まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

「科学技術と環境の倫理学」 最終ワークシート2014

2015-06-20 15:24:21 | 教育のエチカ
一昨日、奥会津金山町の川口高校に講演に行ってきましたので、
その報告をしたいところなんですが、感想用紙の集計をするヒマがないので、
一昨日に引き続き、昨年度末にアップしたと思って (忘れて) いた記事をアップいたします。


昨日、「科学技術と環境の倫理学」 の学生アンケート結果をご報告しましたが、
講義の最終日には、あのアンケートのほかに最終回のワークシートも記入してもらいました。
その最後に次のような質問を設けておきました。

「この講義を受けてきて、どんな力が身についたり伸びたりしたと思いますか。
 その理由も書いてください。」

アンケートの自由記述はみんな一言だけ書いてくれているぐらいでしたが、
それは、こちらのワークシートでみんな詳しく書いてくれていたので、
もう力尽きて、あちらの記述は手薄になっていたわけです。
今回はこういう質問ですので、授業に対する不満や要望は拾うことはできません。
ある種、誘導尋問にも近いわけですが、こういう問いを最後に投げかけることによって、
半期の講義を振り返って、自分の学びをしっかりと定着させてもらおうと目論んでいます。
卒業してから 「大学では何も学ばなかった」 と思われるよりは、
大学の授業を受けてこんな力が付いたよな、成長したよなと思えるほうが、
本人にとっても幸せなことではないでしょうか。
それではご紹介していきましょう。


●生活の中で必ず関わる科学、技術、環境の問題を経済、国際また現代から未来に時間的幅でも考えることで、どう個人として、また社会集団としてあるべきか考える力が身についたと思いました。問題が大きく個人でどうこうできるものではないと思ってしまいがちだったが、科学だけ、技術だけ、環境だけと囚われず、様々な観点から考えることで、個人でどうするべきかを考えることができたため。

●これからの科学技術と環境について考える力が伸びたと感じた。講義を受けて様々な理論や知識を聞き、ドラマや映画を鑑賞するとそれまでとは違って階段を1階上がったような考えができるように思われた。

●授業を通して、将来社会人として働くようになったときにその職業のプロフェッショナルとして守るべき倫理の重大さや環境問題に対してどのように向き合っていかなければならないかを考えることができた。

●自分の意見・考えを持ち、その後に気づくという力。授業の中で何回か、先に自分の考えを書いたり、ディスカッションをする機会があったが、その際に自分の頭で問題に対して考えることができた。聞くだけではなく、考えてから次に進むことで、気づきを得られたことが多かったと思う。

●たくさんの倫理観に触れていく中で、自分自身の考えを言葉に表す力が身についたと考えます。自分の意見をまとめるのに時間がかかってしまい、ワークシートを記入するのがたいへんだと感じた事もありますが、以前よりも一つひとつしっかりと簡潔に文章にまとめ、整理できるようになったと思います。また、以前小野原先生の別の授業を受けた時よりもたくさん短い時間のうちに書けるようになった気がします。

●この講義を受けて身についた力の一つに「言葉の意味を考える」というものがあると思います。「世代間倫理」とは何なのか、「リスクマネージメント」とは何なのか。以前までは言葉の意味を理解せずにそのまま講義を受けていましたが、この講義を通して「それは一体どういうものなのか」ということを考えて講義を受けることができるようになったのではないかと思います。

●科学技術も環境倫理学も両方とも一点だけを見れば、理解できるような考えではなく、多種多様な見方・考え方が必要であることをこの講義を通して、必要な力であると気づくことができ、多種多様に見て考えるようになったと思う。それが、他の授業の中でもレポートを書くときに考えるようになったと感じることが多くなったと思える。

●科学や技術の発展をただ享受してきたが、実はその裏でどんな事が起こっているのか、考えるべきことがあるのか疑う目線を持つ力がついた。それは、科学技術が私たちに与えた影響を良い面だけ見るのではなく、人類や環境に与えた悪い面や考え直さなければいけない面について学ぶことによって、様々な視点から観察し、自分たちに都合の悪い事でも目をつぶって思考停止するのではなく、理解し考え変えていくことの大切さを学んだからである。

●自分の意見とは違った考え方についても柔軟に考えることが少しできるようになったかもしれない。また、一方から考えるのではなく何事も様々な角度から見ることが大切であると学ぶことができた。

