海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「イスラエル軍、死臭を残して撤退」と題する『ガーディアン』紙の記事。

2006年11月12日 | 国際政治
 イスラエル軍が今朝、ベイト・ハヌーンの町から撤退した数時間後、タラル・ナスルは、彼の13才の娘の遺体を埋葬するための場所を探して、墓地にいた。
六日間で初めて、町の住民は、家から出ることを許された。それはガザ地区に対する数ヶ月間で最大のイスラエルの軍事作戦が続いた日数である。通りは人で一杯になり、多くの人たちは死者を弔い埋葬するために進んだ。
 ベイト・ハヌーンの墓地は小さくて、混み合っている。ナスルさんが娘のワラーのための場所を見つけるのに三時間かかった。彼女はイスラエルの狙撃兵の弾丸に額を打ち抜かれた。最後に、ナスルさんは、30年前に掘られた墓地のてっぺん近い場所に墓地を見つけた。彼と換えの家族は、新しい穴を掘り、それが日陰になるように六つに折った椰子の葉を立てた。
 ワラーは、先週、軍事的侵入の真ただ中で死んだ。時刻は夕暮れで、ナスルさんは、彼の四人の若い娘と義理の妹と家にいた。ラウドスピーカーを通じて、イスラエル軍は、16才から45才までの男達に尋問に出頭するように呼びかけた。ナスルさんの息子と隣のアパートに住んでいた兄弟とは尋問をうけるために出かけた。
 イスラエル軍部隊が家族の家の前に現れて怒鳴り始めた。「彼らは叫んでいたが私たちには彼らの言っていることが理解できなかった」とナスルさんは言う。「私は義理の妹に窓を少し開けてくれと頼んだのです。電気は来ていなかったので、家族は、ろうそくをともしていた。「妹は窓から兵士に向かって何の用事なの。何か欲しいの」と言いました。突然射撃が始まった。
 義妹は肩を撃たれた。それから弾丸が一発、窓から打ち込まれ、部屋を横切って廊下に立っていたワラーに当たった。彼女が死んだ場所には今もどす黒い血だまりが残っている。
 「私たちは動くことができませんでした。それほどおびえていたのです」とナスルさんは言う。私は「娘が死んだ」と叫びました。彼らはろうそくを取り上げ、階下へと急いでおり、道路へでました」そこには、イスラエル陸軍の一小隊がおり、ナスルさんにその建物には兵隊がいると思っていたと語った。数人の兵士がナスルさんを連れて家を捜索したが何も見つけなかった。救急車はワラーの死体を運んだ。今日、彼らは初めて自宅に帰ってきた。
 「単に攻撃の行為だったのです」とナスルさんは言う。「彼れらは自分たちの作戦はロケットを止めることだったと言いました。だが、以前には平和プロセスの必要性を確信していたとしても、今は私は確信していません。私の娘達も自分たちの姉妹が目の前で殺されたのだから、どうやって、彼女たちに平和のプロセスを確信させることができるでしょうか?」
 後で、ワラーの叔父が墓地で彼女の墓の前に立って言った。「彼らが武装勢力に圧力をかければかけるほど、ますます多くの人々が武装勢力の味方になるのだ。」
 少なくともこの作戦で、50人のパレスチナ人と一人のイスラエル兵が殺された。死者の中には、市民や兵士もいる。激しい戦闘は、町の中心の大きな部分を廃墟と化した。その中には、先週、戦士の一団が掘り出されたアル・ナスル・モスクが含まれている。
 多くの家の前壁は壊されたので、居間や台所がむき出しになっている。通りには栗石が散乱し、下水が溢れ、庭は戦車によってこね回されている。
 イスラエル軍は、「秋空」作戦の目標は、イスラエルにロケットを打ち込む武装勢力を攻撃することだったが、数ダースの武装戦士が殺され、ロケット発射装置や迫撃砲やライフルを含む大量の兵器が発見されたと述べた。九箇所のロケット発射坑が破壊された。「イスラエル国防軍の作戦は、テロ組織とテロリストのインフラだけを目標にしており、市民を傷つけることは極力避けるように努力をしている。国防軍は市民に戦闘地域に近づかないように繰り返し警告している」と述べた。
[訳者の感想]レバノン攻撃が目的を達成できなかったので、イスラエル軍の威信を取り戻すために軍事的にはより弱いガザ地区に侵入したのだと日本の新聞の解説に書かれていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする