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山下耕作監督『博奕打ち 流れ者』その1

2012-04-30 18:40:00 | ノンジャンル
 山下耕作監督の'70年作品『博奕打ち 流れ者』をWOWOWシネマで見ました。
 「明治後期 九州―小倉」の字幕。殴り込みの道行きで、命を大事にするようにと若者の新吉(待田京介)を帰させた英次郎(鶴田浩二)らは、一宿一飯の恩義で相手の親分に傷を負わせますが、致命傷を負った仁輔は大阪で駄菓子屋をやっているという娘・菊に500円と詫びの言葉を英次郎に託して死に、やはり深い傷を負った市(水島道太郎)は途中で逃げた熊谷(天津敏)に命を助けられます。タイトル。
 「金沢 5年後」の字幕。地元のやくざに草鞋を脱ぎ、ここの郭に来たという菊を捜しにやってきた英次郎でしたが、菊は1年前に東京の洲崎に行った後でした。
 「東京」の字幕。英次郎が船乗り場ですれ違いざまぶつかった芸者の小秀(藤純子)は簪を落として割ってしまい、簪が割れると不幸が起きるという話を英次郎にしますが、弁償しようと言う英次郎に対し小秀は笑って立ち去ります。昔からの馴染みである木場政親分(内田朝雄)の元に草鞋を脱いだ英次郎は、小倉で名を上げた熊谷が金満組のニ代目に収まったと聞き、不信感を抱きます。そこに現れた岩佐は、木場の旦那衆を自分の賭場へ案内して若者同士がケンカした件について落とし前をつけろと木場政に因縁をつけ、木場に自分の賭場を開かせろと迫りますが、木場政は昔ながらの自分のシマだと言って断ります。
 英次郎は洲崎に行きますが、菊は1年前に木場の旦那の後妻として身請けされたと聞きます。飲み屋で会った市は、熊谷に命を助けられた義理で、小倉での活躍を熊谷に譲り、今では血を吐きながら酒浸りの生活を送っていました。英次郎に会ったことを市が熊谷に教えると、熊谷はさっそく英次郎を呼び、小倉の件の口止めをしようとしますが、英次郎はそれはもう昔の話だと言って取り合いません。深酒をした市を家に運ぼうとした英次郎は、市の妹が小秀と知り、小秀は市が英次郎のことを褒めていたことや、自分の身の上話を英次郎にします。小秀に対して市のことをかばう英次郎。
 しばらくして、熊谷が親分衆の集まりである菊駒(北竜二)一門と盃を交わすことになり、熊谷は盃の取り持ちを木場政に頼み、了承されますが、熊谷は裏で岩佐と組んで、木場政をつぶす算段をしているのでした。熊谷の過去を知っている英次郎は熊谷に盃の返上をするよう迫りますが、熊谷は聞く耳を持ちません。英次郎に東京を離れるように言う市。やがて小秀が菊の嫁ぎ先を見つけ、英次郎は菊に会いに行きますが、菊は父の勝手をなじり、仁輔から英次郎が預かった金を受け取ろうとしません。英次郎はとりあえず仁輔の供養に使わせてもらうと言って菊のもとを去ります。
 簪を買って小秀に贈り喜ばれた英次郎でしたが、帰ってきた市は英次郎にすぐに出ていくように言います。英次郎に惚れるなと言う市に、もう惚れてしまったと言い、いつまでも市の世話をするのはもう嫌だと言う小秀。(明日へ続きます‥‥)

