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加島祥造『英語名言集』その4

2017-08-16 16:48:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
・「ケネディ大統領は1963年に暗殺され、黒人牧師キングは1968年に暗殺された。そしてマハトマ・ガンジーは1948年に暗殺された。私はこの3つの事件を聞きつつ生きてきた者だ。このように最も平和を願う人びとが、いつも最も非平和的な手段の死にあったのだった。20世紀はいつも、実にviolent(暴力的)な世界だったのだ。国々ばかりでなく、人の心もまたviolentだった。そう思うほかない」
・「単語がcomprehensionなら「理解」と訳してもいいが、understandingはもっと身近な、地面に植えこまれた語だ。under+standingなのだ。「下に」「立つこと」によって相手の気持ちを知ることができる。人の上に立っては、相手のことは分からないのだ。(後略)」
・「本当によい思想というものは、非常に大きなことにも当てはまるし、とても小さなことにも当てはまる。このnon-violenceの思想は、ひとりの個人にとっても、とても大切な精神だ。実際には、ひとりひとりがこのnon-violenceの心にならなければ、平和などこない。甘い理想をかかげたり、威勢のよい太鼓を打ちならすだけでおさまることではないのだ」
・「このjourney into ourselvesは誰でもできるし、費用はまったくかからない。それなのにみんな、知らんぷりして、いろんなツアーに出かけるだけだ。しかしこの「内なる旅」が一番bestな旅だと知った人は、東洋にはとても多くいたし、欧米ではいま、とてもふえつつある」
・「現代は、あらゆることが激しい速度で変化してゆく時代である。ここで行われているのは、決して、名句の新旧交代ではない。これから大切にされるのは、人の心に深く触れる言葉、時代の流れを越えて生きてゆく言葉である」
・「ともあれ、20世紀までの父権男性社会を根本的に変えていくのが、21世紀であり、そうしなければ、人類は生き残れないだろう------そして絶望した男たちは、世界を破滅させる戦争をまたおっぱじめかねない」
・「自分を美人ではなく、plain womanだと思う人は、男性にたいして、いわば人間としてつきあう。自分の美しさでなくて、人間的魅力でつきあう。そのため、相手の男性を人間として理解するようになり、自分も相手から人間として理解される。
 美しいだけの女性をa doll(お人形)という。自分を美人だと思う女性は、いつも自分への意識から離れられない。相手の人の心や感情を推察するようには心が動かない。これは常識として誰でも知っていることだけれども、このように美人をdollにしてきたのは、まわりの人たちであって、彼女自身のせいではないとも言える。
 私の言いたいことをひとことですませば、どんなdollにもならないように、ということだ。Idol(偶像)かdollかになったときから、その人は相手とのほんとの交わりを失う」
・「英語圏の人びとは、会話の間に氷の張りだすことをとても恐れる。その「気まずさ」を我慢できない。会話が運ばないで沈黙がつづいたりすると、彼らはそれを破ろうと必死になる。主人も客も、それを自分の責任であるように感じる。とても神経質だ」
・「たしかに引用句辞典は、独習する人にはとても役に立つ。私はチャーチルにならって、「英語を学ぶ人は、引用句辞典を読むこと」と言おう。すこしでも英語が読めるようになったら、一冊の英語引用句辞典をあけたらいい。そこには英語を読む楽しみがあふれていて、その楽しみを通して、いつしか英文を読む力も進むようになる」

 英語名言集というよりも、加島祥造さんの名言集といった内容で、読み甲斐がある本でした。英知の詰まった本です。文句なしにオススメです。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

