杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

被災地のカメラマンの矜持

2011-09-07 10:19:14 | 東日本大震災

 昨日(6日)は久しぶりに一日家にいて、資料の整理や取材の段取り、新しく始める茶道研究会(後日報告します)の準備にあけくれました。午後の情報番組(情報ライブミヤネ屋)で、故郷福島・いわき市の海岸沿いをモーターパラグライダーで撮り続ける地元在住の空撮カメラマン・酒井英治さんが登場し、私が4月17日に直接視察した久之浜・薄磯・豊間・小名浜の映像が紹介されていて、思わず見入ってしまいました。

 

 

 4月の視察で真っ先に訪ねた久之浜は、原発30キロ圏ギリギリにあって、津波と大火事に遭い、まるで爆撃を受けた後のようでした。自分が生きている時代に、日本国内でこんな光景を目の当たりにするとは、今もって信じられない思いです。そんな久之浜に、今週、プレハブ建ての商店街がオープンしたと紹介され、自然にボロボロ涙が出てきました。

 

 薄磯は、美空ひばりの「みだれ髪」の舞台にもなった塩屋崎灯台の手前にある海岸で、液状化した沿岸道路の様子が今も生々しく思い出されます。番組では、酒井さんが昨年夏に撮った海岸の映像が紹介されていて、「ホントに福島!?」(失礼!)と目を見張るほど美しいエメラルドグリーンの海が広がっていました。遠浅で波も穏やかで、灯台が見え、漁村の集落が立ち並び、「これぞ日本の海水浴場という場所でした」と酒井さんも誇らしげに映像を紹介していました。

 

 同じ場所を、4月初めに撮影した映像には、人々に恩恵を与えてきたはずの海が、人々からすべてを奪い去った恐怖の痕跡が・・・。その事実だけでも受けとめ難いのに、酒井さんにしてみれば、まだ行方不明者が大勢いて懸命に救出活動をしているところにカメラを向けるのは、本当につらかったでしょう。私のようなヨソ者ならともかく、地元の方ですから・・・。でもカメラマンとしての矜持が彼を奮い立たせたのだと思います。東海地震が起きて生まれ育った町や親しんできた酒蔵が壊滅状態になったとき、自分ははたしてどういう行動が取れるんだろう・・・。

 

 

 灯台をはさんで南側にある豊間は、視察当時、死者行方不明者が100人と聞いた後、横倒しで放置されていた冷蔵庫の中に卵のパックを見つけたとき、ほんとうに普通の暮らしが一瞬に奪われた現実にうちひしがれました。現在、その被災地はガレキが撤去され、むき出しの地面から雑草が生え、俯瞰の映像だと青々とした芝生が敷かれたよう。植物というのは、ほんとうに逞しいんだなと感心してしまいました。

 

 

 活字でも映像でも、時間が経てば、ある程度整理された状態で、節度ある表現で伝えることができると思います。私も、現地を見ることなく半年後の映像がテレビに映っていたら、“半年経てばそれなりに復興するんだな~”と、他人事のように見過ごしていたでしょう。

 

 でも昨日の映像を見て私は涙が止まりませんでした。他人事にはとても思えなかった。現地を見たから、静岡でも大地震の危険性があるから等など・・・いろんな理由があるけど、一番心揺さぶられたのは、地元の美しい映像を長年撮り続けてきたカメラマンが、震災直後、そして半年後と、地元に寄り添う目線で撮った映像だったからだと思えます。震災直後に、自分自身も混乱し、葛藤し、震える思いで伝えた映像や活字は、もう、それだけで十分に価値があると思う。二度と撮れない、書けないものですから。

 

 そんな状況に出くわさないで一生過ごせたら幸せなんだろうけど、もし(というか、かなりの確率で東海地震は起きるわけだから)自分がそうなったら、酒井さん同様、長年地域で活動してきた者として、伝えるべき使命をまっとうできるプロでありたい、と思います。酒井さん、価値あるお仕事をまっとうし、地域の情報クリエイターの糧となってくださいね!

 

 

 


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