また昨日の続きです。
・結婚制度は、ひとつには、男たちが女同士を分断するために考えだしたものです。女ばかりをいっしょにしておいたらなにが起こるかわかりません。団結して逃亡を企てるかもしれません。そこで、女のからだを拘束しただけではまだ安心できない男たちは、植民地支配の鉄則のひとつ、「分割して統治せよ」で、主人一人にドレイ一人、男一人に女一人を割りあてたのです。(中略)女は、結婚して相手を“主人”と呼ぶかぎり、自分は男の子分であり、ドレイであるということです。このドレイ船を漕ぐ女たちを、私は“主婦ドレイ”と呼んでいます。
・もし、ほんとうに男女が対等で、法律のうえでも平等だと言うなら、この結婚制度は民主的ではないし、憲法違反でさえあると思います。ただし結婚制度にはいった女の人は、男社会を助けますから、それなりに法律では守られていますが、でもそれは、人間としての事由の代償において、あくまでも男性に有利な制度の範囲内で守られているだけです。
・女性が性的な快楽を知ったら好きな相手を求める自由を欲するので、女性から性的自由を奪う必要があったのです。
女性に性的快楽を知らせないですませるために、むかしから、西欧など世界中のいろいろな国で、女の子のクリトリスを切除する施術が行われてきました。クリトリスは男性のペニスに相当する部分で、いちばん敏感なところです。
・おなじドレイ仕事を朝昼晩やるのでも、少なくとも好きな人のためにやるのだったら、楽しいかもしれません。(中略)ですから、女がガレー船の船底にいるのであれば、ほんとうは恋愛結婚ほど男にとって得なものはないはずです。
・昔ばなしや説話を読むとよくわかりますが、むかしから女性は“歩く財産源”でした。女が人間を産んでくれるおかげで、労働力や兵士や、家などの後継ぎができたし、それだけでなく、女は快楽の道具でもあり、それに加えて、女はとてもよく働きました。子育てのほかに、家事と称して、掃除、炊事、洗濯、看護、老人の世話、家計のやりくりから畑仕事、縫いもの、近所づきあいまで、ありとあらゆる重要な仕事を、タダでやってきました。
・女の人の家事労働代は、国でも資産を出しています。1997年、当時の経済企画庁が出した家事労働代の試算は年平均276万円(月23万円)です。
・男社会は女にその代償を支払うシステムをつくっていません。そのかわり、「女は男に尽くすもの」という社会規範をつくって女の自己犠牲をよしとする教育をしてきました。その結果、1080年に出された国連の統計では、女が全世界の労働の三分の二を担っていて、それに対して支払われている賃金はたったの10パーセント。そして、女の財産は、たったの1パーセントだということです。
・「母性」は、甲板の上にいる男たちが船底の女たちに容認した唯一の権利であり、また、男社会が女に与えた唯一の権力でもあったということです。女がほかの権利や権力を主張したら、かならず頭をたたかれました。逆から言えば、男社会に連れてこられた女たちは、「母性」にすがって自己の存在価値を主張する以外、何も存在理由がなかったのです。
・「男らしさ」を生きることは、夢を生きることであり、人格をもったひとりの人間になることですが、「女らしく」なることは、「従順」や「ひかえめ」ということばを見てもわかるとおり、だれか相手がいてのことです。ひとりの人間としてどう生きるかどう成長するかではなく、相手をどうサポートするかということです。一生、男の補佐役と決められてしまうことでもあります。
・アメリカでは一時期、女の人は暴力をふるうと、「女らしく」ない、病気だ、と言われて精神病院に入れられました。「女らしく」なることこそ、じつは狭窄衣を着せられたのと同じことで、人間としては「不自然」で病的状況を生きることでもあるというのに。
・心もからだも男より弱くなるように文化的操作を受けた女は、男に対して自分の主張をとおしたければ、甘えるか、すねるか、泣くか、いずれにしろ子どものするように相手の愛情に訴えるしか方法がありません。あとは、美しさや性的魅力で相手を誘惑するか、です。たとえそれで相手が言うことをきいたにしても、そんな女と男との関係では対等なつきあいはできないということです。
・ですから、これから女の人は「男らしさ」のプラス面を、男の人は「女らしさ」のなかの、人の世話をしたり、面倒を見たり、といった細やかな生活自立の面を学んで、二人で一人になる補完的な関係から、一人一人が自立した人間になれる資質をとり戻すべきだと思います。
(また明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
