き続けます。そしてついに爆弾にも火が及び、劇場は大爆発を起こします。一方、ランダと部下はトラックを運転して連合軍占領地域に至ると、荷台に積んで来たアルドとその部下を解放し、武器を渡して投降しますが、アルドは上司の命令を破り、その場でランダの部下を射殺して自分の部下にその頭の皮を剥がさせ、ランダの額には鍵十字の傷をナイフで入れ、一生SSの制服とともにランダが生きるようにしてやると、ランダは長々と悲鳴を上げるのでした。
 マカロニ・ウエスタンの音楽、ゴダールや無声映画の字幕、写真家という存在を史上初めて確立したスティーグリッツという名前などなど、映画史そして映像史への豊かなオマージュに溢れかえった映画で、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』を撮った撮影監督ロバート・リチャードソンの、こげ茶色を基調としたシャープで陰影に富んだ映像、スピーディなストーリー展開、何とジョン・ダイクストラが担当した特撮などなど、何とも魅力的な映画でした。が、こうした流血と死に彩られた映画は、見た直後はインパクトが強いのですが、時間が経つにつれて記憶が薄れていくのが私の場合常であり、今回も例外ではないような気がしました。ゴダールの赤やマキノの赤とは違い、どうもタランティーの赤はおどろおどろしく、描かれる暴力も生々しすぎて、どうも生理的にダメというのが正直な感想です。ということで、こういう映画をお好きな方にはオススメです。

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クエンティン・タランティーノ監督『イングロリアス・バスター』その1

2010-12-28 06:01:00 | ノンジャンル
 クエンティン・タランティーノ監督・脚本の'09年作品『イングロリアス・バスターズ』をWOWOWで見ました。
 マカロニ・ウェスタンの聞き覚えのある哀愁の曲をバックにタイトルロール。「第1章 その音‥‥、ナチ占領下のフランスで」「1941年」の字幕。丘の一軒家にSSでユダヤ人狩りのスペシャリスト・ランダ大佐がやってきて、家主と巧妙に取り引きし、床下に隠れていたドレフュス一家に銃弾の雨を降らせますが、娘のショシャナだけが逃げ延びます。「第2章 名誉なき野郎ども(イングロリアス・バスターズ)」の字幕。米軍のアルド・レイ中尉(プラッド・ピット)はユダヤ系アメリカ兵の8人で作った特殊部隊の面々に対し、ドイツ占領地に私服で潜入してナチを惨殺しまくろうと、彼らの復讐心を煽り立てます。無事占領地に潜入したアルドは、バットでナチを殴り殺す別名“ユダヤの熊”、また彼らがドイツ軍の収容所から奪取した、13人のナチ将校を殺したドイツ人スティーグリッツらとともに、殺したナチの頭の皮を剥ぐなど、その残虐さでナチを震え上がらせ、ヒトラーは彼らの存在に怒りまくります。「第3章 パリにおけるドイツの宵」「1944年」「6月」「ショシャナ・ドレフュス家族惨殺から4年後」の字幕。偽名で映画館主をなったショシュナは、映画好きながら、一つの戦いで200人を超える連合軍兵士を狙撃したドイツの英雄フレデリックに見初められ、彼が主演の映画『国家の誇り』のパリにおけるプレミア上映に招かれることになります。彼女はドイツ軍司令部において、宣伝相ゲッペルスと会った後、彼女の家族を惨殺したランダに出会い、彼の前では何とか平静を保つことに成功します。彼女は相棒の黒人とともに、彼女の映画館で開かれることになったプレミア上映会で、ランダを含むナチの高官たちを映画館ごと燃やす計画を立てます。「第4章 プレミア大作戦」の字幕。イギリス軍のヒコックス中尉は、ユダヤ人が牛耳っているハリウッド映画をゲッペルスが潰そうとしていることを元映画評論家の将校に確かめた上で、イギリスのスパイとして働いている有名なドイツ女優の協力を得て、アルドたちにプレミア会場の爆破を指令します。女優が指定したアルドたちとの合流地点である地下の酒場には、偶然にSSが居合わせていて、アルドの部下の1人がスパイであることを知られ、一瞬のうちにその場は銃撃戦と化し、SSたちを皆殺しにはしたものの、アルドは部下を3人失い、女優も足を打たれます。が、アルドは女優を拷問して逆スパイではないことを確かめた後、明日のプレミアにヒトラーが出席することを聞き出すと、女優に足をギプスで固めた状態ででもプレミアに出ることを強要し、アルドは自分の2人の部下とともに、彼女のエスコート役のイタリア人に化けて現場に乗り込むことにします。一方、銃撃戦の行われた酒場を調べたランダは、残されていたハイヒールから、女優が連合軍側のスパイであることを知ります。
 というところで、まだまだ長くなりそうなので、続きはまた明日に‥‥。