加島祥造『英語名言集』その3

2017-08-14 11:21:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
・「アーネスト・ヘミングウェイとウィリアム・フォークナーは、20世紀アメリカ文学の代表的小説家たちであった。すこしあとだがフォークナーもまた、マーク・トゥエインを近代アメリカ文学の父親と呼んだ。もうひとり、詩人T. S. エリオットは20世紀で高名なアメリカ生まれの詩人だが、彼も『ハックルベリー・フィンの冒険』を高く評価して、世界のどんな傑作とも肩を並べるものだと言った」
・「トマス・ハーディは『テス』Tess(1878)という小説(映画にもなった)で日本に知られている。女主人公のテスは、用心ぶかくしないで恋人をつくり、ついに悲劇の道をたどるのだが、ハーディは、恋というものが強い人間的衝動と考えていて、それが理性や社会(世間)や利害なんかで抑えられるものじゃない、そんな自制心や用心ぶかさに押さえこまれるような恋は、恋じゃないと言うのだ」
・「日本は儒教道徳や、男性中心の恥意識のなかで、ずいぶん人間の自然本能を拘束したものの、根底には神道的自然観を失わなかったせいか、西欧ほどは肉体性軽視の状態を生じなかった。しかしこれからの日本には、もっと強力な敵が現われつつある。
 私の暮らす伊那谷(いなだに)で、農村の人たちが私にこう言った------「都会の人は脚が丈夫だねえ。地下鉄の階段なんかをよく歩くせいかな。おれたち、車ばっかり乗ってて、足が弱ったよ」。私はこれを聞いてたいへん驚いた。過去の精神主義の束縛よりも、現在の(そしてこれからの)機械化による能率主義のほうが、人間の肉体能力や本能を、ずっと強力に衰弱させるものなのだ。
 だからこれから、ロレンスのこの思想はきっと21世紀の焦点となる------Be a good animal!」
・「だからせめて、窓を開けるときだけは、自然に向かって窓を開けよう。そうすれば自分の心も開けられよう。そういう心掛けで、窓を両手で押し開こう。この引用句は、私たちにそのように語りかけているようだ。私たちの窓は、ときにはマンションの、洗濯物のかかったベランダの窓だったり、オフィスの、外は騒音と排気ガスにみちた窓だったりする。汚い路地裏のアパートの窓だったりもしよう。しかし、それとともに開ける私たちの心の窓は、いつもそのむこうに、澄んだ空や水をたたえている。閉じた心の窓の中は、澱んだり濁ったりしているかもしれないが、開いた心の窓から見えるのは、いつも陽のひかる空や月の照る丘、輝く風景なのだ」
・「ひとりの人の喜びや笑いは、他の人びとに伝染する。その場にいる人びとを明るくさせる。笑いにはそういう伝播性がある。ひとりの人の悲しみは、その場を暗くすることもあるが、深くは伝染しない。君の泣きじゃくる姿をみて、もらい泣きをする人がいるかもしれないが、君はその人によって慰められはせず、かえって悲しくなるばかり------こういう経験は誰にもある。憐みpityは、喜びや笑いを失った人への同情であって、悲しみへの共感ではないのだ」
・「(前略)はっきりと、あなたの心がおもしろがれば、何でもおもしろいのだ、と言ったほうがいい。あなたの心が何もおもしろがらないなら、世の中はつまらないものだらけだ。心次第なのだ。そして実はこの見方は、東洋においては実に深い点まで掘り下げられている」
・「それで文字以前の時代に、耳がどんな偉大な働きをしていたか、忘れられた。しかし声が耳から伝わったとき、それは人の心の奥深くに蔵(しま)いこまれて命となる。私たち日本人の古人も縄文期の長い年月を、耳から心へ、心から声に、歌を、祈りの言葉を、伝えつづけた。その記憶は大和(やまと)言葉のなかに、いまも生きている。
 文明は、その声を記録できるようになった。これは20世紀の技術によって、文字による視覚文明の束縛から、ふたたび人を解放しようとするものだ。このことははかりしれないほど大きな変革らしいのだが、眼の文化に慣れ過ぎた20世紀までの社会では、この変革の大きさがまだ実感されない」(実際、映画は無声映画からトーキーへと移行しました。)
・「平和にもう一度チャンスをやってみないか、とザ・ビートルズは歌った。本当の平和がきたら、個人の間の争いだってなくなるかもしれない。とにかくすこし「本物の平和」に任せて、そこで人間がどうするかを見てみようじゃないか。
 自分の心のなかでも同じだ。自分の心にある静かさにチャンスを与えてみたらどうか。自分のなかの静かさや優しさにチャンスを与えてみたら、案外自分は静かさの好きな優しい人間なんだな、と発見するかもしれない。
 Give tenderness in you a chance------英語では、こういう言い方もできるのだ」(また明日へ続きます……)

