もう1週間以上前の話になってしまいましたが、川口高校での講演会で、
感想用紙にこんなことを書いてくれた人がいました。
「今日の講演を聞いて、人間は文化がないと生きていくことすらできないことがわかりました。
そこで質問です。法律も文化からきたんですか?
私達は、これからもずっと、文化を大切にしないと未来すらみえなくなってしまうと思ったので、
私は、今からできることを探して、次の子供達に文化というすばらしいことを教えたいと思いました。
今日はありがとうございました。」
私の話をとても深く理解してくださっていて、本当に有り難いかぎりです。
この感想のなかで質問もいただきました。
「Q.法律も文化からきたんですか?」
とてもいい質問ですね。
というか、いつもならちゃんと無形の文化の話もしているんですが、
今回は話の結論 (人はなぜ学ばなければいけないのか?) を急いでしまったため、
文化にも2種類あるよ、という話を省略してしまいました。
申しわけありません。
お答えしましょう。
A.法律ももちろん文化 (人間が生み出したもの) のひとつです。
法律は道具類とは異なる、無形の文化になります。
文化というのは、本能とは異なり、遺伝によって親から子へと伝えられる能力ではなく、
人間が生まれたあとに後天的に生み出していくものすべてのことである、とお話ししました。
イスや鉛筆や制服や私服や体育館など、
また、横穴式住居や高床式住居や高層ビルディングなどを例に出して、
私たちの身の回りにあるものはすべて文化だというふうに説明させていただきました。
そういうモノとしての形がある道具はわかりやすいと思いますが、
形がなくとも人間が決めたきまりごとのような、無形の文化もたくさんあります。
最初に挙げた言語というのも無形の文化ですね。
文字が生まれるとそれはもう有形の文化みたいな感じがするかもしれませんが、
文字が生まれたのはほんの数千年前のことであり、
それ以前の何十万年、何百万年のあいだは書き言葉というものはなく、話し言葉だけでした。
話し言葉だけだとすると無形の文化という感じがわかってもらえるのではないでしょうか。
形がなくとも、人間たちが決めたきまりはすべて文化です。
お互いに挨拶をするというきまりも文化ですし、
人の話は黙って聞くというきめごとも文化です。
人間には誰かと出会ったら挨拶をしてしまうという本能はありませんし、
誰か人が話していたらそれをじっと黙って聞いてしまうという本能もあるわけではありません。
人々が長い時間をかけて、お互いにそういうふうにしようねという文化を築き上げただけです。
そういった慣習とか道徳と呼ばれるようなきまりごとはすべて文化ですし、
それらのなかから成文化され法律として定められるようになったルールも文化です。
質問者の方は、法律も文化から来たんですか、と聞いてくださいましたが、
もともとあった慣習や道徳といった文化から生まれてきたという意味ではその通り、
「文化から来た」 という言い方もできますが、
誤解を避けるためには、法律もまた文化である、と言い切ったほうが正確でしょう。
無形の文化としては、さまざまな制度もまた文化と言うことができます。
「学校」 というと皆さんは校舎や校庭や教室といった形あるものを思い浮かべるかもしれませんが、
学校にとって大事なのはそういう目に見える建物ではなく、
血のつながっていない子どもたちを一箇所に集めて、
血のつながっていない専門職の大人がみんなに文化を伝えていくという仕組みが学校なのです。
人間は子どもたちを教育するためにそういう制度を考え出しました。
でも別に、そういう制度でなければ子どもを教育することができないというわけではありません。
それぞれの家庭で、血のつながっている親が自分の子どもに文化を伝えたってよかったわけですし、
じっさい人類は長い間そうやって学校なんてなくとも文化の伝達を行ってきました。
講演のなかで話したように文化というのは、自然本能によって決定されているわけではないので、
自由にどんな形のものでも新しく生み出すことができます。
ひょっとすると何十年、何百年後には学校という文化、制度もすたれて、