●客観的に物事をとらえ、深く掘り下げて考えることができるようになったと思う。知識が浅く、学ぶ意欲がないから偏見が生まれるのであり、一つの事に様々な側面があることを知ることは、人々の環境や科学に対する無関心や偏見を無くすきっかけとなると感じる。

●私は自分のことを「良い意味でも、悪い意味でも素直」だと考えている。感情に流されたり、訴えることが多いと感じるが、この講義で取り上げられた項目は「感情」でとる行動より、人として「理性」でなすべき行動だったり、今の時代だけではなく、未来の地球にまで視野を広げることの必要性を学ぶ機会が多かったと感じた。自分だけの利益ではなく他人や人間以外のモノへ対する考え方が身についたと思う。

●自分の立場(一般的な消費者)以外の視点で、各問題について考えることができるようになった。自分は今もこれからも、ただ技術の恩恵に一方的に享受するだけだと思っていたけど、享受する側にも守るべき倫理があるのだと気づくことができたので、自分は社会に変革を与えるような技術の発明はできないけど、せめてその技術を生み出す側の人たちにとって障害にならない社会づくりには貢献できると思った。

●物事を多面的に見る力。この講義で取り扱った事項は全て絶対的に正しいものではなく、ある側面から見ると正しいが、違う側面から見ると正しくないというものが多かった。その中で色々な視点で物事を考えること、全ての行動にあるメリットとデメリットを考えることができました。

●巨大かつ複雑化している問題に対して、論理的に向き合うためにどのようなプロセスを踏めばよいのか、道筋が明瞭化したことで、論理を組み立てる力が身についたと思う。また、「科学技術」「環境」といったある意味では身近で具体的なテーマだったことで、生活の他の部分で出会う別の問題などとリンクさせたり、応用する力も伸ばすことができた。

●抑制理論のところで反論に対する再反論を考えたことで意見をより深める力を身につけられた。今回は学説(?)に対する反論をもとに考えたが、これは自分の意見や考えをまとめるときにも使えると思う。自分の意見を100%客観的に見るのは難しいため、粗いところを見つけて反論していく方法を使えば、ただ読み流して考えの偏りを見つけるよりも容易に自分の考えの偏りや矛盾に気づくことができるのではないかと思った。

●どうしようもないことというものは考えても無駄で、専門家に任せればいいと思っていた。しかし、この授業で科学や環境の問題について学んで、専門家や政治家だけでは手におえないものであり、また法律だけでは手が届かない、あるいは更なる問題を招いてしまうことがあると分かった。さらに、個人の行動の積み重ねが問題にかかわっている以上、私たちはどうしようもないような問題を答えを出すべき問題として持ち続け、できるだけ早くベストな答えが出るようできる限り考えを出し続けることが必要なのではないかと考えるようになった。なかなか解決できない問題を生み出している人間として自分を認識できたこと、産み出した問題を未来に残す可能性を持っている人間としてこれからどう責任を持って生きるかを考えられるようになったことがこの授業での大きな収穫であると思う。

●一つの事柄や事象に対して、常に疑問を持つということはできるようになったとは思います。環境倫理学の反論に対する再反論のときに、一見正しいと思えることでも、それに対して反論しなければいけないという状況になることで、提示された理論の信憑性について真剣に考え、様々な疑問点に気づくことができたからです。

●私はこの講義を受けてから、科学や技術を取り巻く事柄について、当事者(内部)の視点からも問題や倫理について考えることができるようになりました。それまでは、外部からの視点でした。例えば、工事などで期限をオーバーした際、外部からは、早く終わってほしいと思われてしまうこともありますが、内部としては簡略化された方法で早めに終わらせてはいけない、などといった事情があることを知り、外部の人間がせかしたりしたら、簡略化されたものになってしまいその工事の信頼性は失われていってしまいます。このように、私は外からではなく内部の事について更に理解を深めなくてはならないと思うようになりました。

●様々な立場からの意見、反論、再反論を見て考えることで、ある意見・主張に対してどこに穴があるか、どんな反論を行うべきか等を組み立てられるようになったと考える。また、様々な考えに触れることで、自らが教育や社会によって当然と刷り込まれていた考えを疑い、それに対して反論することができるようになったと感じる。