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

加島祥造『英語名言集』その2

2017-08-13 11:46:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
・「そしてもうひとつ、とても大切なことに気づいている------それは、自分というもののなかに、とても大きな可能性が潜んでいるということだ。ある時点での私にしろ、あなたにしろ、ちっぽけな、低くてダメな存在かもしれないが、そんな私やあなたにも、かぎりない可能性が隠れている。その隠れた可能性を英語ではpotentialitiesと言う。「汝自身を知れ」とは、「君のなかにある隠れた可能性を知れ」ということだ。(後略)」
・「何もかも確かでないという気持ちは不安であり、あらゆる可能性があるという気持ちは希望につながる。ほんの表と裏のことだ。どっちが裏かと言えば、「何もかも確かでない」という気持ちのほうだ。自分のなかにすべての可能性があるといるほうが、人生の表街道なのだ」
・「(前略)10歳をすぎたら、my mind began to wander「頭がさまよいはじめた」。これはあれこれ空想や好奇心にとらわれることであり、その結果、勉強のほうは、成績ガタ落ちになったということを暗示している」
・「トゥエインはとても痛切な口調で若かったときの自分を罵っている。とくに、そういう馬鹿な自分にまったく気づかなかったことをan almost pathetic unconsciousness(ほとんど憐れともいえる無自覚状態)と呼んでいる。
しかし若いときには、多くの人がそうではないんだろうか。すこしばかり体力や頭の回転が活発な若い人は、かえってこういう無自覚におちいりがちなのだ。ただ問題は、40代、50代になってもなお、その無自覚から抜け出さない人の多いことだ。むしろ若いころよりも、無知で狭量でエゴ中心で図々しくなっている。そういう大人だって少なくない」
・「少年少女だってそうだ。彼らが学校と家庭のワクにいるかぎりは社会の内側にいるけれども、学校と家庭の間を往復する途中の時間には、彼らはoutside the lawの領域にいる。そしてその時間には、彼らは自分にだけ正直な、生地のままでいる存在だ。そういう自分のなかでのみ、少年少女は成長する。(中略)
 lawの内側に、societyの内側に長い年月を暮らす大人たちは、ときおりoutside the lawの領域に出てみるべきだ。自然のなかでもよいし、空想のなかでもよい。芸術のなかでも、瞑想のなかでもよい。(後略)」
・「私たちのいちばん大切な部分は、大地と、自然とつながっている。それを他人の手で邪魔されてはならない。たとえば、都会のなかの公園、土と林だけあれば、私たちの命はとてもよろこぶのだ。政治はそこに、ごたごたとコンクリートの遊び道具をつくる。そうやって、私たちを麻痺させ、命のよろこびを奪ってゆくのだ」
・「自然natureにはルールなんかない。ルールは人間の作ったものである。そのルールは人間をしばる。自然は人間をしばらない。ルールからはずれたもの、変わっているものなど、どんな「例外」も自然は受け入れる。抱きこんでくれる。そんな自然のふところの深さを、この句は教える。あらゆる変化を包みこむのが自然だというものだ」
・「私たちは、人間の作ったルールにだけ従っていれば、それで満足なのだろうか。ときにはルールばかりの社会に息がつまりかける。そんなとき、ルールなんかない自然がむこうにひらけていると知ると、気が楽になりはしないだろうか。自然はその点で、とても親切なのだ。(中略)それに自然は、ルールから落っこちたあなただけのための道を示してくれる」
・「個人が自分の気持ちで感じる時間を英語ではpsychological time(心理的時間)と言い、小説にはよく使われる。ひとを待っている5分間はとても長いとして、その間の心理を長く描写したりする。非常に楽しかった3年間を、「またたく間にすぎた」とだけ書いて終りにすることもある。しかしこうした「心理的時間」も、外側からの条件で変化する時間なのであり、まだ本当にその人のなかに生きる時間ではない。
 ほんとにtimeが命をえて生きるのは、ひとが自分だけの時間my timeをはっきり意識したときだ。他から定められた時間ではなくて、いまここでの自分の、生きている刻々を意識する時間である。そこにしか、timeの生きる瞬間はない。
 私たちは、現実には、ほとんど死んだ瞬間のなかで過ごしている。Time is my timeといえる時は、ほとんどない。でもすこしはあるのだ。それにひとたび気づいた人は、そこに大きな喜びを見いだす」
・「21世紀は世界の国々が争うのではなく、助けあう時代だ。侵略して奪いあう世紀ではなくて、援助しあう時代だ。それでなければ破滅する。個人もまた、ひとりだけ巨大な財産を作って英雄視される時代ではなくなる」
・(クラーク博士の言葉、全文の訳)「青年よ大志をもて。それは金銭や我欲のためではなく、また人呼んで名声という空しいもののためであってはならない。……人間として当然そなえていなければならぬあらゆることを成しとげるために大志をもて」(また明日へ続きます……)

