まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

追悼・加藤国彦先生

2009-07-22 18:43:25 | 教育のエチカ
昨日は加藤国彦先生が亡くなって丸三年目の日でした。
(三回忌とか三周忌というのは1年前=丸2年目のことをさすことばのようです)
加藤国彦先生というのは私が福島に来て知り合った高校社会科の先生です。
磐城女子高、小野高、郡山商業を経て、最後は福島東高で教えていらっしゃいましたが、
2006年7月20日、学校で突然倒れて病院に運ばれ、
翌21日、49歳の若さで帰らぬ人となりました。

今、加藤先生の仲間だった人たちといっしょに、
彼が生前書き残したものを集めて論集を作っているところです。
本当なら昨日に間に合わせたかったのですが、
残された原稿の量が膨大で、編集作業がなかなかはかどらず、
今も最終校正を行っているところです。
まあ、もう間もなく完成するでしょう。
その論集に追悼文を寄せました。
それを読んでもらうと、加藤先生がどんな人で、
私とどういう関わりがあったのか、わかってもらえるでしょう。
彼の生き様はまさに 「教育のエチカ」 を体現していたと言えるのではないでしょうか。
教員をめざす人にはぜひ見習ってもらいたいと思います。


加藤さん、今も勉強してますか?             小野原雅夫(福島大学)

 私にとって加藤国彦さんは、福島大学の先輩教員であった。1994年に私が赴任してきたとき、彼はすでに「公民科教育法」という授業の中で単発非常勤講師として2回講義を担当されていた。ずっと哲学・倫理学ひと筋で、学校教育や教員養成のことなど右も左もわからないままその授業を担当させられた私は、加藤さんの講義を参観させていただき、1回の授業のために何十枚ものプリントを用意してくるその姿に圧倒されたのを覚えている。授業後、研究室に戻って茶飲み話をしながら、私がカント研究者であるとわかったとたん、彼は悲痛な声でこう尋ねてきた。「高校生にどうやってカントを教えたらいいんですか。定言命法なんて言ったって彼らにはちっとも響かないんです。何のリアリティもない。どうやったらカント哲学の魅力を伝えることができるんですか」。そのぶしつけな質問に、当時の私は答えるべき言葉をもっていなかった。その後も2人の間でその議論は続き、2人の連名で「新しいカント学習のための予備的考察(上)・(下)」を出すことになったが、あの論文はあくまでも加藤さんが出した答えであって、私自身は未だにあの問いに答えられてはいない。
 加藤さんとのつきあいはそのようにして始まった。彼の口癖は「勉強したいんですよ」だった。現場の先生というのはこんなにも学ぶことに飢えているのかと当時は思ったものだが、今の現場にそういう人がそれほどいるわけではないと知ったのは、それからしばらくしてからのことだった。ともあれ彼の「勉強したい」という声に答える気になったのは、私も大学の授業や教育学部というシステムに慣れてきて、教育というもの(自分の授業も含めて)について真剣に考えてみなければならないと考え始めた頃だった。何かのきっかけで彼がいつものセリフを口にしたとき、「じゃあなんか研究会でもやろっか」と軽い気持ちで答えたところ、彼は一気に動き出し、彼が幹事となって有志を集い、私が会場準備係として福島大学職員会館を借りることにして、2003年11月に「勉強会」(公民科学習の研究会)はスタートした。
 その勉強会は、ほぼ月1回のペースで続けられた。残念ながら盛会とまでは言えないが、毎回7~8名の参加者を得て、濃厚でかつ楽しい議論を交わしている。加藤さんは間違いなくこの会の中心人物であったが、しかし指導的存在ではなかった。どんなに若い人が発表しようと、彼は指導するという立場に立つわけではなかった。会で彼がよく発したことばは「オレにはよくわからないよ」と「それは何なの」であった。彼はまさに勉強に来ていた。そのときの発表内容が学問的内容であれ、新しい教育方法についてであれ、彼はわからないことはわからないと言い、誰からも貪欲に学び取ろうとしていた。その学びは勉強会終了後に必ず開催されるシンポジウム=饗宴に引き継がれた。時には笑いながら、時には口角泡を飛ばして議論は続けられ、そして最後には彼の熱唱を聞くことができた。
 加藤さんは最近流行りのことばで言うところの「反省的実践家」であった。常に真理を求めて探究を続け、常に自分の実践を振り返ってよりよい授業作りやよりよいクラス作りに励んでいた。おそらく彼の教育理念からするならば、進学校での受験指導は気の進まぬものであったろうと思われるが、そういう環境の中でもすべてを投げ出してしまうのではなく、その現実を少しでも自分の理想に近づけようと、同志を集い、新しい提案を続けていた。最後の赴任校で、総合的学習の時間を使って、高校生を大学のゼミに参加させるという試みをしたのは、いかにも彼らしい発想であった。大学教員を呼んで来て講義をしてもらう出前講座などは最近では何の目新しさもなくなってきているが、大学で学ぶことの真骨頂はゼミでの濃密な時間にあり、それを高校生に体験させようと、人脈をフル活用して(当時の福島大学学長は彼のマブダチであった)そのムチャな企画を実現させてしまったのには驚かされた。また、「課外学習」という名の受験指導も、彼の手にかかるときわめて学術的なパフォーマンスへと変身を遂げた。たんなる小論文対策のはずなのに、彼がプロデュースした「論点講座」では、まず生徒たちの前で教員どうしが現代的な諸課題に関する高度なディベートを繰り広げ、それによってテーゼとアンチテーゼをつかみ取らせた上で、自らの考えをまとめさせていくのである。私はその最終回を参観させていただくことができた。フーコーやらデリダやらの名前が飛び交う高度な内容に、「生徒たちは本当にあの話についてきてんの?」と思わず聞いてしまったものだが、彼が生徒たちにつけようとしていたのは、ただ大学に入るための学力ではなく、大学に入った後も、大学を出た後も自分で考え続けていくことのできる力であった。その日はその講座に関わった彼の同志たちとの打ち上げの饗宴に同席させていただく光栄にあずかり、遅くまで盛り上がったのであった。そのほんの一週間後、彼はこの世を去った。
 私はまだ加藤さんの死を受け入れられていない。涙ひとつこぼすことができずにいる。成人して以来、友と呼べる人を亡くしたのが初めてだったからであろうか。あるいは、彼があまりにも突然に逝ってしまったからであろうか。おそらく最初に投げかけられたあの問いに、私が満足いく答えを出せるようになるまで、彼は待ってくれているのであろう。加藤さん、もうしばらく一緒にここにいて、あの問題に決着をつけるため、2人でもっともっと勉強していきましょう。