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劇団ひとり『青天の霹靂』その2

2012-04-30 05:26:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 俺は自分の誕生日から考えて、正太郎の妻が俺を妊娠したことを知らせに来たのだと思いましたが、実際その通りでした。俺は正太郎に現金の入った封筒を渡し、申し訳なさそうにそれを受け取った正太郎は俺の前から姿を消します。父親になるには小遣い稼ぎ程度にしかならないマジシャンの助手などしている場合じゃなく、どこかで苦労して働いているのだと思うと、それほど苦労して生まれてきたのが俺だということが、また申し訳なく思えてきます。そんな中、俺は笑いは取らずとも、スプーン曲げのマジックで、少しずつでしたが他の劇場からも出演の声が掛かるようなってきます。
 そんな折り、ノブキチが悦子が入院したという知らせを持ってきます。二人で病院を訪ねると、悦子は隔離病棟に入院していて、妊娠しているために結核の薬が使えないとのことでした。そして先日正太郎を訪ねて来たのは悦子の姉で、正太郎が悦子の夫だということも分かります。悦子は生まれてくる子供に晴夫という名前をつけようと思うと言い、そこで初めて、俺が悦子の子供だということが分かるのでした。正太郎と悦子はマジシャンの師承の助手の先輩、後輩の時代に出会いましたが、悦子の父の激しい反対に会い、無理矢理仲を割かれたのだと、悦子の姉は教えてくれます。妊娠が分かった時、悦子は正太郎に言わずに一人で生もうとしていたと言い、こんな病気の自分を押しつけるのはイヤだと言っていたと、姉は続けます。そして自分に何かあったらお腹の子をお願いと言われた姉は、我慢出来なくなって正太郎を呼びに言ったのだと言うことでした。
 病院から劇場に帰ってきた俺は、やくざ者に拉致され、悦子の父の元へ連れていかれます。悦子の父は極道で、娘を妊娠させたケジメとして指を落とせと迫りますが、俺が人違いであることを知ると、正太郎本人を連れて来いと言って、俺を解放します。
 俺と正太郎は、指を詰める段になったら「やっぱり嫌だ」と正太郎が騒ぎだし、過って俺が父を刺してしまい、背広に仕込んだ血糊で相手を騙すという作戦を立て、一緒に悦子の父の元に向かいますが、悦子の父は血を飛び散らせないように背広を脱げと俺たちに言い、計画はもろくも潰れます。しかし父はやはり暴れだし、俺の持つ短刀に向かって体を投げ出し、短刀が刺さると、そこは血の海となり、俺と正太郎は悦子の父の手下らによって病院に担ぎこまれるのでした。
 大量の出血で助からないかもしれないと、手術室の外で案じていた俺らの前に、正太郎は照れ笑いをしながら現れます。血と見えたのは、手に巻かれた背広に仕込まれていた血糊で、実際に正太郎の受けた傷はほんのかすり傷程度のものでした。そこへ悦子の陣痛が始まったという知らせが入ります。悦子の状態はかなり悪く、母と子の両方を救えない時はどちらかを選んでほしいと医師が正太郎に言うと、どうせ産んだとしても俺のような子なのだからと思った俺は、悦子さんを選べと正太郎に言いますが、正太郎は、何としても両方を助けてほしいが、どうしてもどちらかと言われたら、悦子が選ぶであろう子の方を、と涙ながらに医師に言います。俺は自分がこれまで愚かだったことを思い知り、望まれて生まれてき俺は今後精一杯生きなければと思うと、医師らの緊迫した声と、その後の産声が聞こえ、そして雷の轟音が鳴り、俺は意識を失います。
 現代の荒川高架下に戻った俺に、警察から連絡が入り、本当の身内の方が見つかったので骨壷を返してほしいと言われます。すると後ろには父がいて、生きているうちに会って母のことなども話しておきたかったので、身元不明の人の遺体を利用して警察に晴夫を探してもらおうと思ったと言うのでした。俺は母には会って来て、全ての事情を知っていると言い、心の底から父にありがとうと言うのでした。

 デビュー作の『陰日向に咲く』と同じく、心暖まるストーリーで、しっかりした構成、読みやすい文体は今回も健在でした。デビュー作が130万部売れたのに対し、この作品がまったく売れなかったというのが信じられません。是非実際に手を取って読んでほしい一冊です。

