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西加奈子『名女優』

2014-12-12 20:13:00 | ノンジャンル
‘12年11月に刊行されたアンソロジー『泥酔懺悔』に所収されていた、西加奈子さんの『名女優』を読みました。
 生まれて初めて演じたのは、幼稚園の年少の頃だ。「手ぶくろを買いに」の、子狐のお母さん役だった。苺模様のエプロンをまとい、とんでもなく悲しいメロディを歌いながら、このあまりにポップな苺エプロンとの乖離!と思ったのを覚えている。
 次に演じたのは、同じく幼稚園の年長、「アラジンと魔法のランプ」のアラジンだった。アラジンは5人もおり、私の演じたのは、洞窟に閉じ込められ、「誰かぁああ、助けてぇええええ」と泣き叫ぶアラジン。彼の人生の中でも、最もみっともない瞬間だった。魔人役も5人いて、私は彼らの作った腕神輿に担がれて舞台袖に消えた。恥ずかしかった。
 小学生一年生で、カイロに行った。日本人学校だったが、学芸会があり、そこでも演技をした。一年生のときには、「赤、白、黄、青」という劇をやった。それぞれの色の良さを、歌でもってプレゼンし合うという内容だ。私は赤だった。「赤、赤、赤色、燃える火の色が赤、輝く朝日の昇る色、赤、赤、フレ、フレ、赤!」と、赤い旗を振りまわしながら歌った。赤は好きではなかった。
 二年生のときは、演劇をやらず、舞台に上がって、クラスの皆で九九の歌を歌った。それにしても、やはり、我が子とはいえ、舞台でただ九九の歌を歌うだけとは、両親もさぞがっかりしたことだろう。
 三年生のときには、「六人の泥棒」という劇をやった。私は泥棒役だった。他の泥棒役の子たちは、黒やグレーの、闇に紛れる服を着ていたが、私は何を思ったのか、上下ショッキングピンクのジャージを着た。当時一緒に泥棒をやった安達という友人に、今でも、「あのときどうしてあの色を着たんだ。」と言われる。私もそう思う。
 四年生のときは、宇宙人の役をやった。クラスに転入生としてやってきた私だが、ものも言わず、うなずきもしない。あの子は変だ、ということになったところでいなくなり、声だけで、皆にメッセージを読む。「私は実は宇宙人で……」というようなものだ。何それ。
 五年生で日本に戻って来たが、それ以降、演劇で何かを演じた経験がない。だが、日常で、何かしら演じていた、という記憶はある。例えば両親に対して、私はいつまでも「子供」であろうとしていた。
 それは思春期に限った話ではない。小学校の頃、動物園で写生をするという授業で、キリンを描いた。絵は得意だったが、「子供らしくないのでは。」という危惧から、わざと大きく、ダイナミックに描いた。子供ながら、自分の姑息な作戦が嫌だったが、先生にその絵を褒められたときは、もっと嫌だった。
 子供ぶるのは、今でもそうだ。例えば、田舎に行き、四十年間苺だけを育てています、などという爺さんに会った場合だ。「わあ、おじいさん! なんて美味しいの!」私は三十四歳だ。
 子供ぶるだけではない。深刻な相談を持ちかけてきた人には、道理の分かった大人のふりをする。なんでも拾ってくれる友人の前では、延々ボケ倒すし、天然気味の人たちが多ければ、徹底的に突っ込みにまわる。恋人の前では、一番美人で可愛い自分でいたいし、編集者や業界の偉い人の前では、頭のいい自分でいたい……。

 面白いエピソード満載で、私が好きな西加奈子さんの〈生=俗〉の世界が展開されている13ページの短篇でした。なお、上記以降のあらすじについては、私のサイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)の「Favorite Novels」の「西加奈子」のところにアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/