先日かなりのマンガを処分したが、長い年月を搔い潜ってずっと手元に置いてあるマンガも多い。
もう紙が劣化したり黄ばんでしまったりしているが、残して置いてたまに読む。
今回も「一二の三四郎」をまとめて読んだ。
やっぱりね、名作は面白い。
何度も読んで内容など知っているのに引き込まれてしまう。絵も完璧だ。
これ以上のプロレスマンガを作ろうったってなかなか…と思わす。
そして次は「ガラスの仮面」だ。
これもねー、休載から早何年?もう復活完結は無理だと思うけど、やはり読むと面白い。
昭和の名作は熱量が違うのだ。
両作とも、表現として今はいけないことがたくさん出てくる。
暴力教師やらセクハラ、モラハラ、etc。
しかしそれを乗り越えて輝くのだ。つまりそれらは輝くための装置。
それにしても今読むとすごいことがいっぱいだ。
一巻で月影先生はマヤのお母さんに沸いているヤカンの熱湯を浴びせられる。
しかしその時はワッとなるけど、その直後何事もなかったかのように過ごすのだ。
周りの人も何も騒がず。立派な傷害事件だが。
しかしこれを読んで変だと感じたのは今回が初めて。
「そんなにひどいことをされたのにマヤを守った」ということが大事なだけで
ひどいことの内容など些末なことと受け流させるパワーがあったのだ。
ガラスの仮面の電話は黒電話で始まり、何気にしれっとガラ携までは進化した。
さすがにスマホは無理だと思うよん。