昨日郵便局でディズニーの3Dハガキのシリーズが売られているのを発見しました。最初に見た“不思議の国のアリス”に魅了され、他のものも一通り見ましたが、やはり最初に見た“不思議の~”がダントツの出来栄えで、迷わず500円出して入手しました。しばらく机の前に飾っておきたいと思います。皆さんにも是非現物を目にすることをお勧めします。
さて、奥田英朗さんの’92年作品『おれに訊くんじゃない 近そうで遠い男と女のハナシ』を読みました。雑誌『VISIO mono』に連載された『女の理由 男の理屈』の20回分をまとめて、小幅な訂正と加筆を入れ、いくつか書き足してできたエッセイ本です。
主だった内容を書きだしてみると、
・女性は生理により、女性と宣告される。勝手な想像であるが、女の子が男の子よりずっと大人だった真相がなんとなくわかる気がする。小学六年生の春、隣のクラスの女の先生が家庭科の時間の始まりに、「女子に話があるから、男子は校庭に出て行くように」と言った。校庭に出た男子のうちの誰かが、そのうち、「アソコに関係がある」と言い出して騒然となった。私たちはただ明るく開放的に騒いでいたわけではなく、いままで一緒の道を歩いてきた女の子たちがどこか別の道へ分かれてしまうという寂寥感も感じていたと思うが、私たち男子はやがてドッヂボールに打ち興じ、その時に感じた感情は忘れ果ててしまったのである。
・小学校五年生のときに初めて女の子の誕生パーティに招かれた。私は招かれた子とはろくに話をしたこともなかったので、驚いた。ところが後日、バーティに呼ばれた男子のメンツを知って、私はなんとなく理由がわかってしまった。呼ばれた男子はみんな客観的判断に基づく「得点の高い男の子」だったのである。女の子はものごころついたときから自分のイメージ作りを始めるというが、そのしたたかさにはすごいものがあると思った。
・女は美人に生まれた方がいい。ところで少女が最初に自分の美醜について思い知らされるのは、男子の心ない「ブスッ」の一言によってではないかと思う。子供というのはとても残酷にできていて、太った人にはデブと言うし、背の低い人にはチビと平気で言う。これは主に想像力の未発達によるもので、大人になるにつれて人の気持ちを考えるようになる。でも、子供時代の残酷さはもしかすると神様が仕組んだ試練なのではないかと私は思う。たとえば悪口の存在しない環境で蝶よ花よと育てられたら、その人は相当いびつな大人になるのではないだろうか。私個人としてはコンプレックスのまるでない人というのは苦手だ。こういう人は無邪気に人を傷つける。
・私は最初の職場は男女の区別なくハードな仕事をしていたので、最初にOLの職場を知ったときは驚いた。第一に思ったことは、まるで学校ということ。制服があって、規則があって、日課がある。上司に文句を言われない程度に加減しながらオシャレを楽しんでいる様子は、ほとんど学校の生活指導部との攻防に似ている。そしてもうひとつ思ったことは、「そうだったのか。可愛い子ちゃんはこういうところに溜まっていたのか」であった。
・身の回りにシロウトの占いマニアがいたりすると困る。「まにあってます」と言っても、この手合いは引き下がらない。周りは私の運勢を知りたがり、私は自分のことはそう簡単に他人なんかにわかられてたまるかという思いがあって、そのあたりにすごく抵抗を感じるのだ。おまけに、この手の占いマニアはその場における女の子の関心を一手に集める。うー、不愉快だ。しかし売春と占い師は人類最古の商売という説には一理あると思ったりする。
・野球場はいい。シカゴ・ホワイトソックスの元オーナー、ビル・ヴィークは「世界でいちばん美しいものは、満員の観客で埋めつくされた野球場だ」と言ったが、まったく同感である。なにより、みんなシアワセそうな顔をしているのがいい。野球場でやじを飛ばしているとき、よくぞ男に生まれたもんだと神に感謝したくなる。また、やじの勝敗は、客席の力関係ではなく、どれだけブルーカラー的ファンをもっているかで決まる。ところで球場には、女学生ファンとは別に、ひとりでボックスシートに座っている謎の美女、というものをよく見かける。客席の男女模様は見ていて飽きないのである。(以下、明日に続きます……)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