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劇団ひとり『青天の霹靂』その1

2012-04-29 06:53:00 | ノンジャンル
 劇団ひとりさんの'10年作品『青天の霹靂』を読みました。
 幼い頃の自分は特別な存在だと思っていた俺・轟晴夫は、いつの頃からか「特別じゃないかも‥‥」と思うようになり、そして35歳になっても独身で四畳半の部屋に住んでいる現在は、普通とか平凡以下の存在であるようにも感じてしまっています。本当の自分なんていない、いるのは、発泡酒を飲みながらスケベなDVD鑑賞を唯一の楽しみにしている駄目で惨めな自分、そういうふうに考え始めている俺なのでした。
 俺は小さなマジックバー『ノブキチ』で働く口べたな、17年のキャリアを持つマジシャンで、冴えない毎日を送っています。後輩のサワダはテレビの売れっ子となり、俺にタメ口をきくようになりますが、テレビに出たところで、どうせブームの時だけチヤホヤされて飽きたら捨てられると思う俺は、反感しか感じません。秘かに思いを寄せる客のママもサワダに取られ、サワダとの関係を聞き募った俺はママに嫌われてしまい、自己嫌悪に陥ります。
 そんな折り、深夜テレビで老いた腹話術師の姿を見た俺は、その姿に励まされて、幸せは待つものではなく勝ち取るものだと気付き、自分の負け犬根性を捨てるために、テレビのオーディションを受けようと決心します。俺は、自分のすぐ噛んでしまう癖を逆手に取って店長が考えてくれた、差歯をネタにしたマジックをし、オーディションで手応えを掴みます。そして合格の連絡を待っていると、そこへ父の死亡の知らせが警察から入るのでした。
 俺は警察で、ホームレスの親父が孤独死の状態で発見されたことを知らされ、父の遺骨を渡されます。俺が生まれた時、既に母は家を出ていってしまっていて、父一人に育てられたのですが、頼りなくひ弱な父親を嫌い、17年前に家を飛び出してからは、連絡も取っていませんでした。父が発見された荒川高架下の場所に行ってみると、そこには俺が幼い頃父と遊んだ手製のマジック用ダンボール箱が置いてあり、俺は自分と遊んでくれた父、マジックを教えてくれた父の姿を思い出し、一生懸命自分を育ててくれた父に心からごめんと言います。するといきなり光と轟音がなり響き、雷に打たれたようになった俺は意識を失います。
 気がつくと、そこは昭和48年の世界でした。どうしたらいいか分からず、俺は父の遺骨を渡された警察を訪れますが、時間に迷ったと言う俺を警察は気狂い扱いして拘束しようとし、俺は逃げ出します。俺は未来を知っているというチャンスを生かそうと考え、いろいろ考えた結果、マジシャンとして売り出すことを決心し、浅草の演芸場を訪ねます。支配人にスプーン曲げを見せて採用された俺は、日本語がしゃべれないタイ人のチャム・ポンという設定を支配人に考え出してもらい、マジシャンの師承が病に倒れ一人で舞台をこなしていた助手の悦子をアシスタントにして舞台に出ると、舞台をわかせることに成功し、悦子のファンであるという少年ノブキチ(彼は将来俺が勤めるマジックバー『ノブキチ』の店長になる)にも出会います。しかし悦子の師承が結核であることが分かり、感染の疑いのある悦子はしばらく舞台に出られなくなってしまうと、そこで新たなアシスタントとして支配人が連れて来たのは、悦子の前に師承の助手だったという轟正太郎、つまり俺の親父なのでした。
 親父はマジックも下手でしゃべりもできない、どうしようもない助手でしたが、人の良さだけは誰にも負けないという男でした。俺は親父と働くうちに、幼い俺と親父が遊んでいる時間が当時の親父にとって唯一の生き甲斐だったということを知ります。そして親父との舞台も何とか様になってきたある日、親父の妻つまり俺の母だという女性が訪ねて来ますが、それはどうしようもないあばずれ女で、一見娼婦とも見える女でした。(明日へ続きます‥‥)

