海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「トルコは分裂の危機に直面している」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年04月17日 | イスラム問題
去る2月19日に、初代アンカラ市長が埋葬された。それは、トルコの政治的階級にとって社会的義務の出来事だった。その際、非常に象徴的な光景が見られた。レセップ・タイイップ・エルドガン首相は車いすに座った老人に深々と頭を下げ、握手をしながら、別の手を老人の肩に置いた。
この老人こそ、1998年に軍によって失墜させられ、詐欺の疑いで判決を受けたイスラム指導者エルバカンだった。この祭儀の機会に、彼は禁錮から解放された。それは考えさせる光景だった。なぜならば、反ヨーロッパ的で反西欧的なイスラム法の擁護者エルバカンは、エルドガンのお陰で全く新しい視点で現れることができる。彼と共にケマル主義的トルコの終焉が始まった人物として登場する。
1)エルバカンがいなければ、エルドガンはいない。
 エルドガンや与党AKPの他の大物を政治的キャリアを持つように助けたのは、この過激派イスラム指導者だった。彼の人気の推進力を、エルドガンは、後に法律で禁止されたエルバカンの福祉党から手に入れた。彼が失墜した際、エルバカンは、エルドガンも道連れにした。不正に対する信仰者の戦いが武器をガチャつかせる隠喩でもって歌われている詩句を朗唱したために、エルドガンは、自宅監禁の刑を受けた。
 エルドガンは、未決にいる間に、穏健な「世俗的イスラム教」に転向し、自分自身の政党を創立し、権力を握った。エルバカンが失敗した点で、軍とケマル主義的な体制と戦って、彼は間もなく勝利することができた。来る五月に、議会は新しい大統領を選ぶ。トルコ全土が、遅くても5月26日に下されるエルドガンの決定を待っている。軍のサーベルによるクーデター以外には、彼の選択の邪魔になるものは何もない。
 その場合、彼は国軍の指揮官として、共和制を保証する者となるだろう。かって彼は共和制の創設を歴史的間違いだと主張した政党を指導していたのだが。
 こういう事態に至ったということは、トルコにおける深い社会的政治的変化の表現である。古いケマル主義的なエリートに対して、新しいイスラム的ブルジョアジーが対立しているのだ。彼らの根はアンカラにもイスタンブールにもなく、アナトリア中央部にある。このブルジョア階級は金を持っていて、過激ではないが、信心深く、保守的である。彼らは彼らの経済的勢力に見合った政治的影響力を持ちたいと願っているが、神の国を望んではいない。彼らは頭を覆う布とモスクの参詣の中に、非西欧的な劣等感の表れではなくて、ステータスシンボルを見ている。
2)深刻な社会変動
 同時に、トルコは、深刻な社会変動に見舞われている。それに属するのは、民主化、消費欲、女性の増大する自己意識、社会の一般的に増大する教育程度である。西欧化とイスラム教富豪の台頭との奇妙な結合は、将軍達の勢力喪失に導く。将軍達は、AKPとエルドガンの中に自分たちの政治的権力喪失の執行者を見ているが、民主主義的政治文化に有利な価値の変動に基づいて反撃することができない。
 将軍達はまだ有力である。彼らの同盟者はまだ、司法、行政、国家機関の一部を統制することができる。このことは、週末にアンカラで何十万人かがエルドガン反対のデモをしたとき、明らかになった。だが、トルコ軍の終わりは近いかもしれない。将軍達がいつも世界中で最も偉大で賢明で勇敢な国民だと賞めながら、政治的に信頼するほど十分に敬意を払っていない国民に対して、軍の指導的役割の終わりは近いかもしれない。(以下省略)
[訳者の感想]政治と宗教とを分離することによって、トルコを近代化したケマル・アタチュルクの伝統を維持している軍が指導的力を失った場合、トルコはイスラム国家としての色彩を濃くするでしょう。それは果たして民主化といえるのかどうか、私は疑っています。
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