杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

伊豆の黎明と仏の里

2020-10-07 14:33:18 | 地酒

 私が長年応援してきた下田のご当地PB酒『黎明』が、誕生20周年を迎え、9月28日に開かれたお祝いの会へ行ってきました。

 『黎明』のプロジェクトに関わるようになったのは、2000年開催の伊豆新世紀創造祭がきっかけ。下田のまちおこしグループ『にぎわい社中』が創造祭で伊豆の陶芸家作品と料理を楽しむプログラム〈下田テイスティ・アート〉を企画し、社中で中心的に活動していた楠山俊介さんと植松酒店さんからお声かけをいただいて、しずおか地酒研究会でも出張お泊まり地酒サロン〈下田温泉・地酒夜話〉を開催したのでした。

 当時、伊豆の観光振興に尽力されていた坂野真帆さん((株)そふと研究室)や佐藤雄一さん(コンセプト(株))にもご協力いただき、伊豆にご縁の深い国際ラリーライダー&エッセイストの山村レイコさんをゲストにお迎えし、初亀、喜久醉、正雪の蔵元も参加して大いに盛り上がりました。

Img0932000年開催のしずおか地酒サロン〈下田温泉・地酒夜話〉

 

 下田テイスティ・アート実行委員会側で尽力された楠山俊介さんは、名刺に〈歯科医〉とあり、観光イベントのボランティアをやってもメリットがないのに、ずいぶんフットワークのいい歯医者さんだなあと思いましたが、「マユミさんも、酒のイベントやっても自分の儲けはないでしょ?好きでやっているんでしょ?同じだよ」とニコニコしながら楽しそうに飲む、そのエビス様みたいな顔が印象的で、行政に対しては、ちゃんとモノ申す人。地元愛が結実し、2012年には下田市長選に出馬して無投票当選を果たされました。

 創造祭の翌年2001年、にぎわい社中と下田市内の酒販店十数店で結成した下田自酒倶楽部が企画して『黎明』プロジェクトがスタート。行政等の補助金に一切頼らず、市民から会員を募り、下田市内でコメの田植えから稲刈りを体験し、新酒を買い取るというご当地PB酒の先駆けでした。『黎明』という酒銘は下田在住の女優有馬稲子さんの命名。醸造は富士高砂酒造に委託し、ピーク時は会員200名超の一大プロジェクトに。私はしずおか地酒研究会の活動や取材ワークを通し、このプロジェクトを陰ながら応援し続けてきました。

 その後、楠山さんが下田市長になったり、下田地酒倶楽部のリーダーだった植松酒店さんも店をたたむなど紆余曲折ありましたが、現在、事務局を預かる下田ケーブルテレビ渡邉社長のご尽力で、市民が買い支えるご当地PB酒が20年続くという快挙を成し遂げました。全国の観光地に数あるPB酒の多くが、酒造・酒販業者の企画商品あるいは行政や観光業団体の補助商品であることを考えると本当に凄いことだと思います。

 20周年の集いでは駅前の蕎麦店で久しぶりに楠山さんや渡邉さん、米生産者の土屋明さんにお会いし、『黎明』のほか、南伊豆産愛国米で志太泉が醸造した『身上起』、下田産キヌヒカリで正雪が醸した『黒船マシュー』、伊豆唯一の蔵元・万大醸造で醸した『下田美人』をたっぷり飲み比べ。20年前を思うと、伊豆でこんなに多くの静岡酒が愛飲されるようになったとは夢のようです。

 GoToキャンペーンでは高級ホテル旅館が人気のようですが、地元の店で、地の酒や地のつまみを囲んで地の人々と語り合う今この瞬間が、どんなゴージャスな観光メニューよりも貴重で得難いかをしみじみ噛み締めました。

 

 28日は下田へ行く前、函南町の「かんなみ仏の里美術館」を初訪問しました。平成24年(2012)に開館した函南町立の美術館で、函南町桑原地区に残る平安時代の薬師如来像や鎌倉期の阿弥陀三尊像ほか24体の仏像群を保存展示しています。

 函南町といえば、3年前に静岡新聞社の旅行雑誌『Tabi-tabi』で丹那トンネルの歴史を執筆した際に駅周辺を取材したことがありますが、プライベートで訪問する機会はなかった町。仏の里美術館についても、ちょっとした観光施設ぐらいの認識でいたのですが、大間違いでした。

 伊豆半島の付け根、熱海の西に隣接する函南は、箱根山からなだらかに傾斜する中間の交通要所にあり、昔から箱根大権現、伊豆山走湯大権現、三嶋大明神など神仏習合の寺社の影響を受けた地域でした。

 『箱根山縁起并序』によると、平安時代の817年、桑原の里に七堂伽藍を有する 新光寺が建立され、 薬師如来像はこの新光寺の本尊だったとのこと。阿弥陀三尊像は、『吾妻鏡』に石橋山合戦で戦死した北条宗時(北条時政の嫡男)の墳墓堂が伊豆国桑原郷にあったと記されており、源頼朝の舅である時政が、戦死した息子の慰霊のために慶派の仏師・実慶に造像させたと考えられています。

 中でも一目惚れしてしまったのが、阿弥陀三尊像の勢至菩薩様(国重要文化財)。奈良興福寺を本拠とした仏師工房『慶派』の実慶の作です。頭と体幹部をヒノキの一材から掘り出し、玉眼を嵌め込んだ漆箔の立像。実慶は修禅寺の大日如来の造立(1210)で知られており、ここの阿弥陀三尊像はそれより前に制作されたよう。実慶の作品は国内でこの計4体しか判明しておらず、運慶一派の継承を考える上でも貴重な文化財といえるそうです。

 三尊像の中で私はごく自然に勢至菩薩様に惹かれたのですが、帰り際に購入した図録の表紙にも勢至菩薩様を見つけ、この美術館を代表する美仏なんだと嬉しくなりました。


 阿弥陀三尊像を含む24体の貴重な仏像群は、明治の廃仏毀釈芽で散逸しないよう、明治30年代に里人の有志が『桑原観音堂』を建てて大切に守ってきました。私は8月に静岡市の建穂寺観音堂を訪ね、駿河の高野山と謳われた大伽藍・建穂寺(廃寺)の仏像群を、里の人々が観音堂を建てて地道に守り続ける姿に感動したばかりだったので、自治体規模でははるかに小さな函南町がこんな立派な美術館を造って保管展示していることに、少なからずショックを受けました。

かんなみ仏の里美術館

建穂観音堂と秘仏千手観音菩薩・不動明王像(静岡市)

 

 老朽化した桑原観音堂は修繕をしながら、今は町民の集いの場として活用されているようです。古い御堂に、子どもたちが描いたと思われる仏さまの墨絵が並んでいたのを見て、今は文化財として美術館のガラスケースに収まる仏さまと、ここまで仏さまを守り通した人々の素朴な思いが確かにつながっていることを実感し、じんわり感動しました。出来うることなら静岡市の建穂寺仏像群も、そうあってほしいと願わずにはいられません。


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