●「無理」や「不可能」という言葉は嫌いだ、と仰っていましたが、この授業を受けて私は“老けた”ように感じる。倫理的に取るべき行動でも、それを取らない人は存在するし、そういう人に強制することはできない。だから、まぁまずは自分が誰かに理解されなくても、取りあえず一人で“倫理的に生きるように努力するべきなのだ”という意識を新たにした。そういう意味で、他者性を慮ろうとする力は伸びたのではないかと思う。

●今まで持っていた概念全てに疑いのようなものを感じた。さらに、何が正しくて誤っているのかなど様々な事を考えさせられた。結果的に、自分の中ではこの世界には正解がないところがたくさんあるので、自分で物事を考えていくべきだという結論が生まれた。この結論が正しいのか間違っているのかは分からないが、この授業では自分で考える力が育ったように思う。

●後半の「環境倫理学」において、自由主義経済の問題点などについて学ぶことで、消費者という立場において、自分がどのように環境倫理学の実現に貢献していくかを見直すことができた。

●知識はあまり身についたとは思えないが、考えて考える、深く追及することが多少はできるようになったと思う。ワークシートが埋まるようになった。

●この講義を受けてきて、普段は何気なく思っていたことや、考えもしなかったことを違う視点から見直すことができるようになった気がします。あとは、自分の将来のことでいっぱいいっぱいだったが、すみません...まとまってなくて頭の中がグチャグチャです。物事を判断するときは、状況をなるべく詳しく調べ、その上で判断すること、それが大事だなと思いました。

●与えられたテーマ・問題に対して、自らの意見を考えること、そして、相手の意見や自分の意見に対しても反論することで考え方の転換や考える力が伸びたと思う。

●ある意見に対する反論、そしてそれに対する再反論、また一つの事柄について自分以外の意見を聞くことでそれらを踏まえて、もう一度自分の意見や反論を述べる、という考え方をした方が良いと思うようになった。また、自分の意見があったら、その事柄について他の考え方ができないかを意識してみようと思うようになった。

●多角的な視点に基づき、物事を分析する力。抑制理論について、反論とそれに対する再反論を挙げることができた。

●自分の意見とともに、それに対する反論を考察する力。授業の中で多角的な考え方を紹介していただいた中で、自分の考えの中の不十分なところに気づかされ、自然と自分に向けられるであろう反対意見について事前に考察するようになった。

●授業名の通り、科学技術と環境問題につて倫理学の観点から考えることができるようになった。今まではマスメディアや文献の押し売りでしか物事を考えることはなかったが、この授業をきっかけに主要な言論・視点以外の第三者の観点から物事を見つめようとする気になった。

●板書はなるべく先生が言っている内容の意味を理解しながら、スピードを落とさず書けるようになったと思います。また、科学や技術の観点から、環境の観点からお互いを見て、倫理を学ぶことができました。どちらも傷つけないような未来があればいいと思います。

●環境問題を知るには、自然科学・倫理学・経済学・政治学など、様々な学問の知識が必要だと知り、どんな学問も一つを極めてだけでは語れないのだということが分かった。だからこそ、一つの問題に対して様々な角度から見ることの重要さを知ることができた。

●自分の身の回りにあるものが本当に必要なものなのか、どう扱っていくべきなのかを考える力が身についたと思います。今まではその様なことは考えずに生活してきましたが、よく見てみると、身の回りには無駄なものや危険なものが多いということに気づきます。その力を今後も伸ばしていきたいです。

●グループディスカッションなどで、自分では考えつかないようなものの見方を知ることができた。また、抑制理論とそれに対する反論、再反論では自らの意見を見直し、その問題をつくということも学べた。

●「考える力」。反論、再反論など頭を使って色々考えることをしたし、ただ聞いて書くだけではなく、自分の意見を考えたから。

●倫理はこれまでに高校や大学で講義として学習することはほとんどなかったので、倫理について考える機会が増えたと感じる。それは科学技術や環境についての報道を見るときに他の生態系の影響とかが報道されなくても、自分なりに「これは本当に良い事なのか、自己の利益追求のためには仕方のない事なのか」と考えるようになったからである。

●そもそも倫理とは何だろう?というレベルでしたが、この講義を受講しました。「考える」という力は私はあまりなかったと思います。ユニークに「考える」機会が与えられたのがこの講義だったと思います。

●反証する姿勢、自分が「正しい」と思っていることでも反証することで見えてくるものがあるということが分かったことが最も大きな収穫です。


皆さん、いろいろ力を付けてくれたようです。
その力をぜひ社会人になってから、あるいは就活のときに役立ててください。