みんな自分の部屋でパソコンに向きあって文化を習得するという時代が来るかもしれません。
家族というのも制度・文化です。
ほとんどの生物は産んだら産みっぱなし、産まれたら産まれっぱなしで、
家族というものなど形成しません。
群れを成す動物はいますが、群れと家族は別物ですね。
鳥類や哺乳類など高等な動物になってくると家族に近いものが形成されてきますが、
その場合もその形態はさまざまです。
人間の場合の家族は本能によって作るのではなく、制度・文化として家族を作っているだけですから、
一夫一婦制であったり、一夫多妻制であったり、多夫一妻制であったりと多種多様です。
どの制度でなければならないということはなく、
それぞれの社会が一番いいと考える制度を選択しているだけにすぎないのです。
したがって、今後みんながそのほうがいいと考えるようになれば、
夫婦別姓制度になるかもしれませんし、同性婚も認められていくようになるかもしれません。
すべては文化なのです。
よけいなところまで話してしまいましたが、
そういうふうに文化のなかには形のないものも多々あって、
法律というのもそのようなタイプの文化なのです。
文化ですから、どんな内容のものであってもみんなで決めればそれは法律にできます。
昔は王様や貴族だけが優遇されるような法律が決められている時代もありました。
現代では民主主義という制度 (文化) が選ばれて、国民みんなが納得でき、
みんながそれによって幸せになれるような法律しか定めてはいけないことになっています。
しかし、民主主義の国であっても政府は自分たちに都合のいいような法律を望み、
国会がそうした法律を制定してしまうということが起こりえます。
君たちは18歳になったら選挙権を得ることになるでしょう。
そのときに、ちゃんと国民のことを考えて国民のためになる法律を制定してくれる人を選べるよう、
社会のことをきちんと学び、判断力や思考力を高めておいてほしいと思います。
何が国民にとってよいことか、日本はどういう国になっていったらいいのか、
ただひとつの正解があるわけではない難しい問題ですが、
その難しい問題を考え抜く力を養っていってください。
感想用紙にこんなことを書いてくれた人がいました。
「今日の講演を聞いて、人間は文化がないと生きていくことすらできないことがわかりました。
そこで質問です。法律も文化からきたんですか?
私達は、これからもずっと、文化を大切にしないと未来すらみえなくなってしまうと思ったので、
私は、今からできることを探して、次の子供達に文化というすばらしいことを教えたいと思いました。
今日はありがとうございました。」
私の話をとても深く理解してくださっていて、本当に有り難いかぎりです。
この感想のなかで質問もいただきました。
「Q.法律も文化からきたんですか?」
とてもいい質問ですね。
というか、いつもならちゃんと無形の文化の話もしているんですが、
今回は話の結論 (人はなぜ学ばなければいけないのか?) を急いでしまったため、
文化にも2種類あるよ、という話を省略してしまいました。
申しわけありません。
お答えしましょう。
A.法律ももちろん文化 (人間が生み出したもの) のひとつです。
法律は道具類とは異なる、無形の文化になります。
文化というのは、本能とは異なり、遺伝によって親から子へと伝えられる能力ではなく、
人間が生まれたあとに後天的に生み出していくものすべてのことである、とお話ししました。
イスや鉛筆や制服や私服や体育館など、
また、横穴式住居や高床式住居や高層ビルディングなどを例に出して、
私たちの身の回りにあるものはすべて文化だというふうに説明させていただきました。
そういうモノとしての形がある道具はわかりやすいと思いますが、
形がなくとも人間が決めたきまりごとのような、無形の文化もたくさんあります。
最初に挙げた言語というのも無形の文化ですね。
文字が生まれるとそれはもう有形の文化みたいな感じがするかもしれませんが、
文字が生まれたのはほんの数千年前のことであり、
それ以前の何十万年、何百万年のあいだは書き言葉というものはなく、話し言葉だけでした。
話し言葉だけだとすると無形の文化という感じがわかってもらえるのではないでしょうか。
