杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

1143年目の京都祇園祭

2012-07-21 12:24:20 | 歴史

 7月16~17日と、京都祇園祭に行ってきました。貞観11年(869)に始まり、今年でなんと1143回目というユネスコ世界無形文化遺産です。祇園祭を観るのは、30年前の学生時代以来。この時期の京都の暑さは、30年前の皮膚感覚より数段キツく、やっぱり地球は温暖化してるなあと実感。今回はお世話になっている方にお誘いいただいての企画ツアーだったんですが、宵山と山鉾行幸を存分に堪能してきました。

 

 

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 16日はお昼に京都入りして、山鉾町が集中する烏丸通~新町通界隈を散策しました。山や鉾が集中する新町通は、狭い道路の両側に祭りの出店が軒を連ね、道沿いの商家は自慢の家宝の屏風絵等を特別展示していました。

 

 

 鉾はこのとおり、道幅いっぱいにデンと構え、有料で登ることもできます。基本的に女人禁制ですがImgp0128、時代なんですねえ・・・「女性も登れます」の看板を置く鉾もありました。どこも順番待ちの長い列だったので、私は遠慮しました。もう、とにかく蒸風呂の中にいるような暑さで、扇風機やクーラーが回る雑貨やさんや呉服やさんに避難するほうが先決。そんでもって、よけいな買い物をついついしてしまう。暑さを武器に、町にガッポリお金を落としてもらう商人魂、見事です

 

 

 

 

 

 夕方、綾小路通で綾傘鉾後援会のみなさんによる棒降り囃子の実Imgp0154
演を特別席で見せてもらいました。

 棒降り囃子というのは、赤い熊にふんした踊り手が鉦、太鼓、笛に合わせて勇壮に踊ります。神様に奉納する踊りで、17日の山鉾行幸では赤い熊にふんし、鉾に向かって踊るのですが、16日の宵山では、踊り手が素顔のままで、しかも鉾ではなく、観客のほうを向いて披露してくれました。これは大変珍しい趣向だそうです。

 

 

 

 綾傘鉾保存会のHPには、こんな一文が紹介されています。

 

 山鉾の基層には「風流拍子物」の特質が流れているといいます。すなわち「風流拍子物」は神霊の送迎、特に疫神や災いなどの退散を願う「ハヤス」という行為から出た群集の踊りが基本であり、芸能としての特質は、太鼓などの打ち物系の楽器(打楽器)を踊り子が自ら打ち踊り、そして移動するところにあります。

 「風流拍子物」は鉾や傘、作り山や仮装の者たちが主体となり、それらは拍子に囃されて移動することを特質としました。囃される傘や山は神霊の依り付く「座(くら)」であり、神霊の動座を現したものです。

 

 このように、山鉾の原初形態の一つである「傘鉾」は、まさに囃されて移動する神塞の動座そのものであり、そこには「棒振り囃子」に代表される、派手な囃子を伴っていることが必要だったのです。室町時代の記録に登場する山鉾の中で、「綾傘鉾」や「四条傘鉾」はともに「はやし物」と表現されています。極言すれば「傘鉾」はそれだけで存在しても意味はなく、また「棒振り囃し」もそのものだけでは意味を持たないということもできます。両者がそろい、それらが移動してはじめて意味を持つ「風流拍子物」になったのです。

 

 

 

 

 

 

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 綾傘鉾は、大きな傘の形をした風雅な鉾。古い原始的な山鉾のかたちを今に伝えている貴重な鉾です。ちなみに、鉾には真木に支えられた鉾頭(高さ17~25メートル)があって、山には山岳信仰に基づいた真松(杉)を立てるという決まりがあるそうです。

 

 

 

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昔は小型でシンプルだった鉾も山も、時代とともにどんどん豪華になっていって、胴体を飾る綴織は重要文化財級の芸術品。「動く美術館」と称される鉾もあるくらいです。

 

 

 

 

 

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 それに比べると、つつましやかな綾傘鉾ですが、傘を彩る天女の舞が風雅で、どことなく好感が持てました。

 

 綾傘鉾については、こちらに詳しく紹介されているので、ぜひご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 夜は、しずおか地酒研究会会員の池谷浩通さん(御殿場・みなみ妙見店主)から教えてもらった六角通木屋町の小料理店「なな治」へ。若いご夫婦が経営するカウンターだけの小さなお店で、宵山の夜は予約が難しいかも、と思っていたんですが、祭りの中心は四条河原町通から西、烏丸通から堀川通にかけての一帯で、河原町通から東側はどうやら“穴場”だったよう。ほとんど貸切状態で、各地の地酒や酒肴料理を存分に堪能できました。

 

 

 

 

 

