海外のニュースより

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「カラジッチ、自分は犠牲者で平和の天使だと主張する」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事

2010年03月02日 | 犯罪
月曜午後、ラドヴァン・カラジッチが弁護演説を終えたとき、最前列の右側に座っていた一人の若い女性が、椅子から飛びだした。彼女は防護ガラス越しに彼にウインクをし、勝ったというジェスチャーをした。「私は彼を誇りに思っている」と言った。彼女は明らかに彼の家族の一員だが、名前を言おおうとしなかった。「自分は正義の神聖な戦争を指導したのだ」と彼は裁判官に知らせた。つまり、ボスニアをイスラム原理主義者に対して護ったのだと。
熱狂的な女性の4列後ろに、ムニラ・スバシッチと他の7人の女性が座っている。彼女たちは皆、息子や夫や兄弟の死を悼んでいた。ムニラは、セレブレニカの悲劇から15年経った今も、息子の骨を探している。彼は当時18歳だった。
「カラジッチは、相変わらず嘘つきだわ」と彼女は言う。「あいつはそれを自慢している。あいつは、15年前と同様、今日も私を辱めたのよ。」このセルビア系ボスニア人元指導者がいつか自分の犯罪について真実を述べるだろうとは、この62歳の女性は思っていない。
数ヶ月の遅延の後、ハーグの元ユーゴスラビアに対する国連裁判で、ラドヴァン・カラジッチに対する裁判は行われた。その中心にあるのは、ヨーロッパがあのホロコースト以来経験したもっとも残酷な民族虐殺に他ならない。
それは、1995年7月にボスニアのセレブリニカで起こった8千人と推定されるモスレム人男性と青年の大量虐殺である。
被告は、月曜日、法廷に対して、「真相についての彼の見方」を述べた。
この真相はこう見える。ボスニアのセルビア共和国大統領としてのカラジッチは、ユーゴスラビアの統一を欲し、それによってバルカン半島の平和を救おうとした。だが、当時のボスニア大統領アリア・イゼトベゴヴィッチが所属する政党SDAは、アラブ系イスラム原理主義者達のためにバルカン半島を開放しようと企てた。
1990年以来、セルビア人達は、痛みを感じながら、ボスニアの分割に賛成した。「われわれは戦争を望まなかった。それを望んだのは、他の連中だ」とカラジッチは断言した。「他の連中」とは、彼によれば、ボスニアのイスラム原理主義者と西欧、特にドイツ人と米国と北大西洋同盟諸国である。当時のドイツ外相ハンス・ディートリヒ・ゲンシャーのクロアチア人に対する独立の約束が内戦を引き起こした。
 ドイツ政府は、他の欧州連合の意志に反して、自分たちは独立国だと主張するバルカン半島の国々を承認し、それでもって、第二次世界大戦での敗北に対する遅れた代償を手に入れた。今日、ハーグの戦争犯罪法廷は、間違った証拠と「政治的裁判で」犠牲者を犯人に仕立てようとしているのだと、被告人は主張した。
 カラジッチに対する裁判は、既に、昨年10月に始まったが、自分の弁護を用意することができないという理由で、被告人は出廷を拒否した。彼に寄れば、裁判所は30万ページ以上の裁判記録を読むのに十分な時間を呉れなかった。自分自身が集めた70万ページは別にして。(以下省略)
[訳者のコメント]久しぶりに「カラジッチ」という名前を紙面で見たので訳してみました。確かにアラブ系イスラム教徒が応援しにボスニアにやってきたようですが、ボスニアのイスラム教徒は彼らを追い返してしまったようです。ですから、イスラム教徒のボスニア人をイスラム原理主義者と呼ぶことはできないと思います。その証拠に、いままで欧州連合や英国で逮捕された「イスラム過激派」にボスニア人は一人も見当たりません。
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