形がなくとも、人間たちが決めたきまりはすべて文化です。
お互いに挨拶をするというきまりも文化ですし、
人の話は黙って聞くというきめごとも文化です。
人間には誰かと出会ったら挨拶をしてしまうという本能はありませんし、
誰か人が話していたらそれをじっと黙って聞いてしまうという本能もあるわけではありません。
人々が長い時間をかけて、お互いにそういうふうにしようねという文化を築き上げただけです。
そういった慣習とか道徳と呼ばれるようなきまりごとはすべて文化ですし、
それらのなかから成文化され法律として定められるようになったルールも文化です。
質問者の方は、法律も文化から来たんですか、と聞いてくださいましたが、
もともとあった慣習や道徳といった文化から生まれてきたという意味ではその通り、
「文化から来た」 という言い方もできますが、
誤解を避けるためには、法律もまた文化である、と言い切ったほうが正確でしょう。
無形の文化としては、さまざまな制度もまた文化と言うことができます。
「学校」 というと皆さんは校舎や校庭や教室といった形あるものを思い浮かべるかもしれませんが、
学校にとって大事なのはそういう目に見える建物ではなく、
血のつながっていない子どもたちを一箇所に集めて、
血のつながっていない専門職の大人がみんなに文化を伝えていくという仕組みが学校なのです。
人間は子どもたちを教育するためにそういう制度を考え出しました。
でも別に、そういう制度でなければ子どもを教育することができないというわけではありません。
それぞれの家庭で、血のつながっている親が自分の子どもに文化を伝えたってよかったわけですし、
じっさい人類は長い間そうやって学校なんてなくとも文化の伝達を行ってきました。
講演のなかで話したように文化というのは、自然本能によって決定されているわけではないので、
自由にどんな形のものでも新しく生み出すことができます。
ひょっとすると何十年、何百年後には学校という文化、制度もすたれて、
みんな自分の部屋でパソコンに向きあって文化を習得するという時代が来るかもしれません。
家族というのも制度・文化です。
ほとんどの生物は産んだら産みっぱなし、産まれたら産まれっぱなしで、
家族というものなど形成しません。
群れを成す動物はいますが、群れと家族は別物ですね。
鳥類や哺乳類など高等な動物になってくると家族に近いものが形成されてきますが、
その場合もその形態はさまざまです。
人間の場合の家族は本能によって作るのではなく、制度・文化として家族を作っているだけですから、
一夫一婦制であったり、一夫多妻制であったり、多夫一妻制であったりと多種多様です。
どの制度でなければならないということはなく、
それぞれの社会が一番いいと考える制度を選択しているだけにすぎないのです。
したがって、今後みんながそのほうがいいと考えるようになれば、
夫婦別姓制度になるかもしれませんし、同性婚も認められていくようになるかもしれません。
すべては文化なのです。
よけいなところまで話してしまいましたが、
そういうふうに文化のなかには形のないものも多々あって、
法律というのもそのようなタイプの文化なのです。
文化ですから、どんな内容のものであってもみんなで決めればそれは法律にできます。
昔は王様や貴族だけが優遇されるような法律が決められている時代もありました。
現代では民主主義という制度 (文化) が選ばれて、国民みんなが納得でき、
みんながそれによって幸せになれるような法律しか定めてはいけないことになっています。
しかし、民主主義の国であっても政府は自分たちに都合のいいような法律を望み、
国会がそうした法律を制定してしまうということが起こりえます。
君たちは18歳になったら選挙権を得ることになるでしょう。
そのときに、ちゃんと国民のことを考えて国民のためになる法律を制定してくれる人を選べるよう、
社会のことをきちんと学び、判断力や思考力を高めておいてほしいと思います。
何が国民にとってよいことか、日本はどういう国になっていったらいいのか、
ただひとつの正解があるわけではない難しい問題ですが、
その難しい問題を考え抜く力を養っていってください。