以上が私の追悼文です。
それにしても本当に勉強熱心な先生だったなあ。
みんなはどんな先生になってくれるんでしょうか。
そういえば今日明日はちょうど福島県を含む東北地方の教採でしたね。
ただ教師になりたいではなく、どんな教師になりたいのか、
自分の中の理想の教師像をできるだけ明確にイメージして試験に臨んでください。

最新の画像もっと見る

12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
教え子です (あや)
2009-09-19 11:52:55
はじめまして。
加藤先生がまだ若かりし頃の教え子ですが、たまたまお名前で検索してこちらを見つけ非常に驚いています。
私は「現代社会」でお世話になりましたが、先生が配られた大量の資料のことをよく覚えています。
私は先生のファンだったのでその資料は本当にしっかりと熟読しました。
そして更には先生と濃く語り合いたいためにわざわざ質問することを探していたのですが、ほとんどが重箱の隅をつつく様な内容だったにも関わらず丁寧に答えてくださったことを覚えています。
こちらの記事を拝見させていただき、最期まで先生らしいと感じました。
ご冥福をお祈りいたします。
加藤国彦ファン (まさおさま)
2009-09-19 23:32:26
あやさん、コメントありがとうございました。
私は加藤さんが教え子たちに実際どう接していたか知らないので、
当時の話を教えていただき、やっぱりなあと得心いたしました。
ファンになったきっかけや理由を教えていただけると、
よりいっそう私の加藤国彦理解が深まります。
なにとぞよろしくお願い申し上げます。
Unknown (あや)
2009-09-20 06:52:45
きっかけは何でしょうか。
やはり授業だったと思うのです。
授業ではほとんど教科書を使わず、先生が新聞や本などから作成した大量の資料が教材でした。中学時代に教科書に書かれてあることを覚えるだけみたいな社会の授業を受けていた私には衝撃的な内容だったのですね。
それから私は先生が若い頃に読んでいたという情報を得てサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読みました。
生徒を自分色に染める・・・というタイプの先生ではありませんでしたが、いろいろな資料をもとに現代社会の問題点を考えさせる授業で、今思えば大学の授業みたいな雰囲気だったかもしれません。
現代社会の授業はああいうものだと思っていましたが。
2年生に進級するときに先生が担当するはずであろう地理をわざわざ選択したのに転任されがっくりしました。
加藤先生の授業 (まさおさま)
2009-09-20 21:51:50
あやさま、ありがとうございました。
なるほど、私は加藤氏が福島東高校に移ってからの授業のことしか聞いたことがありませんでしたが、
以前はそんなふうに授業をやっていたのですね。
福島大学で公民科教育法の授業をやってもらっていましたが、
そのときも大量の資料を用意してくださっていました。
本当に熱心な素晴らしい先生でした。
卒業生にこんなに覚えてもらっている先生も珍しいだろうと思います。
本当に残念です。
Unknown (ともみ)
2010-12-16 01:49:37
突然すみません。偶然ページを見つけ,思わずコメントさせて頂きました。