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加島祥造『英語名言集』その1

2017-08-12 11:10:00 | ノンジャンル
 朝日新聞で紹介されていた、加島祥造さんの’93年作品『英語名言集』を読みました。
 著者による「はじめに」から引用させていただくと、
「題名は「英語名言集」となっているがこの本は、日本のいわゆる「名言集」とまったくちがう。おもに20世紀の人びとの言葉が集められている。私の心が感銘したものを選んでいる。だから、無名のアメリカの少女のものからインドのガンジーまで、名言と言えないものも含まれている。ほとんどが、20世紀から21世紀へと向かって動き働いてゆくと思える言葉である。
 この百句はまず、英語、次に私の訳とコメントがつづく。コメントには、英語を学習する上で役に立つように、単語・慣用表現・文法などの解説も織りまぜた。英語に興味のある人にはとくに、次のような読み方をすすめたい。
(1) まず英文を先に読み、考えてみる。
(2) 自分で訳してみる。
(3) 私の訳した文章を見てみる。ただし、それを手本と思わないこと。
 しかし、訳とコメントがこの本のボディ(主体)なのである。そこでは英語で表された考えが私たちの考え方と、どのように通じ合い、どのようにちがうかを見ようとしている。
 コメントはできるだけ若い人たちの視点を心にとめて書いたが、しかし知性の水準は下げなかった。たえず興味と真剣味をもって若い人たちと対話しようとした。だから少しむずかしいと思える句もあるだろう。それらは無理に理解しようとしなくてもよい。いつか、将来、すっとあなたの胸に入ってゆくかもしれない。(後略)」
 では具体的な内容に触れておきましょう。
 私が気に入った名言は、「Make love not war」(戦争をするぐらいならセックスしよう)、「This we know. The earth does not belong to man ; man belong to the earth. This we know」(私たちは知っている。大地が人間のものではないことを。そして、人間は地球のものであることを。私たちは知っている)、「Nature provides exceptions to every rule」(自然は人間の作ったあらゆるルールに例外を提供している)、「Be a good animal, true to your animal instincts」(本物の動物になれ。動物の生の本能にしたがって)、「Laugh, and the world laugths with you ; Weep, and you weep alone」(笑えば、世界も君と一緒にわらってくれる。泣くと、君は一人泣くことになる)、「I am for people, I can’t help it」(チャップリンの言葉、「私は庶民の味方だ。誰もそれを止めることはできない」)、「To err is human
----but it feels divine」(メイ・ウエストの言葉、「過ちをするのが人間、でも誤るって素敵な感じ」)、「The voice is greater than the eyes」(声は目に映るものよりずっと多くの情報を提供してくれる)、「Give Peace a Chance」(ポールとレノンの言葉。「もう一度平和にチャンスを!」)、「We must learn to live brothers or perish together fool」マーティン・ルーサー・キング牧師の言葉。「私たちは兄弟として共に生きることを学ばなければならない。それができなければ、馬鹿者として共に滅びるだけだ」)、「The notes I handle no better than many pianists. But the pause between the notes---ah, that is where the art resides!」
(「音符を扱う技術では私はほかの多くのピアニストと変わらない。しかし音符と音符の間の間------この間にこそピアノ芸術の秘密がひそんでいる」)、「I hoped that the trip would be the best of all journeys : a journey into ourselves」(女優のシャーリー・マクレーンの言葉。「いろんな旅のうちでも、この旅が最上のものとなってくれればいい。と私は願ったわ------自分自身のなかへの旅が」)。
 また、名言に添えられた著者による解説にも面白い部分が多くあり、たとえば、
・「21世紀になれば、情報整理を学問と取りちがえて学者顔する人たちはいなくなり、機械にその席をゆずることになろう。イングが心配したようなことは、自然と減るにちがいない。
 そのあとでは、values(価値)を学ぶ世紀になろう。人の心が評価(evaluate)するものについて学ぶのである。巻紙に筆で書いた手紙と、ワープロで打った手紙のvalueのちがいの問題である。当然これは、とても複雑で微妙な問題であり、だからこそ、21世紀の教育はこれを学ぶようになってくるだろう。若い人は、いずれ機械にとって代わられるような分野にばかり心を奪われないで、ときにはvalueに心を向けたほうがいい」
・「ところで、人がこのwisdomへいたるには、大切な条件がひとつある。それは「心をひろくもつ」ということだ。せまい心の人は、汚れたものや嫌なものを切り捨てて、自分のなかをきれいに澄んだものにしようとする。あるいは自分の利得になるものばかりを取って、目先の損を受け入れまいとする。こういう人はclever(利口)どまりで、wisdomへの道に入れない。(後略)」
・「21世紀には、コンピュータの発達などによって、人間の知能はますます専門化され、特殊な分野が発達するだろう。専門馬鹿になる確率が増すというわけだ。これは人類にとってたいへんに危険なことなのだ。なにしろコンピュータを使って狭い分野をきわめただけの人が、なにかの権力をもつ地位に立つと、きわめておそろしいことをしでかすかもしれないからだ(後略)」(明日へ続きます……)

