海外のニュースより

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「シュタヴァンガー号船上での精神的テロ」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年08月09日 | 犯罪
 やっと、しっかりした大地に足を下ろすことが出来たという感情を、クリストフ・コティウクは、恐らく決して忘れないだろう。土曜日の午後、「ハンザ・シュタヴァンガー」号の船長は、18週間の受難の後、彼の23名の乗組員とともに、ケニアのモンバサ港に上陸した。「自動小銃がわれわれの頭を狙って突きつけられていた。それは四六時中の精神的テロだった」とこのドイツ人は、解放後、「ドイツ連邦公共ラジオ放送局連合体」(ARD)の雑誌『パノラマ』に語った。
 先週の初め、「レオンハルト・ウント・ブルームベルク海運会社」は、誘拐されたものたちとその家族のために我慢できぬほど長い困難な交渉ののち、4月4日以来この船を乗っ取た海賊に250万ドル(3億2500万円)の身代金を支払った。
 コティウク船長によれば、貨物船の船内は、非人間的な衛生状態が支配していた。40人の人間がたった一つの詰まったトイレを使用せねばならなかった。飲料水として使われたのは、空調から滴る水だった。5月末からは、ちゃんとした食事はもはやなかった。
 しかし、船長によると、最悪の事態は、海賊たちが繰り返しおこなった、見せかけ処刑であった。ニ度、彼らは船長を殺すぞと脅迫した。「男たちは、銃を私に向け、私は目隠しされた。私は不安のあまり、冷や汗が出、心臓麻痺で死にそうだった。」高級船員の一人は、このような行為の際、失神した。
 「ハンザ・シュタヴァンガー」号は、昨日、たった5ノットの速度で、モンバサ港に向けて航行した。長い停泊で、船腹には、貝やサザエがいっぱい着いていたのだ。舟が港に着いたとき、波止場にはジャーナリストの集団が待ち構えていた。拿捕されていたドイツ貨物船の24名の乗組員が上陸した際には、それぞれの故郷に向けた生のテレビ放送がなされた。乗組員のうち、5人はドイツ人、3人はロシア人、2人はウクライナ人、14人はフィリピン人だった。
 しかし、男たちの姿は離れたところからしか映らなかった。彼らはTシャツと青い作業服を着ていた。ケニアに数名の社員を送り込んだ「レオンハルト・ウント・ブルームベルク海運会社」は、波止場に民間の治安要員を行進させ、コンテナーで目隠しをして、人質たちがテレビに映されるのを防いだ。「ハンザ・シュタヴァンガー」号は、なお数時間、爆弾が仕掛けられていないか、調査中である。
 誘拐されて以来、乗組員が曝されたテロを考慮して、24人は、まず、ある秘密の場所に連れて行かれた。彼らは医師による検診を受けている。その後、彼らはまず第一に、あるホテルで睡眠する予定だと言われている。「彼らのうち何人かは、既に日曜日に、フランクフルト空港に到着するものと予想されている」と「ドイツ海運業連盟」のスポークスマンであるマックス・ヨーンは、本紙に述べた。
 しかし、海運会社は、乗組員たちが人目に曝される前に、まず休養することに価値を置いている。なぜならば、数週間の拿捕の間、所有者に対して重大な非難が出された。つまり、所有者が、船への食料補給を妨げたとか、交渉を長引かせて、身代金を値切ろうとしているとか、そのために人質の安全を危険に曝しているとかいう非難である。人質の家族たちは、既に海運会社に対する告訴を行った。
 その上、「国境警備部隊」(GSG9)の介入計画がある。誘拐の3週間後、エリート特殊部隊が介入しようとした。だが、作戦は失敗した。その理由の一つは、米国海兵隊が、ヘリコプターの形で、最初に確約されていたロジスティックが、少し後で引っ込められたせいである。
 しかし、他方では、『ヴェルト日曜版』の報道では、GSG9のメンバーが専門的どころではないやり方をした。誘拐された貨物船を攻撃する前に、司令部のメンバーが、盗聴可能な線を使って家族に襲撃計画について知らせた。ケニア駐留の米軍がそのやり取りを傍受したと述べた。その場で、GSG9の司令官は、安全上の理由で、作戦を取りやめた。(以下省略)
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