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マキノ雅弘監督『江戸っ子肌』

2012-04-28 06:27:00 | ノンジャンル
 マキノ雅弘監督の'61年作品『江戸っ子肌』をスカパーの東映チャンネルで見ました。
 加賀鳶の打ち上げで、芸者の子いな(淡島千景)から女物のキセルを持っているのを責められ、母の形見だと言い張る小頭の吉五郎(大川橋蔵)。おもん(桜町弘子)に目をつけた加賀藩の向井の殿様は、彼女を強引に屋敷に連れ込み、おもんと一緒にいた髪結いのおりんは子いなの兄の浪人・扇十郎(山形勲)に助けを求め、二人は屋敷に行きますが、屋敷の門番に追い返されます。そこへ現れた吉五郎は同じ加賀の家来として、自分が片をつけると言い、おもんを無事向井の屋敷から救い出します。妹のおもんの危機を知らされた鳶の「は組」の小頭の次郎吉(黒川弥太郎)は妹を救いに向かう途中、「は組」とは昔ながらに仲の悪い加賀鳶の吉五郎がおもんと一緒なのを見て、最初は誤解しますが、気風のいい吉五郎と別れると、おもんに「惚れるなよ」と言います。
 翌日吉五郎にお礼を言いに行ったおもんでしたが、そこへ向井の家来が現れると、吉五郎は仲間の助蔵(堺駿二)におりんを預けて、彼らに同行します。おりんを助け出したことを向井の屋敷で詰問される吉五郎でしたが、加賀藩の家来という点では向井も自分も同じだと言い張り、向井の家来に額を斬られると向井の家来らとの乱闘となります。そこへ半鐘の音が鳴り響き、吉五郎は一旦戦いを中断し、家に戻ると、おもんは自分のために傷を負った吉五郎に増々気持ちが傾きます。そして、おもんに半纏を着せてもらった吉五郎は火事場に急行し、そこで燃える家の屋根の上で「まとい」を振る次郎吉を助けます。
 「は組」の者を助けたことを頭に叱られた吉五郎は、おもんとも別れろと言われます。悩む吉五郎を慰める助蔵。次郎吉もおもんに吉五郎のことはあきらめろと言います。吉五郎がおもんに惚れてると知り、兄の家で酔う子いな。吉五郎のことをあきらめきれないというおもんに、次郎吉は、吉五郎と結婚するまでは敷居をまたぐなと言って兄妹の縁を切り、吉五郎の元へおもんを送り出してやります。向井の家来に再び路上で襲われたおもんを助けた扇十郎は、おもんを吉五郎の家へ行かせまいとして、自分の家に招きますが、子いなはおもんの気持ちを思んばかって泣き、おもんも恋のせつなさに泣きます。
 そんな中、芝居が初日を迎え、子いなは、そこに来た吉五郎をおもんに引き合わせ、おもんが次郎吉から兄妹の縁を切られたことを知らせますが、吉五郎は男の義理を理由に立ち去ります。芝居が終わった後、引かれた幕の提供者が加賀鳶か「は組」かで両者の間でケンカとなり、そこに現れた組長の仲裁で手打ちとなりますが、ケンカの理由が自分だと思い込んだおもんは身投げをしようとし、向井の息のかかった宿屋に連れられて来ます。手打ち式で「は組」の者からおもんを返せと言われた吉五郎は、自分はおもんの申し出を断ったと言った上で、加賀鳶の小頭の半纏を頭に返上して、その場を去ると、次郎吉が親分に妹の恋を実らせてやりたいと訴え出ます。一方、向井の毒牙におもんがかかろうとしていることを知ったおりんは、扇十郎と子いなへそれを知らせ、扇十郎は現場に急行し、子いなは次郎吉の訪問を受けていた吉五郎にそれを知らせ、吉五郎と次郎吉も現場に急行しようとしますが、突然半鐘が鳴りだし、吉五郎は次郎吉を火事場へ送り出し、自分だけがおりんの救出へ向かいます。扇十郎と吉五郎は駆けつけた向井の家来たちと乱闘となり、その中で後から駆けつけた子いなが斬られます。向井らは途中で逃げ出しますが、子いなはおもんとおりんの腕の中で息を引き取り、吉五郎から預かっていたキセルをおもんに渡します。そんな中、一緒に火事を消し止めた加賀鳶と「は組」の人たちが帰ってくるのでした。