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

アンドリュー・ラウ&アラン・マック監督『インファナル・アフェア 無間序曲』その5

2017-08-11 11:22:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 国旗。“陸啓昌(ルク・カイチョン)の墓”。ウォンは墓に貼られた写真を見る。“羅継(ロ・ガイ)の墓”。ヤン、現れる。ウォン「来ないと思った」レン「なぜだ?」「それで?」「あれから2年経った。父の死に関与したから連絡してこれなかったのか?」「そうだ。金庫に2年間のナウの記録がある。日付順に綴じてある」「なぜまだ私を手伝う?」「あんたのためじゃない。俺は警官だ。ルク警視との約束を守る」「もう潜入は辞めろ。じき尖沙咀のボスになっちまう」「ムショはご免だ。過去を忘れたい。事件を解決し、署を異動させてくれ。いい椅子を用意しろよ。海の見える席に。もう会いたくない」「2度と会うことはないよ」「記録だが思い出せない漢字があった。勘弁してくれ。綴じた順番は絶対に崩すな」「殺せば敵を討てるぞ」「願い下げだ」「感謝する、警官殿」。ルクの墓の前で敬礼を続けるヤン。
 サムに「3日後から裁判が始まる」。
 電話をするハウ。
 サム、受話器を握っている。
 落ち着かないハウ。
 CCTB(組織犯罪課)に電話。「ウォン警部、サムが消えた!」。
 パトカー停車。「キッチン通路から脱出したらしい。姿を消す前にタイに電話していた」。ウォンに電話するレン。
 ハウと手下たち。サムがやって来る。「ンガイさん、俺にどうしろと?」「お前が電話してきた。お前から用件を言うのが筋だ。座れ」「俺を殺せ。それで丸く収まる」「もうそういう荒業は止めた。何事も話し合いだ。香港は広い。望むなら一緒にやろう。過去は忘れて」「あんたは俺を殺す。今夜殺る気だ」「誰がお前の家族の面倒を見る?」。電話が鳴り出す。ハウの手下「タイにいるサムの妻子をハウが誘拐しました」サム「妻子じゃない。メイドだ。まだ当分死ねないようだ。なぜならタイに親友がいてな」。電話。サム「電話に出てみろ。ハワイにつながっている。家族が行ってるんだろ? 俺のタイ人の友人も一緒だ」。
 男が電話「ンガイさん、ボスがあんたの家族の面倒を見ろと」。床には死体。
 「パパ、どこにいるの?」。ハウ、サムの顔に拳銃を突きつける。ハウ「手出しするな」サム「やはり今夜殺す気か」。パトカー到着。ハウ、ウォンと対峙。他の刑事らに囲まれる。ウォン「ハウ、銃を下せ」サム「一度失くした命だ。惜しくはない」ハウ「刑事さん方、俺が死んだら、後は好きにしろ。“世に出た者はいずれ消え去る”」。目を閉じるサム。銃声。目を見開くヤン。