さて、奥田英朗さんの’92年作品『おれに訊くんじゃない 近そうで遠い男と女のハナシ』を読みました。雑誌『VISIO mono』に連載された『女の理由 男の理屈』の20回分をまとめて、小幅な訂正と加筆を入れ、いくつか書き足してできたエッセイ本です。
主だった内容を書きだしてみると、
・女性は生理により、女性と宣告される。勝手な想像であるが、女の子が男の子よりずっと大人だった真相がなんとなくわかる気がする。小学六年生の春、隣のクラスの女の先生が家庭科の時間の始まりに、「女子に話があるから、男子は校庭に出て行くように」と言った。校庭に出た男子のうちの誰かが、そのうち、「アソコに関係がある」と言い出して騒然となった。私たちはただ明るく開放的に騒いでいたわけではなく、いままで一緒の道を歩いてきた女の子たちがどこか別の道へ分かれてしまうという寂寥感も感じていたと思うが、私たち男子はやがてドッヂボールに打ち興じ、その時に感じた感情は忘れ果ててしまったのである。
・小学校五年生のときに初めて女の子の誕生パーティに招かれた。私は招かれた子とはろくに話をしたこともなかったので、驚いた。ところが後日、バーティに呼ばれた男子のメンツを知って、私はなんとなく理由がわかってしまった。呼ばれた男子はみんな客観的判断に基づく「得点の高い男の子」だったのである。女の子はものごころついたときから自分のイメージ作りを始めるというが、そのしたたかさにはすごいものがあると思った。
・女は美人に生まれた方がいい。ところで少女が最初に自分の美醜について思い知らされるのは、男子の心ない「ブスッ」の一言によってではないかと思う。子供というのはとても残酷にできていて、太った人にはデブと言うし、背の低い人にはチビと平気で言う。これは主に想像力の未発達によるもので、大人になるにつれて人の気持ちを考えるようになる。でも、子供時代の残酷さはもしかすると神様が仕組んだ試練なのではないかと私は思う。たとえば悪口の存在しない環境で蝶よ花よと育てられたら、その人は相当いびつな大人になるのではないだろうか。私個人としてはコンプレックスのまるでない人というのは苦手だ。こういう人は無邪気に人を傷つける。
・私は最初の職場は男女の区別なくハードな仕事をしていたので、最初にOLの職場を知ったときは驚いた。第一に思ったことは、まるで学校ということ。制服があって、規則があって、日課がある。上司に文句を言われない程度に加減しながらオシャレを楽しんでいる様子は、ほとんど学校の生活指導部との攻防に似ている。そしてもうひとつ思ったことは、「そうだったのか。可愛い子ちゃんはこういうところに溜まっていたのか」であった。
・身の回りにシロウトの占いマニアがいたりすると困る。「まにあってます」と言っても、この手合いは引き下がらない。周りは私の運勢を知りたがり、私は自分のことはそう簡単に他人なんかにわかられてたまるかという思いがあって、そのあたりにすごく抵抗を感じるのだ。おまけに、この手の占いマニアはその場における女の子の関心を一手に集める。うー、不愉快だ。しかし売春と占い師は人類最古の商売という説には一理あると思ったりする。
・野球場はいい。シカゴ・ホワイトソックスの元オーナー、ビル・ヴィークは「世界でいちばん美しいものは、満員の観客で埋めつくされた野球場だ」と言ったが、まったく同感である。なにより、みんなシアワセそうな顔をしているのがいい。野球場でやじを飛ばしているとき、よくぞ男に生まれたもんだと神に感謝したくなる。また、やじの勝敗は、客席の力関係ではなく、どれだけブルーカラー的ファンをもっているかで決まる。ところで球場には、女学生ファンとは別に、ひとりでボックスシートに座っている謎の美女、というものをよく見かける。客席の男女模様は見ていて飽きないのである。(以下、明日に続きます……)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)