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 提灯鉾からお囃子の音色が流れてくるこの夜景、Imgp016930年前を思い出します。学生当時アルバイトをしていた料亭の板前さんや仲居のお姉さん方に連れていってもらい、人ごみに揉まれた記憶がよみがえってきます。

 

 

 

 

 ふつうのお祭りでは、こういう山鉾が2~3基あれば十分、ってところですが、祇園祭は33基。しかも各町内で保存し続けているんですから大した心意気です。

 貞観11年に始まったときは、当時、日本に66の国があったことから、66基も鉾を立てたそうです。京都に蔓延していた疫病や、東北を襲った貞観大地震&大津波を受け、洛中随一の池である神泉苑に神様を鉾に乗せてお送りし、平安を願った・・・というのがこのお祭りの起源なんですね。きっかけのひとつが大震災だったって、今の日本の境遇にも通じますね・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 翌朝は9時に始まる山鉾行幸を観ようと、四条烏丸交差点でスタンバイ。先頭の長刀鉾にお稚児さんが乗り込むところを観ようと、すでに歩道は押しくらまんじゅう状態でした。神の使いであるお稚児さんは基本的にどの鉾にも乗っていますが、生き稚児(生身の男の子)が乗るのは先頭の長刀鉾だけ。鉾先に疫病邪悪をはらう長刀(ちょっと前までホンモノの長刀だったとか!)を付け、生き稚児が注縄切りをします。よくテレビで紹介されるシーンですね。

 

 

 

 

 

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 ちなみに今年の生き稚児さんは、緑茶ドリンク「伊右衛門」でおなじみ宇治茶の老舗・福寿園のおぼっちゃま。神の使い=生き稚児を務める1ヶ月間、穢れるからと地べたに足を付けず、通学時もこんなふうに肩車やおんぶをされ、食事は男親としかとらない等などの制約のもとで生活するそうです。・・・本人も大変だけど、ご家族も大変ですねえ。福寿園一族も数億円の負担とか。改めて伝統行事というのは、心意気プラス財力がなければ保護できないという現実を痛感します。

 

 

 

 

 

 

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 注縄切りを行う四条麩屋町まで移動したくても、歩道は一歩も動けず・・・。とりあえず四条烏丸交差点で何基か行幸を見届け、少し人が動き出した頃合いに河原町方面までノロノロと移動し、高島屋でトイレを借りた後、四条河原町交差点で、鉾の「辻回し」を見物しました。交差点で車輪の下に青竹を敷いて水でぬらし、鉾の向きを直角に切り替える、例のダイナミックな方向転換ですね。

 

 

 

 

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 重さが8.5トン~12トンはあるという鉾。曳き手は30~40人、音頭役が4人、屋根方4人、囃子方は交替要員を含めて約40人が動かします。だいたい3~4回ぐらいかけて少しずつ角度を付けて動かすんですが、曳き手と音頭役が息を合わせるタイミングや、曳き手同士の力加減など、かなりの訓練が要るだろうなあ・・・でも実際の鉾で訓練できるわけじゃないだろうから経験なんだろうなあと、あれこれ想像させられました。

 

 おみこしかついでワッショイワッショイと動きの激しいお祭りと違い、鉾を引っ張って練り歩くだけなんで、なんとなく迫力ないなあなんて思っていたけど、こうして観ると、やっぱ、男のチカラ祭りって感じがします・・・!

 

 

 

 

 そうそう、御池通のど真ん中で、一基の鉾が止まってしまってなかなか動かず、故障でもしたのかと思っていたら、屋根の上に乗っていた屋根方が怒鳴り声で降りてきて、先頭を行く裃姿の町役?たちと喧嘩を始めちゃって、警察官が仲裁に入ってました。あっけにとられていたその間、後ろから来た山や鉾が追いぬいて行くという珍しいシーンも。・・・やっぱり祭りに喧嘩は付き物なんですね(苦笑)。

 

 

 

 

 

 

 行幸を終えた山や鉾は、町内に戻ると、ただちに解体されます。神様の乗り物なので、いつまでも地上に置くと穢れるからという理由だそうです。もちろん交通規制上の問題もあってのことだと思いますが、あっけないくらいの片付けの手際の良さ・・・見事でした。その代わり17日夕方~夜にかけて八坂神社で神輿渡御が行われ、きれいどころも集まって大いに盛り上がるそうですが、それは観ずに帰路につきました。

 

 

 祇園祭は7月23日に八坂神社で献茶式、24日に花傘巡行と還幸祭、31日の疫神社夏越祭(八坂神社の輪くぐりさん)まで続いているそうですから、今月中に京都へ行くチャンスのある方は、ぜひお見逃しなく!