 崩れ落ちるハウ。撃ったのはウォン。ヤンがハウを抱きとめる。ヤンをハウから引き離す刑事。憎しみを持ってウォンを見るヤン。
 ウォン、サムに「質問がある。奴の家族を殺したのか?」「まさか。タイの友人を脅しただけさ。私が奴を殺すと思ったか? 分からないのか? 俺は死ぬ覚悟だった! 他に方法がなかった」「すまん。お前が命を捨てなくても奴を一生ぶちこむ証拠が集まったのに」2人別れる。
 サムの車内。電話。サム「俺の兄貴でタイ人のポールです」ウォン「ありがとう」。
 ポール「無事でなにより。これからは手を組もう。ブツは直接香港へ。ンガイの家族は俺が始末しようか?」サム「ポール、そこまでやることはない」「あんたは俺に撃たれ、命を拾った。パートナーになる運命だったんだよ。やるなら徹底的に」。
 タイ。銃声5発。
 警察で帽子の新しいバッジ配布。「中国への返還式典が11時20分に始まりました。中英両国がそれぞれの国歌を演奏、式典会場には英国国旗が翻っています。厳粛な式典なから会場はなごやかな雰囲気です。軍楽隊による演奏の後に、中国側が写真撮影を行い、チャールズ皇太子とバッテン提督が笑顔で入場。英国軍兵士3名と中国国旗を手にした人民解放軍兵士が3名、ゆっくり中央に進みます。人民解放軍兵士が中国側に国旗を示します。続いて香港皇家警察の警察官3名と特別行政区警察官3名が中央に進みます。特区警察官が中国側の主賓に香港特区の区旗を披露、出席者が次々と立ち上がりました。日付は1997年7月1日午前0時0分、中国国旗と香港特別行政区の旗が掲揚されました。植民地統治時代の終焉であり、“一国二制度”による歴史的な統治の幕明け、中華人民共和国香港特別行政区の成立です」。自分とマリーの写真を見るサム。涙ぐむ。
 サム、パーティに。
 「俺に付いて来い。これからは仲間だよ」「サム兄貴が暗い顔をしてた」「奴が嫌いだ。俺を見ろ。陽気だろ?」。
 「お嬢さん、お名前は?」。机に突っ伏す女。「名前は?」「マリー」。微笑むヤン。「絶え間無きもの3つ、時間・空間・業。罪を犯したる者は無間地獄で絶え間無き苦しみを受ける」の字幕。

 香港版『ゴッドファーザー』という趣きで、俳優さんたちが皆存在感のある人ばかりで、その演技に圧倒されました。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/