・結婚制度は、ひとつには、男たちが女同士を分断するために考えだしたものです。女ばかりをいっしょにしておいたらなにが起こるかわかりません。団結して逃亡を企てるかもしれません。そこで、女のからだを拘束しただけではまだ安心できない男たちは、植民地支配の鉄則のひとつ、「分割して統治せよ」で、主人一人にドレイ一人、男一人に女一人を割りあてたのです。(中略)女は、結婚して相手を“主人”と呼ぶかぎり、自分は男の子分であり、ドレイであるということです。このドレイ船を漕ぐ女たちを、私は“主婦ドレイ”と呼んでいます。
・もし、ほんとうに男女が対等で、法律のうえでも平等だと言うなら、この結婚制度は民主的ではないし、憲法違反でさえあると思います。ただし結婚制度にはいった女の人は、男社会を助けますから、それなりに法律では守られていますが、でもそれは、人間としての事由の代償において、あくまでも男性に有利な制度の範囲内で守られているだけです。
・女性が性的な快楽を知ったら好きな相手を求める自由を欲するので、女性から性的自由を奪う必要があったのです。
女性に性的快楽を知らせないですませるために、むかしから、西欧など世界中のいろいろな国で、女の子のクリトリスを切除する施術が行われてきました。クリトリスは男性のペニスに相当する部分で、いちばん敏感なところです。
・おなじドレイ仕事を朝昼晩やるのでも、少なくとも好きな人のためにやるのだったら、楽しいかもしれません。(中略)ですから、女がガレー船の船底にいるのであれば、ほんとうは恋愛結婚ほど男にとって得なものはないはずです。
・昔ばなしや説話を読むとよくわかりますが、むかしから女性は“歩く財産源”でした。女が人間を産んでくれるおかげで、労働力や兵士や、家などの後継ぎができたし、それだけでなく、女は快楽の道具でもあり、それに加えて、女はとてもよく働きました。子育てのほかに、家事と称して、掃除、炊事、洗濯、看護、老人の世話、家計のやりくりから畑仕事、縫いもの、近所づきあいまで、ありとあらゆる重要な仕事を、タダでやってきました。
・女の人の家事労働代は、国でも資産を出しています。1997年、当時の経済企画庁が出した家事労働代の試算は年平均276万円(月23万円)です。
・男社会は女にその代償を支払うシステムをつくっていません。そのかわり、「女は男に尽くすもの」という社会規範をつくって女の自己犠牲をよしとする教育をしてきました。その結果、1080年に出された国連の統計では、女が全世界の労働の三分の二を担っていて、それに対して支払われている賃金はたったの10パーセント。そして、女の財産は、たったの1パーセントだということです。
・「母性」は、甲板の上にいる男たちが船底の女たちに容認した唯一の権利であり、また、男社会が女に与えた唯一の権力でもあったということです。女がほかの権利や権力を主張したら、かならず頭をたたかれました。逆から言えば、男社会に連れてこられた女たちは、「母性」にすがって自己の存在価値を主張する以外、何も存在理由がなかったのです。
・「男らしさ」を生きることは、夢を生きることであり、人格をもったひとりの人間になることですが、「女らしく」なることは、「従順」や「ひかえめ」ということばを見てもわかるとおり、だれか相手がいてのことです。ひとりの人間としてどう生きるかどう成長するかではなく、相手をどうサポートするかということです。一生、男の補佐役と決められてしまうことでもあります。
・アメリカでは一時期、女の人は暴力をふるうと、「女らしく」ない、病気だ、と言われて精神病院に入れられました。「女らしく」なることこそ、じつは狭窄衣を着せられたのと同じことで、人間としては「不自然」で病的状況を生きることでもあるというのに。
・心もからだも男より弱くなるように文化的操作を受けた女は、男に対して自分の主張をとおしたければ、甘えるか、すねるか、泣くか、いずれにしろ子どものするように相手の愛情に訴えるしか方法がありません。あとは、美しさや性的魅力で相手を誘惑するか、です。たとえそれで相手が言うことをきいたにしても、そんな女と男との関係では対等なつきあいはできないということです。
・ですから、これから女の人は「男らしさ」のプラス面を、男の人は「女らしさ」のなかの、人の世話をしたり、面倒を見たり、といった細やかな生活自立の面を学んで、二人で一人になる補完的な関係から、一人一人が自立した人間になれる資質をとり戻すべきだと思います。
(また明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)