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内田樹『街場のアメリカ論』

2010-12-27 06:13:00 | ノンジャンル
 WOWOWで、ロマン・ポランスキー監督・共同脚本の'88年作品『フランティック』を見ました。パリで妻を誘拐されたアメリカ人医師(ハリソン・フォード)が、妻のカバンと自分のカバンを空港で間違えたスパイの運び屋の女とともに、妻を助け出すために活躍する映画でしたが、普通のアクション映画だったので、ちょっとガッカリでした。冬のヨーロッパを映した画面は美しかったのですが‥‥。

 さて、内田樹さんの'05年作品『街場のアメリカ論』を読みました。
 まず、まえがきで、「私たち」はつねに「誰か」にとっての「私たち」であり、他者からの視線を媒介しないアイデンティティというものは存在しないことが宣言されます。そして清の没落以来、日本人は中国ではないものとして日本を意識し、その時からアメリカを欲望し始めたのだと論じます。そうした中で、日本は「外国の侵略に際して日米安保条約が機能しない」というもっとも危険な事態を「ありえない」ものとしてきたことなどが語られます。また、「原因」を問われる時、「原因」など存在しないからこそ、そういう問いがなされるという事実が指摘され、以後、具体的に日米関係、およびアメリカについて論じられていきます。
 まず、歴史の進路には様々な分岐点があり、過去から現在まで直線的な因果関係でつながっているというようなシンプルな物語に依存しないためには年号を覚えておくことが必要であることが言及され、「起きてもよかったのに起きなかった出来事」をどれだけ多く思いつけるかによって知性は試されるとも言います。その例として、アメリカ南北戦争が19世紀後半に起こっていなかったら、日本がアメリカの植民地になってい確率が高かっただろうと述べられます。また戦後のフランス官僚の中枢を形成していたのは、ナチに協力していたヴィシー政権の官僚たちだったことや、太平洋戦争時、インドシナ半島で日本軍とフランス軍が遭遇していたはずなのに戦闘せず、インドシナ半島を「共同統治」していたことなどが語られます。そして歴史に「もしも」を導入するというのは、一人の人間が世界の進行にどれくらい関与することができるのかについて考えることであると結論づけられます。
 この後も、アメリカにおけるジャンクフードを論じる中で、地産地消という考え方が強い排外主義を呼び、また文化の本質的な雑種性を看過する傾向になりうることに言及されたり、モビルスーツに象徴される、日本マンガにおける「無垢な少年しか操縦できない巨大ロボット」がアメコミには全く見られないことなどが指摘され、アメリカにおける統治システムにおける多数決主義、戦争経験の不備、ヨーロッパ以来の子供嫌いの伝統、そこから派生したシリアル・キラーの流行、身体の道具化と身体的快感の欠如化、知性を敵視する福音派の跋扈、秘密結社の伝統、裁判社会における他責主義といった事柄が論じられます。
 今まで知らなかったことが、事実の積み重ねとして論じられていくのに快感を得るとともに、とても勉強になりました。アメリカ、ひいてはアメリカに対する日本を理解したいという方には最適の本です。

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