 愁嘆場がやたらに多く、淡島千景の演技もちょっとやり過ぎの感じでしたが、凛とした桜町弘子の姿が印象に残った映画でした。

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劇団ひとり『そのノブは心の窓』

2012-04-27 19:00:00 | ノンジャンル
 劇団ひとりさんの'08年作品『そのノブは心の窓』を再読しました。「週間文春」'06年8月31日号から'08年2月28日号に初出した文章に大幅に加筆改訂して作られた本であり、また「この作品は、事実を元にしたフィクションです。実在の人物・団体等とは関係ありません。」とのことです(?)。
 最初の文章(あえて「エッセイ」とは呼ばないでおきます)は「無償の愛」と題されたものです。書き手である僕は無償の愛を実践してみようと思います。無償とは報酬を受けずに愛するということ。「電車の中で老人に席を譲る」、これはお礼を言われたり、他の乗客から羨望の眼差しで見られたりして、報酬を受け取ることになります。「植物を育てる」、これも色鮮やかな花や緑が心を癒してくれるという報酬が存在します。
 そこで僕は「石を愛してみよう」と決心します。石は動かず、花も咲かせず、そんな石を愛せたら、そこれこそが無償の愛になるという訳です。
 どうすれば愛せるのか。とりあえず、まずは名前をつけようとしてみますが、これが難問です。犬や猫のようにステロタイプがないのですから。そこで書き手は「石原さん」(石だけに!)と名付けてみました。
 名付けたものの、またその先どのように愛せばいいのか分からず、僕はとにかく少しでも長く一緒にいることを心掛けます。「外出する時はポケットに石原さんを忍ばせ、夜はベッドの枕元に石原さんを置き、お風呂だって石原さんと一緒に入りました。」
 「そして、一緒にいる間はなるべく会話をしました。最初のうちはどうしても石に話しかけている状況に違和感があり感情移入が出来ませんでしたが、『石原さん、こんにちは』『いってきます、石原さん』『いい天気だね、石原さん』などと挨拶を続けていると、次第に違和感もなくなってきて挨拶だけではなく普通の話なども出来るようになりました。」
 そして僕はついに石原さんの返事を聞けるようになります。石に僕がキャラクター付けをするようになり、石原さんが言ってくれるだろう言葉を想像できるようになったのです。
 すると、石原さんに「正面」、つまり顔があるようにも思え始めます。何ということもない普通の石だったのに、自分にとっては人面石になってきたのです。
 「そんな僕と石原さんの生活も一ヶ月が過ぎようとしています。最近は石原さんと一緒に出来る楽しい遊びも出来ました。僕と石原さんが出会った場所でもある近所の砂利が敷かれた駐車場には石原さんと同じような姿をした石がたくさん転がっています。数え切れませんがきっと何万個とあるはずです。そこで後ろ向きに石原さんをポイッと投げてから、振り返り石原さんを探し出すのです。早い時は一分ぐらいで見つかりますが、なんせ見た目がほとんど同じなので遅い時は五分ほど掛かります。
 『本当に同じ石なのか? 間違ってんじゃないのか?』
 そんな意地悪をいう人へ僕は聞きたいです、あなたの家にいるのは本当に昨日と同じ家族ですか、それを証明することが出来ますかと。
 そんなことは疑問にも思わないはずです。なぜなら間違えようがない確信があるから。それと同じこと。目の前の家族が間違いなく本当の家族であると同じように、目の前の石原さんは石原さんでしかないのです。ひょっとしたら、それは僕が石原さんを心から愛することが出来た証であり、無償の愛が存在する証なのかもしれません。」

 そして最後、オチがつくのですが、この一文を取っても読む価値は十分にあると思います。「事実を元にしたフィクション」、劇団ひとりさんの作文のような味わいのある「芸」にまだ触れていない方は、是非ご堪能ください。文句無しにお勧めです。

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