加藤先生が亡くなった時,担任を務めていたクラスに在籍していた者です。

>彼が生徒たちにつけようとしていたのは、ただ大学に入るための学力ではなく、大学に入った後も、大学を出た後も自分で考え続けていくことのできる力であった。

大学4年も終えようとしている今,上記の言葉を身にしみて実感しております。
加藤先生が週1回,45分の倫理の授業を通して私達に何を伝えたかったのか,今となってやっと理解できたような気がします。

小野原先生の追悼文を読んで,加藤先生がこの世を去ってから4年経った今だからこそ私の胸に響くものがありました。
ありがとうございました。




コメントありがとうございました (まさおさま)
2010-12-16 19:11:32
ともみさん、コメントありがとうございました。
「加藤国彦」 で検索されたのですね。
そういう方がこのブログに何人かお越しになっています。
彼が残したものの偉大さが時とともに身に沁みてくるように思います。
彼の遺志を継いで、いつまでも学び続けてください。
加藤君の訃報を知らされて... (井筒 浩)
2011-03-26 00:52:55
初めまして、名古屋近郊に在住の井筒と申します。加藤国彦氏とは筑波大当時の比較文化学類
同期生となります。今回の震災で昔の知人の消息を検索していたところ、ここのブログに偶然にも辿り着きました。それにしても4年以上前に亡くなっていたとは...ずっと私の方から音信
不通だったとはいえ絶句しました。学生時代はともに麻雀をやって、彼の最初の結婚式には故郷の会津まで赴きました。最後に逢ったのはもう20年前、彼が福島大でバタイユの修士論文を書き上げてその冊子を手渡された時であります。思い出はつのるばかりで彼がその後の教育実践を通した思考の回路を築きつつあったか―自分には想像することも、もはや及ばないように思えます。今は遅れたけれども...合掌。
彼だったら (まさおさま)
2011-03-26 06:42:07
井筒さま、コメントありがとうございました。
こうして未だに、例えば20年ぶりくらいに加藤さんのことを慕って検索してくる方が
いらっしゃるということに驚きを禁じえません。
私たち仲間も、今回のようなこういう大きな出来事が起きるたびに、
彼だったら何と言っただろう、何をしただろうと、
つねに思考は彼の下へと立ち返っていきます。
そういう意味で加藤さんは今でもリアルに生きて、私たちとともにあり続けていると思います。
どうもありがとうございました。
また今年もやってきた… (ぢゅん)
2011-07-20 20:03:12
何気なく先日のカント読書会の内容を思い出しながら考え事をしていたら、(またしても!)ふと明日が加藤さんの命日であることを思い出しました。

あの彼が倒れた晩もヘンな雨が降り続ける夜でした。
加藤さんが生きていたらこの〈フクシマ〉の状況をどんな風に考えたのだろう・・・
毎度のことですが、困難に直面するたびに彼の語りを想い起こします。

このブログ記事には、加藤さんを探して偶然辿り着いたという方々のコメントが数多く寄せられています。
きっとこれからもそんな偶然が増え続けていくのではないでしょうか。

宮城で行われた某学会で、加藤さんの学友だったKさんと偶然知り合い、いまでは一緒に哲学カフェをやる仲間になってしまったこと、
先日は、かつて加藤さんと企画した研究会に招いた高橋哲哉氏と、講演会会場で偶然隣の席に居合わせ、あのときのことをお互いに思い出したこと等など・・・

加藤さんという人は、出会うはずもない人と人を引き合わせる不思議な人でしたが、その力はいまなお生き続けているかのようです。
そして、そんな加藤さんを知る方々は口を揃えて、「これはきっと加藤さんが引き合わせたんだよ」とおっしゃいます。

このコメント投稿の場もそんな邂逅の場となっていくでしょう。
そんな記憶の場としてこの記事を読み続けたいと思います。
引き合わせ (まさおさま)
2011-07-21 01:18:42
ぢゅんちゃん、コメントありがとうございました。
またこのバックナンバー、読んでくれたんですね。
先週、福島高校の先生方が、あの大規模講演会の打ち上げ会を開いてくださいました。
あれから5年経って、ちょうどぼくとT先生が49歳になっている年のこの時期に、
T先生に呼ばれて福高に行くことになったというのも、
なんだか加藤さんの引き合わせだったような気がしていました。
(昨年はO先生の高校に呼ばれていましたね)
まあ、打ち上げの席でT先生に改めてお悔やみ申し上げたりはしませんでしたが…。

ところで、ぼくもぢゅんちゃんが加藤さんに向けて書いていた文章をもう一度読みたいなあ。
VITA ACTIVA はいつ再開されるのかなあ?
あるいは再開はまだ先でもいいから、バックナンバーだけでも読めるようにしておいてよ。

コメントを投稿